43.蒼炎
流れ込んでくる感情。
憎悪、嫉妬、思慕、焦燥、慟哭、恋慕、痛嘆。
ぐるぐると何かが回る。
リリーナは耳を塞ぐように頭をかかえた。この胸を押しつぶされそうな音は何なのだ。
目の前で結晶が成長していく。こちらに迫ってきているのが解る。
リリーナは唇をかみ締めて、前を向くと、剣を抜いた。こんなところで倒れるわけにはいかない。
一度後ろに飛んでから、弾みをつけて回転をかけながら、なぎ払った。叩き折るつもりで振り下ろした刃は跳ね返され、衝撃でリリーナの腕に鈍い痛みが広がった。
「リリィ!」
彼の声は聞こえるけれど、姿が確認できない。岩盤の隙間からガスが吹き出している。霞んでしまい、周囲が確認できない。余裕のない声はきっと自分を探している。
「……?!」
呼びかけに答えようとしたが、声が出ない。
(何故……?!)
嫌な汗が流れる。迫る結晶から距離を取るため、リリーナは再度、後ろに跳んだ。
着地した足場が脆く崩れ落ち、体がふわりと浮かんだ。
落ちているのか、跳んでいるのか、よくわからない感覚にとらわれる。次に地面に足を着いた時、足首に強い痛みを感じた。かろうじて体勢を立て直し、剣を構えながら、肩で息をした。
どうしてこんなに急速に体力を消耗していくのか。うまく呼吸ができない。まるで生気を吸われるように、目が霞んできている。
「……ッ?!」
背中に大きな衝撃を受けた。背後から受けた攻撃に咳き込む。
振り返って確認しようとして、よろけた弾みに足をとられて転んだ。
カシャリと金属音がして、バレッタが地面に落ちた。
(アル……)
バレッタに装飾された青い花が目に飛び込む。こんな時に思い出すのは、彼の嬉しそうに笑う顔。
「……ッ!!」
全身を締め付けられるような強烈な痛みが襲い、リリーナは地面に倒れた。
声を封じられているため、悲鳴を上げることもできない。
(アル……)
リリーナは力の限り、バレッタに手を伸ばした。
なんとか指先に届いて握り締めた時、上体を強く踏みつけられた。
「まだ息があるのか。忌々しい……!」
(だ……れ……?)
声の主を確認することができない。男性なのか女性なのか、そもそも人の声なのか。ただ、かなり強い憎悪を向けられていることはわかった。強く踏みつけられ、うまく呼吸ができず、リリーナの瞳に涙があふれた。跳ね返す体力がない。魔術も使えない。どうすればこの状況から逃げられるのだろうか。
「お前が蒼華姫だな。やっと喰らえる。これほどにも脆い人間如きに、我らは何故いつまでも苦しめられねばならない」
背筋をぞわりと這い上がるような声色に体が震えた。頭が痛み、視界が暗くぼやけてきた。
リリーナは意識を失わないように、バレッタを握る手に力を込めた。
声の主が動いたのか、地面が大きく揺れた。すぐ近くまで迫った結晶の色が濃くなったことが、霞む視界の中でも解った。
(私は……諦めない)
この体が動けばいいのに。地面に転がる剣が見える。結晶は叩き折れなかったけれど、自分を踏みつける何かに斬撃が効くのかはわからないけれど、このまま何もできないまま倒れるのは嫌だ。せめて、声が出せれば、反撃できれば、彼の元へ帰れるのに。
「諦めるんだな、蒼華姫。我の糧となるがいい」
体が持ち上げられ、リリーナは声の主の姿を確認した。
白と言うには何か違う鈍い光を放つ大蛇。赤い舌が伸びる。睨んだリリーナの頭上で、大きく開かれた口と牙が止まった。
リリーナの口を借りて問いかけられた言葉が響いた。リリーナにも意味がわからない。
「……ッ」
反応した大蛇がリリーナの体を地面に叩き付けた。しかし、地面が迫る瞬間に青い炎に包まれ、リリーナは投げ飛ばされた。
(動ける……!)
受身を取りながら地面を転がり、リリーナは先ほどまでの痛みと苦しみから解放されたことを感じた。
咄嗟に剣を拾い上げ、頭に浮かんだ言葉を口にする。
目の前で大蛇を拘束するように、地面から青い炎が立ちのぼった。リリーナはずっと握りしめていたバレッタを髪に簡単に留めた。髪をまとめている暇はない。
大蛇が何か言葉を発しているが、先ほどまでと違い、わからない。ただ、憎悪を込めた瞳でこちらを睨みつけている。
おそらく、今、頭に浮かぶ言葉も、きっと今は使われない古い言葉なのだろう。
リリーナが口にすると、大蛇を拘束していた炎が細く尖り、縫い付けるように無数にその体を刺した。続けた言葉とともに剣を振るえば、青い炎が結晶を砕き、色を失っていく。リリーナのバレッタの装飾された花が大きくなり、彼女の瞳が金色に輝いた。
大蛇が咆哮した。地面がビリビリと震えるが、リリーナの動きを止めることはできない。
地面が大きく揺れて、天井が崩落を始めた。大蛇が何か喚き散らし、無理矢理、拘束を解いて地面に潜り込もうとしているのが見えた。
リリーナは剣を岩盤に刺した。ズクリと何か手ごたえを感じる。炎が網目状に広がり、音を立てて大蛇に向かったが、土煙とともに姿が消えた。
(逃げられた……)
リリーナは崩れ落ちるように膝をつく。剣に身を預けて、息を吐いた。
呼吸を整えると立ち上がり、剣を引き抜く。衝撃で周囲の岩盤がひび割れて、大きな魔石が姿を現した。まるで何かの核のようだ。気味の悪い色合いで、ゆっくりと点滅を繰り返している様は生き物のように見えた。
(何かしら?回収したほうがいいのかも)
彼らと合流して、この魔石を見せれば、何かわかるかもしれない。
リリーナはポーチから収納袋を取り出し、放り込んだ。
(ここはどこなのだろう)
崩落する岩を避けながら、リリーナは周囲を見渡す。足場が崩れたということは深く落とされたのだと思う。もし縦穴に誘い込まれ、落とされたとすれば、どこか天井の高い位置があるはずなのだが。
キラリと金色の光が差し込み、リリーナが駆け寄ると、細い鎖がついた鍵が落ちていた。
いかにも意味ありげな鍵を拾うべきかどうか、リリーナは悩む。こういう時、トォーリィがいれば、真っ先に確認してくれるのに、ここにはいない。
「トォーリィ……」
いつも側にいてくれたのに、どうして今、自分は一人なのだろう。呼んでも、応えてくれない。何かあったのだろうか。
「アル……」
リリーナは彼の名前を呼んだ。
帰りたい。大蛇を逃がしてしまい、しとめ損なったけれど、脅威は去っていないけれど、帰りたい。
彼に会いたい。戻りたい。こんなところにいたくない。
「どうして……一人にしないで、アル」
ぼろぼろと涙がこぼれた。どこへ行けば、帰り道が見つかるのだろう。
大蛇が去ったためか、妙な輝きを放っていた結晶から光が失われ、薄暗くなっていく。
強烈な閃光と衝撃が走り、身構えたが吹き飛ばされたリリーナは地面に転がった。
「リリィ!!」
土煙の向こうからアルヴァートの声が聞こえて、リリーナは顔を上げた。伝わる魔力は間違いない、彼のものだ。手を差し出せば、抱き上げられ、強く抱きしめられた。
アルヴァートの体が、腕が、小刻みに震えている。
「すまない……、見失って、俺は……」
リリーナは動かせる範囲で彼を見上げる。
「リリィの……反応が消えて……」
「ここにいるわ、アル」
ゆっくりとリリーナは答える。だから、泣かないで。
「探しにきてくれて、ありがとう」
足元から金色の光が現れた。それに気付いたアルヴァートが片膝をつき、鎖のついた鍵を拾う。
何の鍵なのだろう。眩い光に包まれる。リリーナは思わず目を閉じ、アルヴァートの胸に体を寄せた。




