37.交渉
シグル視点です。
第1騎士団の朝は早い。
せわしなく扉が開閉する音と廊下を歩く音に気付き、シグルは起こされる。
「全く……まだ夜明け前じゃないか。寒ッ」
吐く息が白い。室温は何度なんだ。
南国育ちのシグルにとって、この状況は最悪だ。凍りついた部屋で一晩を過ごすことを強いられるとは、騎士団長様もとんだ悪党だ。
「絶対、わざとだな。俺を殺す気だな」
残念ながら、簡単には死なない。交渉は得意だ。あまりの寒さに、こちらを見ていた狼と交渉し、とりあえず背中を貸してもらった。しかし、夜明けとともに、俺の毛布が、まさかボフンと音をたててリスの姿に戻るとは思わなかった。かなり面積が足りないじゃないか。危うく踏み潰すところだった。
「本体はリスなのか?」
愛らしく首を傾げたリスはどこかへ姿を消し、やがて頬袋を膨らませて帰ってきた。
布団に包まるシグルの目の前で、すごい勢いで木の実を食べた後、また狼の姿に戻る。
「……なるほど?魔力が枯渇すると、元に戻ってしまう仕組みなわけね」
お前はすごいな、と声をかけてやれば、狼は得意げに胸を張る。
部屋の扉が軽く叩かれ、声をかけられた。
「シグル様、入ります」
元々は俺の部屋だが、と面白くなさそうに呟きながら、アルヴァートが部屋に入ってきた。
「……よぉ」
シグルは渋々、上体を起こして、頭をかいた。
「……お目覚めですか?」
鎧を装着し、準備を進めるアルヴァートはこちらを見ない。人の着替える姿を見るわけにもいかず、シグルは気まずそうに横を向いた。
「悪かったな、部屋まで借りちまって」
「いえ」
「話があって来たのに、つい楽しくなっちまってさ。あー、今日の帰りは早いのか?」
「外勤ではありませんので、夕刻になるでしょうか」
アルヴァートは長机から大剣をとると腰に装着する。手甲の羽目具合を確認したところで、ようやくシグルに視線を向けた。
「生きてましたか……」
「おいッ!やっぱりわざとだな!俺は簡単には死ないぜ!交渉は得意だ!」
「誰と?」
「こいつと」
シグルは狼を指す。しかし、そこには何の姿もなく、シグルは頭を抱えた。
「あいつ、どこ行きやがった」
「リリーナのところでしょう」
「クソッ」
余計な事を言えば、確実に殺されそうなので言わないが、昨夜もお楽しみだったんだろ。状況を用意してあげた俺に感謝しやがれ。
「……あなたが考えていることは大抵わかりますが、感謝は申し上げません」
「怖ッ」
アルヴァートが剣に手をかける。内容によっては切り捨てるつもりなのだろう。相変わらず、冗談が通じないというか、容赦がない。
シグルはいろんな意味で身ぶるいした。
「あまり時間がありませんが、昨夜、シグル様よりゼアビノについて情報が入ったと伺いました。それだけ言って、酔いつぶれてしまわれましたが……?」
「了解、了解。つまり、俺はただ飲んだくれて何一つ伝えてないって訳だ。そうだな、今日一日、この辺で待たせてもらうわ。今日帰ろうかと思ったけれど、ま、いつまでに帰ってこい、とか言われてねーし。この件については直接、話しておいたほうがいいと思うからな」
目をこするシグルの姿を見て、アルヴァートはやれやれとため息をつく。
「不本意ではありますが、今日はリリーナが非番です。何かあれば、彼女にお話ください」
露骨に嫌そうな表情を向けられるのはいかがなものかと思うが、彼女は副団長であり、職務上、代理な訳でもあるのだから、仕方がない。
「そういうことなら、今日は1日、リナたんに付き合って――」
剣先を喉元に突きつけられ、シグルは慌てて両手を挙げる。
「はい、副団長様の指示に従います」
慌てて訂正するが、アルヴァートの視線が恐ろしく冷たい。
「どんな死をお望みですか?」
「選ばせてくれるのは、お前の優しさか?」
アルヴァートは薄く笑う。これは本気で怒らせてしまっただろうか。彼にとってリリーナの存在は特別すぎて、ほぼ地雷だ。おそらく弱点にもなりかねないが、どうやら、かなり踏み抜いたらしい。
「待て。俺から情報を聞き出す前に殺すのか」
アルヴァートの目が細まる。
これは確実にじわじわと息の根をとめられる。一思いに切り捨ててくれたほうが楽なやつだ。
誰か何とかしてくれ、と願った時、扉が軽く叩かれ、部屋の外から声をかけられた。
「団長、リリーナです」
「入れ」
アルヴァートは大剣を鞘に戻す。凍りついていた部屋が一瞬で解除された。
シグルは大きく息を吐いた。彼女は俺の救世主だ。命を助けられるのはこれで何度目だろうか。もう第1騎士団員と同じように、彼女の信者になっても良い。
部屋に入ったリリーナは、ちょっと寒いですね、と腕をさすった。そして、うなだれるシグルを見て、不思議そうに首を傾ける。
「シグル様、おはようございます。ご気分はいかがでしょうか」
彼女の優しさが身に染みる。
「……最悪です」
「朝食はお召し上がりになりますか?食堂へご案内しますが、こちらにお持ちしましょうか?」
うつむいていても、場の空気が張り詰めたことがわかる。
「自分で行きます」
「わかりました。部屋の外で待っておりますので、お支度ができましたらお声をおかけください」
チラリと顔を上げれば、睨んでいるだろうと思っていたアルヴァートはリリーナを見つめている。
リリーナの肩にはリスが乗っているし、つまり今まで狼だったのは自分を警戒していた訳で、今は気を許しているということらしい。なぜリスは彼女の肩の上で胸を張っているのだ。どういう状況だ。
「揃いもそろって面倒なことだ……」
今日一日世話になるなら、余計な一言に気をつけて、おとなしくしていようと、シグルはため息をついた。
***
朝食を取りながら、シグルは机の上で伸びているリスに視線を向ける。
「なぁ、こいつ、何て名前なの?すげーだらけてるけど」
まだ頬杖をついて、尻をかいていないだけ良いとするが、横に伸びきっているのは、いくら何でも油断しすぎだと思う。
「トォーリィのことですか?」
「トォーリィ……」
その名前はどこかで聞き覚えがある。船の上で羽ばたいていた2羽の鳥のうちの1羽ではなかったか。
「あの稲妻を落としていた鳥も、元はこいつなのか」
こいつ呼ばわりされて、トォーリィが面白くなさそうに立ち上がる。
「すげーな、お前!!」
褒められて、急に胸を張る。なるほど、状況に応じて臨機応変に姿形を変える便利な面白動物な訳か。
「そう言えば、他の奴らはどこ行ったんだ?皇都についてから、姿を見ていないが、常にうろうろ取り囲んでいただろ?」
シグルの言い方にリリーナは困ったように笑う。
「お家に帰ったというか……、今日、これから様子を見にいきますが、ご一緒しますか?」
「行く」
リリーナの提案に、シグルは即答する。
元々、副団長様の指示に従うつもりだし、後でデートだと攻められようが、面白そうなことには首を突っ込みたい。
「トォーリィも楽しみよね」
リリーナは優しく微笑むが、どうみてもリスは嫌そうな顔をした。
何だろう。こいつは主人のリリーナよりも、アルヴァートによく似ている。




