16.異変
前を歩くアルヴァートが姫君を馬車に送り届け、扉を閉める音がした。
出発の準備のため、こちらを振り返るのがわかる。
「リリィ?」
――名前を呼ばないで欲しい。
一気に涙が込み上げる。顔を上げたら、こぼれてしまう。
「……ッ」
アルヴァートが近付く気配を感じて、リリーナは大きく後ろに跳んだ。
――触れないで欲しい。咄嗟に剣に手が伸びる。
「リリィ!」
着地と同時に剣を抜き、さらに逃れるため上へ跳ぼうとした。
その前に、アルヴァートに強く抱き締められる。
逃げられるはずがないことはわかっている。
それでも逃げたかった。誰から?どこへ?
「どうしたんだ!?」
剣を握りしめる手が震える。涙がとまらない。誰に刃を向けようとしたのだろう。何を斬り捨てたいのだろう。
「わかりません」
「落ち着け」
アルヴァートがリリーナの背を撫でる。
「俺を斬りたいなら斬れ。お前になら殺されても構わない」
リリーナは左右に首を振る。
違う。斬り捨てたいのは彼じゃない。
アルヴァートは様子を伺っていた副官を呼んだ。
「出発しろ。不在の間、代行を任せる」
彼がとっさに人払いをしてくれたため、騒ぎになっていないことに感謝する。
「リリーナは俺が後から連れて行く」
副官は短く返事をすると、姫君を乗せた馬車に向かった。
恐ろしく強い副団長は、さらに恐ろしく強い団長でなければ保護できない。
「大丈夫だ。俺はここにいる」
リリーナの手から剣が落ちる。声が漏れる。自分でも何が起こっているのか、わからない。こんな子供のように泣くのは自分らしくない。
「話せるか?」
アルヴァートがリリーナを覗き込んだ。乱れた前髪を直してやり、見上げたリリーナの瞳を見て、異変に気付く。
「瞳の色が……」
リリーナの瞳は澄んだ緑色のはずだ。それが、自分と同じ藍色が入り込み、角度によって見え方が違う不思議な色合いになっている。
「すまない。俺のせいか」
アルヴァートは泣きじゃくるリリーナを抱き上げると、小さく呟き、足元に転移魔法を発動した。リリーナの落ちた剣をくわえたトォーリィも魔法陣に飛び込む。
「これはまた、お早いお帰りで」
アルヴァートは今朝出発したばかりの別邸の屋敷に転移した。
執事長はのんびり紅茶を飲んでいたようだが、アルヴァートの訪問に驚くことなく、立ち上がると頭を下げた。
「リリィの様子がおかしい。おそらく俺のせいだ」
アルヴァートはリリーナを抱き抱えたまま、執事長に告げる。
「祈りの花を奉納する際に術を重ね合わせた。その後から様子がおかしい。瞳に藍色が入り混んでいる。俺の魔力の流れに合わせたせいか?」
「なるほど。同調したため、一気に流れ込んだようですね。アルヴァート様、姫君をお部屋へ」
執事長はリリーナを蒼の間へ運ぶように促す。
アルヴァートはそっとリリーナをベッドに運んだ。
「そうお泣きにならないでください」
執事長はリリーナに優しく話しかけ、微笑んだ。慌てて駆けつけてきたメイド長が、リリーナにそっと布団をかける。
「大丈夫ですよ。少しお休みになってください」
とても不思議な声だ。リリーナは瞳を閉じると、すうっと眠りに落ちた。メイド長はこぼれ落ちた涙をハンカチーフで拭いた後、自分の涙を拭い、アルヴァートに一礼して、部屋を出ていった。
「さて、アルヴァート様。姫君はあなたから逃げましたね?」
アルヴァートにベッドサイドの椅子をすすめ、執事長は難しい顔をして尋ねた。
「……ああ」
「一気に流れ込んで不安定になっている状態で、おそらく、とても傷付かれたのでしょう。しかも姫君は魔力が高く、騎士です。簡単に自分の命を絶ちかねない」
アルヴァートは執事長の言葉に息をのむ。
「何かあったようですね」
「リリィは剣を抜いた。刃は俺ではなく、自分自身に向けたのか?」
「蒼華姫は、死を持って、伴侶から逃げます」
「そこまで嫌うのか?」
「いいえ、逆ですよ」
執事長は眠るリリーナを苦しげに見つめた。
アルヴァートは自分の行動を振り返る。一体、何が彼女を傷付けたというのだ。
祈りの花が実となり、弾けて雪の結晶になった時、リリーナはこちらを見上げた。自分はそれに頷いて笑顔で応えた。もうその時には瞳の色が変わっていたのかもしれないが、おそらく、その後からの行動だ。
「職務として、皇女殿下をエスコートしたことが原因か?」
「そう……でしょうね」
「でも、それでは」
「ええ、職務に支障が出ますね。馴染む前に一気に流れ込んだことが、そもそもの原因です。まずは定着させましょう」
執事長は小さく呟き、眠るリリーナに魔方陣を2つ重ね合わせた。
「アルヴァート様、この上に、あなたの契約印を重ねてください」
「支配するのか?」
「何をおかしなことを。お守りですよ。私達は2度と姫君を失いたくない。そのためのお守りです」
アルヴァートは言われた通り、契約印を重ねる。魔方陣が輝いてリリーナを包み込み、吸い込まれるように消えた。
「念のため、姫君の剣にも術を掛けておきましょう」
執事長はトォーリィから剣を受け取る。
「これはまた、すごい剣ですね。見た目は片手剣ですが、ほう」
執事長は感心したように、リリーナの剣を見つめる。
「俺と同じで、リリィは自分で造るからな」
「戦いたくない相手ですね」
(相当なお転婆娘ではあるが、俺にとっては……)
アルヴァートは眠るリリーナの髪に触れる。
「これでいいでしょう」
執事長は剣をサイドテーブルに置いた。
「さて、いいですか、トォーリィ。姫君にベレンの実を差し上げてくださいよ」
執事長が今はリスの姿になっているトォーリィに話しかけている。テーブルに木の実がたくさん入った袋を置いて、説明している姿は何とも言えない。
「ええーって顔をしない。半分は姫君の分ですからね。アルヴァート様があげればいいでしょって?本当にあなたは食いしん坊ですね」
執事長はトォーリィと話せるのか。
「きっと姫君がくれるから、結局は自分の分だよって、ふはははは、トォーリィは甘ちゃんですね。アルヴァート様がお許しになる訳ないでしょう。ええ!?姫君はいつも、トォーリィ、大好きよって言ってくれるんだよ。アルヴァート様に言ってるところを見たことがないから、絶対、姫君は自分のほうが大好きだよって、へえー」
執事長はアルヴァートを気の毒そうに見る。
「そうなんですか」
「いや……」
「そういう訳で、姫君にベレンの実を差し上げてください」
「……わかった」
あくまでマイペースな執事長にアルヴァートはめまいを感じた。こんな状況で何が繰り広げられているのだろう。
「しばらく皇都の屋敷に顔を出しておりませんから、そのうち様子を見に伺います。姫君はそろそろお目覚めになるでしょう。おそらく異変があらわれた部分からの記憶がありません。可能であれば、すぐにでも戻ったほうがよろしいかと」
「わかった」
アルヴァートはリリーナの剣を鞘に戻すと、抱きかかえた。トォーリィはまた狼の姿になると、ベレンの木の実の袋をくわえてアルヴァートの足元に座る。
「世話になったな。礼を言う」
「勿体ないお言葉でございます」
アルヴァートが小さく呟き、来た時と同じように足元に転移魔法を発動させた。瞬く間に姿が消える。
見送った執事長は姿勢を正す。
「さて、本邸の旦那様と、皇都の息子に連絡を入れますか」




