12.芳香
アルヴァート視点です。
アルヴァートが残務整理をし、別邸の屋敷に戻った時、時刻は夜更けを過ぎていた。
部屋の明かりは、ほぼ消えている。
「お帰りなさいませ」
どんなに遅くても執事長が出迎えてくれる。
「お申し付け通り、姫君は蒼の間にご案内しました。すでにお休みのようです」
「わかった」
アルヴァートは襟元を緩める。
そしてそのまま蒼の間へ続く階段を昇った。
「よい夜を……」
執事長は恭しく頭を下げた。
アルヴァートは蒼の間の扉を静かに開け、そっと閉めた。甘い花の香りがする。天蓋の帳は降りられており、月の光が差し込んで明るい。
帳をそっと開くと、リリーナが眠っていた。
その姿はアルヴァートが息をのむほど美しい。
(リリィ……)
アルヴァートはしばらく眠るリリーナを見つめた。
向けられる視線の違いに気づいたことがある。
リリーナは見つめれば見つめ返してくれるが、その瞳に熱を持たない。
リリーナは抱き寄せても、するりと逃げていく。表情はくるくると変わり、見ていて愛らしいけれど、自分の腕の中にはいてくれない。
それでも良いと思っていた。
手を伸ばせば届く距離にいて欲しくて、出会った時から、傍らに居続けた。リリーナが幼い頃に自分と交わした約束を覚えていなかった事に驚きはしたが、自分の中では何も変わることはなく、気にすることもなかった。望んでいた通り、今もこうして、手を伸ばせば届く距離にいてくれる。それなのに。
アルヴァートは自分の手を握りしめる。
昼間、任務とはいえ、自分以外の男と恋人同士の振りをするリリーナを見て、力が暴走した。
相手の男に対する嫉妬を超えた明確な殺意。
彼女に触れている部分から切り落とし、排除してしまいたい衝動的な感情。
抑えきれず、騒ぎを起こしてしまった。
同じ第1騎士団に所属する者だったから術が無効となり無事だったが、そうでなければ、確実に息の根をとめていた。
(俺もデイン家の男ということか……)
アルヴァートはサイドテーブルに生けられたベレンの花に視線を向けた。
デイン家の男は生涯一人の女性しか愛さない。ベレンの花を贈り、誰の目にも触れさせないよう、その瞳に自分だけが映るように溺愛し、屋敷に大切に囲い込む。彼女に触れていいのは自分だけだ。それ以外は排除する。
夜会の間、まるで恋人のように、自分の腕の中にいて、澄んだ瞳で見上げ、微笑んでくれた姿に、どれだけ心が震えただろう。自分の名前を呼んで、甘えてくれた声に、どれだけ心をかき乱されただろう。親指でなぞった唇はとても柔らかく、何度、奪ってしまいたいと思ったことか。
彼女にとっては、昼間の時と同じ任務であったとしても、自分が花を贈る相手はリリーナだけだ。
「リリィ……」
どうしてリリーナが、交わした約束を忘れて、いつも距離を置き続けるのか解らない。逆に今は、自分から離れていこうとしているようにも見える。
想いを告げてしまえば、歯止めがきかない。
拒絶されても、逃してやれない。
触れてしまえば、抑えきれない。
ずっと抑えてきたものが、危うい状態で壊れかけていることに気付いてはいる。
眠るリリーナの頬に手が伸びる。触れれば、柔らかく温かい。そのまま指を滑らせて、その愛らしい唇に親指で触れた。
「ん……」
リリーナの唇が少し開かれ、アルヴァートはひかれるように唇を重ねた。
「リリィ、愛してる」
眠る彼女の耳元に愛を告げる。
ずっと昔から、君だけを。
許可なく、勝手に唇に触れてしまった自分を、リリーナは許してくれるだろうか。だからといって、他の誰にも触れさせるつもりはないのだが、と身勝手な言い訳をして、アルヴァートは苦笑した。
花と同じで、贈る口付けにも意味を持つ。
(俺の蒼華姫……)
夜が明けて、彼女の瞳に自分はどのように映るのだろう。




