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第93話:竜の歯の峠

麓の空気は、刃物のように鋭さを増していた。


肺を満たす代わりに、それは内側から肉を切り裂き、血を吐かせようとしているかのようだった。


文明の最後の砦。


『山の木霊こだま』と呼ばれるその宿は、不揃いな岩石で築かれた傾いた小屋に過ぎなかった。


なめし革のような顔をした老主人が、牝馬めすうまを、それから俺を、じっと凝視した。


「この先は、そいつじゃ無理だ」


老人は地面に唾を吐き、掠れた声で言った。


「『竜の歯の峠』はガレ場がひどい。蹄が滑って落ちるのがオチだ。ここに置いていきな」


俺は頷いた。


「追加の毛皮の防寒具と、3回分の干し肉をくれ」


鞍の腹帯を外しながら、俺は告げた。


「馬はやる。馬具もだ」


老人は目を細め、明らかに自分の利益を計算した。


牝馬の価値は、俺が要求したものの少なくとも5倍はあった。


「取引成立だ、旅人さん」


1時間後、俺はすでに山を登っていた。


すべての装備は、今やひとつの背嚢に収まっている。


風にあおられないよう外套をきつく縛り、その下に圧縮ウールをもう一枚着込んだ。


峠への登坂には、丸二日を要した。


標高8000フィート。


そこからが、本当の地獄だった。


金属が氷へと変貌する。


エリダン鋼は完璧に冷気を伝導し、義手が俺の肩から文字通り熱を吸い上げていくのが分かった。


関節が、感覚のない肉の塊へと変わっていく。


接合部を囲む生体組織が凍傷を起こす危険性を、システムのエラーログが何度も警告していた。


俺は30分ごとに立ち止まり、肩を擦って血流を維持しなければならなかった。


道幅がわずか30センチほどに狭まった、切り立った尾根。


そこで、この高地の支配者たちが待ち伏せしていた。


――スノーゴブリンだ。


森に棲む同族とは、似ても似つかない。


奴らの身体は白く、不自然に長い指の先には骨のような爪が生えていた。


短い口笛のような音で意思疎通を図る。


注意していなければ、ただの風の唸り声と聞き違えるような音だ。


数は3匹。


1匹が頭上から飛び降り、残りの2匹が前方を塞いだ。


俺は岩壁に背を預け、左手で剣を抜いた。


右腕を前に突き出し、シールドとする。


「立ち回るには狭すぎるな」


俺は低く呟いた。


前方のゴブリンが、刃のこぼれたナイフを振り回して突っ込んできた。


俺はそれを義手の一撃で迎撃する。


頭上から落ちてきた2匹目が、俺の顔面をむしり取ろうと爪を伸ばした。


上を見る必要すらなかった。


反射レフレックスが勝手に動く。


剣の角度を斜めに変え、突き上げる。


鋼の刃が、獣の柔らかい下腹部へと吸い込まれていく手応えがあった。


仲間が瞬く間に屠られるのを見て、3匹目のゴブリンは威嚇の声を上げ、頭上の岩の裂け目へと消えた。


追撃はしない。酸素を節約する必要があった。


だが、山はそれだけの試練では満足しなかったらしい。


ちょうど前方に峠の頂が見え始めた、その瞬間だった。


足元の地面が、激しく鳴動した。


灰色の岩石と白雪で構成された巨大な壁が、斜面を滑り落ち、俺に向かって容赦なく押し寄せてくる。


【脅威分析】


現在位置における生存確率:0.04%


衝突までの時間:3.2秒


この瞬間、俺に選択の余地はなかった。


ほんの一瞬だけ目を閉じ、1年近く封印していた『スキル』を起動する。


世界が色彩の爆発を起こし、直後、瞬時に灰色の濃淡モノクロームへと染まった。


雪崩の轟音が、ねっとりとした濁った軋みへと減速していく。


時間が停止したわけではない。だが、引き伸ばされていた。


落下してくる岩の破片の軌道が、脳内に鮮明なベクトルとして描かれる。


俺は跳んだ。


最初の岩の破片を足場にする。


限界を超えた過負荷オーバーロードに、『センチュリオン』の内部ピストンが悲鳴を上げるのを感じながら、俺はそれを蹴った。


空中を反転し、迫り来る高山杉の幹を飛び越え、猛スピードで落下していく別の巨岩の上に着地する。


一跳び。二跳び。三跳び。


雪崩が収まり、最後の雪煙が霧散したとき、俺は落石地帯のはるか上方にある小さな岩棚の上に立っていた。


スキルが解除される。


世界に色彩が戻り、それと同時に激痛が押し寄せた。


俺は膝から崩れ落ち、凍てつく空気をむせびながら吸い込んだ。


肺が焼けるように熱い。後頭部で、重く鈍い痛みの脈が跳ねていた。


胃の底から吐き気が込み上げてくる。


だが……何かが違っていた。


『リフト(断層)』の直後、俺は丸一日、指一本動かすことができなかった。あの時は脳が完全に機能不全に陥っていた。


しかし今は、筋肉の震えと吐き気はあるものの、思考は驚くほど明晰だった。


神経結合ニューラルネットワークが……適応アダプトしつつあるようだった。


「……成長プログレスしているな」


額の冷や汗を拭いながら、俺は掠れた声で呟いた。


『センチュリオン』を支えにして、立ち上がる。


1時間後、俺は最後の一歩を踏み出し、『竜の歯の峠』の最高到達点に立った。


ここを吹き抜ける風は、俺の身体を容赦なく崖下へと叩き落とそうとするほど猛烈だった。


道の近くに、小さな洞窟を見つけた。


今日これ以上進む体力は、残されていない。


拾い集めた僅かな薪で小さな火をおこし、俺は岩に背を預けて入り口の傍らに腰を下ろした。

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