第9話:ベクトル操作
三ヶ月という期間は、負荷に適応するか、あるいは完全に燃え尽きるか、そのどちらかを選ぶには十分すぎる時間だった。
俺の身体は前者を毟り取った。
もっとも、時折それが単なる強情さだけで成し遂げられたようにも思えたが。
ゼノの小屋は今や、住居というよりは修理工場のようであり……
そして俺はその中心結節点のようなものだった。
毎朝の始まりは、損傷評価(ダメージ査定)からだった。
俺は目を開けぬまま藁の上に横たわり、内部システムのチェックリストを走らせる。
『肋骨:異常なし、可動域正常。左腕の血管:軽い灼熱感、昨日の共振による微小断裂の可能性。脈拍:毎分五十八回、許容範囲内』
『生きる意志』はもはや、頭の中でサイレンのように吠え立てることはなかった。
それは意識の片隅で、ただ静かに低音を響かせている。
ゼノは俺の外部コントローラー(制御装置)のようになっていた。
彼は説教をほとんどしなくなったが、その存在は熟練した安全衛生管理官の監視のようだった。
時折、俺がパルスの微細制御を訓練していると、彼は無言で近づき、俺の肩に手を置いた。
そんな時、彼の穏やかで高密度な魔力が、俺の混沌としたスパイク(突出)を優しく打ち消し、俺がどこで余計な摩擦を生み出しているのかを正確に示してくれるのだった。
「お前の流れはまだ不安定すぎる」
ある日、俺が石の周囲の媒体密度を変化させることで、一握りの小石を空中に静止させようと試みていた時、彼はそう指摘した。
「己の微震と戦うためにエネルギーを消費しすぎだ。力を抜け。鋼を焼き入れしすぎれば、かえって脆くなる」
俺が息を吐き出すと、小石は乾いた音を立てて地面に落ちた。
「力を抜けば、グラディエント(勾配)の制御を失う」
「違うな」
ゼノは首を振った。
「お前が失うのは恐怖だ。そしてその恐怖こそが、お前のシステムを限界摩耗状態で駆動させている元凶なのだ」
この三ヶ月で、俺の身体は変貌を遂げていた。
筋肉の塊になったわけではない――これほどの短期間でボディビルダーになるなど物理的に不可能だ。
しかし、無駄な脂肪が削ぎ落とされ、悍ましいほどに引き締まった。
皮膚は分厚くなり、手のひらは骨板の加工と絶え間ない魔力火傷による胼胝で覆われた。
そして何より重要なのは、血管だ。
それらは凝縮され、拡張していた。
今の俺なら、初日であれば確実に静脈を焼き尽くしていたであろう「電流」を、その身に通すことができた。
鎧もまた完成していた。
トロールの皮と狼の骨板によるコンポジット(複合材)は、驚くほど軽量に仕上がった。
俺はこれを、受動的なエキゾスケルトン(外骨格)として機能するようにチューニングした。
スキルを起動すると、骨板を巡る魔力が「表面張力」の効果を発生させる。
あらゆる刺突は支点を失い、ただ表面を滑り落ちるのだ。
だが、すべてのテストが順順調だったわけではない。
二週間前、俺は森の中で局所的な空間異常に遭遇した。
空気を硬質な螺旋へと巻き上げる、小規模な魔力の渦だ。
俺はそれをテストスタンド(実験台)として利用することにした。
渦と共振を起こし、逆位相の干渉によって相殺を試みたのだ。
最初はすべて計画通りだった。
俺は渦の周波数を捉え、そのリズムに同期させた。
しかし、出力を引き上げようとした瞬間、システムがエラーを吐き出した。
渦が激しく脈動し――崩壊する代わりに、俺の魔力を内部へと逆流させて吸い込んだのだ。
俺は視界が暗転するほどの衝撃で岩壁に叩きつけられた。
意識が完全に途切れるまで、血を吐きながら地面にのたうち回った。
目を覚ました時、そこはすでに小屋の中だった。
ゼノが俺の額に冷たい圧縮布を押し当てていた。
「もう一度こんな実験をしてみろ、あそこの松の木の下に埋めてやる」
彼は忌々しげに零した。
「お前は、感じるべきものを計算しようとした。魔力は方程式ではないのだ、小僧。それはただの奔流、自然そのものだ」
「数学はどこででも機能する」
俺は身を起こそうともがきながら、かすれた声で返した。
「マックス・テグマークの『数学的宇宙仮説(アンサンブル理論)』を聞いたことがあるか?
あらゆる現実は数学的構造そのものであるという説だ。
もしこの世界に魔法が存在し、最低限のルールに従っているなら、それは計算可能であり、数式として記述できるはずだ」
ゼノはただ、ため息をついた。
彼には分からなかったのだ。
これが、俺がこの世界で発狂せずに正気を保つための唯一の手がかりだということが。
魔法を数式に分解できれば、それは恐怖の混沌たる性質を失い、ただの道具へと成り下がる。
俺はナイフを置き、体内で『生きる意志』の残響が徐々に減衰していくのを静かに聴いていた。
感覚としては、レーシングエンジンの冷却プロセスに近い。
金属が熱を放出しながら未だ細かく軋んでいるが、回転数はすでにアイドリング以下まで落ちている。
「またフリーズ(硬直)したか?」
ゼノが背後から、杖に重そうに寄りかかりながら近づいてきた。
「お前がそうして固まると、息さえ止めているように見える。頭の中の歯車をすべて数え直してでもいるのか?」
「デフラグ(最適化)を実行中だ」
俺は振り返らずにぶっきらぼうに言った。
彼は言葉そのものは理解しなかったが、そのニュアンスは察したようだった。
老人は俺がさっきまで薪を割っていた切り株に腰掛け、パイプをブーツの踵にトントンと打ち付けた。
「まともに眠るんだな、小僧。人間らしく、な」
俺は黙秘した。
実際のところ彼の言う通りだったが、前世の俺にとっても、そして今にとっても、睡眠など最優先事項ではない。
「一時間のダウンタイム(停止時間)は、肉体の強化や装備のアップデートを行う機会の損失を意味する」
俺は立ち上がり、己の鎧へと歩み寄りながら言った。
トロール皮のキュイラス(胸当て)は、ワックス処理を経て多少は見栄えが良くなったものの、未だ茹でたゴムの塊じみていた。
内部に仕込んだ腱のテンション(張力)をチェックする。
鱗状に組んだ骨狼のプレートは、寸分の隙もなく噛み合っていた。
前傾姿勢を取った際、それらが互いにオーバーラップ(重複)し、肝臓と心臓の部位に二重の防御層を形成するよう配置を計算してある。
「なあ、ゼノ」
俺は骨板の鋭利なエッジに指先を滑らせた。
「俺の……座標系において、防御とは単なる素材の厚みじゃない。入ってきたエネルギーをどう分散させるかだ」
「ほう、どう分散させるというのだ?」
老人は興味深そうに目を細めた。
「ベクトル(方向量)だ。
皮がその粘性によって衝撃エネルギーの一部を減衰させ、骨が残りの力を接線方向へとリダイレクト(偏向)する。
肝心なのは、決してエネルギーを正面から受け止めないこと。
常に鋭角にいなす」
ゼノは鼻を鳴らし、腰を上げて小屋へと歩き出した。
「ベクトルに、角度、か……。その小賢しい理屈が、お前に牙を剥かねばいいがな。中に入れ。じきに日が暮れる」
夜は、いつも通りのルーティン(日常)に沿って更けていった。
俺たちは、ゼノが巨大な鋳鉄の鍋で煮込んだ濃いレンズ豆のスープを一杯ずつ平らげた。
味気ない食事だったが、熱さは本物だった。
熱がじわじわと身体に広がり、日中に蓄積した緊張の残滓を融解させていくを感じる。
俺は丸めた上着を枕代わりにし、藁の上に横たわった。
小屋の内部は、干し草と煙、そして薪の匂いで満ちていた。
『生きる意志』は最小アイドリング出力で稼働している。
胸の奥に潜む微弱なバイブレーション(振動)が呼吸を安定させ、筋肉の筋繊維修復を加速させていた。
(本日の生物学的摩耗:八パーセント。再生プロセス起動。システム、安定稼働中)
意識の輪郭が溶け始める中、オートメーション(自動的)なログが脳裏をかすめていった。




