第74話:プロジェクト・ウォッチャー
俺たちは『死の水』セクターにいた。
そこは、よどんだ化学薬品と古い鉄の臭気が不気味に立ち込める場所だった。
コンクリートの水路を流れる水は毒々しい緑色に発光し、アーチ状の天井に、ある時は細い糸のように、ある時は不気味に揺らめく斑点となって光の輪を投げかけていた。
(お似合いの名前だが、くだらないな)
俺はそう思った。
エフレムは壁を伝って座り込み、前腕の火傷に包帯を巻こうともがいていた。
ティラは汚れた箱の上に工具を直に広げ、俺の義手を弄り回している。
(馬鹿め)
思考がよぎる。
俺は目を閉じ、冷たいコンクリートに後頭部を押しつけた。
自分自身に対する激しい嫌悪感で、内臓が焼け付くようだった。
なぜ俺は、自分の【技能】について話してしまったんだ?
それにリヒターだ——俺たちがその話をしていた時、あいつは一体何のためにそこにいた?
左腕の傷よりも、己の愚かさの方が深く俺を突き刺していた。
「アイロン、動かないで」
ティラの声が、俺の思考を現実に引き戻した。
「中央ユニットを開けるよ」
彼女はレーザーカッターを俺の肩関節に押し当てた。
細い光線が金属に食い込んでいく。
俺は歯が軋むほど強く、奥歯を噛み締めた。
「ツェンチュリオンのプロセッサはほとんど機能停止しかけてる」
彼女は保護ゴーグルを直しながら呟いた。
「あんたの古いブロックより、ざっと3倍は高出力さ。だけど、問題があってね……腕がこいつを拒絶する」
「どういう……意味だ?」
噛み締めた歯の隙間から、声を絞り出す。
「ロックのプロトコルがかかってる。隔離されたメモリセクターを遮蔽してるんだよ」
ティラは下品に毒づき、額の汗を拭った。
彼女が診断用ケーブルを自分のタブレットに接続すると、無限のコードの羅列が画面へと流れ出した。
「よし、拝見といこうか……」
彼女の指先がタッチスクリーンを躍る。
「プロトコルのバイパス……ルートディレクトリのハッキング……。待って。何、これ……?」
エフレムが顔を上げた。
俺も肩の痛みをねじ伏せ、上体を前方へと乗り出す。
「隠しアーカイブだ」
ティラが眉をひそめた。
彼女はファイルの最下行を凝視したまま、言葉を失った。
「……『プロジェクト・オブザーバー:ヴァレリウス。対象:アイロン-01。目的:技能の大量複製に向けたデータ収集』」
「つまり……」俺は掠れた声で言った。「奴は……」
「極限状態の中で、お前が【技能】を限界まで搾り出すのを待っておったんじゃな」
エフレムが口を挟んだ。
「だが、なぜ……」俺は呟いた。
「この義手を作ったのはあんたたちだろ! ゼノも! エフレムも!」
「ワシらにも分からんのじゃ、小僧」
「あんたたちを信じていたのに……」
「聴くんじゃ……」
「なぜこんな真似をした? 俺たちが潜り抜けてきた修羅場も、全部あんたたちが仕組んだ狂言だったのか?! それに……」
「黙ってワシの話を聴けい!」
エフレムが怒鳴り散らした。
「そんな忌々しい代物がどこから紛れ込んだのか、ワシらに分かるわけなかろうが! 百歩譲ってワシらが仕組んだとしてみろ、なぜワシらまでお前と一緒に地獄を見なけりゃならんのだ! そんなクソみたいな目的のためにか?! お前の【技能】なんぞ知ったことか! それがお前をどう蝕んでいるか、ワシらだって見ておるんじゃ!」
排水路に、静寂が戻った。
遠くで水滴の滴る音だけが響いている。
彼の、今にも裏返りそうだった声の響き……。
おそらく、本心なのだろう。
だが、それでも奴らから目を離すわけにはいかない。
俺は心の中でそう思った。
「ティラ」俺はついに声を絞り出した。「それを消去できるか?」
「えーっと……うん、できるよ。だけど、そうしたら腕が完全に機能停止する。プロテクトがOSのコアに強固に焼き付けられてるからね。……でもさ」
彼女は悪戯っぽく目を細めて薄笑いを浮かべた。
「データを偽装(ダミーに置換)することならできるよ」
「やれ」
俺は一言で切り捨てた。
ティラは深く息を吸い込むと、ツェンチュリオンのプロセッサをスロットの奥深くまで力任せに押し込んだ。
視界の中で、赤色のシステム警告が猛烈に明滅を始めた。
【致命的なエラー】
【未認証のハードウェアを検出】
【システムを再起動中……】
俺は声が枯れるまで絶叫した。
コンクリートに頭蓋骨を叩きつけて割らないよう、エフレムが死に物狂いで俺の両肩を床に組み伏せていた。
しばらくして、俺はコンクリートの上で這いつくばり、激しく息をむさぼっていた。
右腕が……唸りを上げている。
ゆっくりとそれを持ち上げ、拳を握りしめた。
金属が、電光石火の速度で反応した。
「……成功?」
ティラが息を呑んで尋ねた。
「あぁ」
俺は掠れた声で応じた。
「次はどうするんじゃ?」
エフレムが訊ねる。
「エレベーターへ向かうよ。上層さ」
ティラが言った。
「いい加減、すべてにケリをつける時間だ」




