第66話:変性
地上の雨は、セクター内の管理された降水サイクルとは似ても似つかなかった。
あそこでは、それは恵みだった。
フィルターの洗浄であり、均衡を保つための手段。
だが、ここにあるのは混沌だけだ。
冷たい濁流が街道の埃と糞尿を混ぜ合わせ、すべてをねっとりとした灰色の泥濘へと変えていく。
それは俺たちのブーツの縫い目から容赦なく染み込み、一歩進むごとに足元を底へと引きずり込んだ。
霧の向こうから、水車小屋が姿を現した。
つい先ほどまで、ここには雪が積もっていたはずだ。
だが今や、まるで最初から存在しなかったかのように消え失せている。
まさか、俺たちは地下で数ヶ月も過ごしていたのか?
いや、あり得ない。
俺の記憶とも、計算とも一致しない。
ならばなぜ、これほど急速に気候が変わった?
水車小屋は、橋脚が崩落して川が淀んだ水溜まりのようになった窪地に佇んでいた。
巨大な水車は斜めに傾ぎ、滑りやすい緑の苔と長く伸びた藻に覆われている。
空気は、腐った穀物と湿った木材の、息が詰まるような悪臭で満ちていた。
「あと少しだ、ゼノ……あと数メートル、踏ん張りやがれ」
俺は奴の冷たい機体に肩を預け、掠れた声で言った。
ゼノのシステムは、僅かに残された電力を温存するため、深い休止状態に入っていた。
ようやく小屋の中に転がり込んだとき、俺はシラミやカビのことなど微塵も気にせず、腐った藁の山の上に倒れ込んだ。
しかし、スキルは俺が意識を失うことを許さなかった。
慈悲深い気絶の代わりに、脳は果てしないデータの羅列を俺に突きつけ続ける。
【対象ステータス】
体温:39.4°C(危険域)
感染巣:右前腕部
進行速度:12mm/時間
感覚負荷:88% ―― 精神過熱
推奨:速やかな消毒および熱処理
「坊主……大丈夫か?」
エフレムがドアの枠に寄りかかった。
(「大丈夫か」だって? 何て馬鹿な質問だ)
と、俺は思った。
「どうにかここまで辿り着いたが……今ここで囲まれたら、俺たちは手を挙げることすらできんぞ」
エフレムが言った。
「囲ませやしない」
俺は無理やり上体を起こした。
「エフレム、よく聞け。古い袋を探すんだ。中身の穀物が発酵しているはずだ。酸っぱい臭いが分かるか?」
老人は疑わしげに鼻を鳴らし、暗い小屋の中を見回した。
「ここにあるものは、どれもこれも酸っぱい臭いがするぞ、アイロン」
「パンパンに膨らんでるやつを探せ。それと、何か銅でできたものを持ってきてくれ。管でも、薬缶でも何でもいい。急げ」
俺は床に尋ねるように手を伸ばし、木製の歯車の破片を集めた。
指先が震える。
スキルが素材の情報を強調した。
オーク材。密度:中程度。水分量:40%。発熱量:十分。
エフレムがガラクタを漁っている間、俺は最も最悪な作業に取り掛かった。
カプセルから持ち出したナイフを抜く。
刃は鈍っていたが、頑丈だった。
内壁の乾燥した木片を使い、部屋の中央で小さな焚き火を起こす。
煙が目に沁みたが、水車小屋の換気機構はまだ十分に生きており、煙を上方へと吸い上げていった。
「見つけたぞ!」
エフレムが古びた蒸留器の一部である、凹んだ銅製の冷却蛇管と、小さな鍋を引きずり出してきた。
「一体、何を始める気だ?」
「エタノールを作る。酸っぱい発酵液を蒸留して、傷口にぶっかけるんだ」
俺たちは接合部を生の粘土で塞いだ。
俺はエフレムに、いつ薪をくべるべきか、いつ蛇管を水で冷やすべきかを指示した。
『生きる意志』のせいで、そのプロセスは純粋な拷問へと変わった。
炎の代わりに視えるのは、スペクトル分析データと、小数点以下まで正確に計算された沸点グラフだった。
「垂れてきたぞ……」
エフレムが蛇管の先へ、ひび割れたマグカップを差し出しながら囁いた。
液体は濁っており、フーゼル油とアルコールの強烈な臭いが鼻を突いた。
完璧とは言えない。
だが、大半の細菌を死滅させるには十分だった。
「……よし、ゼノのところへ行ってろ」
俺は言った。
「見るなよ」
マグカップを手に取る。
革のベルトを歯で噛み締め、金属が肉へと溶け込んだままの腕の断端へ、生の蒸留液を直接ぶちまけた。
スキルがその衝撃をグラフへと変換する。
赤い線がスケールの上限を突き破って跳ね上がった。
すべての神経が絶叫していた。
死、と。
喉が痙攣を起こす。
アルコールが反応し、タンパク質が変性し、組織が破壊されていく様を、俺は客観的に観察していた。
永遠のようにも思える五分が過ぎ、俺は目を開けた。
顔は冷や汗で濡れそぼっている。
布の切れ端で応急処置をした包帯は、灼熱の液体を吸って完全に変色していた。
「……大丈夫か?」
エフレムの声が、どこか遠くから響いた。
「あぇ」
俺は短く息を吐き出した。
「感染の拡大を阻止した。体温が下がっていく」
脳内の計算を止めようと目を閉じた。
だが、水車小屋がそれを許さない。
スキルは周囲の音を分析し続けていた。
雨音。外を流れる水。風見鶏の軋み。
そして……微かにリズムが変わった。
ぐちゃ。ぐちゃ。ぐちゃ。
距離:40メートル。接近速度:秒速0.5メートル。
「エフレム。火を消せ。早く」
「何事だ?」
「いいから早く!」
俺は巨大な石臼の陰へと転がり込んだ。
無事な方の左手が、先ほど目をつけていた鋼鉄のレバー――シャフトの破片を引っ掴む。
水車小屋の扉が、きぃ、と音を立てて細く開いた。
入り口に立つ影は、酷く痩せ細って見えた。
その男は動きを止め、鼻で空気を吸い込んだ。
「焦げた生肉の臭い……それと、酒か」
軋んだ声が響く。
「出てこい。村からずっと追ってきたんだ。ヴァルドお師匠様から、かなり特徴的な人相書きをいただいてね」
男が一歩、中へ踏み込む。
『生きる意志』が計算を加速させた。
ターゲット:追跡者
武器:クロスボウ(装填済:1発)、短剣
脆弱性:左膝(古傷)、喉元
周囲の環境:頭上の腐りかけた梁。角度:45度
俺は対角線上の隅へと石を放り投げた。
追跡者はその音に向けて即座にクロスボウを構える――そのわずかな隙を突き、俺は前方へと地を蹴った。
すでに半分腐りかけていた支柱に向け、俺は手にした鉄のレバーを全力で叩きつけた。
振動が上方へと伝わり、天井が限界を迎える。
シロアリに喰い荒らされていた巨大な梁が、轟音と共に崩落した。
追跡者は身を翻して直撃を避けたが、放たれた矢は的外れの方角へ飛び、天井へと深く突き刺さった。
俺はすでに奴の間合いに踏み込んでいた。
運動量とテコの原理。
水平の強打を叩き込む。
男はクロスボウを落とし、壁まで吹き飛んだ。
すかさず短剣へと手を伸ばしようとする奴の手首を、俺は重いブーツで踏みにじり、粉砕した。
レバーの鋭利な先端を、奴の喉元へと突き立てる。
「他には誰が来ている?」
俺は尋ねた。
「『光』はすぐそこまで来ている。地上にお前たちの隠れ家などない……俺たちは、どこにでもいる」
奴の腰元へ視線を走らせる。
信号弾だ。
「エフレム。奴の鞄を奪え。それと、その信号弾もだ」
老人は震える手で指示に従った。
「アイロン……こいつ、始末しねえと。もし生かしておけば……」
奴の言葉の終わりを待たず、俺は手早くナイフを男の喉元へと数回突き立てた。
「行くぞ」
俺は言った。
「ゼノを起動させる。もっと出力が必要だ」
俺たちは夜の中へと歩み出た。
雨は容赦なく降り続き、俺たちの足跡と、そして血痕を静かに洗い流していった。




