第60話:サーヴィター9
俺たちはさらに深く、深くへと下っていった。
錆びついた階段を下りるたび、空気は重さを増していく。
汚れて油じみた、巨大な結露の雫が配管を伝い落ち、床に水溜まりを作っていた。
「周囲温度:摂氏四十八度」
ゼノが掠れた声で告げる。
「冷却システムの効率は六十パーセントに低下。ラジエーターが塵埃で閉塞しています。清掃が必要です」
「お前、完全にただのAIみたいな喋り方になってるぞ」
俺は顔の汗を拭った。
「まだそこにいるよな、ゼノ」
エフレムは荒い息を吐いていた。
顔はどす黒く火照り、古ぼけたシャツは汗でぐっしょりと濡れて肌に張り付いている。
「しっかりしろ」
俺は彼の肘を支えながら言った。
俺たちは巨大なホールへと足を踏み入れた。
そこは、まさに配管の迷宮だった。
煤にままみれた圧力計が壁一面を覆い、その針が小刻みに震えている。
その時、頭上のどこかでスピーカーが雑音を立てた。
「暑すぎるかね?」
ノイズ混じりに、サイラスの声が響く。
そこには明らかな嘲笑が含まれていた。
「いいことだ。熱は金属を柔らかくする」
俺たちは足を止め、部屋を警戒した。
スピーカーは数十個もあった。
音が四方八方から押し寄せる。
「自分たちが特別な存在だとでも思っているのか?」
奴は言葉を続けた。
金属同士が激突する轟音がホールに響き渡る。
重々しい気密扉が、俺たちの前方と後方で同時に閉ざされた。
「私はね」
サイラスは淡々と言った。
「お前たちを研究したいのだよ」
「システム内の圧力が増加しています」
ゼノが報告した。
近くの圧力計に目をやる。
針は確実にレッドゾーンへと向かって這い上がっていた。
「蒸気バルブを遮断しやがった」
俺は言った。
ボイラーが破裂する。
サイラスが即座にそれを肯定した。
「猶予は十分だ。お前がそんなに天才なら……圧力を下げてみせろ」
ホールは途方もなく広かった。
安全弁は、白い蒸気の煙に包まれ、遥か頭上に位置していた。
あの上層の温度は、百度近くに達しているはずだ。
パニックが俺の脳を叩く。
心臓が肋骨の内側で激しく鳴り響いた。
『生きる意志』。
あのスキルを使えば、安全なルートが見えるはずだ。
バルブを強調表示し、タイミングを計算してくれる。
それは簡単なことだった。
「……いや」
俺は声に出した。
腰から重いパイプレンチを引き抜く。
「ゼノ!」
蒸気の噴出音にかき消されぬよう、俺は叫んだ。
「あのメインバルブが見えるか!」
「高さ:十二メートル。セクターB。しかし、当機のサーボモーターが……八十五パーセント過熱しています。いつ作動停止してもおかしくありません」
「停止させるかよ!」
俺は水筒に残っていた水を、奴の背面のラジエーターにぶちまけた。
水は凄まじい音を立てて一瞬で蒸発した。
「あそこへ登って、ステム(弁棒)を押さえろ! とにかく固定して、完全に閉じるのを防ぐんだ!」
奴は頷き、垂直の梯子を登り始めた。
「エフレム!」
俺は老人に振り向いた。
「あの青いマークがついた小さなバルブが見えるか! 回せ! 時計回りだ! 力の限りな! 冷却ラインだ!」
「分かった!」
老人は掠れた声で応じ、バルブへと足を引きずって向かった。
俺自身は中央の主管へと走った。
そこには緊急遮断弁があった。
錆に覆われた、巨大なハンドルホイール。
キャットウォークに駆け上がる。
皮膚が焼けつくように熱い。
両手でハンドルを掴んだ。
手袋越しでも、金属の熱が牙を剥く。
義手が瞬時に熱を帯びた。
「動け……」
俺は歯を食いしばって唸った。
「回れ、このクソ野郎」
キィ、と嫌な音がした。
ハンドルが一ミリだけ動いた。
「致命的な過熱!」
頭上からゼノが叫ぶ。
バルブにしがみつく奴の機体から、煙が上がっていた。
「堪えろ!」
俺は叫び、全体重を預けた。
義手の油圧システムが、俺の肉体の脆弱さを補うように悲鳴を上げる。
ハンドルが回った。
一回転。二回転。
直後――凄まじい咆哮とともに、開放された配管から蒸気が噴き出した。
圧力は一気に低下する。
圧力計の針が跳ね戻った。
ホールの最奥で、ガシャンと気密扉が開いた。
「走れ!」
足首を捻りそうになりながら、俺は階段を滑り下りた。
エフレムを抱え上げる。
ゼノが上から飛び降りてきた。
俺たちは扉の先にある、比較的空気の冷たい通路へと転がり出た。
「見事だ」
再び声が戻ってきた。今度は嘲りの色はなかった。
「痛みに耐えたか。だが、炎にも耐えられるかな?」
通路の突き当たりにあるニッチが開いた。
そこから何かが姿を現す。
姿形は人間だった。
だが、重厚なセラミック製の積層装甲に身を包んでいる。
細いスリットが入った全面マスクが、その顔を隠していた。
両手には、背中のタンクとホースで繋がれた、無骨な火炎放射器が握られている。
「サーマル・サーヴィター……」
エフレムが囁いた。
液状の火炎が、猛烈な勢いで俺たちに向かって放たれた。
俺たちは辛うじて角の陰へと飛び込んだ。
つい一秒前まで立っていた壁を炎が舐め、コンクリートに黒く泡立つ傷痕を残した。
「当機の兵装は効果が薄いです」
ゼノが淡々と言った。
「過熱のため、間合いを詰めることができません」
背後には沸騰するボイラー室。
前方には火炎放射器。
俺たちは地獄の罠に嵌まった。
通路を見渡す。保守用の通路だ。
天井を配管が走っている。
赤は蒸気。青は……水か? 冷却液か?
サーヴィターが角から一歩を踏み出してきた。
「あの青いパイプだ」
俺は囁いた。
「ゼノ。あれを撃ち抜けるか?」
「不可能。壁面が厚すぎます。徹甲弾が必要です」
「奴の気を引け」
ゼノが身を乗り出し、サーヴィターの足元へ短い点射を浴びせた。
銃弾は装甲に跳ね返されたが、敵の意識は奴へと向いた。
俺は遮蔽物から飛び出した。
コンテナを蹴り、上方へと跳ぶ。
右腕を前方に突き出した。
指先を鋭い楔の形に揃える。
ピストンの圧力を最大まで引き上げた。
チタンの拳が、サーヴィターの真上にある青い配管へと炸裂した。
金属が引き裂かれる。
薬品臭のする液体の滝が、奴の頭上に降り注いだ。
肩とヘルメットの装甲板が悲鳴を上げ、一瞬にして蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
降り注ぐ飛沫に視界を奪われ、サーヴィターがよろめいた。
「今だ!」
俺は叫んだ。
ゼノがヘルメットの最も大きな亀裂に狙いを定めた。
正確な、一撃。
火炎放射器が床に落ち、その炎は激しい水流の中でかき消された。
俺たちは水溜まりの中に立っていた。
倒れた敵のそばに歩み寄る。
砕けたマスクの下から現れたのは、人間の顔だった。
酷くやつれている。
両目は焼き潰され、盲目だった。
サーヴィターのベルトに端末がぶら下がっていた。
俺はそれを引き剥がす。
画面には地図が発光していた。
そして、目的地を示すマーカー。
『研究所』。




