第58話:青き神
コンクリートの床に座り込み、棚の支柱に背を預けた。
痛みに唸らぬよう細心の注意を払いつつ、革ベルトを外し、義手を外す。
鉄の構造体がガシャンと音を立ててコンクリートへ落ちた。
「アイロン、断端部の軟部組織の炎症が正常値を四〇パーセント上回っています」
ゼノが近づいてきた。
そのレンズが、鈍いオレンジ色の光を放っている。
「消毒と休息が必要です」
「休息ならもうしてる」
俺は苛立ちを噛み殺し、棚を見やった。
ゼノが光を当てると、急な閃光に眉をひそめる。
そこには、真空シールで封印されたコンテナが並んでいた。
「タングステン……」
冷たいインゴットを指先でなぞる。
「……そしてチタン」
(道のりは短かった……いや、短すぎたな。まあいい、無駄なことに頭を使うな)
俺は心の中で呟いた。
「エフレム、火を熾せ」
俺は振り返らずに命じた。
「ゼノ、工業合成プロトコルを起動。精度の高いやつが必要だ」
ほどなくして、倉庫の中央で青白い化学炎が踊り始めた。
俺は床に座り込み、目の前に工具を並べる。
【警告:生体力学的な不均衡を検知】
【スキル『生きる意志』:発動中……】
フレームには重すぎる……いや、中空にすればいい。
肋骨は四十五度の角度で配置する。
俺はチョークを取り、コンクリートの床に直接図面を引き始めた。
「ゼノ、ギアは忘れろ。鈍重すぎる。油圧だ。圧力差を利用する」
「アイロン、そのレベルのマイクロピストン・システムには五ミクロンの密閉精度が必要です」
奴が反論する。
「計算上は可能ですが、代償が……」
「知ってる。いいからやれ」
俺は遮った。
作業が熱を帯びる。
ゼノの仕事は驚異的だった。
奴のレーザーがシューと音を立ててチタンを切り裂き、エフレムの目にはほとんど見えないほど微細な部品を削り出していく。
ジョイントの組み立ては俺が行った。
左手は油と血で滑り、鋭利な断面で何度も指を切った。
深夜、作業は最終段階である「統合」へと移った。
俺は『第二世代』を見つめた。
作業台の上に置かれたそれは、艶消しの金属光沢を放っている。
「同期の準備完了」
ゼノが淡々と言う。
「アイロン、警告しておきます。麻酔なしでの神経終端への直結は、四段階のショックを引き起こす可能性があります」
「俺にはスキルがある。忘れたか? 気絶なんてさせない。起動しろ」
奴が義手の基部を俺の肩に押し当てる。
設計済みの磁気キャッチがポートへと噛み合う。
第二世代のシステムが圧力を均一化し始めた。
細い毛細血管が液体で満たされていく。
【同期:10%……40%……85%……】
【中枢神経系への過負荷!】
「耐えろ!」
エフレムが飛び起き、俺の肩を掴んだ。
「介入するな。プロセスは不可逆だ」
ゼノの声が響く。
しばらくして、俺は目を開け、ゆっくりと右手を持ち上げてみた。
「軽いな」
俺は指を動かした。
関節が即座に反応する。以前のようなラグ(遅延)は一切ない。
机の上から古い鋼鉄のナットを拾い上げ、力を入れると、音もなくひしゃげた。
「最高だ」
俺は囁いた。
「応答精度、〇・〇〇二秒」
ゼノが認めた。
「休め、坊主」
エフレムが言った。
「明日はまた長旅だ」
俺は頷き、藁の上へ身を投げ出した。
意識がゆっくりと闇に溶けていく。
「彼が……来たぞ」
老人の囁き声が聞こえた。
「『毛細管の巨匠』だ」
数時間後、俺は耳元での荒い息遣いで目を覚ました。
ガバりと跳ね起きる。
まず襲ってきたのは激しい吐き気だった。
「目が開いたぞ!」
誰かが絶叫し、その声は歓喜で震えていた。
「マスターが見ている!」
起き上がろうとすると、ゼノが瞬時に傍らに現れた。
「アイロン、半径五メートル以内に三十二の生物を確認」
俺は視界を焦点を合わせる。
俺たちの周囲には、まるでガラクタの山のような人々が膝をついていた。
その中の一人が前へ進み出る。
頭には、銅の管を曲げて作った『王冠』が乗っていた。
「おお、鋼の声よ……」
老人が骨ばった手を伸ばし、ガタガタと震えながら俺を拝む。
「自ら癒やしを施したのか。死せる肉に命を吹き込んだのだ。俺たちを救ってくれ。我らが火よ……我らが神が、死にかけている」
(頭がおかしいのか? 精神異常者どもめ。吐き気がする)
「エフレム。無事か?」
俺は老人の言葉を無視して、ゼノの方へ声をかける。
「ああ、平気だ」
隅の方で、エフレムが杖を握りしめながら呟いた。
「坊主、こいつらもう一時間もあんたを凝視してるぞ」
「一時間? なんで起こさなかったんだ?」
俺は自分を奮い立たせて立ち上がった。
「いいや。案内しろ。お前らの言う『神』とやらを見せてもらおう」
道は長かった。
狭い通路を抜けていく。
いたるところにパイプが張り巡らされていた。巨大なもの、ちっぽけなもの、結露で凍りついたもの、赤熱したもの。
ついに俺たちは、巨大なホールへと足を踏み入れた。
中心部。
床の裂け目から、青い炎の柱が吹き上がっている。
周囲では何百人もの人間が、甲高く耳障りな音に合わせて体を揺らしていた。
「あそこだ」
コルウスと名乗った老人が、ひび割れた配管を指差した。
「あれが消えれば『大いなる寒冷』が来る。我々は捧げ物を……銅や油を……」
「……どいつもこいつも、馬鹿ばっかりだ」
俺は悪態をつき、裂け目に向かって一歩を踏み出す。
「ゼノ。照明を」
三メートル下。
メインバルブが煤と水垢で詰まっていた。
ガス圧が下がっている。
さらに悪いことに、隣の亀裂の入ったパイプから、シャフト内に向けて過熱蒸気が噴射されていた。
「あと二単位、圧力が下がれば……」
俺は鼻を拭った。
「火は消える。その時、溜まったガスが爆発する」
「救ってくれ!」
コルウスが床にひれ伏した。
脳裏に記憶が閃く。
(あの人がいなければ……こんな連中、助けやしなかった)
【スキル『生きる意志』:発動】
「ゼノ、格子を押さえてろ。エフレム、下がれ」
俺は飛び降りた。
俺の顔の皮膚がジリジリと焼ける音がする。
煮えたぎる飛沫が髪を伝い落ちたが、脳はこれを「無視していいノイズ」だと分類した。
右手をバルブに突き立てる。
チタンが瞬時に赤熱し、熱が肩の接続ポートへと直流してくる。
視界が暗転しかける。
「三十度。四百ニュートン。まだだ。もっとだ」
無感情な内なる声が囁く。
バルブが呻いた。
錆がこぼれ落ちる。あと一秒もすれば、チタンの腱が破断する。
ドォン、という鈍い音を立ててバルブが回った。
ガスが上へと噴き上がる。
頭上では、か細い火種だった炎が、瞬時に五メートルの青い火柱へと姿を変えていた。
俺は千鳥足で這い上がる。
顔は火傷で赤く腫れ上がり、服は煙を上げていた。
足が床に着いた瞬間、スキルが切れた。
即座に両目の血管が破裂し、世界が真っ赤に染まる。
「坊主!」
エフレムが飛びつき、俺の肩を掴んだ。
「聞こえるか!?」
群衆が詠唱を始め、額を激しく床に打ち付ける音が響く。
コルウスが這い寄り、汚れた鹿革の包みを差し出してきた。
「神を呼び戻してくれた……これを受け取れ。橋を建てた者たちの記憶だ」
震える指で包みを受け取る。
「小道だ」
コルウスが囁く。
「橋の下にある秘密の小道だ。そこを行け。だが気をつけろ。『ガラスの眼を持つ黒い男』……奴は危険だ」
(言われなくても分かってる)
「行くぞ、ゼノ、エフレム」




