第57話:サポート9
俺たちは円形の部屋に立っていた。
中央にはゼノが横たわっている。
俺の周辺視野で、赤い数字が脈打つように明滅していた。
「制御区画が必要だ」
「制御区画だと? 一体何のことだ、坊主」
「壁が滑らかだろう、エフレム」
俺は目を閉じた。
どんな橋脚にも、保守用のアクセス口が必要なはずだ。
決まって風下側の、基礎に近い場所に。
俺は壁に沿って歩き、指先で金属の感触をなぞった。
この辺りに、あるはずだ――。
「あった」
指先が突起を捉えた。
俺は肩を押し付け、全体重をかけて押し込む。
エフレムも隣に並び、扉に力を込めた。
軋んだ重い音を立てて扉が開き、狭い隙間が現れる。
その奥には、艶消しのプラスチック製セクションで埋め尽くされた、手狭な保守用ラックがあった。
「キャニスターを探してくれ」
俺は指示を出した。
「青か灰色のやつだ。それと手動ポンプも」
エフレムがガラクタをあさっている間、俺は中央コンソールへ歩み寄った。
画面は消え、キーは沈黙している。
だが、パネルの下には俺の求めるものがあった。
二種類の液体電解質の電位差で駆動する、旧式の化学バッテリーだ。
問題が一つだけあった。
その液体が、とうの昔に蒸発していることだ。
「あったぞ!」
エフレムが、読めない記号の描かれた重いコンテナを引き出してきた。
「それと、この取っ手のついた器具もだ」
「こっちへ持ってきてくれ」
「発電機のタンクを満たす必要がある」
「坊主……もし爆発したらどうする?」
「補給しなければ、どのみち凍死だ。選択肢はない」
作業には一時間近くかかった。
俺が左手でホースを押さえ、エフレムがレバーを上下させる。
鋭い継手のせいで、俺の指先は血まみれに裂けていた。
最後の数滴がタンクに流れ込んだ瞬間、俺は点火レバーを引いた。
床底から低い駆動音が響く。
……変化なし。
だが次の瞬間、壁に沿って鈍いオレンジ色のラインが走り、発光した。
柱の内部は空洞だった。
鋼鉄のケーブルが上方へと伸び、中央のシャフトを螺旋階段が巻き付くように上っている。
「動いたか……」
エフレムが呟いた。
俺は保守用ラックの中に奇跡的に残っていた外部給電ケーブルを掴み、ゼノの方へと引きずっていった。
「エフレム、手伝ってくれ!」
二人係でコネクタを運び、ゼノの首の付け根にあるポートに差し込む。
カチリ。
重低音の振動が奴の装甲を伝わった。
【外部電源を検知。サービスモードを起動します。電流:0.1A】
ゼノのレンズが白く輝いた。
「ゼノ?」
「ローカルノード『支柱―9』との接続を確立。システムプロトコルをロード中。地図データを同期します」
抑揚のない声。
俺を認識した様子もない。
「こいつ……」
エフレムが一歩下がった。
「サービスモードだ」
俺は遮るように言った。
「橋梁ステータス:セクター12、14、および21に致命的な構造損傷あり。主ケーブルの健全性:八十四パーセント。安全システムの使用により、歩行通過は可能です」
俺はエフレムを見た。
「上へ登るぞ」
「上だと?」
彼は頭上の暗闇を見上げた。
「坊主、完全に狂ったか?」
「ここに残れば、奴らに見つかる」
その直後、外から遠吠えが聞こえた。
「来やがった」
エフレムが囁いた。
(奴らの出ない日が一日でもあればいいんだがな)
俺はそう毒づきながら、ゼノの装甲に触れた。
「ゼノ。敵対目標のステータス」
「生物シグネチャーを四件検知。人工生体組織。距離:百五十メートル。接近速度:秒速五メートル」
「時間がない。階段へ!」
「こいつはどうするんだ!?」
「自律登攀モードを起動」
ゼノが答えた。
奴のマニピュレーターが中央の柱に沿った溝に固定される。
「発電機のエネルギーを電磁クランプへ転送」
金属の指を鋼鉄に食い込ませ、奴は垂直に登り始めた。
俺たちは狭い階段を駆け上がった。
下層で、金属がひしゃげる嫌な音がした。
ハッチが内側にひずむ。
見下ろすと、細長いい顔にぎらつく眼を持った、毛のない四頭の怪物が内部へと乱入してくるところだった。
「登れ!」
エフレムが俺の背中を押した。
俺たちの足はあまりにも遅すぎた。
「ゼノ!」
俺は叫んだ。
奴の頭部が百八十度回転した。
「目標を捕捉。防衛プロトコルを開始します」
奴は壁から鋼鉄のプレートを引き剥がし、真下へ向けて叩きつけた。
プレートは跳躍した一頭の猟犬に直撃した。
怪物はへし折れ、もう一頭を巻き込みながら墜落していく。
「止まるな!」
ゼノは俺たちの後方の階段を次々と破壊していった。
高度二百メートルに達したところで、階段が途切れた。
保守用のバルコニーが、そのまま猛吹雪の虚空へと開けている。
頭上には、闇の深淵へと伸びるケーブル。
弱まりつつある吹雪の合間から、かすかに星が覗いていた。
ゼノがプラットフォームに這い上がり、足を投げ出して腰掛けた。
「アイロン」
奴が言った。元の、聞き慣れた声に戻っていた。
「ルート算出完了。風速:十五メートル。気温:マイナス二十四度」
安堵感が、物理的な質量を持って押し寄せてくるようだった。
「ケーブルを伝って行くのか?」
「選択肢はありません」
奴は手を差し出した。
「強固にホールドしてください。エフレム、当機の背面に固定を」
ケーブルが激しく震えた。
ゼノは氷の膜に爪を立てた。
割れた氷が火花のように飛び散り、霧の底へと螺旋を描いて落ちていく。
ケーブルが揺れ始めた。
最初はわずかな振幅だった。だが、風の突風と同調し、揺れは一気に激しさを増していく。
俺は目を強く瞑った。
三半規管が悲鳴を上げる。
大地の上というより、空の上に吊るされているような錯覚を覚えた。
「下を見るな! 絶対に下を見るんじゃないぞ!」
背後からエフレムの掠れた叫びが聞こえる。
突風が右側面を殴りつけた。
「ゼノ!」
電磁クランプの一つが、凍りついた鋼鉄の上を滑った瞬間、俺は叫んだ。
ケーブルがねじれる。
【感覚システムの致命的なオーバーロード……】
【プロトコル作動:『生きる意志』……】
十メートル前方、ケーブルの束の一筋が、鮮烈な赤色に脈打って見えた。
内部の空洞。
鋼鉄がこの共振に耐えきれない。
両目に酸をぶち掛けられたような、凄まじい激痛が走った。
「ゼノ! 二メートル前へ跳べ!」
俺は絶叫した。
「ケーブルが中空だ! 三秒後に弾け飛ぶ!」
「アイロン、当機のシステムは感知して――」
「跳べッ!!」
爆音が俺たちの背後で大気を引き裂いた。
たった今踏みしめていたケーブルが弾け飛ぶ。
橋全体が激しく揺るがされた。
身体が宙へ放り出され、俺たちはゼノに繋がれたベルトだけでかろうじて宙吊りになった。
視界のデジタルグリッドが明滅し、白い激痛の閃光の中に消え去った。
俺は血を吐き、喉を詰まらせながら、ゼノの首元に顔を埋めた。
「坊主! 坊主、生きてるか!?」
エフレムの声が遠く、こもって聞こえる。
「中間プラットフォームへ到達しました」
ゼノが言った。
揺れが収まる。
ゼノが膝をつき、その関節から猛烈な蒸気が噴き出した。
エフレムが震える手でベルトを切り離した。
俺はゼノの背から保守区画の冷たい格子へと滑り落ち、ただ横たわって空を見つめていた。
嵐は去りつつあった。
雲が割れ、その隙間から無数の星々が姿を現す。
エフレムが俺の上に屈み込み、マントの端で俺の顔を拭った。
「……どうしてあれが切れると分かった?」
「時間がない、進むんだ……」
俺は無理やり上体を起こし、声を絞り出した。
「アイロン、貴殿の心拍数は正常値を二百パーセント超過しています。脳活動に異常なスパイクを検知。休息が必要です」
「知るか。これが俺の通常運転だ」
俺は言った。
「だから、案内しろ」




