第50話:山の涙
「静かにしろ……」
俺は左手でゼノの背中にしがみつきながら、掠れた声で言った。
「やっと気がついたか」
エフレムが応じた。
「また丸一日、いやそれ以上、意識を失っていたんだぞ」
「静かに……」
「黙れ、エフレム」
ゼノが低い声で遮った。
数時間後、彼らは峡谷にたどり着いた。
そこでは、古い水車小屋が切り立った岩肌にしがみつくように佇んでいた。
少し前を走っていたエフレムが、突然足を止めた。
「ゼノ……人がいる……」
彼は後ずさりしながら囁いた。
水車小屋とその小屋から、人々が姿を現し始めた。
全部で十人ほど。
身なりはボロボロで、髭は伸び放題、粗末な獣皮のコートをまとっている。
その手にはピッチフォークや重い薪割り斧、そして一丁の古い狩猟用クロスボウが握られていた。
「悪魔だ……」
村人の一人が呟いた。
白髭を生やした、一番背の高い男だ。
彼はピッチフォークを前に突き出したが、その手はガタガタと激しく震えていた。
「鉄の悪魔が、俺たちの魂を奪いに来たんだ!」
ゼノが一歩前に踏み出す。
群衆は一斉に後ろへとのけぞった。
「道をあけろ」
彼が低く唸る。
「下がれ!」
クロスボウを持った男が叫んだ。
「来るな、化け物め!」
男が引き金を引いた。
カチャリと音がしてボルトが放たれる。
それはゼノの胸甲に当たって跳ね返り、かすかな風切り音を残して暗闇へと消えた。
「待ってくれ……」
エフレムの声は枯れていた。
「俺たちは……悪魔じゃない。ただの逃亡者だ。必要なのは……暖だけなんだ」
「あの坊主を見てみろ、親父!」
斧を持った百姓の一人が、胸の前で十字を切りながら後退した。
「骨から鉄が生えてやがる! それに……そいつの後ろにいる化け物はなんだ……出て行け!」
「あんたたちの水車……」
エフレムが動かなくなった水車を指さした。
「主軸が歪んでいる。下の歯車の歯も摩耗しているな」
「なぜそれを……」
「中に入れてくれ。俺がその仕掛けを直す。俺の……連れも、あんたたちに危害は加えない」
村人たちは顔を見合わせた。
「入れてあげて、ハンス」
入り口の近くにいた女が、子供を抱きしめながら囁いた。
「その子は息も絶え絶えよ。それに、あの鉄の塊が……私たちを殺す気なら、とっくにそうしているわ」
「……わかった。入れ。だが覚えておけ、一挙手一投足を見張っているからな」
ゼノはアイロンを中に運び入れた。
「ここに寝かせろ」
エフレムが指示を出した。
「ゼノ、何か強い酒を探してくれ」
ロボットがボトルを探している間、老人はアイロンの傍らに腰を下ろした。
「アイロン」
彼は静かに語りかけた。
「覚えているか? 俺がお前を見つけた時のことを。一緒にあのアーティファクトを解体した時のことを。俺が『結社』の人間だと知って、お前がどれほど怒ったかを……」
「……なぜ人は、失って初めてその瞬間の価値に気づくんだろうな。まあ、お前は答えてくれないだろうが」
「エフレム、大丈夫か?」
ゼノのくぐもった声が響いた。
「ああ、何でもない」
「だが、泣いているぞ」
「何でもないと言っている。それより、酒は見つかったのか?」
ゼノが埃をかぶったボトルを持ってきた。
「これだ……『山の涙』。喉が焼けて目から火花が出るような代物だ」
エフレムは歯で栓を引き抜き、その中身の半分近くを、俺の肩へと直接ぶちまけた。
すでに組織が炎症を起こし始めている場所だ。
「よし……ゼノ……やれ」
暗がりにいた村人たちが、恐怖のあまり息を呑んだ。
ゼノが俺の上に屈み込む。
彼の指先から、細く、目を眩ませるような青い電気アークが放たれた。
「プロセス完了」
ゼノが淡々と告げる。
「体表温度は正常化。細菌負荷を80%低減」
金属の擦れる音で目が覚めた。
目を開ける。
早朝だった。
【ステータス:18%】 > 【感染度:9%。好転傾向】
首を巡らせた。
ゼノが水車の主軸の前に立っていた。
彼が巨大な木製の歯車を両手で固定し、その間に一人の老人が、緩んだ溝に楔を打ち込んでいた。
「起きたか、アイロン」
老人は額の汗を拭い、俺を見た。
「お前の……連れは、たった一晩で、俺たちがこの5年間でやった以上の仕事をしてくれたよ」
「あいつは頼りになるんでね。ところで、あんたの名前を聞いても?」
俺は尋ねた。
「ああ、そうだったな。お前はずっと意識がなかった。俺はハンスだ」
俺は台の上に上体を起こした。
エフレムはすぐ近くの麻袋の上で、俺の工具箱を抱きしめるようにして眠っていた。
「ハンス、ゼノを呼んでくれないか?」
「ああ、わかった」
数分後、ゼノが俺のそばへ歩み寄ってきた。
「2、3日は猶予がある」
金属のピンが肩の皮膚を引っ張る痛みに顔をしかめながら、俺は言った。
「この場所を補強する必要がある」
「了解した」
彼が応じる。
「すでに地下室で硫黄と硝石を発見した。これに炉の炭を混ぜれば……」
「黒色火薬の完成だ」
俺は奴の言葉を引き継いだ。




