第39話:テクニカル・ディスチャージ
俺たちは〈三つの力の結節点〉の、まさに中心に立っていた。
巨大な地下洞窟。
周囲をゆっくりと回転するのは、莫大な岩塊だ。
その表面には、エメラルドと黄金のエネルギーの脈が不気味に脈動していた。
エフレムがさらに一歩を踏み出し、中央の尖塔の根元に崩れ落ちた。
膝を突き、荒い息を吐く。
彼の左肩は、見るも無惨な状態だった。
リヒターの一撃。そして、その後の崩落。
引き裂かれた組織と、凝固した血。
粉々に砕けた骨が混ざり合い、凄惨な肉塊と化している。
俺は目を閉じた。
結晶から引き出せる限界の力を、強引に手繰り寄せる。
そして、スキルを最大出力まで引き上げた。
【スキル:『生きる意志』――限界負荷】
視界が瞬時に切り替わる。
医療スキャンモード。
同時に、俺の瞳は完全に灰白色へと染まっていた。
胸の奥を、氷の炎のような激痛が焼き焦がす。
『アイロン、俺の言う通りにしろ』
脳内でゼノの声が響く。
『エーテルを軟部組織に送り込むんだ。細胞の再生を刺激しろ。マナを優しく破断部に迂回させ、新しい血管を編み上げるんだ……』
「――遅すぎる」
俺は奴の指示を切り捨てた。
そのまま、エフレムの傷口へと手を伸ばす。
鎖骨のあたりに、深刻な『リーク(漏出)』を発見した。
断裂した動脈が、周囲の結節点に血液を氾濫させている。
メインポンプの圧力が、致命的なまでに低下していく。
今すぐこの漏れを止めなければ、このシステムは永久にシャットダウンする。
俺は、剥き出しの傷口に直接指を突っ込んだ。
肉をかき分け、断裂した血管を探し当てる。
指先に、静電気マナを凝縮した熱放電を発生させた。
そして――強引にそこを『溶接』した。
ジ、と肉が焦げる音がして、吐き気を催す悪臭が周囲の空気に立ち込めた。
『……お前といると、本当に退屈しないな』
ゼノが呆れたように鼻で笑う。
「密閉……完了」
歯を食いしばり、言葉を絞り出す。
顔からは滝のように汗が流れ落ちていた。
「次は、構造フレーム(骨格)だ」
鎖骨は三つの断片に破砕されていた。
俺は再び結晶のエネルギーにアクセスする。
指先から、硬質に圧縮されたマナの『糸』を紡ぎ出した。
それを、老人の肉体へと直接縫い込んでいく。
骨の破片を強引に引き寄せ、その周囲に外的な補強バンテージを構築していった。
エフレムが、カッと目を見開いた。
俺の手元を見つめながら、喉の奥からひび割れた声を漏らす。
その目は、白濁した俺の瞳にも釘付けになっていた。
「死にやしないさ」
煙の上がる手のひらを、引き抜く。
そのまま、冷たい岩の上にどさりと倒れ込んだ。
「とにかく……急に動くんじゃないぞ」
やがて、結節点の轟音が変化した。
不規則なバチバチという雑音が消え、骨の芯まで響くような、安定した共振へと変わる。
結晶のあの焼けるような熱が引いていく。
代わりに、心地よい冷たさが肌に染み渡り始めた。
『おお……素晴らしいな。ようやくノイズが消えた。感謝するよ、小僧』
俺は手の震えを抑えようと、脈動する柱に背中を預けた。
「……あんたがそんな風に軽口を叩ける奴だとは、思わなかったよ、ゼノ」
『何のことだ?』
「いや……前はもっと、品行方正で、賢者ぶった話し方をしてただろ。だけど今は何というか……」
『年を取れば分かるさ』
ゼノが静かに応じる。
(それを俺に言うか……)
俺は心の中で小さく毒づいた。
「まあいい、ゼノ。どうすればあんたを元の状態に戻せる?」
「どうすれば……また、人間に戻れるんだ?」
沈黙が降りた。
結節点の轟音さえも、一瞬、遠ざかったかのように思えた。
『結論から言おう。不可能な話だ』
ようやく、ゼノが言葉を紡ぐ。
『【魂の結晶化】という呪文はな……勝利の代償として、自身の生物学的な肉体をすべて捧げる術なのだから』
「――何か方法があるはずだ」
俺は諦め悪く、低く呟いた。
『道は二つしかない』
ゼノが深い破裂音のようなため息を吐く。
『一つは、【乗っ取り(ポゼッション)】だ。お前、あるいは他の誰かの意識を駆逐し、その肉体を奪う。……だが、そんな真似をするくらいなら、俺は喜んで完全にくたばる方を選ぶ』
『傷つくな。そして、もう一つの道……それが、最も単純だ』
ゼノが一瞬、言い淀む。
『――教団が、行っている方法だよ』
結節点の重低音を、突如として別の音が圧殺した。
――ドォン!
地響き。
遠く、だが、あまりにも強大な一撃。
広間に浮かぶ巨大な岩塊が、一斉にぐらりと揺れた。
天井からパラパラと岩の粉塵が降り注ぐ。
――ズガガァン!!
音の発生源は、先ほど瓦礫で完全に封鎖したはずの通路だった。
ピキ、ピキキキィッ!
通路をせき止めていた中央の巨岩に、無数の深い亀裂が走る。
そして――凄まじい爆音とともに、真っ二つに叩き割られた。
生じた隙間から、ねじ込まれるものがあった。
凹み、傷だらけになった金属に包まれた、質量のある巨大な腕。
鋼鉄の指先が、嫌な音を立てて岩の端へと食い込む。
そのまま、人間離れした怪力で前へと引き剥がした。
残りの瓦礫が、四方八方へと弾け飛ぶ。
砕け散る岩の破片。
立ち込める、喉を刺すような埃の雲。
それを割って、結節点の広間へと、奴が重々しく足を踏み入れてきた。
重装甲の胸当て。その左側は完全に大破していた。
露出しているのは、人工筋肉の不気味な収縮。
そして、引き裂かれた錬金術のパイプラインだ。
そこから、ドクドクと粘り気のある黒い液体が脈動に合わせて噴き出している。
ヘルメットは半分引きちぎられ。
剥き出しの肉の残骸に、直接ボルトで固定された鋼鉄の頭蓋が、歪に明滅していた。
「冗談、だろ……」
俺はあまりの光景に、思考を完全に停止させた。
「これでも、まだくたばってねえのかよ!?」
『奴には痛覚などという概念は存在しない』
ゼノの声に焦りが混じる。
『中心神経系が、ただ一つの目的だけにロックされているんだ。あの【錬金術のコア】を完全に破壊しない限り、奴は地の果てまで俺たちの後ろを這って追ってくるぞ』
「――そういうことは、もっと早く言え! ゼノ!」
リヒターが、石の床をもう一歩、重く踏み出す。
真紅のバイザーがギチギチと音を立てて回転した。
結節点の激しいノイズを突き抜け、空間をスキャンしていく。
そして。
照準が、明確に俺とエフレムの姿にロックされた。
首元の潰れたスピーカーから、凄まじい静電気ノイズ混じりの音声が漏れ出す。
『モ、モク、ヒョウ……補、捉。最、優、先……排、除』
エフレムがよろめきながら、無事な方の肩を壁に預け、どうにか立ち上がった。
「小僧……」
老人の声が、はっきりと震えている。
「もう、奴を退けるのは無理だ。私には火花一つ起こすマナも残っていない。お前だって、とうに限界だ。完全に……袋の鼠だぞ」
リヒターが、ゆっくりと大剣を持ち上げた。
刃は半分近くがへし折れ、もはや無骨で凶悪な『巨大なナタ』と化している。
――奴が、突進してくる。
「早く選べ、小僧――!」
エフレムが折れた杖を構え、震える手を前に突き出しながら絶叫した。
俺の脳内に、ゼノの『インターフェース』によって強調された二つのルートが瞬時にフラッシュバックした。
【左のトンネル(管理シャフト)】
『あっちだ!』ゼノが叫ぶ。
『あそこなら純粋なエネルギー流と制御端末がある! 俺が隔壁のシステムを乗っ取って、奴を外側にシャットアウトできる!』
【中央のトンネル(廃棄坑道)】
「シャフトに行くのは自殺行為だ!」エフレムが割り込む。
「あそこは行き止まりだ! 坑道へ行け、あそこなら無数の分岐がある。奴の追跡を撒けるはずだ!」
俺は、視線を真下へと落とした。
ちょうど俺たちの足元。
ゴミと、赤錆びた格子で塞がれた、狭い垂直の穴。
――技術廃棄用の、ドロップ・シャフトだ。
「――下に行く」
『正気か!?』
ゼノが驚愕の声を上げる。
『それはただの排液管だぞ! 底にあるのは未処理の、最悪に有害な【毒性マナ】だぞ!』
「――だからこそ、そこへ行くんだ」
俺は、錆びた格子を力任せに掴み、引き剥がした。
時間の経過に蝕まれていた金属が、けたたましい金属悲鳴を上げてへし折れる。
エフレムの襟首を乱暴に掴み、開いた穴へと引きずり寄せる。
リヒターは、すでに十歩手前まで迫っていた。
「跳べ、じいさん! それともここで大人しくミンチになるか!?」
俺は、呆然とするエフレムを縦穴の黒い深淵へと突き落とした。
そして――振り返ることなく、自分もその後に続いて身を投げた。
視界が落ちていく最後の瞬間。
リヒターが、穴の縁でピタリと動きを止めるのが見えた。
奴の真紅のバイザーが、チカチカと不気味に点滅していた。
落下時間は短かった。
だが、味わいは最悪だった。
およそ十メートルほど自由落下した。
叩きつけられたのは、ぐじゅぐじゅに腐敗した廃棄物の山。
そして、使い古されたエーテルの、鼻を突くような悪臭が満ちる、粘り気のある泥濘の中だった。




