表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
生きる意志は私の最強のスキルだ  作者: Gambo
死の隣り合う世界
38/212

第38話:三つの力の結節点

【警告:クリティカル同期。神経可塑性レベル:89%】


【アーカイブ層「ゼノ」へのアクセスを許可……】


数週間前。下層ホライゾン。


ここはオゾンと傲慢の臭いがする場所だった。


俺――いや、ゼノは、上層階の影に覆われた回廊を軽やかに滑っていく。


その手には、水銀のように揺らめく液体の小瓶が握られていた。


「おいおい、老人を相手にするにしては、随分と甘い守りだな」


脳内でゼノの声が囁く。


背後で、鋲打ちされたブーツの重苦しい足音が響く。


重装甲を纏った第三圏の将校たちが廊下に雪崩れ込んできた。


ゼノが短い身振りで風の流れを呼び込むのが分かった。


将校たちは何もないところで足をもつれさせ、互いに激突して崩れ落ちる。


奴は小瓶の栓を抜き、飲み干した。


奴の身体の周囲で光が屈折し始め、ゼノはわずかな陽炎――空気の揺らぎへと変貌する。


衛兵の詰め所を通り過ぎる際、隊長の肩をかすめながら、奴はいつの間にかその腰から鍵束を抜き取っていた。


死の沼地。夕暮れ時。


ゼノは荒い息を吐いていた。


透明化の薬は、奴の残存リザーブをほぼ全て吸い上げていた。


その時、半開きの闇から一人の男が紡ぎ出された。


ケイン。ヴァルト直属の精鋭処刑人だ。


「ゼノ」


ケインの声には感情がなかった。


「……ここから生きて出られる奴はいないと知っているはずだ」


「またか、ケイン?」


ゼノが直立する。奴の脱力した様子が、瞬時に鋼のような集中力へと切り替わるのを俺は感じた。


戦いは電光石火だった。


ケインは、まるで塗りつぶされた影のように動く。


ゼノは風の盾を構築しながら、即座に反撃へと転じた。


二人の周囲で空気が荒れ狂い、木々を根こそぎに吹き飛ばす。


ゼノは飛翔しながら治癒を行い、ケインが刻んだ深い切り傷を縫い合わせていく。


だが、ケインには疲れの色が見えなかった。


「もう十分だ」


ケインの一撃が首をかすめ、ゼノが喘ぐ。


「おい、小僧……」


ゼノが囁く。奴が俺に語りかけているのだと分かった。


奴は指を折らんばかりの複雑な印を結ぶ。


「禁止された盟約:魂の結晶化ソウル・クリスタライゼーション


奴の周囲の世界が白濁し始めた。


ゼノの魂が身体から吸い出され、純粋な、濃縮されたマナへと変換されていくのを感じる。


「許してくれ、アイロン……」


それが、奴の最後の意識ある記憶だった。


「どうやら、約束は守れそうにない」


目映い閃光が、ケインも、霧も、百メートル先の大地までもを消し去った。


埃が晴れた後、黒焦げになった荒野には、小さなエメラルドの結晶が一つ、転がっているだけだった。


そして、俺は奴を見た。エフレム。


奴は、クレーターの縁で生き残っていた木々の陰から現れた。


顔は灰色だった。


震える手でゆっくりと結晶に歩み寄り、それを胸に抱きしめる。


「許してくれ。遅すぎた。また、遅れてしまった」


俺は薄暗い回収路の中で、ガバと目を開けた。


頬は涙で濡れていた。


「アイロン?」


エフレムの声が俺をトランス状態から引き戻す。


「……見たんだな?」


「あいつは死んだんだ、エフレム」


俺の声は、ひび割れていた。


「介入なんてできなかった!」


老人が健康な方の拳で膝を叩く。


「ケイン相手に、勝ち目なんて一ミリもなかったんだ。私にできたのは、ゼノの残骸を救うことだけだった」


「だが、お前の助けがあれば、俺は救えたはずだ」


脳内でゼノの声が響いた。


先ほどよりも明瞭だが、依然としてデジタルなノイズが混じっている。


「お前はいつも、最も肝心な時に遅れてくる。覚悟しているか? 監獄シタデルで俺が監視官の分隊を一人で引き受けていた時、お前が『偶然』アーカイブに閉じ込められた事件を」


俺は身震いした。


声はあまりに現実的で、まるでゼノがすぐ背後に立っているかのようだった。


「奴が言ってる」


俺はエフレムを見た。


エフレムが硬直する。


その顔が痛みと苦悩に歪んだ。泣きそうな笑みを浮かべて。


「なぜ奴は、あんたが『出口』じゃないと言ったんだ?」


俺はゼノの言葉を思い出しながら尋ねた。


「なぜ、あれほどあんたに怒っている?」


「この馬鹿者が、私の元相棒だからだよ。アイロン」


意識の中のゼノが溜息をつく。


「最高の中の最高だ。『鋼の風と山の重圧(スチール・ウィンド・アンド・マウンテン・オプレクション)』。教団ではそう呼ばれていた。エフレムの方が格上だったがな。十年間以上、互いの命を預け合ってきた。それなのに、あの阿呆は何の相談もなしに全てを捨てた。さらに腹立たしいことに、どこへ行くのかすら教えなかったんだ! 研究所の資源を総動員して何年も探したが、結局、この瞬間まで見つけることはできなかった」


エフレムが頭を垂れる。


「言えるわけがなかったんだ、ゼノ。お前は組織に忠実すぎた。もし一緒に行こうと頼めば拒絶されただろう。かといって居場所を知られれば、お前は私を追跡するよう強要される」


「それだけじゃない」俺が言った。


「奴は、あんたが俺をあんたの代わりにしようとしていたと言っている」


エフレムがビクリと肩を震わせたが、目線は合わせない。


「……本当だ」


奴は小さく告白した。


「お前を見た時、小僧……私とゼノが再び共に在るための、唯一のチャンスだと思ったのだ」


「だからお前を奴から引き離した。お前を三つの力の結節点ノードへ運ぶ必要があった。あそこで力線が交差する場所にいれば、私は安定できる。今は十分おきに記憶の断片を失っているんだ。あそこへ辿り着けなければ……」


「あんたたちは二人とも、とんだ老いぼれだよ」


俺は立ち上がりながら言った。


肋骨の痛みはまだ鋭いが、『生きる意志』がすでに組織の修復を始めていた。


「片方は英雄になることを選び、もう片方は隠遁者を選んだ。その尻拭いをさせられるのは俺ってわけか」


もし前の人生で年老いるまで生きていたら、俺も同じような人間になっていたのだろうか。


そんな思考がよぎる。


「どこへ行く?」


折れた杖に重々しく体重を預けながらエフレムが尋ねる。


結節点ノードへ」


俺は言い切った。


背後のトンネルの奥から、重苦しい擦れる音が響く。


ギギギギギギ……ズドン。


「急げ!」


エフレムが俺の袖を掴み、分岐点へと引っ張る。


「右のトンネルだ!」


「やめろ、アイロン! ダメだ!」


脳内のゼノの声が静電気のノイズに変わる。


「そこはデッドゾーンだ! 天井は腐った支柱だけで支えられている。一歩間違えば、俺たちは建物の土台の一部になっちまうぞ!」


「エフレム、ゼノがそこは崩れるって言ってる!」


下水の流れを飛び越えながら俺が叫ぶ。


「まさにその通りだ! リヒターは戦車だ。刃物じゃ殺せねえ。奴の上に山を崩して落とす必要がある!」


「待て、リヒターって……死んだんじゃなかったのか」


「奴のエネルギーは一マイル先からでも分かる。教団が奴の魂をこの巨体に移し替えたに違いない」


俺たちは右の通路へ飛び込んだ。


天井は身の毛もよだつほど低く、壁には深い緊張の亀裂が走っている。


荷重が均等に分散されていない。この区画全体が、今にも崩壊しそうな状態だった。


「着いたぞ!」


エフレムは、湿気と時で黒ずんだ四本の巨大な木製支柱に支えられた小部屋で立ち止まった。


「結晶を渡せ! マナを過負荷オーバーロードさせなきゃならん!」


「奴には渡さん!」


ゼノが怒鳴った。


「俺の残滓が焼き切れてしまう!」


俺はエフレムと、そして通路の闇を見比べた。


そこから、すでに重厚な鎧を纏ったリヒターの姿が現れていた。


顔は鋼鉄の格子で隠され、唯一の眼が紅蓮色に燃えている。


「結晶は渡さない。だが、あんたの望みは叶えてやる。俺のやり方でな」


俺は一歩踏み出した。リヒターへと向き合って。


【スキル:「生きる意志」――フルパワー起動。】


周囲の世界が減速する。


灰白色に染まった俺の瞳が、空気のわずかな揺らぎをも捉えた。


結晶から俺の静脈へとエネルギーが流れ込み、血を液体火炎へと変えるのが分かる。


肋骨の痛みは消え、氷のような痺れへと置き換わった。


共振レゾナンス……)


思考する。


どんな構造物にも、限界強度というものがある。


俺は掌を、中央の支柱へと押し当てた。


「ヴゥゥゥゥゥン……」


結晶に増幅された重低音が、俺の喉から漏れる。


俺はその振動を、木材の構造へと直接流し込んだ。


支柱が細かく震え始め、上部の岩盤と共振する。


リヒターが巨大な剣を振り上げたが、動きが止まった。


「崩れろ」


俺が命じる。


最後の一撃となる強大なインパルスで、俺は朽ちた木材の中の分子結合を「解除ロックオフ」した。


大砲のような轟音とともに、主要支柱が粉々に砕け散る。


リヒターがゆっくりと頭上を見上げた。


その時、天井が崩落した。


数百万トンの岩と泥と煉瓦が、奴の上に降り注ぐ。


衝撃波で俺は出口の方へと弾き飛ばされた。


濃密で刺激的な埃が、空間の全てを塗りつぶす。


轟音が鳴り止んだ後、背後には瓦礫の壁だけが残されていた。


腹ばいになったまま、俺はむせ返る。


「俺たちは……奴を埋めたのか?」


積み上がった岩の山を見上げながら俺が尋ねる。


「ああ、恐らくな」


折れた肋骨の痛みに顔をしかめながら、エフレムがようやく立ち上がった。


「だが、リヒターはしぶとい。油断は禁物だ。行かなければ。結節点はすぐそこだ」


立とうとしたが、足が震えて崩れ落ちた。


エフレムが俺を抱え上げる。


俺たちはトンネルを這い進んだ。進むにつれて、周囲の光景はますます幻想的なものへと変わっていく。


壁は複雑に絡み合った根と、荒々しい琥珀色の光を放つ奇妙な岩石で構成されていた。


空気は濃密になり、オゾンの重苦しさが鼻を突く。


静電気のせいで、うなじの毛が逆立っていた。


「ゼノ、『結節点』について詳しく教えてくれ」


俺は言った。


「三つの力の結節点ノード。土、風、静電気の三つの強力なエーテル流が交差する地点だ。シタデルでは、こういうノードを巨大なデータ群を保存するサーバーとして使っている」


トンネルが唐突に広がり、巨大な洞窟が姿を現した。


底の見えない深淵の上に浮かぶその中心部で、エメラルドと黄金の稲妻に貫かれた、浮遊する岩石の複雑な構造体が脈動していた。


まるで、巨大な魔術プロセッサーのようだ。


「あれだ……」


エフレムが息を吐く。


「旧都の排水センター。死のループの心臓部だ」


俺が崖っぷちへと歩み寄ったその時、ゼノが不意に俺を後ろへと引き戻した。


「待て! アイロン、よく聞け。老人……エフレムのことだ。奴は最後まで持ちこたえられない。出血が多すぎる上に、奴の体内マナ回路はすでに壊滅している。奴を結節点の中心まで引きずっていけば、共振で奴は原子レベルまで霧散してしまうだろう」


「それで、何を提案するんだ?」


「ここに置いていけ。基部に。俺たちが核まで行って固定すれば、上層のシャフトから脱出できる」


「あいつ、俺を置いていけって言ってるんだろう?」


エフレムが弱々しく微笑んだ。


「あの老狐の考えていることは分かる。あいつは昔から……合理的だった。行け、小僧」


「なになのかね、ゼノ?」


俺は頭の中の虚空に向かって口にした。


「あんたは、エフレムが俺をあんたのコピーに変えようとしたと言ったな。だが、あんたも同じことをしている。俺はエンジニアだ。まだ直せる部品を捨てるような真似はしない。システムがエラーを吐いたなら、アプローチを変えるんだ。コンポーネントを廃棄するんじゃない」


俺はエフレムに歩み寄り、奴を強引に抱え上げて、首にその腕を回した。


「三人揃って結節点へ行くぞ。俺が俺たちの周囲に安定化フィールドを構築する」


「お前は正気じゃないな……」ゼノが呟く。


「いいだろう。だが、もし俺たちが空の彼方へ吹き飛んだら、一番最初に言ってやるぞ。『それ見たことか』とな」


「取引成立だ」


俺たちは浮遊する橋へと足を踏み入れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ