第34話:ネットワーク・アーキテクト
立ち上がり、上着を羽織る。
湿気と夜の冷気のせいで、生地はごわついていた。
【システムステータス】
総合状態:安定
組織整合性:85%(臨界区域の修復完了)
右腕の機能性:70%まで回復
エネルギー背景:致命的な乱流状態
(修復は順調だな)
俺は心の中で呟いた。
その頃、エフレムはすでに焚き火の脇の盛り土に腰掛け、膝の上に石や鉱物の破片を並べていた。
彼はその一つひとつをひっくり返し、指先でエッジを確かめながら、断面を凝視している。
「まだ早い」
奴が言った。
「あんたも眠れないのか?」
俺は尋ねた。
「あぁ」
俺たちは沈黙した。
「起きろ。今日の訓練はなしだ」
ようやくエフレムが口を開いた。
「なぜだ?」
固いパンを手に持ったまま、俺の動きが止まる。
「昨日のゴーレムとの『一幕』のせいで予定が狂ったのか?」
「回路の残留負荷だ」
老人はスクレイパーを置き、説明した。
「今日、回路にエネルギーを通そうとすれば不発に終わる。代わりに、今日は観察だ」
俺たちは炉に小さな火を熾した。
大釜の水が沸騰するまでの間、俺は机の上の小さな緑色の箱を見つめていた。
薄暗い朝の光の中、内部の結晶はかすかに輝いているだけで、まるでひび割れた濁ったガラスの破片のようだった。
(この老人とどう会話を繋げばいいんだ?)
脂身を噛み締めながら、俺は考える。
(こいつがなぜこんな肥溜めのような場所に一人で住んでいるのか、分かってきた気がする。説教のしつこさはゼノ以上だ)
外では霧が薄れ始め、過去の嵐の記憶を吸い込んで濡れそぼった、黒い木々の骨組みが姿を現していた。
大釜の水が沸くと、エフレムは俺たちのマグカップにそれを注いだ。
俺たちは無言でただの白湯を飲んだ。
茶葉などとっくに尽きている。
舌に残る錆びた金属の味が、やけに鋭く、意識を冴え渡らせた。
「お前、昨日あることに気づいただろう」
静かだが、確信を込めた声だった。
「かもな」
俺はマグカップを膝の上に下ろした。
「あんたの言葉の矛盾に気づいた。あんたはあの結晶が空だと言ったな」
「未充填だと言ったのだ」
「同じ意味じゃない。俺にとって『空』とは電荷がないことだ。だが、あの石は……記憶している。俺が注ぎ込む力だけでなく、その手法自体を。負荷の分配方法、安全ノードの配置、抵抗の迂回手順をな」
エフレムが微かに笑みを浮かべた。
「お前は魔術を純粋な力学として捉えているな。私もかつてはそうだった。それがお前の最大の強みであり、同時に最大の脆弱性(弱点)でもある。お前の言う通りだ。結晶はレプリカ(写し絵)だ。お前のアプローチを、独自のプログラミング・パターンを記録する」
「知っていたのか。なぜ警告しなかった?」
内側から苛立ちがせり上がってくるのを感じながら、俺は問うた。
「警告すれば、お前は拒絶しただろうからな」
老人は淡々と答えた。
「私はお前に、極限状態で生き残るチャンスを与えた。そうした事の本質は、常に経験の中で理解するものだ」
再び、沈黙が訪れた。
外の風が葉の落ちた枝を揺らし、小屋の屋根に容赦なく水滴を叩きつけている。
「俺を利用できて都合がいいわけだ、あぁ?」
俺は歯の隙間から低く唸った。
「私は導いているだけだ。お前が自らいずれ行き着く場所へとな。ただ、お前が耐え切れるかどうかを見極めたいだけだ」
「耐え切れなかったら?」
「その時は野垂れ死ぬだけだ」
彼は平然と言い放った。
「あるいは、それ以上に恐ろしい結末か。この沼から、全く別の存在として戻ってくることになる。異なる姿。己自身の構造を完全に書き換えられた、別のナニかとしてな」
俺は立ち上がり、肩を回した。
「いいだろう。続けてやる」
俺は言った。
「だが、俺の条件を飲め。質問には正直に答えろ。謎かけはなしだ」
「いいだろう」
老人が頷く。
「訊くがいい」
「あの柳の根元にあった緑色の輝きは何だ? それから、ゴーレム……俺の言う『消去者』どもが、なぜ自分の家みたいにこの沼をのし歩いている?」
エフレムはパイプの灰を叩き落とした。
「あの緑の光は『インシデント・ゼロ』の残滓だ。回路に幽閉された、濾過されていない純粋な生命エネルギー。……何年も前、私は教団の『網』を設計した建築家の一人だった。地脈や生物から直接マナを搾り取り、その回収を自動化しようとしたのだ。大要塞のための永久機関を作り出すためにな」
「そして、何かが狂ったわけだ」
俺は察した。
「連鎖共振が発生した。大爆発だ。それは我々の研究所を跡形もなく吹き飛ばし、この一帯を魔術のゴミ捨て場に変えた。放射線があらゆるものを歪ませたのだ。そして『消去者』どもは……」
彼は苦々しく嘲笑した。
「奴らは我々が作ったアンチウイルスだ。ネットワーク上のあらゆる『バグ』や異常を排除するようプログラムされた、自律型ゴーレム。あの爆発の後、この土地全体が奴らにとって一つの巨大なバグ(異常)になったのだよ」
彼は俺に、重苦しい視線を向けた。
「その結晶、そして糸を吸収するお前の奇妙な能力……お前はその破損したコードを『消化』している。教団の魔術師なら、その場で回路を焼き尽くされているはずだ。だが、お前の脳はどういうわけか、完璧な絶縁体として機能しているな」
『ネットワークの建築家』
その言葉が、俺の脳裏に重くのしかかる。
次々とフラッシュバックする光景。
大要塞の冷酷な壁、枷の金属音、死、尋問、峡谷での追走劇――。
右手が、本能的に腰へと伸びた。
指がナイフの無骨な柄を強く握り締める。
激昂が脳を灼いた。
俺は鋭く一歩を踏み出し、一連の動作で鞘から刃を解き放つ。
「あんたが……これらすべてを作ったのか」
歯の隙間から、憎悪の混じった声が漏れる。
エフレムはただ腰掛けたまま、その濁った、疲弊した瞳で俺を見つめ返していた。
ナイフの切っ先が、奴の喉元からわずか一インチの距離で静止した。
呼吸が止まる。突き刺したかった。
――だが、俺は踏みとどまった。
殺害する代わりに、俺は問いをぶつけた。
「なぜ逃げ出したのか、話しな」
低く、だが断固とした声だった。
「教団は一線を越えすぎた」
彼は静かに言った。
「立ち塞がる者をすべて殺し、人間を都合よく作り変える……それは、間違っている。だから私は去ったのだ」
俺はゆっくりとナイフを下げ、鈍い音を立てて鞘に収めた。
「今の話がすべて嘘なら……あんたを殺す」
俺は背を向け、机から緑の結晶を掴み取ると、小屋の奥へと歩いた。
寝床の端に腰掛け、冷たい石を慎重に両手で包み込む。
こめかみにはまだ怒りの脈動が残っていたが、無理に呼吸を整えた。
結晶のエッジを指でなぞり、その歪みを一つひとつ確かめる。
濁った表面に反射した光が、無限に細い光線へと分解されていくのを見つめた。
目を閉じ、俺たちの双方から発せられる微かな共鳴に意識を集中させる。
(マナは炎ではない、アイロン)
ゼノの穏やかな声が、記憶の底から浮かび上がった。
よし、始めよう。
全力でスキルを起動した瞬間、ずっしりとした肉体的負荷がのしかかってきた。
胸の奥に、粘り気のある凍てつくような冷気が広がる。
傷ついた回路へエネルギーを無理やり押し通すたびに、後頭部に鈍い激痛が走る。
それでも、俺は執念深く集中を維持した。
結晶の振動が俺を突き動かし、呼吸の一つひとつ、鼓動の一撃一撃を過剰なほどに自覚させる。
一分ごとに、その感覚は深まっていった。
部屋の中の微かな共振に気づき始める。
壁に揺れる焚き火の光、大釜の中で冷めていく水の微かな囁き、さらにはエフレムの重いブーツの下で規則的に軋む床板の音まで。
この静寂の中で、俺は最も重要なことを理解した。
システムの一部になるということは、単なる制御や計算ではない。
――それは、自覚だ。




