第32話:層の重なり
エフレムの小屋での二度目の目覚めは、最初のそれよりも遥かに最悪だった。
あの時は、アドレナリンとショック状態が辛うじて俺を繋ぎ止めていた。
だが、今は違う。
全身の細胞が反乱を起こしていた。
火傷で突っ張った背中の皮膚は、乾燥して脆くなった羊皮紙のようだ。
「粘土の繭」の内側には、耐え難い、腐敗したような熱が籠っていた。
追い打ちをかけるように、エフレムが前触れもなく寝床に近づき、俺の不随の腕を掴んだ。
「起きる時間だ」
彼はノミを取り出すと、固まった粘土を削り落とし始めた。
「あぐっ……少し、手加減しろ……」
「我慢しろ」
エフレムは冷たく突き放した。
「あと少しだ」
数分後、目の前の光景に俺は吐き気を催しそうになった。
そこにあったのは、じくじくと液を滴らせるピンク色の肉。
指の関節に見える黒い壊死の斑点。
開いた傷口からは、明らかな腐敗臭が漂っている。
(『生きる意志』……報告しろ)
込み上げる胃液を堪えながら、心の中で命じた。
【組織の腐敗を局所化。深い組織損傷:62%。速やかな洗浄および細胞刺激が必要です。推奨:高濃度魔力の使用】
エフレムが傷口に何らかのアルコール薬草酒をぶちまけた。
俺の身体が弓なりに跳ね上がり、喉の奥から掠れた悲鳴が漏れる。
「我慢しな、小僧」
老人はぶつぶつと呟きながら、清潔な布で腕を巻き上げていく。
「腹は減ってるか?」
彼は灰色の粥が入ったボウルを机に放り出した。
何か得体の知れないものが浮いていたが、今の俺にはどうでもよかった。
――それからしばらくして。
「さて、朝飯は終わりだ」
エフレムが言った。
「次は仕事の時間だな」
彼は机の上の食べ残しを、そのまま床へと掃き出した。
「これを見ろ。教団の鋼鉄製金庫だ。半年前に見つけた。こじ開けようとしたが、魔術トラップで髭を焼き焦がしそうになってな」
エフレムは腕を組み、俺の評価を待つように見つめてきた。
俺は顔を近づけた。
【対象:野戦通信用金庫。防護クラス:B-2。内部空洞:高濃度魔力エッセンスを感知】
エッセンス。
もしこれを手に入れられれば、通常の魔力よりも遥かに速く回路を修復できる。
「エフレム、この金庫には自爆装置(自己消滅プロトコル)がある」
俺は囁いた。
「ハンマーで叩けばサーマルチャージが作動する。中身はすべて灰になり、俺たちも一緒に吹き飛ぶぞ」
「なら、どうやって開ける?」
老人は眉をひそめ、本能的に腰のナイフの柄に手をやった。
「道具を持ってきてくれ。細い針と、銅製のクランプ(固定具)を」
作業が始まった。
それはまるで、爆弾の解体作業だった。
「右側にある魔力の渦が見えるか?」
俺は顎で指し示した。
「そこに針を3ミリ挿入してくれ。それ以上は駄目だ。抵抗を感じたら、動きを止めろ」
システム・インターフェースを通じて、鍵の魔術回路の糸が赤く発光しているのが見えた。
「ストップ! 深すぎる! 左に髪の毛一本分ずらせ!」
「おい、小僧、どうしてそれが視えるんだ!?」
老人は毒づいたが、それでも俺の指示に従った。
そうして3時間が経過した。
視界がかすみ、『生きる意志』が限界疲労の警告を点滅させている。
「……次、クランプだ」
俺は囁いた。
「中央のルーンを、手前に引いてくれ。ゆっくりと」
カチリ、と硬質で音楽的な音が響いた。
蓋の上の赤い糸が色褪せ、透き通るようなスカイブルーへと変化し、そして完全に消失した。
ロックが屈服したのだ。
蓋が小さな、冷たい蒸気を吐き出しながら、静かにスライドして開いた。
内部には、青い液体が入った3つのガラス瓶、革の巻物、 内側から穏やかな光を放つ小さな結晶が収められていた。
結晶は、一定の周期で内側から光を脈動させている。
エフレムが即座に結晶へと手を伸ばした。
「俺のものだ!」
奴が吠える。
俺は残った全力を振り絞り、その手首を掴んで止めた。
「待て。それに触れば死ぬぞ。それは教団の将校クラス用通信ストレージだ。教団の魔術固有波形に調整されている。あんたの回路を焼き尽くす」
「だが、この瓶は刺激剤だ。一本飲めば、睡眠も食事もなしで二日間は走り続けられる。これが、あんたの取り分だ」
(……やはり、教団での経験は無駄ではなかったな)
俺は心の中で思った。
エフレムは青い瓶を見つめ、それから結晶へと視線を移した。
「なら、その結晶は誰のものだ? お前か?」
「俺だ。これが俺の報酬だ。これがあれば、作業効率を2倍に引き上げられる」
老人は俺の顔を凝視したまま、長いこと沈黙していた。
だが、やがて不機嫌そうに呟いた。
「……フン、持ってけ。それで手を打ってやる」
その夜、俺は藁の上に座り、結晶を胸に押し当てていた。
寸断された魔術回路が、急速にエネルギーを吸い上げて修復されていくのを感じる。
それは、灼熱の激痛を伴う作業だった。
だが、無に比べれば遥かにマシだ。




