表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
生きる意志は私の最強のスキルだ  作者: Gambo
死の隣り合う世界
27/210

第27話:マクスウェルの悪魔

鉄の馬車がわだちに跳ねるたび、枷が不快な金属音を響かせた。


対魔のアンチ・マジック・スチールが手首を冷たく蝕み、体力を吸い上げていく。


薄暗がりの中、俺の正面にはゼノが座っていた。


老人は道中、一言も発しなかった。


まるで、目の前にあるのがただの空っぽの殻であるかのように。


「……戻るのだな」


ゼノは頭を上げぬまま、掠れた声で呟いた。


「一度はあそこから抜け出せたんだ」


俺は声が震えるのを堪えながら返した。


「二度目だって、やってみせる」


外から、巨大な門が開く轟音が響いた。


石を叩く車輪の音が、やがてトンネルの鈍い反響へと変わる。


馬車は山の胎内へと侵入し、日の光は完全に途絶えた。


俺たちは降下していく。


下層地平ロワー・ホライゾン〉へ。


扉が乱暴に開け放たれると、オゾンと焦げたオイルの臭いが混ざり合った、乾燥した空気が俺たちを迎えた。


この場所は何も変わっていない。


コンクリートとパイプ、そして鈍い光を脈打たせる魔力ケーブルの迷宮。


修道院と工場を融け合わせたような、祈りの代わりに発電機の重低音が鳴り響く世界。


入り口には、リヒターが腕を組んで立っていた。


その甲冑には峠の泥がこびりついていたが、その眼光は鋼のように冷徹なままだ。


そして彼の傍らには、見た瞬間に激しい嫌悪と記憶が呼び覚まされる男がいた。


高位魔術師ケイン。


戦士の風貌ではない。


痩せ細り、仕立ての硬い漆黒のローブを纏い、その細い指先は常に薬品のシミで汚れていた。


「検体アルファ」


ケインが口を開いた。その声には一切の感情が欠落していた。


「随分と手を焼かせてくれたものだ。お前の起こした『物理的異常』のせいで、複数のセクターの均衡が崩壊しかけたのだぞ」


ゼノの威嚇の唸りを無視し、彼は一歩近づいた。


ケインはリヒターへと向き直る。


「傭兵は監禁ブロックへ。検体は〈セクター・ゼロ〉へ連れて行け。あそこは現在、魔力場の乖離が限界値に達している」


衛兵たちがゼノの身体を乱暴に掴んだ。


廊下の奥へと引きずられていく間、老人は抵抗らしい抵抗を一切しなかった。


「いいか、アイロン」


ケインが俺の耳元に顔を寄せた。


「お前がリアクターを安定させなければ、あの老いぼれが完全に息絶えるまで、何ボルトの電圧に耐えられるか、私が直々に試すことになる」


「……この、外道が」


俺は歯の隙間から言葉を搾り出した。


〈セクター・ゼロ〉の空気は、いつも通り重く、油じみていた。


壁面からは不気味な真紅の燐光が放たれている。


「枷を外せ」


リヒターが短く命じた。


衛兵が鍵を回すと、対魔の鋼が床へと転がり落ちた。


その刹那、圧縮されたバネが弾けるように、俺の内側から『生きる意志ライフ・ウィル』が解き放たれた。


脳内へと濁流のように流れ込んでくる情報量に、俺の身体が大きくよろめく。


「急げ」


スピーカーからケインの乾いた声が響いた。


「リアクターが熱暴走を起こしている。魔術回路が制御不能の共振状態レゾナンスに突入した」


中央にそびえる主柱を見上げる。


巨大な黒曜石のシリンダーが、周囲の空間を二重に歪ませるほど激しく振動していた。


内部の魔力マナは、完全に密閉されたボイラーの中で過熱された高圧蒸気のように荒れ狂っている。


(粒子の運動エネルギーが過剰だ。システムのエントロピーが最大値へ向かっている)


「……下げてやらさ」


燃え盛る金属へと一歩を踏み出しながら、俺は呟いた。


両手を前方へと突き出す。


熱気で指先から煙が立ち上り始めたが、スキルの恩恵によって痛みは感じない。


(熱力学第二法則――『マクスウェルの悪魔』)


俺は魔力の奔流を強制的に選別し始めた。


高エネルギー粒子を一方へ、低エネルギー粒子をもう一方へ。


人工的な勾配グラディエントを形成し、混沌とした無秩序な運動を、秩序ある渦へと書き換えていく。


――局所的エントロピー減少。


それは、凄絶なまでの負荷を伴う作業だった。


魔力が俺自身の回路を焼き焦がし、血管の中で血が沸騰していくのを感じる。


鼻腔を、強烈なオゾンと何かが焦げる臭いが貫いた。


「大人しく……なれッ!」


残された全出力を注ぎ込み、俺は咆哮した。


視界に黒い斑点がチカチカと浮かび、口内に鉄錆の味が広がる。


――内臓出血だ。


耳を聾するほどの凄まじい風切り音と共に、リアクターが蒸気の塊を吐き出した。


真紅の禍々しい光が引き、平穏な、氷のような蒼い光へと変貌していく。


地鳴りのような轟音は収まり、規則正しい、微かな駆動音へと落ち着いた。


俺はその場に膝を突き、熱を帯びた空気を激しく貪った。


「そこまでだ」


隔壁のガラスの向こうで、ケインが満足そうに頷いた。


「生きているな。リアクターも無事だ」


リヒターが俺に近づき、襟首を乱暴に掴み上げて立たせた。


「動け。貴様には『休息』が必要だ」


「明日、地上へ行ってもらう。〈死せる街区デッド・クォーター〉だ」


廊下を引きずられていく。


自分がどこへ向かっているのか、思考はまともに働かなかった。


足はコンクリートの床を引きずり、頭は力なく胸元へと垂れ下がっている。


狭苦しい資材室のような部屋へ、俺は放り込まれた。


そこには、脚の歪んだベッドが一つあるだけだった。


重厚な鉄扉が、激しい金属音を立てて閉ざされる。


ブーツすら脱ぐ気力もなく、俺はマットレスの上へと倒れ込んだ。


わずかな身じろぎさえもが拷問だった。


脳裏には未だリアクターの残響が鳴り響き、瞼の裏にはジェラルドの顔が焼き付いて離れない。


(お前はただの道具だ、アイロン)


(従順であれ)


他者の冷酷な言葉が意識の底でリフレインする。


それを最後に、俺は深く、泥のような無意識の闇へと堕ちていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ