第220話:国家の誕生
荷車に踏み固められた乾いた道の両脇には、朝露に濡れた鮮やかな緑の草が伸びていた。
クレルクの盗賊団は後ろをゾロゾロと歩いている。
ノアは横を歩き、エリリアはアイロンの肩越しに空中で宙返りを繰り返していた。
アイロンの網膜には、リュモンのグリッドが展開されていた。
前方には、すでに暗い森の輪郭がはっきりと見え始めている。
未来の居住地に向けて地形を吟味していたアイロンだったが、不意にインターフェース上にポツンと赤い点が明滅した。
警告しようと口を開きかけたが、ノアとエリリアが既にその方角をじっと見つめているのに気づき、言葉を飲み込む。
「誰だ、ノア?」
近づいてくるシルエットから目を離さず、アイロンは静かに尋ねた。
「女だ」
ノアが短く答える。
「危険な感じは全然しないわね」
エリリアが少し高度を下げながら声を上げた。
「俺もだ」
ノアも同意する。
後ろを歩いていたクレルクが落ち着きなく唾を飲み込み、不安げに尋ねた。
「な、何かあったんですか、アイロンさん?」
技術者は無言で前方を指差した。
クレルクと部下たちはすぐさま首を伸ばし、見知らぬ人影を窺う。
「向こうから来るのを待とう」
アイロンはそう決めた。
少女は焦る様子もなく、堂々とした足取りで近づいてきた。
距離が縮まると、彼女は歩みを止めずに一行を少し皮肉めいた視線で素早く値踏みした。
十一人の薄汚れた悪党たち。宙を舞う小さな少女。
そして、アイロンをじっと見つめる――明らかに『普通』ではないと察したようだ。最後にノアを見て、まあ悪くないといった評価を下したらしい。
「どこへ行くの?」
歩幅を崩すことなく、彼女は気さくに尋ねた。
その瞬間、アイロンは彼女を穴の空くほど見つめ、その場にピタリと立ち尽くした。
その奇妙な間を察したノアが、彼の脇腹を肘で軽く小突く。
アイロンは短く瞬きをして我に返ると、無愛想に手で方角を示した。
「あの森だ」
「私も一緒に行っていい?」
少女はあっさりと頼み込み、ほんの数秒置いてから付け加えた。
「自己紹介がまだだったわね。私の名前は、エリザ」
アイロンは頭から爪先まで、胡散臭そうに彼女を値踏みした。
「古臭い名前だな」
「エリザが?」
彼女はアイロンを見返した。
「俺はアイロン、こっちはノアで、それがエリリアだ」
アイロンは十一人の悪党たちを一瞥してから言った。
「で、こいつらがクレルクとその部下たちだ」
「アイロン……ねぇ。よくそんなんで私の名前に文句言えたわね? 鉄から取った名前ってことでしょ?」
「お前、自分が何様だと思ってるんだ?」
アイロンは少し苛立たしげに言い放つ。
「だいたい、お前の歳でタバコは体に悪いって知らないのか?」
「私、十九歳だけど。賢いお兄さん」
エリザは腰に手を当てて言い返した。
「もう立派な成人よ」
エリリアが空中で数回円を描き、エリザの頭の上へと滑らかに降り立った。
その髪の中に、すっぽりと心地よさそうに収まる。
「私、この子気に入った! 一緒に連れて行きましょ!」
精霊が高い声でぴぃぴぃと鳴いた。
「まあ、悪くないんじゃないか」
ノアが肩をすくめる。
「あんたはどう思う、クレルク?」
「えっ……い、いいんじゃないでしょうか」
念のため視線を足元に落としつつ、クレルクが慌てて答えた。
アイロンは深いため息をついた。
「好きにしろ」
彼は背を向け、真っ先に街道を歩き出す。
やがて、集団全体が彼に続いて動き出した。
(だが……ああいう性格の奴なんて、誰だってあり得る)
彼は心の中でそう独りごちた。
その間にも、エリリアは少女の頭から飛び立ち、彼女の顔の周りを飛び回りながら質問攻めにしていた。
「ここで何してるの? どこから来たの? 一人でこんな所にいるってことは、すっごく強いってことよね!? ね、そうでしょ!?」
ノアが手を伸ばし、二本の指で精霊の首根っこを摘み上げる。
「質問ばっかりでパンクするだろ。少し落ち着け」
「ちょっと! 離しなさいよ!」
エリリアは憤慨し、小さな両手を振り回してノアに掴みかかろうと暴れる。
「ううん、全然大丈夫よ」
エリザは面白そうにその様子を眺めながら微笑んだ。
そして、アイロンの背中へと視線を移し、ノアに小声で尋ねる。
「それより教えてくれない? どうして私たちはあの森へ向かってるの?」
「アイロンが自分の国を作りたいらしい」
じたばたするエリリアを掴んだまま、ノアは淡々と答えた。
「で、あの森が一番手頃な場所だと考えてるんだとさ」
「なるほどね……」
エリザは意味ありげに呟いた。
数時間が経過した。
一行は完全に街道を外れ、深い森の中へと足を踏み入れていた。
森は明るく、木々は高かった。
豊かな樹冠の隙間から陽光が差し込み、苔やシダの茂みを照らし出している。
松のゴツゴツとした幹をリスが忙しなく駆け回り、枝の奥深くでは野鳥が鳴き交わす。空気は、松葉と湿った土の濃厚で爽やかな香りに満ちていた。
長い行軍を終え、誰もがその静寂を味わうように無言で歩き続けていた。
アイロンは目の前で明滅するリュモンのグリッドに従い、進路を取る。
数本の樫の木を避けて右へ曲がり、百歩直進。その後、低い灌木を抜けて緩やかな左カーブを描く。
部隊は音もなく彼の後に続いていた。
やがて木々が開け、一行は高い松に囲まれた、比較的小さく平坦な空き地へと出た。
地面は柔らかな苔と、落ちた松葉に覆われている。
アイロンはその中心で立ち止まり、周囲を見渡すと短く告げた。
「ここだ。ここで新しい国を造る」
エリザは地面を批判的に眺め、周囲を囲む分厚い幹の壁へと視線を移して言った。
「控えめに言って……最悪の場所ね」
「ああ」
ノアが静かに頷く。
「違いないな」
アイロンも反論しなかった。
彼は近くを漂っている精霊へと顔を向ける。
「エリリア、ここを綺麗にしてくれ。お前の好きなように、な」
その言葉に、精霊はパッと花が咲いたように明るくなった。
光の輝きが増し、小さな瞳が歓喜にきらきらと輝く。
「ほんと!? ぜーんぶ、私の好きなようにしていいの!?」
「ああ、やれ」
エリリアは空中高く舞い上がり、両手を大きく広げた。
彼女の手のひらから、波紋のように柔らかな緑色の光が空き地全体へと広がっていく。
すると、空間の縁にある木々が動き始めた。
幹が太さを増し、枝が互いに複雑に絡み合い、あっという間に未来の野営地を囲む、自然の生きた分厚い壁を形成していく。
腕を組み、アイロンはその光景を静かに見守っていた。
(もちろん、これくらい俺たちだけでも出来たはずだが……)
彼の脳裏にそんな考えがよぎる。
エリリアはさらに高く腕を突き上げた。
空き地から遠く離れた大地が、地鳴りを上げて呻き始める。
はるか彼方の地表から、凄まじい摩擦音と地響きと共に岩盤がゆっくりと隆起し、巨大な石の山脈の輪を形成し始めたのだ。
しかし、エリリアの輝きが急激に色褪せた。
小さな腕が震え、隆起していた山々は、彼女が思い描いていた高さのほんの僅かまで達したところでピタリと動きを止めた。
精霊は目を閉じ、その極小の体が糸の切れた人形のように真っ逆さまに落下していく。
ノアが受け止めようと瞬時に飛び出したが、エリザの方が早かった。
彼女は短く踏み込み、お椀の形に合わせた両手で精霊をそっと優しく受け止めた。
アイロンは遠くの未完成の山々を見つめ、それからエリリアを抱きかかえるエリザへと視線を戻す。
(……だが、そうしていたら何倍も面倒なことになっていただろうな)
彼は先ほどの思考をそう締めくくった。
「よくやった、エリリア」
アイロンは声に出して静かに労った。
(まあ……本当は先に、綺麗な木の板を切り出してもらうべきだったんだが)
彼は内心で悔やんだ。
(だが、もう遅いか)
アイロンはクレルクと彼の盗賊団の方へと振り返った。
彼らは口をポカンと開け、遠くに見える作りかけの山々と生垣を丸い目で見つめたまま、まるで丸太のように突っ立っていた。
全員の顔に、純粋な恐怖が張り付いている。
(こいつらが実際にどれくらい使えるか、見極めておく必要があるな)
アイロンは頭の中で結論づけた。
「何突っ立ってるんだ?」
彼は平坦な声で盗賊たちに問いかけた。
「木を伐ってこい」
誰一人として身動き一つしない。
クレルクは、ほんの数秒前まで地形改造が行われていた森の境界を、魔法にかけられたように見つめ続けている。
「聞こえなかったのか?」
アイロンは繰り返した。今度は、ずっと冷たく、威圧的な声で。
ビクッと肩を震わせ、我に返ったクレルクが狂ったように頷き始めた。
「あ……は、はい! もちろんです!」
彼は部下たちを振り返り、喉を裂くような声で叫んだ。
「聞こえたか!? 行くぞ! 木の伐採だ!」
悪党たちは大慌てで斧や刃こぼれした剣を拾い上げ、一目散に近くの松の木へと向かって駆けていった。
その間、エリザは高い樫の木の下の乾いた草の上にそっと腰を下ろした。
眠りについたエリリアを自分の膝の上に寝かせ、事の成り行きを静かに眺め始める。
アイロンとノアも傍観してはいなかった。
クレルクの部下たちが汗だくで息を切らし、三十分かけてようやく一本の松を切り倒している横で――ノアはただ幹に近づき、正確な打撃を数発叩き込むだけで巨大な木を軽々と地面に倒し、それをさしたる苦労もなく空き地の中央へと引きずって行った。
アイロンは枝を切り落とし、丸太の形を精密に整える作業を手伝った。
夕方になる頃には、空き地の端に素晴らしい建築用木材の巨大な山が、綺麗に積み上げられていた。
クレルクの悪党たちは完全に力を使い果たし、荒い息を吐きながら草の上に倒れ込んでいる。もっとも、その木材の山の大部分はノアとアイロンの手によって伐り出されたものだったが。
技術者は息を吐き、袖についた木屑を払い落とすと、そのまま背中からドサリと地面に寝転がった。
「家を建てるのは、前より何倍も難しくなりそうだな……」
暗くなっていく空を見上げながら、彼は低く呟いた。
「明日は新しいやり方を試してみるか。上手くいくといいが」
彼が目を閉じる間もなく、茂みの奥から重々しい枝の折れる音が響いた。
空き地に姿を現したのは、巨大なイノシシの死骸を引きずったノアだった。
鈍い音とともに、彼は獲物を踏み荒らされた草の上へと投げ捨てる。
アイロンはすぐに起き上がった。
慣れた手つきで空き地の中央に大きな焚き火を組み、魔法で枯れ木に火を放つ。
剣を抜き、力の線を細かく制御する技術(魔法)を応用して、一瞬にしてイノシシを完璧で均等な肉の塊へと切り分けた。
長い木の串を削り出し、手早く肉を刺していく。
やがて夜が訪れる頃には、香ばしい焼き肉の匂いが野営地全体に漂い始めた。
焚き火がパチパチと音を立てる。
まともな食事にありつけたクレルクの部下たちは、火の周りで静まり返り、それぞれの分を夢中になって平らげていた。
エリザは少し離れた場所に座り、未だ膝の上で眠り続けるエリリアを優しく抱きかかえている。
アイロンは肉を咀嚼し、消えかかる熾火を見つめながら静かに口を開いた。
「ノア、分かってるよな……」
「あんた、この件については何か考えるって言ってたよな」
ノアは顔を向けないまま、彼の言葉を遮った。
「ああ……だが、今のところ何も思いついていない。だから……見張りをするしかない」
「分かったよ」
ノアは息を吐き、少しだけ肩の力を抜いた。
「今日はせめてエリリアがいないんだ、少しは静かに過ごせるだろうさ」
そう言いながら、ノアはエリザの膝に横たわる精霊へと何気なく視線をやった。
まさにその瞬間。
エリリアのまぶたが、微かにピクリと動いた。
ノアは凍りついた。
彼の頭の中に、パニックに満ちた叫び声が響き渡る。
(やめろ! 頼むから目を開けないでくれ! お願いだ、やめてくれ!)
だが、エリリアはぱっちりと目を開けてしまった。
大きく伸びをし、エリザの腕から飛び出して空中へと舞い上がる。
周囲をキョロキョロと見回し、大声を上げた。
「わぁっ! もう夜!? っていうか、私抜きで何食べてるの!?」
ノアは片手で顔を覆い、誰にも聞こえない声で低く呻いた。
(……最悪だ)




