第207話:絶対零度
アイロンは黒焦げになった木の幹の間を移動しながら、迫り来る敵の隊列に向かって絶え間なく銃撃を浴びせていた。
放たれた弾丸はすべて標的を捉えていたが、それでも敵の数はあまりにも多すぎた。
それと同時に。
エンジニアは腕輪を通じ、味方の行動を指揮していた。
ダーウィンとマレクは森の別セクターにいたが、アイロンは彼らの位置を完全に把握している。
戦術スクリーンの急激な魔力の波形と熱源シグネチャから、各所の状況を瞬時に分析。
誰が後退すべきか、どこへ火力を集中させるべきか、どこで突破が予想されるか――。
思考を通して、的確な指示を飛ばし続ける。
その間も、彼自身の銃撃は一秒たりとも止まらない。
側面から回り込もうとする騎士たちを、次々と的確に排除していく。
アイロンの圧倒的な圧力は耐え難い領域に達し、敵陣にパニックが広がり始めた。
前衛部隊の一人の指揮官が、部下たちが次々と死んでいくのを目の当たりにし、狂ったように叫び声を上げた。
「殺せ!! 『C14』を出せ!!」
「ほ、本当に使うんですか!?」
相次ぐ爆発から逃れるように地面に伏せながら、兵士の一人が恐る恐る反論した。
「隊長、この爆薬は数が少なすぎます! 温存した方が……!」
指揮官は激怒して振り返り、その兵士の胸ぐらを掴み上げた。
「てめえ、頭イカれてんのか!? 相手はアイロン・エヴァーフォールだぞ!! エドリアク様の言葉を忘れたか! 『奴を見たら、一切の出し惜しみをせずに即座に殺せ』と言われただろうが! さっさと出せ!!」
アイロンは、その怒声にはっきりと聞き覚えのある名(自分の名)を捉えた。
飛んでくる呪文を急ステップで躱しながら、一瞬だけ眉をひそめる。
『なぜ、私がここにいると知っている……?』
エンジニアの脳裏に疑問がよぎる。
『どこかで、自分の正体を露呈させたか……?』
思考を切り替え、アイロンはメインの拳銃を構えた。
敵の魔術師の密集陣形に狙いを定め、素早い連射を叩き込む。
しかし、エネルギー弾は展開された魔法のドームに阻まれ、深く沈み込むようにして防がれてしまった。
今の攻撃が無意味だと悟ると、エンジニアは走りながら武器を切り替えた。
一丁目の拳銃をホルスターに収め、別の銃を抜き放つ。
それは、『混沌』のエネルギーを火薬として使用する特殊な構造の銃だった。
「なら、お前の出番だな」
撃鉄を起こし、アイロンは呟く。
腕を固定し、引き金を引いた。
弾丸は瞬時に空間を切り裂き、魔法障壁の中心に真っ直ぐに激突する。
盾の表面に一瞬で無数の亀裂が走り――次の瞬間、魔法のドームは粉々に砕け散った。
しかし。
その分厚い魔法の障壁を突破するために運動エネルギーのすべてを使い果たした弾丸は、その場ですぐに勢いを失い、ポロリと落下した。
敵の魔術師たちは、足元に落ちたその弾丸を呆然と見つめ、完全に硬直する。
「……な、なんだ、今のは!?」
だが、その生み出された防御の穴へ向けて。
再びアイロンの手に握られた一丁目の拳銃から、通常のカオスの塊が容赦なく撃ち込まれた。
無防備になった部隊は、その場で丸ごと爆し去る。
エンジニアは足を止めることなく、隣接する二つのポイントでも同じ戦術を繰り返し、敵の防衛線を次々と崩壊させていった。
しばらくして、アイロンは一旦後退した。
鬱蒼と茂る木々の中に身を隠し、ほんの数秒でも息を整えようとする。
それでも、周囲の空間を絶えず監視し、かすかな葉擦れの音や枝の揺れに反応し続けなければならなかった。
防壁を張られた馬車の一つを通り過ぎようとした時。
背後で、枝が鋭く折れる音が響いた。
一人の騎士がすでに背後へ肉薄しており、彼に向かって剣を振り下ろそうとしていたのだ。
アイロンは瞬時に自身の剣を抜き放ち、短い動きで敵の斬撃を横へ逸らす。
そしてカウンターの刺突を、騎士の顔面へと深く突き入れた。
切っ先が、頭蓋を貫通する。
エンジニアは素早い動作で武器を引き抜いた。
兵士の死体が重い音を立てて地面に崩れ落ちる。
だが、その音が他の者たちの注意を引いてしまった。
木々の陰から新たな兵士たちが姿を現し、その内の一人が叫ぶ。
「奴はここだ!!」
その声に、魔術師たちが即座に反応した。
アイロンの方へ向き直り、急速に呪文の構築を始める。
「チッ……」
エンジニアは歯の間から毒づいた。
アイロンは真っ直ぐに前方へと駆け出した。
一気に距離を詰め、彼らに近接戦闘を強いる。
木々を自然の遮蔽物として利用しながら、群がる敵を一人、また一人と確実な動作で始末していく。
その時、騎士たちの背後から巨大な炎の塊が放たれた。
アイロンはその熱気を感知し、間一髪で横へと跳んだが、爆風までは避けきれなかった。
衝撃波が彼の体を打ち据え、数メートル後方へと吹き飛ばす。
だが、彼は空中で受け身を取り、地面を転がり、流れるような回転動作で再び足の裏で着地した。
集中力は微塵も途切れていない。
周囲を見渡す。
彼の位置に向かってさらに多くの騎士が集まり、包囲網を狭めていた。
集中砲火から逃れ、戦術的優位を確保するため。
アイロンは大地を蹴り、上空へと舞い上がった。
高度を上げた瞬間、下から細い光の線が撃ち込まれた。
空中で急激なロール機動を行い、かろうじて射線から逃れる。
そのまま空中に留まり、眼下の敵陣地へ向けて銃撃の雨を降らせた。
再編成すら済んでいない騎士たちの真ん中で、連続した爆発が巻き起こる。
不意に、巨大な緑色の光球が彼に向けて放たれた。
アイロンは飛来するその物体へ向けて、三発の弾丸を素早く撃ち込む。
エネルギーの殻から弾き飛ばされた弾丸は、弧を描いて下方へ降り注ぎ、敵の密集陣形のど真ん中で炸裂した。
そして緑色の光球自体は、空中で虚しく爆発して散った。
敵の視界から一時的に身を隠し、アイロンは首の通信機のボタンを押し込み、部隊へのコンタクトを試みた。
「そっちの状況はどうだ、ガストン……? おい、ガストン、応答しろ! ……頼む!」
緊迫した数秒間の沈黙の後、スピーカーからガストンの声が響いた。
『こっちは無事だ、アイロン。だが、敵の圧力が強すぎる。やむを得ず、今は村の方へ撤退しているところだ』
アイロンは安堵の息を吐き出した。
「ガストン! ……ふぅ、脅かさないでくれ。判断は正しい。村へ向かえ、だが追撃への牽制は怠るな。他の全員にも連絡して、同じように伝えろ」
『了解だ』
ガストンが短く答え、通信が切れる。
エンジニアは再び戦場へと視線を戻した。
森中に散らばる熱源シグネチャ、エネルギーの波形、そして敵の魔力の密集具合を慎重に追跡する。
「殺しても、殺しても……湧いてきやがるな」
彼は独り言を漏らした。
その時、リュモンが新たなシステム通知を網膜に表示した。
『妨害の無効化に成功しました。魔術の使用制限はすべて解除されました』
アイロンは鼻で笑い、地上への急降下の準備を始めた。
「ありがとな」
彼は呟く。
「だが、もう少し早く言ってくれれば助かったんだが?」
アイロンは猛スピードで降下を開始した。
彼の接近に気づいた敵部隊の指揮官が、金切り声を上げる。
「撃て!! さっさと奴を撃ち落とせ!!」
騎士、弓兵、そして大砲を抱えた兵士たちが、一斉に猛烈な弾幕を張った。
数十本もの矢、砲弾、そして魔力の塊が、空へ向かって放たれる。
しかし。
空中に放たれたすべての攻撃は、不自然なほど急激に方向を反転させた。
そして凄まじい速度で逆流し、それらを放った者たち自身を瞬時に薙ぎ払い、消し去った。
自らの部下たちが一瞬にして刈り取られた光景に、指揮官は唖然とし、狂乱したように周囲を見回した。
「な、なんだってんだ……このふざけた真似は!?」
アイロンはさらに高度を下げ、瞬時に空間内の分子の運動を停止させた。
彼を中心とした半径百メートルの範囲。
その空間の温度が、絶対零度に近い数値まで一気に急降下する。
生き残っていたすべての兵士たちは、ほんの一瞬にして氷の彫像へと変わり果てた。
その場に立っていた時の、まさにその姿勢のまま、完全に凍りついたのだ。
エンジニアは、凍てついた地面に静かに舞い降りた。
そして、指揮官のもとへと歩み寄る。
男は半分だけ凍結していた。首から下の身体すべてが厚い氷に閉ざされ、かろうじて頭部だけが生かされている状態だった。
指揮官は、こちらへ向かってくるアイロンを恐怖に歪んだ顔で見つめた。
エンジニアは男の目の前まで歩み寄り、身を屈めた。
そして、怯えきった男の両眼を覗き込みながら、静かに告げた。
「ドーンヘイムを襲撃したこと……」
次の瞬間。
彼は腕を突き出し、指揮官の胸を貫通させた。
刺し入れたのと同じ軌道で腕を引き抜くことはせず。
アイロンはそのまま腕を右へと強引に引き裂いた。
凍りついた肉体が乱暴に破壊され、彼の腕は男の身体の横腹を突き破って抜け出た。
「……それは、大きな間違いだったな」
アイロンは冷酷に言い放った。
その間にも、四方八方からアイロンへ向けて新たな敵部隊が殺到していた。
彼の頭上の空は、再び飛来する呪文と矢によって覆い尽くされる。
その瞬間、アイロンは激しく咳き込み、口から血の飛沫を散らした。
痛みを意に介することなく、彼は手の甲で口元の血を乱暴に拭い去る。
そして、自身に向かって飛来するすべての魔法のベクトルを『逆』へと上書きした。
空中で向きを変えた呪文の群れが、襲撃者たちの密集した隊列へと逆流し、彼らを瞬時に消滅させる。
その様子を側面から監視していた別の部隊の指揮官が、部下たちに向かって叫んだ。
「奴を攻撃するな!! 馬鹿野郎ども!!」
「じゃ、じゃあどうすればいいんですか!?」
魔術師の一人が怯えた声で返し、魔法を構えていた手を下ろした。
指揮官はそれに答える代わりに、素早く通信のアーティファクトを抜き出した。
「オルゲルド様! アイロンが妨害を無効化しました! 次はどう動きますか!?」
装置の向こうから、オルゲルドの落ち着いた声が響く。
『戦いの主導権を完全に握ったと、奴自身に錯覚させろ。その状況を作れたら……私に合図を送るんだ』
「了解しました」
指揮官はアーティファクトをしまい、残存する兵士たちの方へ向き直った。
「突撃だ!! 突撃しろ!!」
命令に従い、騎士たちが猛然と前方へ駆け出し、距離を詰める。
アイロンは『空間共鳴』を発動させた。
彼に向かって走っていた兵士たちの肉体は、武器を振り上げる間すら与えられず、次の瞬間にはただ蒸発して消え去った。
指揮官が状況を理解する隙も与えず。
アイロンは目の前の空間を鋭く折り畳んだ。
ほんの一瞬の後に、彼は音もなく指揮官の背後へと実体化し、静かに囁いた。
「消えろ」
彼らの周囲の空間が、短く明滅した。
指揮官、そして半径五十メートル以内に残っていたすべての兵士と兵器が、一瞬にして地上から完全に消去された。
だが、その直後。
アイロンは地面に血を吐き捨て、力尽きたように片膝をついた。
骨を砕くような激痛が全身を貫き、指一本動かすことすら困難なほど、すべての筋肉が悲鳴を上げている。
アイロンが立ち上がれないのを遠くから確認した、後方の生き残りの魔術師たちは即座に動き出した。
彼らは一斉に新たな呪文の詠唱を開始する。
残存するすべての魔力を一つに集中させ、アイロンに最後の一撃を叩き込むために――。




