第198話:終わりの始まり
ノアは目を覚ました。こめかみには鈍い痛みが脈打っている。
苦労して寝返りを打ち、ベッドの端に腰掛けて頭を抱え込んだ。
木板の床に、どうしても焦点を合わせることができない。
(何があったんだ……?)
ガンガンと鳴る頭の中に、そんな疑問がよぎる。
記憶は唐突に途切れ、後にはただ空白だけが残されていた。
どうにか立ち上がり、軽い眩暈にふらつきながらも、ノアは出口へと向かった。
少し離れた木製のベンチには、マレク、ダーウィン、そしてクララが座っていた。
彼らが小声で何かを話し合っている頭上を、いつものようにエリリアが飛び回っている。
精霊は小さな両手を激しく動かし、どうやらまた彼女特有の突拍子もない理論を熱心に証明しようとしているらしかった。
彼らの方へ数歩近づき、ノアは首筋を撫でた。
その何気ない仕草が――あるいは、彼のふらつく足取りそのものが――瞬時に精霊の注意を引いた。
言葉を途中で切り上げ、エリリアは矢のように急降下し、ノアの目の高さでピタリと空中に静止した。
「あ、お目覚めね!」
彼女は明るく声を上げ、両手を背中に組んで首をかしげた。
ノアはさらに眉をひそめ、眩しすぎる陽射しに本能的に目を細めながら、かすれた声で尋ねた。
「いったい何があった? 森に行っただろ。訓練を始めたところまでは覚えてるんだが……その後の記憶がない」
エリリアはツンと鼻を上に向けると、空中でくるりと宙返りをして答えた。
「ああ、あんた、訓練の真っ最中にいきなり気絶したのよ! たぶん、極度の疲労とか、魔力切れ(バーンアウト)とか、そんなところじゃない?」
「は?……どういう理屈だよ、それ」
怒りがこみ上げてくるのを感じながら、ノアは訝しげに尋ねた。
エリリアはただ小さく肩をすくめただけだった。
「まあ、そういうことよ」
ノアはため息をついた。
手のひらで顔を覆い、ゆっくりと作業台の方へと歩いていく。
彼の接近に気づくと、マレクはすぐにニヤリと笑った。
「お、見ろよ。うちの寝坊助がようやく顔を出しやがったぜ!」
「おはようの世界へおかえりなさい、ノア」
クララが土の水差しを横に置きながら、柔らかく微笑んだ。
ダーウィンも嬉しそうに頷き、手を振って歓迎する。
ノアは力なく頷き返し、ベンチの端に腰を下ろした。
体はまだ自分のものじゃないように重く、言うことを聞かない。
「俺は……どのくらい寝てたんだ?」
天幕の端にちょこんと座ったエリリアを見上げながら、くぐもった声で尋ねる。
精霊は小さな手で口元を隠しながらあくびをして、こう言った。
「んー、丸一日ってところね」
ノアは頷き、テーブルの一点をじっと見つめながら思考の海に沈んだ。
(戦闘の最中に気絶するなんて……しかも丸一日も寝てただと……なんて情けない)
心の中で毒づく。
(もっと訓練しなきゃ駄目だ)
蹄の音と馬具の鳴る音が、彼を思考から引き戻した。
ノアが顔を上げると、ドルンハイムの境界に、武装した男たちに囲まれた豪奢な馬車が停まっているのが今になってようやく目に入った。
「あいつら、誰だ?」
見知らぬ者たちの方へ顎をしゃくりながら、ノアが尋ねる。
エリリアは見えない波に揺られながら肩をすくめ、嫌悪感を隠そうともせずに顔をしかめた。
「ああ、アイロンを訪ねてきた、またしても『重要なお客様』よ。オルゲルド王その人」
「また王様か……あいつら、一体ここで何がしたいんだ?」
その頃、会談のテーブルには静寂が落ちていた。
オルゲルド王がゆっくりとティーカップを置く。
「単刀直入に言おう、アイロン」
彼は少し身を乗り出し、平坦な声で切り出した。
「我が王国は、他の集落が夢見ることすらできないような条件をドルンハイムに提示する用意がある。黄金、食糧を積んだキャラバン、いかなる希少素材も、全面的な政治的支援、そして何より、我が王冠の名の下における軍事的保護だ。私の権限にあるすべてのものを君に与えよう。その見返りとして、私は君たちの持つ特異な鉱石の『全量』を要求する」
オルゲルドは背もたれに体を預け、アイロンの顔に驚愕の色が浮かぶのを待った。
「すまないな、オルゲルド」
エンジニアは王の目を真っ直ぐに見据え、断固たる口調で言った。
「だが、それはできない」
オルゲルドは気づかれないほど微かに眉を動かした。
その瞳に、一瞬だけ戸惑いがよぎる。
「断るというのか?」彼は聞き返した。
「自分がどれほどの好機を棒に振ろうとしているのか、理解しているのか?」
「ドルンハイムは、あんたの助けがなくとも猛烈な勢いで発展している」
アイロンは冷たく切り捨てた。
「俺たちの技術は自立しているし、住人たちは何をすべきか分かっている。資源だって有り余るほどある。だが、理由はそれだけじゃない。あんたの支援を受ければ、俺の村の人間は怠け、弱体化する」
「強者の庇護下に入り、困難な仕事をすべて他人に任せてしまえば、人は一瞬にして牙を失う。戦うことをやめてしまうんだ。いざ本格的な包囲戦になった時、他人の兵士の背中に隠れようとするような、弱くて依存的な穀潰しなんざ必要ない。ドルンハイムは、自分たち自身の手で強さを鍛え上げる」
アイロンの言葉の余韻が消えると、部屋には再び静寂が訪れた。
アイロンは杖を握り直し、少し身を乗り出して、ずっと気になっていた疑問を口にした。
「さて、教えてくれ、オルゲルド……。なぜあんたは、そんなに急いで俺たちの鉱石を必要としているんだ? 単なる好奇心だがね。自ら俺の土地へ出向いてきた王は、あんたで三人目だ。一国の主が政務を放り出してまで、たかが鉱石のためにドルンハイムまでしゃしゃり出てくる……。俺に言わせりゃ、異常な事態だ。一人だけなら、偶然か馬鹿げた噂のせいだと笑い飛ばせる。だが、三人ともなれば……俺にとっては、もはや明白な法則だ」
「この鉱石は、私自身の極めて個人的かつ戦略的な目的のために必要なのだよ、アイロン」
王は答えた。
「そして信じてほしい。その目的は、辺境の地まで足を運ぶに足る価値があるものだ。当然、国家規模の機密を君に明かすことはできないが、これだけは断言しよう。この鉱石は、未来を根本から変えうる力を持っている、と」
エンジニアは相手の顔から目を離さず、微細な表情の変化すらも見逃すまいと注意深く耳を傾けていた。
(この王様は、前の馬鹿に比べればよっぽど落ち着いてるし、肝が据わってるな……。それだけでもありがたいぜ)
心の中でそう評価する。
一方その頃、外では別のドラマが繰り広げられていた。
ノアは低い木柵のそばに立っていた。その顔のすぐ前をエリリアが鬱陶しく飛び回り、時折耳元へと急降下してくる。
「もうどっか行けって! 耳元でぶんぶん飛ぶな!」
ノアは苛立たしげに彼女を払い除けた。
「ただでさえ頭が割れそうに痛いのに、お前が羽音を立てるから余計に響くんだよ」
「ぶんぶんって何よ!? 私は精霊であって虫じゃないわ、少しは敬意を払いなさい!」
エリリアは空中で立ち止まり、腰に手を当てて憤慨した。
「だいたい、森からあんたの意識不明の重たい体を運んできたのは私なのよ! いつもいつもその辛気臭い顔をする代わりに、一度くらい『ありがとう』って言えないわけ!?」
「運んでくれなんて頼んでない。自分でも帰れたさ……」
ノアは顔を背け、不機嫌にぼやいた。
「はいはい、そうでしょうね! よくても四つん這いで這いずってくるのが関の山だったわよ!」
精霊は鼻で笑った。
彼女は少し近づき、ノアの小さな文句を聞きながらその顔をまじまじと見つめた。
その瞬間、エリリアの口元に、安堵の色が微かに浮かんだ。
ちょうどその頃、会談の場では長引く交渉が終わりを迎えようとしていた。
オルゲルド王はゆっくりと椅子から立ち上がり、ダブレットの絹の袖口を直した。
彼は座ったままのエンジニアを見下ろした。
「それが君の最終的な答えだな、アイロン?」
「ああ」
オルゲルドは静かに頷いた。
襟を正し、出口へと向かう。
「ならば、これ以上ここに長居する必要はないな」
(大いに同感だ)とアイロンは心の中で呟いた。
オルゲルドとアイロンはゆっくりと家から出てきた。
扉の前に立っていた護衛が即座に姿勢を正し、主君の後を追う準備をする。
オルゲルドは馬車へと歩き出した。
だが、彼は突如として足を止めた。
真正面から、ノアが歩いてきていたのだ。
寝起きでまだ少し身なりは乱れていたが、その足取りはしっかりしていた。
オルゲルド王は彼を凝視した。
一瞬息を呑み、顔から血の気が引く。
頭の中で、一つの思考がハンマーのように激しく打ち付けられた。
(あいつは……。一体全体、何者なんだ!?)
主君の異様な硬直に気づき、護衛はすぐさま不安げに一歩前に出ると、剣の柄に手をかけた。
「陛下? いかがなされました? 奴を捕らえますか?」
オルゲルドはどうにかして体の制御を取り戻した。
ゴクリと大きく息を飲み、奥歯を強く噛み締めると、部下の問いを無視して足早に馬車へと歩き始めた。
「ノア! やっと起きたのか? なあ、お前はどうしていつも、一番肝心な時にいないんだ!? わざとタイミング見計らってやってるだろ!?」
アイロンが彼を呼び止めた。
ノアは二、三歩手前で立ち止まり、疲れたようにため息をついて無気力に言い返した。
「俺が来たことを、ただ素直に喜ぶことすらできないのか? いきなり怒鳴らなきゃならない決まりでもあるわけ?」
「おお、すまなかったな、ノア! 俺はもう言葉にできないくらい歓喜してるぜ、お前が戻ってきてくれてな!」
次の瞬間、アイロンの顔から一切の表情が消え去り、その声は氷のように冷たくなった。
「俺にこういうのを期待してたのか? あとは何をしてやればいい、靴でも磨いてやろうか?」
ノアは自分の埃まみれのブーツを見下ろし、落ち着いて言った。
「靴磨きなら、今は絶対に断らないね。体力ゼロだし」
すでに馬車のステップに足をかけていたオルゲルドの耳に、その会話がはっきりと届いていた。
(奴の名は、ノアというのか……)
王は心の中で反芻した。
御者が鋭く鞭を振るい、4頭の馬が勢いよく駆け出した。
馬車は悪路に揺れながら、森の開拓地の霧の中へと瞬く間に消えていく。
蹄の音と金属で補強された車輪が立てるきしみ音は徐々に遠ざかり、ドルンハイムをいつもの静寂の中に残していった。
アイロンは杖をつきながら、パンッと大きく手を叩いた。
「仕事に戻るぞ!」
男たちは即座に動き出した。
マレクが気合を入れるように低く唸り、ダーウィンと一緒に木製の道具箱と丸めた図面を抱え上げる。
ドルンハイムは瞬時に、いつもの日常のリズムを取り戻した。
その頃、森の道を疾走する馬車の内部は薄暗かった。
分厚いカーテンが、陽の光をほとんど遮断している。
オルゲルド王は、柔らかい革のシートに深く腰掛けたまま身じろぎ一つしなかった。
だがその姿勢は今や緊張に満ちており、右手の指輪を握りしめる指は微かに震えていた。
彼の目には、深い衝撃の色が焼き付いていた。
(神聖なる精霊エリリアに、驚異的な技術の進歩、そして極めつけはあの奇妙な男……。ノア、か)
彼は心の中で繰り返した。
(我々は果たして、奴らに勝てるのだろうか……?)
王は拳を強く握りしめた。
(一刻も早く、これに決着をつけねばならない)




