第191話:遺されたただ一歩
木々の鬱蒼とした木漏れ日が、森の中に差し込んでいた。
「やめてくれ、頼む! 殺さないでくれ、お願いだ!」
絶望的な叫び声が、木々の間にこだました。
男は全身自分の返り血に染まっていた。
両腕は無残に切断され、両足の先も痛めつけられて指の一本すら残っていない。
血を流す切り口で必死に地面を押し、草の上に真紅の尾を引いて、パニック状態で後ろへ這い進もうとしていた。
風を切る鋭い音が響き、重厚な刃が一瞬にして男の命を刈り取った。
首が柔らかい草の上を転がり、首のない胴体が重々しく横倒しになる。
剣を握っていた男は、表情一つ変えなかった。
彼は清潔な布切れで刀身を拭うと、虚空に向かって静かに呟いた。
「568名のAランクのうち、312名が死亡……だが、これは登録されている者だけだ。未登録の者も含めれば、さらに……」
彼のすぐ目の前で空間が揺らぎ、かすかな唸り声を上げて半透明のホログラムが展開した。
明滅する光の線で織りなされた男の姿が、うやうやしく頭を垂れる。
「我が主よ……お目にかかることは叶いましょうか? 我ら全員、話し合いたいことがございます」
男は手を一振りして瞬時に投影を消し去ると、その直後に姿を消した。
男は大いなる城の中央に実体化した。
周囲には重苦しい荒廃が漂っていた。巨大な石壁には深い亀裂が走り、足元の土は黒く死に絶えているように見えた。
薄暗く冷え切った廊下をゆるりと進み、彼は大広間の扉を押し開けた。
長テーブルのつくところで、すでに三つの人影が彼を待っていた。
やってきた男は無言で上座へと向かい、椅子に深く腰掛けると、磨き上げられた木目のテーブルの上に足を投げ出した。
「何か用か、ヴァルデス、エドリアック、オルゲルド」
彼らを見ようともせず、男は冷ややかに問うた。
オルゲルドは少し咳払いをして考えをまとめ、身を乗り出した。
「私の動く番が来ました。ですが……私がわざわざ赴く必要があるのか、お聞かせ願えないでしょうか? 奴はすでにヴァルデスとエドリアックを拒絶している。いっそ、力ずくで奪い取ればよいのでは?」
「ならん」
男は一蹴した。
エドリアックがすささず割り込む。その声には明らかな焦りの色が滲んでいた。
「ですが、それが最善の手です! それに、あの村自体の発展速度は異常だ。引き延ばして後から打撃を与えようとしても、我々の総力をもってしても及ばなくならぬかと危惧しております」
男はテーブルから足をゆっくりと下ろし、ニヤリと笑った。
「それこそが私の望みだ。アイロン・エヴァフォールが真にどこまでの力を持っているのか、見極めたいのだ」
男は立ち上がり、対話の終わりを告げた。
「下がるがいい」
男は身を翻し、出口へと向かった。
重苦しい威圧感にヴァルデスの額には冷や汗が滲んだが、男がまさに扉へ手をかけようとしたその瞬間、意を決して後ろから叫んだ。
「もし奴がオルゲルドさえも拒絶したら……!? その時はどうするのです!?」
男は敷居で足を止めたが、振り返りもしなかった。
「その時は力ずくで奪え」と、男は淡々と言った。「だが、我らの条件を忘れるな」
扉が背後で閉まった瞬間、部屋に残された者たちは揃って大きく息を吐き出した。
「クソ苛立つ……」
ヴァルデスが乱暴に椅子から立ち上がり、不機嫌そうに毒づいた。
「同感だ」とオルゲルドも重々しく応じ、エドリアックは無言で男の言葉を反芻していた。
彼らはそれぞれ内側から青く光る小さな結晶を取り出すと、テーブルの端に叩きつけて砕いた。あふれ出た青いエネルギーが瞬時に彼らの体を包み込み、次の瞬間には痕跡を残さず城から姿を消した。
男は居住棟の奥深くにある小さな部屋に入った。
窓にはガラスもなく、石壁に開いたただの長方形の穴から冷たい隙間風が吹き込んでいる。彼はその一つに立ち止め、灰色の景色を見つめた。
ポケットから小さな携帯端末を取り出し、側面パネルを押す。
ガジェットがカチリと音を立て、ノイズの混じった声が空虚な部屋に響いた。それはヴァルデスとエドリアックがドルンハイムへ赴いた際の会話の盗聴記録だった。
男は彼らの議論、報告、互いへの非難を黙って聞いていた。その顔は終始無表情だった。
任務の失敗を議論する部分まで聞くと、彼は自分の思考に頷くようにわずかに首を振って、低く呟いた。
「残るは、あと一人か……」
彼は音声を早送りし、別の断片を開いた。エドリアックが後から吹き込んだ個人的な手記だ。
スピーカーから、エドリアックの行動の奇妙な論理に対するアイロンの推察が流れてくると、男は一瞬動きを止めた。
部下の結論を注意深く聞き終えると、彼は断定した。
「なるほど、すでに感づいているか。……まあ、無理もない」
録音は終了に向かって再生され続けた。
装置が静まり返ると、男は電源を切って収めた。
再び空洞の窓枠を見つめ、心の中で呟く。
(エリリア……そして、ノア……)
男は空洞の窓の前に数秒間身じろぎもせず立ち尽くし、それから無言で身を翻して部屋を後にした。
その頃、ドルンハイムでは普段通りの日常が流れていた。
アイロンは医務室の診療台に腰掛け、脚をぶらつかせながらアルバートの様子を眺めていた。
医師は軟膏や器具の片付けを終えたところだった。
「なあ、アルバート」
壁に立てかけられた杖を顎でしゃくり、アイロンが静寂を破る。
「この『竹馬』にもだいぶ慣れてきたんだが、一本の杖に切り替えるのはどうだ? まだ早すぎるか?」
アルバートは作業の手を止め、疑わしげに彼を見た。
「本気か?」タオルで手を拭きながら尋ねる。
「松葉杖から一本杖に変えるくらい大したことなさそうに見えるだろ。だがな、実際は一番危険な段階なんだ。体重の分散が偏る。不注意な一歩で、回復が振り出しに戻りかねん」
「あと二、三日は様子を見てから一本杖にするべきだと俺は思うがな」
アイロンは正論だと認め、溜め息をついた。
「理にかなってるな」
挨拶を済ませ、アイロンは立ち上がると『竹馬』をついて外へ出た。
工房への道のりは、塔の建設時に出た建築瓦礫の山を通り過ぎる。
彼はゴミ山の前で立ち止め、そのガラクタを吐き気がするような目で見分した。
(やれやれ……)と心の中で毒づく。
(こんなクソ屑からは、原始的な圧電着火装置すら作れやしない。完全に使い物にならない不燃物だ)
このガラクタを村の真ん中に放置しておくのは酷く不快だった。
金属の特性は失われ、精密機器には使えない以上、残された手は一つしかない。
「共振コンバーター(レゾナンスコンバーター)を組み上げる必要があるな」
アイロンはボソリと呟いた。
そう心に決め、彼は向きを変えると、再び工房へとノロノロと足を進めた。




