第186話:塔の試験
アルバートは弾性包帯にしっかりと結び目を作った。
アイロンの足首の布の皺を丁寧に伸ばし、膝に両手を突いて立ち上がる。
「いいか、アイロン」
医師は人差し指を立てる。
「よく聞け。お前が今日成し遂げたことは奇跡だ。だが、もし少しでも……」
「わかってる、わかってるって!」
アイロンは首を仰け反らせて遮った。
「もう百回は聞いたよ、アルバート。今日はおとなしくしてる。満足か?」
アルバートは言葉の途中で動きを止め、瞬きをしてから鼻で息を吐いた。
肩の力がようやく抜けたようだ。
「……ああ」
医師は軟膏を木製の戸棚にしまいながら呟く。
「今回は、お前の言葉を信じることにする」
アイロンは疲れた視線を扉へ向けた。
ノアがドア枠に肩を預けて立っている。
「ノア」
エンジニアは車椅子の車輪を顎でしゃくった。
「外へ運んでくれ」
ノアは微動だにしない。
重心を片足からもう片足へと移し、目を細める。
「なんで俺がお前を押さなきゃならないんだ? 自分でやれるだろ」
「ただ、消耗してるんだ」
アイロンが吐き捨てる。
「車輪を回す力すら残ってない」
ノアは静かに振り返り、医務室の扉を大きく開け放った。
一瞬だけこちらを振り返る。
「せいぜい頑張れ」
冷たく言い放つ。
「何より、諦めるなよ」
そう言い残し、ノアは去った。
キャンプの道を歩く足音がすぐに遠ざかっていく。
アイロンは数秒間、何も言わずに空の入り口を見つめた。
「……クソが」
小さく悪態をつく。
歯を食いしばり、車椅子の車輪を掴む。
渾身の力を込めて押し出した。
敷居の手前でブレーキをかけ、作業台で片付けをしているアルバートの方へ向き直る。
「アルバート。今夜、見ていてくれるか?」
医師は記録帳から顔を上げ、驚いたように眉を上げた。
「何をだ?」
「塔だよ。組み立ては完全に終わり、最終調整も済んだ。すべて正常だ。あとは暗くなるのを待って、実際に動かしてみるだけだ」
「待て。なぜ今すぐテストしない? 昼間だって森には怪物がうろついてるだろう。なぜ待つ必要があるんだ?」
アイロンは黙って医務室の狭い窓を指差した。
「一つには、今はもう昼というより夜に近い。二つ目は……ああ、昼間でも怪物はいるさ。だが、明るい時間帯にテストしてうまくいったとしても……うーん、どう説明したものか。深夜の交代時間帯に何か起きるかもしれない、小さくて嫌な可能性がどうしても残る」
「それに、昼夜両方でテストすれば、奇襲の効果が薄れる。心理的な要素も重要だ。塔が夜の襲撃に耐えきれば、人々はやっと安心して眠れる。安心感なしに、俺たちの計算なんて無意味なんだ。だから……来てくれるか?」
アルバートは歪んだ、しかし温かい笑みを浮かべた。
「仕事がなければな……」
医師は溜息をつき、頷く。
「いいだろう。行くよ」
「ああ」
アイロンは短く頷いた。
「広場で会おう」
エンジニアは再び車輪に体重をかけ、迫り来る夜へと向かってゆっくりと転がり出した。
しばらくして、アイロンはドルンハイム中央広場の開けた場所に出た。
急速に暮れゆく夕闇にもかかわらず、そこは活気に満ちていた。
大規模な建設は終わり、キャンプはその後始末に追われている。
マレクの部下たちやダーウィンの大工たちが、手際よく広場を掃除していた。
丸太の端材が山に積まれる鈍い音、鉋屑を掃く音、金属を締める音。
疲れ果てた、だが満足そうな人々の話し声がそこかしこに響いている。
アイロンは塔の真下でブレーキをかけた。
ゆっくりと頭を見上げ、動きを止める。
鋼鉄の巨獣が目の前にそびえていた。
薄闇の中で、その骨組みはさらに重厚さを増している。
「結局、自分でここまで来たようだな」
後ろから聞き覚えのある声がした。
アイロンは振り返らない。誰か分かっている。
ノアが車椅子の横を通り過ぎる。
その手には、山盛りの建築廃材が抱えられていた。
アイロンはその後ろ姿を見送る。
「どれほどの労力を割いたか、お前には想像もつかないだろうよ」
背中に向かって乾いた声を投げる。
ノアは短く鼻を鳴らしただけだ。
重い荷物を抱え直すと、そのまま夕闇の広場の喧騒の中へと姿を消した。
五時間ほどが経過した。
ドルンハイムに深い夜が訪れた。
過酷な労働の時間は終わり、期待の時間が流れている。
中央広場の周囲で松明が焚かれ、塔の側面に長い影を落とした。
キャンプのほぼ全員がこの巨獣の周りに集まっていた。
人々は声を潜め、くたびれた上着に身を包み、構造体の頂上を見上げている。
アイロンは広場の中央に進み出た。
群衆の目の前で車椅子を止める。
松明の光が彼の瞳に反射していた。
集まった人々を見渡し、大きな声で宣言する。
「さあ、ドルンハイム! この装置が本当に機能するのか、この目で見たい奴はいるか? 『イエス』なら手を挙げろ」
彼の声の残響が消える前に、広場が動いた。
全員が、一斉に手を突き上げた。
「まあ、驚くことじゃないな」
アイロンはそう考えた。
突然、広場の端から鈍い軋み音が響いた。
医務室の扉が開き、そこからゆっくりとアルバートが出てくる。
医師は厚手の旅用外套を肩に整え、群衆を見ながら立ち止まった。
アイロンは彼に気づき、車椅子の上で少し身を乗り出して広場中に響く声で叫んだ。
「アルバート! やっぱり来てくれたのか!」
医師は目を細め、肯定するように頷く。
この数日間、プロジェクトに没頭し続けていたマレク、クララ、ダーウィンが、嬉しげに医師のもとへ駆け寄った。
「アルバート!」
マレクが即座に医師を力いっぱい抱きしめ、唸らせる。
「お前、薬草の中に埋もれて苔が生えてるんじゃないかと思ったぞ!」
「元気そうで何よりだ、アルバート」
クララが安堵したように微笑み、腰の工具ベルトを締め直した。
「いいよ、いいよ、もういいって」
医師はマレクの腕から逃れながらぼやく。
エンジニアは頭を向け、群衆から一人の頑健な作業員を引き抜いた。
「アーデン!」
アイロンが呼ぶ。
「悪いが、境界線の端まで押してくれないか?」
アーデンは即座に群衆から離れ、意気揚々と車椅子へ近づく。
「もちろんです! 喜んで!」
アーデンが車椅子の背後の持ち手を握る。
アイロンはロックを解除した。
アイロンを先頭にしたドルンハイムの一団が、照明の灯る広場から離れ、闇に包まれた森へとゆっくりと動き出す。
アーデンは無言でアイロンの車椅子を前に進め、突き出た木の根を避けていく。
キャンプの人々が密集した塊となって移動する。
アイロンは集中し、精神を研ぎ澄ませてインターフェースを起動した。
視界に、使い慣れたルモンの診断グリッドが展開される。
塔から発信される周波数のテレメトリーが表示されている。
二キロほど後方で、鋼鉄の巨獣が安定した、均一なインパルスを放射していた。
エンジニアはエネルギー分布のグラフを注視する。
境界線の内側:
力線は完全になめらかで穏やかだ。
人々を取り巻く空間を、かすかな青い背景が満たしている。
ここにあるフィールドは安定しており、安全だ。
境界線上:
塔からちょうど一キロと三百二十七メートルの位置で、様子が激変した。
線が突然、密度の高い、脈動するネオン構造へと凝縮する。
ここが最大勾配領域――フィールドの電位が急激に変化する地点だ。
外側:
この脈動する「壁」のすぐ向こう側では、力線が完全に消失し、絶対零度へと収束していた。
「よし、ストップだ。それ以上進むな、ここがゾーンの端だ」
アイロンが小さく命じると、アーデンは即座に車椅子を止めた。
彼らの背後の群衆は静まり返り、夜の藪を凝視している。
あたりには完全な静寂が満ちていた。
物音一つ、野生動物の気配すらしない。
「エリリア」
アイロンが彼女に向き直る。
「何かモンスターを連れてきてくれないか? バリアの性能を試したい」
「任せて!」
エリリアは空中で回転し、全速力で暗い森へと駆け込んでいった。
待ち時間は数分に過ぎなかった。
突如、闇の中から枝が折れる音と、唸り声がはっきりと聞こえてきた。
エリリアが弾丸のように木々の間から飛び出し、そのすぐ後ろを大型の森の怪物が追っていた。
長い前脚を持ち、暗闇の中で眼を光らせる醜悪な存在だ。
精霊は全速力で不可視のラインを越え、ドルンハイムの人々の頭上で停止した。
「さあ、見ろ」
アイロンが静かに言った。
怪物は獲物を追って全速力で走り、ドームの境界線を越えようとしていた。
だが、その鼻先がフィールドの最大勾配領域に触れた瞬間、獣は悲鳴を上げて急ブレーキをかけ、土に爪を立てた。
怪物は地面を転がり、激しく唸り、牙を剥き、人々からわずか数メートルの場所で虚空を叩いた。
だが、ドームの内側へは一歩も踏み込めない。
アイロンの背後にいた人々は一瞬、何が起きているのか理解できず固まっていた。
そして次の瞬間、森が歓声で爆発した。
ダーウィンがマレクに何かを情熱的に叫んでいる。
エリリアは空中で勝利のループを描き、甲高い声で喜んでいる。
少し離れて立っていたノアは、塔を見つめながらわずかに口元を緩めた。
アイロンは安堵の息を吐き出した。
一日中溜まっていた途方もない緊張が、体から抜けていく。
背もたれに体を預け、彼は小さく呟いた。
「やっぱり……自分の発明品が思い通りに動くってのは、最高だな」




