第18話:アルファ・リソース
ゼロ・セクターの技術通路内の空気は重苦しかった。
錆とオゾンの臭いが染み込んだ熱い蒸気が、粘りつく膜のように皮膚へとまとわりつく。
俺は天井のすぐ下で安全索にぶら下がりながら、分配ノードの磁気クランプを締め付けようと格闘していた。
教団の魔術師たちは、これを「エーテルの不安定な揺らぎ」と呼んだ。
だが俺に言わせれば、これはただの高圧配管の破裂であり、そこから濃縮された魔力が噴き出しているだけに過ぎない。
両手が震えていた。
昨日のリアクター(炉)での事故の余波が、未だに骨の奥の鈍い痛みとして残っている。
「十七番のレンチを」
タービンの轟音に抗うように、俺は掠れた声で言った。
足元の金属プラットフォームに立つゼノが、寸分の狂いもなくその重厚な道具を俺の手のひらへと握らせた。
彼はこの暑さに不平一つ漏らさなかった。黒い上着が汗で完全に色を変えているというのに。
俺が泥臭い作業に没頭している間、彼は通路の影に神経を尖らせ、警戒の目を光らせていた。
俺は歯を食いしばり、カチリと音がするまでレンチを回した。
配管の内部で、何かが鈍く鳴り響く。
金属の亀裂から漏れ出ていた青い光が、明滅した後に掻き消えた。
圧力が正常値に戻る。
「終わった……」
俺は息を吐き出し、カラビナを外してプラットフォームへと重々しく降り立った。
一瞬、膝の力が抜けかけたが、手すりを掴んでどうにか踏みとどまる。
ゼノが無言で水筒を差し出してきた。
その水は銅の味がしたが、今の俺にとっては極上の味だった。三口で半分ほどを一気に飲み干す。
「ひどい面構えだな」
水筒を受け取りながら、ゼノが静かに言った。
「自分でも、そんな気分だ」
俺は目を閉じ、体内の感覚に意識を向けた。そこにあったのは、虚無。
通常の配給食では決して満たせない、突き刺すような、耳鳴りを伴う飢餓感。
「あのスキル……あれは、自分でも恐ろしくなるよ、ゼノ」
俺は自分の手のひらを見つめ、思うように動かない指を握り締め、また開いた。
「あれは……緊急プロトコルのように作動するんだ。俺の快適さなんて微塵も考慮しちゃいない。崩壊した組織を文字通り再構成する。その過程で、俺の内なるリソースをすべて喰らい尽くしながらな」
「ブドウ糖、脂肪、筋肉組織……昨日のリアクターの中で、俺はあのスキルが肉体の内部を文字通り焼き尽くしていくのを感じた。外側を死なせないためだけに、だ」
ゼノは通路の熱を帯びた壁に背を預け、胸の前で腕を組んだ。
「あらゆるものには代償がある、アイロン。タダで手に入るものなど、この世には存在せん」
俺たちから数メートル離れた場所。
蒸気と煤煙が入り混じる、技術シャフトの巨大な支持柱の陰に、リヒターが佇んでいた。
手入れの行き届いたその手の中で、記録用結晶が鈍く明滅している。
石の輝面が、彼らの言葉を余すことなく吸い上げていた。
アイロンが、スキルが肉体を「再構成する」と言い放った瞬間、リヒターはわずかに首を傾げた。
その唇に、微かな、しかし歪んだ笑みが浮かぶ。
「『機構の一部』か」
彼はかつてゼノが口にした言葉を、声に出さずになぞった。
「いや、我が愛しのゼノよ。そんなものではあるまい」
彼らがレンチの片付けを終えるよりも早く、リヒターは通路の闇の奥へと気配もなく退いた。
一時間後。リヒターの執務室。
室内には、古い書類と高級な煙草の香りが漂っていた。
黒檀の机に向かったリヒターは、指先で例の結晶を弄んでいた。
彼の目の前には、教団最高評議会、あるいは最高導師ヴァルトに宛てた、魔術書簡の眩い投影像が浮かんでいる。
「『検体アイロンは、独自の適応型再生形態を示している』」
リヒターが口頭で紡ぐ言葉が、黄金の火花となって羊皮紙の上に定着していく。
「『予備分析による確定:当該検体は単なる自己治癒に留まらず、生体エネルギーの緩衝装置として機能する。己の肉体を導体および安定化装置とすることで、臨界値に達した魔力の奔流をもその体内に透過させることが可能である』」
リヒターは一度言葉を切り、その瞳を獰猛に輝かせた。
「『よって、当該検体を直ちに技術人員の枠から外し、〈アルファ・グループ管理リソース〉へとカテゴリーを変更することを要請する。深淵の生命体との実戦環境下における、負荷試験の実施を推奨。第四セクター、通称〈死の街〉が、実験場として最適であると判断する』」
彼は結晶を押し込み、通路での彼らの会話記録を報告書の添付データとして保存した。
「お前がどれほど私に貢献してくれているか、自分では想像すらできまいな、アイロン」
教団の紋章が刻まれた蝋で書簡を封印しながら、彼は囁いた。
「お前が生き延びれば、私は最高の兵器を手にする。焼き尽くされて果てれば、人間の肉体の限界に関する至高のデータが手に入る。いずれにせよ……私の勝ちだ」
彼が銀の鈴を鳴らすと、即座に扉の前に伝令が姿を現した。
「至急、上層階へ。導師ヴァルトへ直々に手渡せ。それと、明朝の護送部隊の手配を」
リヒターは椅子の背もたれに身を預け、暗い窓の外を見つめた。
そこには、『下層地平』という偉大で冷酷な巨大機構の灯火が、不気味に脈動していた。
リヒターが執務室でアイロンの命運を決定づけていたその頃。
遥か下層、第五水門の先にある放棄された地下回廊は、暗闇と湿気に満ちていた。
ゼノは影の中に佇み、ナイフの柄に手をかけていた。
残された時間は少なかった。
通路の闇から、すり切れた内部衛兵の制服をまとった影が這い出てきた。
男の動きは酷く落ち着きがなく、絶えず背後を振り返っている。
「危険な橋を渡るな、ジェラルド」
ゼノが一歩踏み出しながら、静かに声をかけた。
「危険だと? 生ぬるい表現だな」
ジェラルドは激しく肩で息をしていた。点在する発光キノコの淡い光に照らされた彼の顔は、幽霊のように蒼白だった。
「手短に話す、よく聞け。お前のところの技術者は、もう見限られた」
ゼノが眉をひそめ、その声を氷のように冷たくした。
「見限られたとはどういう意味だ? 奴の技術はこのセクターのどの技師よりも上のはずだぞ」
ジェラルドは神経質に肩を震わせた。
「一時間前、リヒターの部屋から上層地平へ向けて公電が発信された。ヴァルトへの直接報告だ。お前のアイロンは、〈リソース・アルファ〉のステータスに引き上げられたんだよ。それが何を意味するか分かるか? 奴らはあいつを保護する気なんてさらさらない。生き餌として放り込むつもりだ」
(リヒターの野郎……やはり何かを嗅ぎつけおったか)
ゼノは内心で毒づいた。
「明日の朝、奴らは〈死の街〉へと発つ。あそこには影がいるんだぞ、ゼノ。奴らはアイロンをエネルギー放射のド真ん中に放り込み、どれだけ耐えられるかを観察するつもりだ。ヴァルトはすでに『実地試験』の許可を出している」
ジェラルドはゼノの袖を掴み、強引に己の方へと引き寄せた。
「逃げる時間なんてない、巡回が強化された。リヒターはあいつに昨日の傷を癒やす時間さえ与えないつもりだ。奴らにとってあいつはもう人間じゃない。無限の容量を持つバッテリーだ+。あいつを夜まで生かしておきたいなら、一歩も傍を離れるな。教団はすでに刃を研ぎ終えている」
ジェラルドは、現れた時と同じ速さで暗闇の中へと溶けて消えた。
地下回廊の天井から滴り落ちる、重々しい水滴の音をただ見つめながら、ゼノはその場に一人取り残されていた。




