第16話:低き地平線
カイルのキャンプの朝は、いつもと変わらずに始まった。
松の根元にまだ霧がまとわりついているうちに、俺たちは荷物をまとめた。
カイルは消えかけの焚き火の傍らに立ち、錫のコップから、松脂とアルコールの匂いが混ざった怪しげな液体をすすっていた。
彼の肩には包帯が固く巻かれていたが、その身のこなしにはすでに確かな確実性が戻っている。
「東の、中央前線基地へ向かう」
俺とゼノが別れの挨拶に近づくと、彼は短く言った。
「報告書を提出して、ブレムを休ませないと。奴は第二段階の魔力枯渇を起こしている」
「俺たちは逆方向だ」
ゼノは使い古されたバッグを肩に担ぎながら答えた。
「まだ、片付いていない用事があってな」
「もう行くのか……」
彼の声には、かすかな寂しさが滲んでいた。
「まあいい、いつかまた、どこかで会えることを願っているよ。それと、体に気をつけろ、アイロン。もし本気でセクターの駆除屋を目指す気になったら、北の結節点で俺を探せ。お前のような頭脳は、あそこでも滅多にお目にかかれないからな」
「了解だ」
俺は答えた。
俺たちは背を向け、森の奥へと歩き出した。
カイルたちのグループは背後に取り残され、朝の灰色の靄の中へ、あっという間に溶けて消えていった。
それから三時間ほど歩いた。
ゼノは、積もった枯れ葉の下にかろうじて判別できる程度の、踏み跡とも言えない古い道を進んでいく。
この森は古く、どこか見捨てられたような気配を漂わせていた。
進めば進むほど、奇妙な遺物が目につくようになる。木の幹から直接突き出た錆びた鉄筋や、苔に覆われた平らなコンクリートの床板。
「着いたぞ」
小さな岩山の前で、ゼノが足を止めた。
一見すると、ただの岩の塊にしか見えなかった。
しかしゼノはそのうちの一枚のプレートに近づき、汚れを払い落とすと、ほとんど目立たない突起を押し込んだ。
乾いた、軋むような噛み合い音が響き、次いで重々しい油圧の排気音が鳴る。
岩の一部が不快な金属音を立てながらゆっくりと内側へ引き込み、通路が姿を現した。
内部からは、乾燥した熱気と機械油、そして滞留した換気装置の匂いが吹き抜けてきた。
「『下層地平』へようこそ」
老人が先に中へと入っていく。
俺がその後に続くと、背後で重厚な地鳴りのような音を立てて岩板が元の位置に戻った。
防護用の格子の奥で、電球が薄暗く明滅している。
ここは、シェルターか?
プラスチックの結束バンドで束ねられた古いケーブル、結露で濡れた銅パイプ、そして換気扇の規則正しい、微かな重低音。
「ここは……すべてが機械的だな」
冷たい壁に手を滑らせながら、俺は呟いた。
ゼノは足元の金属製の床格子を踏み鳴らし、ブーツの音を響かせながら進んでいく。
階段を三階分ほど下りた。
壁はさらに厚みを増し、重低音はより大きく響いてくる。
俺たちは小さな作業場に出た。そこでは、油にまみれたつなぎ服を着た二人の男が、制御盤にかじりついていた。
小柄でずんぐりとした一人が顔を上げ、汚れた布で手を拭った。
「ゼノか? スタビライザーは持ってきたか?」
「持ってきたぞ、ギル。それと助っ人も連れてきた。そっちの状況はどうだ?」
ギルは床に唾を吐き、蒸気が噴き出している薄暗い通路の奥を指差した。
「第四冷却ブロックだ。配管が破裂して、配電盤が水浸しになった。手動でバルブ(弁)を閉めないと、魔力の放射圧が跳ね上がる。だが、うちの若い奴らはあそこに入りたがらない。温度は七十度近くあるし、おまけに中の磁場が完全に狂っていやがる」
ゼノが俺を見た。
「行けるか? お前の鎧には断熱機能があったはずだが」
俺は暗い通路の奥を覗き込んだ。
昨日の今日でまだ身体はきしんでいたが、やるべきことが明確な作業だった。
「行く。レンチと手袋をくれ」
ギルは驚いたように眉をひそめて俺を見たが、口答えはしなかった。
俺は重いモンキーレンチと、厚手のゴム製長手袋を受け取った。
通路の中は狭かった
。
熱い蒸気が顔を直撃し、鎧のプレートに水滴となって付着していく。
熱がジワジワと皮膚に迫ってくるのを感じた。
『生きる意志』が即座に反応し、この不快感を「遮断」しようと提案してくる。
「今はいい……」
俺は呟いた。
スキルの出力を最小限に抑え、ただ腕の筋肉を補強し、濡れた床で足を滑らせないためだけに留める。
細い水流のような、だが十分な力が身体に巡るのを感じる。
俺は鳴り響く配管の間を縫うように、前方へと進んだ。足元はくるぶしまで水に浸かっており、その水は熱く、強烈な銅の臭いがした。
バルブが見えた。どうやらゴミが噛み込んで、完全に固着しているらしい。
俺はレンチに全体重をかけた。
金属がきしむ。
筋肉が張り詰め、俺が苦戦しているのを察知した『生きる意志』が出力を跳ね上げようとしてくる。
一瞬、誘惑が脳裏をよぎった。このままフルパワーで強引に回してしまえば楽ではないかと。
「落ち着け。レバー(柄)は支点だ。力はベクトルだ」
強引に引き剥がすような真似はしなかった。
反対側の壁に両足を突っ張り、ゆっくりと滑らかに力を加え、体重のすべてをレンチの柄に乗せていく。
金属が降伏した。
バルブが回転し、それとともに噴き出していた蒸気が勢いを失っていく。足元の水位の上昇も止まった。
圧力が安定したのを確認し、俺はそこでようやくレンチから手を離した。
作業場に戻ると、ギルがすでに忙しなくスイッチを操作していた。
「生きて戻ったか!」
彼は声を張り上げた。
「圧力が下がっていく。小僧、最高のタイミングだったぞ」
ゼノが俺に水筒を差し出してきた。
俺は震える手でそれを受け取る。
指先は灼けるように熱く、肩は鈍痛を訴えていたが、激しい震えはなかった。負荷を限界までコントロールできた証拠だ。
たった一つのバルブを回すために、スキルに己を焼き尽くさせはしなかった。
「行くぞ」
ゼノが俺の肩を叩いた。
「ギルが居住区の部屋を一つ融通してくれる。マットレスで横になれるぞ」
俺たちはもう一つの気密扉を通り、居住エリアへと入った。
そこはまるで共同宿舎のようだった。
鉄製のベッドが整然と並び、共有のテーブルがあり、蛍光灯のブーンという低いノイズが響いている。
俺たちは濃縮食材で作られた、ドロドロとしたスープを振る舞われた。味は塩気のついた紙のようだったが、腹を満たすには十分だった。
俺はベッドの端に腰掛け、ブーツを引き抜いた。足がズキズキと痛む。
身体は重く、汚れ、完全に空っぽになったような感覚だった。
「どうだ、文明の味は?」
隣のベッドに腰を下ろしながら、ゼノが尋ねてきた。
俺は自分の両手を見つめた。手のひらには火傷の痕、視界に入るいくつかの新しい擦り傷。
「森の中に比べれば、分かりやすい。どこが破損していて、どう修復すればいいのかが明確だ」
「ここでは道具の種類が違うというだけさ。どこへ行こうが、何かしらが常に壊れ続けているのは変わらん」
俺は硬いマットレスの上に横たわり、筋肉の緊張が解けていくのを感じた。
『生きる意志』は深い眠りに落ちており、これ以上余計な手助けを提案してくることもなかった。
俺たちはあの技術的地獄から、ハブという相対的な安全圏へと帰還したのだ。
睡眠はすぐに訪れた。ただ穏やかで、静かなリズムの眠りだった。
すぐ傍らで、ゼノが静かに息を吐いた。
「下層地平は、独自の秘密を抱えている……」
彼は低い声で呟いた。
「耐え抜くことができれば、お前の探しているものに一歩近づけるはずだ」




