表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
154/212

第154話:「Z」

オーク材の机に、まだらな光が落ちていた。


ドルンハイムの朝は灰色で、肌を刺すように冷たい。


執務室には、削りたての木材と安物のハーブティーの匂いが漂っていた。


アイアンは車椅子に座っていた。


彼の向かいには一人の男。


森で保護された、マレクと名乗る男だ。


アルバートに包帯を巻かれたその両手は微かに震え、膝の上で一定のリズムを刻んでいる。


彼のそばには、粗削りな木製のマグカップが三つ。


低い天井に向かって、湯気が立ち上っていた。


アイアンはゆっくりと、急な動きを避けるようにして、一つのカップをマレクの方へ押しやった。


もう一つは手元に残す。


「飲め」


アイアンの声は低く響いた。


「温かいものを入れれば、頭も回るようになる」


マレクは両手でカップを掴んだ。


火傷しそうなほど熱いお茶を、木肌から指を離すこともなく、貪るように喉に流し込む。


部屋の隅、ドアのすぐ脇にはヴァルターが張り付いていた。


その手は剣の柄に置かれている。


執務室のどこにもノアの姿はなかった。彼は周辺の安全を確保するため、外のどこかへと「溶け込んで」いるのだ。


「ソル=ケシュ」


カップを下ろし、マレクはようやく息を吐き出した。


「村の名前はソル=ケシュだ。ここから沼地を抜けて、南へ三日の距離。……だが、今はもう関係ない。村は消えちまった」


「最初から全部話せ」


アイアンは一口啜った。


「どんな化け物だ? ラインハルトの連中か?」


マレクは首を横に振った。


「そうだったらよかったんだがな……。略奪者には慣れてる」


「だが、あれは霧だった。夜に現れたんだ」


「そこから馬ほどの大きさの、毛の抜け落ちた猟犬みたいな化け物どもが這い出してきた。それに……角の生えた奴らもだ」


「一撃で家が木っ端微塵になった。一振りで人間が真っ二つにされた」


男は口を閉ざし、カップの底を見つめた。


「俺たちは逃げた。七家族でな」


「残ったのは、俺たち三人だけだ」


アイアンは口を挟まずに聞いていた。


角の生えた化け物――ミノタウロスか何かだろう。ただの村に勝ち目などあるはずもない。


だが、問題はそこではない。


「お前たちは単独で逃げてきたわけじゃないと、ノアが言っていた」


「あの惨劇から逃げ出すのを、誰かが手助けしたはずだ」


マレクが弾かれたように顔を上げた。


その目に、一瞬だけ光が戻る。


「粉引き小屋が燃え上がった時、そいつは炎の中から現れたんだ」


「一人で。鎧も、剣も持たずに。少なくとも俺には何も見えなかった」


「ただ、奇妙な黒い外套を着ていた」


「名前は?」


アイアンは短く尋ねた。


「『Z』だと名乗った」


(Z?)


(面白い)


アイアンは心の中で呟いた。


「で、そいつはどうやってお前たちを救った? 見返りに何を要求した?」


「そいつが……ただ動いただけで、化け物どもは死んだんだ」


「見返りなんて何も求めちゃいない。ただ、『北へ向かえ。そこが一番近い集落だ』とだけ言った」


アイアンは目を細めた。


「Z、か」


「それで、ただお前たちを逃がしたと?」


ドアのそばからヴァルターが口を挟んだ。


「ああ。それに、そいつは小さな黒い塊をくれた」


「それがブンブンと鳴っている間は安全だと言っていた」


「俺たちは三日間歩き続けたが、化け物は一匹たりとも近づいてこなかった」


「暗闇の中で吠え、歯ぎしりをしていたが……決して近づけなかったんだ」


アイアンの中で、何かがカチリと音を立てた。


「その代物は今どこにある?」


アイアンは身を乗り出した。


「見せろ」


マレクは申し訳なさそうに肩を落とした。


「あれは……バラバラに崩れちまった」


「四日目、あんたらの集落の周りの森に入った途端にな」


「あの牛の化け物に襲われたのは、まさにその時だ」


アイアンは車椅子の背もたれに寄りかかった。


(耐用期間。デバイスの稼働リソースが、この領地の境界で正確に尽きた)


(偶然か? 違うだろう)


(『Zという人物』は、彼らをどこへ向かわせるべきか知っていた)


(そして恐らく、そのデバイスがどれだけ持つかも正確に把握していたはずだ)


(……それとも、俺の考えすぎか?)


「いいだろう、ヴァルター」


空のカップから目を離すことなく、アイアンは呼んだ。


「こいつらの荷物を調べろ。そのデバイスの残骸を、塵一つ残さず回収したい」


「それから、茶をもう一杯淹れろ」


マレクは腰に下げた脂ぎった革袋に手を突っ込んだ。


そして、一掴みの灰色の粉を手のひらにあけた。


「これだ。残ったのはこれだけなんだ」


彼は囁いた。


「音が止んだ後、熱を持った。それからカチッと音がして……ただのゴミになっちまった」


アイアンは再び身を乗り出す。


暗灰色の顆粒。艶はない。


所々に微細な青い火花のようなものが光っていた。シリコンか、あるいはもっと複雑な素材の残骸だろう。


匂いは? 鼻をつく、化学的な異臭だ。


「ヴァルター」


アイアンは言った。


「ナイフを貸せ」


キャプテンが幅広の狩猟用ナイフを差し出す。


アイアンは刃先で、難民の手のひらに乗った粉の山をかき分けた。


灰色のゴミの中に、極小の、溶けた金属の破片を見つける。完璧な切断面だ。


「そいつは『ブンブン鳴っていた』と言ったな?」


アイアンはマレクの目を真っ直ぐに見据えて尋ねた。


「ああ……細くて、甲高い音だ」


「長く近くにいると、耳が詰まるような感じがした」


アイアンは身を引いた。


『リュモン。成分分析』


[解析完了]


タイプB-4ポリマーの痕跡を検出。


リチウム塩の残留物を確認。


高濃度の酸化ケイ素。


暫定結論:携帯型アクティブ超音波防護エミッター。動力源:統合セル。稼働リソース枯渇。


(奴が何者であれ、天才だな)


(三日間のタイマー付きの装置を奴らに持たせるとは……)


アイアンは内心で考えを巡らせた。


「それで、そいつはどこへ行くとも言わなかったのか?」


ヴァルターが口を開いた。彼は窓際に立ち、広場で働く労働者たちを眺めている。


「その代物を渡して、ただ消えたと?」


「俺たちを見捨てたわけじゃない」


マレクが顔を上げた。


「後ろに追っ手がついてるって言ってたんだ。何か、恐ろしいものが」


「俺たちにも聞こえた……丘の向こうから。地面が揺れていた」


「そいつは背中から長い棒のようなものを引き抜いて……何かを押すと、俺たちの石と同じように唸り声を上げたんだ」


「もっと、ずっと大きな音でな」


「そいつは言った。『振り返らずに走れ。一時間経っても俺が戻らなければ、手が離せないということだ』」


「それだけだ」


「Z、か」


アイアンは呟いた。


「ヴァルター、こいつを連れて行け。アルバートにもう一度飯を食わせてやってくれ」


「まともな寝床も見つけてやれ。工具倉庫からは離れた場所にな」


泥だらけのブーツで床を汚しながらマレクが部屋を出ていくと、ヴァルターが机に近づいてきた。


「どう思う?」


キャプテンは険しい顔をしていた。


「お前の知り合いか?」


「違う」


アイアンは窓の外に目を向けた。


もしZがテクノロジーを使っているのだとしたら、何らかの方法でこの世界の技術を知り得たのか、あるいは……。


俺と同じ、もう一人の転移者ポパダネツか。


マレクが通った後のドアが閉まる。


その瞬間、ノアが音もなく姿を現した。


「上位悪魔ねえ」


彼は鼻で笑った。


「村の連中にしてみりゃ、馬よりデカくて吠える奴は、片っ端から『上位悪魔』になっちまうんだろ」


「どうせただのトロールかグールあたりだろ」


アイアンは車椅子の車輪を回し、再び机に向き直った。


「どうだろうな。お前の言う通りかもしれない」


ヴァルターは眉をひそめ、机に一歩近づいた。


彼の手が、本能的に剣の柄頭に置かれる。


「お前はあの化け物の存在を信じてるのか、アイアン?」


「ああ」


アイアンは淡々と答えた。


「少なくとも、あの男から嘘の匂いはしなかった」


アイアンは指の関節で机の表面をコツコツと叩いた。


「仮に、そのZが死んだとしよう」


ヴァルターの声が硬くなる。


「その……武器のエネルギーが尽きて、化け物に食われたとしたら。どうなる?」


「なら、奴は跡を追ってくるだろうな」


アイアンは静かに指摘した。


「あの難民たちからは、何マイルも先からわかるほど恐怖の匂いが染み付いてる」


「化け物が奴らを狙っていたのか、それとも単にあの地域を掃除していただけかはわからんが、匂いを辿ってくるはずだ」


「俺たちの門の真ん前までな」


ノアは思案げに顎を擦った。


その唇には微かな笑みが浮かんでいる。


「最高じゃねえか。俺の退屈しのぎにはなるかもな」


「俺から言わせれば、奴らは囮じゃなく理想的な労働力リソースだ」


アイアンが話を遮った。


「だが、状況は最悪だな」


彼は、机に残されたあの「代物」の灰色の粉を見つめた。


頭の中で歯車が高速で回転し始める。


Zとは何者だ?


奴は人々を救った。それが一つ目の事実。


奴らに携帯型防護ジェネレーターという、貴重で代用のきかないリソースを消費した。これが二つ目の事実。


奴らをドルンハイムへ向かわせた。つまり、ここが安全だと知っていた。これが三つ目の事実。


論理的に考えれば、Zは人類側のプレイヤーだ。


敵ではない。そもそも敵なら、役に立たない「ゴミ」のために命を懸けたりはしない。


頭が痛くなる。


残された選択肢は、おそらく一つだけだ。


「ヴァルター」


アイアンは集中力を帯びた眼差しを上げた。


「南のパトロールを倍にしろ」


「森の手前の射界を確保するんだ。壁から三百ヤード以内の茂みはすべて伐採しろ」


「茂みから何かが這い出てきたら、門に近づく前に気づけるようにしておきたい」


キャプテンは短く頷いた。


「了解した。ダーウィンにはどう指示する?」


「地雷を仕掛けさせろ」


「鉄パイプの切れ端と、釘と、火薬で作ったやつだ。南の獣道すべてに配置しろ」


ヴァルターが部屋を出る。


ノアはかすかな湿気の匂いだけを残し、廊下の暗がりへと溶け込んでいった。


執務室に静寂が戻り、壁に掛けられた重厚な時計の秒針の音だけが響く。それもまた、アイアンの発明品の一つだった。


「Z、か……」


窓の外を見つめながら、彼は息を吐いた。


「生きていてくれるといいがな」


窓の外からヴァルターの声が聞こえてきた。


キャプテンは声を張り上げ、指示を飛ばしている。


労働者たちが重い丸太を南門へと運んでいく。砕石とスクラップを積んだ荷車が軋む音を立てていた。


『リュモン。南セクターのパッシブスキャンを開始しろ。最大半径でだ』


[受諾。スキャンモードをアクティブ化。エネルギー消費を最適化します]

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ