第14話:「子供」じゃない
街道に出てから一週間が過ぎた。
一歩、呼吸、足元で枯れ枝が折れる音。
七日間、ひたすら同じリズムの繰り返しだった。
あちこちで枝のねじ曲がった奇妙な木々や、草が根を上にして生えている異常な地面を目にした。
左肩の傷は完全に癒えていた。
新しい鎧、「バージョン2.1」の挙動は完璧だった。
硬い固定具の代わりに採用した編み込みの紐は、まさに必要十分な遊び(クリアランス)をもたらしてくれた。
今では身体を動かしても、骨のプレートが肉に食い込むことはない。筋肉の動きに合わせて、滑らかにスライドしてくれた。
『生きる意志』は眠っていた。
ある意味では、あのスキルを深い休眠状態に留めておく術を覚えたと言っていい。ごく稀にシグナルを発する程度に抑え込めていた。
「もうすぐ着くぞ」
ゼノが短く言った。
ふたつの岩山の狭間に設営された、一時的なキャンプ(野営地)が見えてきた。
以前に訪れた猟師たちの要塞化された村とは違っていた。
テントや杭、そして地面に突き刺されたいくつかの防護の魔除け(アミュレット)で急造された、前線基地のような佇まいだった。
三人の男女が俺たちを出迎えた。
それまで小さな鍋をかけた焚き火を囲んでいた彼らは、俺たちの姿を認めると同時に立ち上がった。
「ゼノか?」
一番年長と思われる、白髪交じりの無精髭を生やした鋭い眼光の男が、小太刀の柄から手を離した。
「おいおい古狐、とっくにあの辺境の奥地で野垂れ死んだかと思っていたぞ」
「死んでたまるか、カイル」
ゼノはニヤリと笑いながら焚き火へと近づいた。
「助っ人を連れてきてやった。俺たちは『盲目のセクター』を通過せねばならんのだが、そっちでちょうど駆除の計画があると聞いてな」
カイルの視線が俺をなぞる。
彼の傍らにはふたりの人物が控えていた。
細く絶え間なく動く指先を持った背の高い女性――明らかに索敵手だ。
そして、肘まで防護の刺青で覆われた、体格のいい大柄な男。
「子供?」
女性が眉をひそめた。
「ゼノ、私たちは『プルセーター(脈動源)』に向かうのよ。こんな足手まとい(デッドウェイト)、連れて行ってどうするの?」
「その足手まといは、どんな魔除けよりも素早くアノマリーの構造を読み解くぞ、リーナ」
ゼノは平然と返した。
「それに、ただのガキでもない」
俺はただ少し脇に退き、岩山の向こうから響いてくるプルセーターの微かな唸りに耳を澄ませていた。
『生きる意志』が体内で微かに身じろぎし、その脅威を認識する。
「いいだろう」
カイルが短く端的に頷いた。
「十分後に出発する。奴が共振を起こす前に、拠点を封印せねばならん。小僧」
彼は俺を見た。
「もし遅れたり怖気づいたりしたら、容赦なく置いていく。それがこの班のルールだ」
「了解だ」
俺は答えた。
集団で動くというのは、単独で生き延びるよりもはるかに難解だった。
それはまさに、運動ベクトルの同調という高度な技術だった。
カイルが先頭を行き、自身のスタビライザー(安定化)の剣でエネルギーの大きな奔流を切り裂いていく。
リーナは絶えず空間をスキャンし、大気密度の情報を持ち帰る微弱な魔力のパルスを放ち続ける。
ブレム――あの巨漢の男――が最後尾を固め、俺たちの周囲に受動的な防護の結界を展開していた。
俺はゼノとブレムの間を歩いた。
目立たずに大人しくしているのが俺の役目だったが、ただ漫然と従うことなどできなかった。
思考が自動的に彼らのシステムと同調してしまうのだ。
地形の起伏によってブレムの結界のどこが薄くなっているかが見え、リーナのパルスが不可視の障壁に衝突して乱れるのを肌で感じていた。
俺たちはさらに『盲目のセクター』の奥深くへと侵入していった。
周囲の木々は半透明の柱へと変貌し、足元の地面はある時は柔らかな砂のように、またある時は硬質な金属のようにつなぎ目なく変化した。
「警戒」
リーナが鋭く指示を出した。
「前方にディストーター(歪曲種)。タイプは迷走型」
霧の向こうから、まるで空間に引き裂かれた傷口から這い出るようにして「それ」が姿を現した。
幾何学的な平面、肉の断片、指示的な電弧が、馬ほどの大きさの質量へと無秩序に集約されている。
一秒ごとにその形状を変えながら、断続的な動きで迫ってきた。
「ブレム、抑えろ! リーナ、固定だ!」
カイルが叫んだ。
ブレムが両拳を地面に叩きつけると、彼の刺青が青く発光した。
俺たちの周囲の結界が凝縮され、ディストーターの初撃を受け止める。
リーナが両手を掲げると、その指先から輝く光の糸が走り、アノマリーの座標を空間の一点へと縫い留めようとした。
「左だ!」
静寂を破り、俺は叫んだ。
「座標の収束点が中心から左に十五度ズレている! あんたたちが狙っているのは残像だ!」
カイルが一瞬だけ躊躇したが、リーナは即座に糸の軌道を修正した。
光の糸が何もないように見えた空間へと突き刺さと、ディストーターが実体(密度)を取り戻す。
「小僧の言う通りだ!」
猛攻を受け止め、結界を維持しながらブレムが荒い声を出した。
「仕留めろ、カイル!」
カイルが前方へと突進した。
彼の剣が白く爆発的な光を放つ。
俺が短い魔力のパルスで位置を特定したコアへと正確な一撃が突き刺さり、アノマリーはただのガラクタの山となって霧散した。
世界が一時的な静寂を取り戻す。
カイルは膝に手を置き、激しく肩で息をしていた。その手の剣から、ゆっくりと熱が引いていく。
「どうして分かったの?」
リーナが額の汗を拭いながら、俺に近づいてきた。
「奴の魔力がエコー(反響)を生んでいた。あんたたちは音の発生源ではなく、響いている場所を狙っていたんだ」
少し離れた場所に立っていたゼノは、髭の奥でニヤリと笑ったが、何も口にしなかった。
一時間後、俺たちはついにプルセーターへと到達した。
その光景は悍ましいものだった。
小さなくぼ地の上空に、青黒い巨大なエネルギーの塊が浮遊し、不気味に脈動していた。
それはまるで機械仕掛けの心臓のように膨張と収縮を繰り返し、その「鼓動」が響くたびに森へと衝撃波が走り、周囲の葉を一瞬にして枯らせ、灰へと変えていた。
「今すぐこれをアース(接地)しなければ、三十分後にはここに街ひとつ分ほどの空間の穴が空くぞ」
カイルが自身の魔除けのコンディションを確認した。
「作戦を伝える。ブレムとリーナは抑止のペリメーター(防衛線)を維持。俺が中心へ突入し、スタビライザーのピンを打ち込む。ゼノは後方のカバーを頼む。小僧……お前はここに残り、エネルギーの流れを監視しろ。防衛線が揺らいだら叫べ」
彼らが行動を開始した。
魔力が奔流となって流れ出し、複雑な幾何学模様を形成していく。
ブレムとリーナはくぼ地の縁で微動だにせず、エネルギーの網を維持していた。
カイルは、周囲に渦巻く凄まじい圧力に身体をよろめかせながら、ルーン文字の刻まれた重厚な金属のシャフトを手に斜面を降りていく。
俺はそれを見つめながら、『生きる意志』が再び身動ぎするのを感知していた。
このエリアの圧力は、すでに限界値(上限)を超えつつあった。
血管が激しく脈動し、耳の奥ではオーバーロード(過負荷)特有の不快な金属音が鳴り響く。
『警告。周辺環境が致命的に不安定です。防衛機能の起動を推奨します』
「まだだ」
俺は呟いた。
「まだ早すぎる」
カイルが中心部まで残り五メートルの地点に達したその時、プルセーターがエネルギーの放射を放った。
リーナの網が弾け飛ぶ。
ブレムはその場に片膝を突き、彼の刺青からは皮膚を焼き焦がす煙が立ち上った。
カイルの身体は一瞬で岩壁へと吹き飛ばされた。
「抑えて!」
リーナが術式を再構築しようと絶叫したが、その指先は疲労の限界で激しく震えていた。
理解した。今ここで俺が介入しなければ、全員が原子レベルで分解(霧散)することになる。
俺は即座に前方へと地を蹴った。
「アイロン、止まれ!」
ゼノの声が響いたが、俺はそれを無視して『生きる意志』の出力を三十パーセントまで引き上げた。
世界が灰色に染まる。
エネルギーの潮流が、まるで設計図の力のベクトル線(磁界線)のように明確に見える。
リーナのペリメーター(防衛線)はセクター「4-B」が崩壊しかけている。ブレムのアース(接地)が完全に抜けていた。
俺は躊躇なく、ブレムの焼け焦げた前腕を掴んだ。
「俺をシュント(短絡回路)にしろ!」
俺は叫んだ。
「過剰エネルギーを俺の回路に流し込め! この鎧は絶縁処理してある!」
巨漢の男は驚愕の目で俺を見たが、他に選択肢はなかった。
彼はエネルギーのフロー(奔流)を俺へと転換した。
俺の強化された血管がきしみ、悲鳴を上げる。
鎧が激しくバイブレーション(振動)を起こし、骨のプレートがカチカチと音を立てながら、その膨大なエネルギーを受け止め、分散していく。
夜な夜な苦労して削り出したダンパー(緩衝装置)が限界値で駆動していた――それらが強烈な反動を和らげ、俺の脊椎が粉砕されるのを防いでいた。
ブレムの魔力は俺の肉体を媒介して地面へと逃げ、全体のフィールドをスタビライズ(安定化)させていく。
これがリーナに、網の亀裂を修復するためのわずか数秒の猶予をもたらした。
「カイル、今だ! 撃て!」
俺は声を絞り出した。
視界の端に白い霧が立ち込める――危険信号だ。全身が燃えるように熱い。
血まみれになりながらも、カイルは強靭な意思で立ち上がり、渾身の力でそのシャフトを脈動するコアの心臓部へと叩き込んだ。
鮮烈なフラッシュ(閃光)。
そして、静寂。
俺は指の力を失い、その場に膝から崩れ落ちた。
『生きる意志』が瞬時にシャットダウン(停止)する。
全身の神経が過負荷による悲鳴を上げていた。肩に鋭い、突き刺すような激痛が走る。
「どうやって……どうやって生きてるんだ?」
煙の収まった己の両手を見つめながら、ブレムが荒い息のまま呟いた。
「お前を通ったあの奔流は、人間を灰に変えてもおかしくない出力だったぞ」
俺は答えようとしたが、喉からは乾いた喘ぎ(ノイズ)しか出なかった。
ただ、震える右手を持ち上げ、無言で親指を立ててみせた(サムズアップした)。
カイルが顎の血を拭いながら歩み寄ってきた。
彼は沈黙したプルセーターを見つめ、それから俺に視線を移した。
「ゼノ」
カイルは近づいてきた老人に声をかけた。
「こいつをどこで見つけてきた?」
「こいつは、自分で自分を見つけたのだよ」
ゼノは俺を支えて立ち上がらせ、自身のマントを俺の肩にそっと掛けた。
夜になる頃には、俺たちは元のキャンプに腰を落ち着けていた。
しかし、周囲の空気は一変していた。
リーナは俺の腕の火傷に冷却の軟膏を丁寧に塗り、ブレムは鍋の中から一番上質な肉の塊を選んで俺の皿に盛り付けていた。
「無茶をしやがって、小僧」
カイルが俺の隣に腰掛け、静かに言った。
「一歩間違えれば死んでいたぞ。エネルギーのダイレクトな奔流をまともに引き受けるなど……正気の沙汰じゃない」
「リスクは計算の範囲内(許容内)だった」
軟膏の冷たさが皮膚の熱を奪っていくのを感じながら、俺は答えた。
「あのまま介入しなければ、どのみち全員全滅(全ロスト)だった」
カイルは不敵に笑った。
「合理主義のクソ野郎が」
俺は目を閉じた。
(この先には長い道程が待ち受け、新たなアノマリーに遭遇し、おそらく今以上の痛みを伴うことになるだろう。……全く、反吐が出るな)
思考の奥で、そう毒づく。
「眠るがいい」
ゼノの声はひどく穏やかだった。
「次の出力を蓄えておくのだ」




