第132話:脆弱性の窓
地上六十メートルの高さでは、風の感触が違う。
俺は市庁舎の尖塔を囲む足場に立ち、ドルンハイムを見下ろしていた。
街は黒く沈んでいた。
俺たちの制御下にない窓辺の、まばらなオイルランプだけが闇の中で瞬いていた。
『心臓』が生み出す全エネルギーが、今や主要な配線を伝って俺たちのいる市庁舎の塔へと流れ込んでいる。
ルモンを通して見る街は、過飽和した群青の光が銅の血管を脈動する、巨大な回路のようだった。
「アイアン師、腕の毛が逆立っています」
インターコム越しのダーウィンの声は張り詰めていた。
「正常だ。耐えろ。第七回路の接地をもう一度確認しろ」
俺は銅の手すりを掌でなぞる。
肌と金属の間で、短い青い火花が散った。
視界の隅に、ルモンのシステムメッセージが浮かんでいた。
[ステータス:準備完了96%。レンズ温度:42℃。同期:安定]
俺はルモンを起動した。
途端に楽になる。
風の騒音は遠のき、手にあったかすかな震えが消えた。
その状態で、俺は奴らを見た。
最初は夕闇を背景にした影に過ぎなかった。
十二の点が、ゆっくりと大きくなっていく。
密な陣形。
帝国の討伐艦隊だ。
距離が五マイルまで縮まり、はっきりと識別できた。
『バスティオン』級の装甲艦。
黒鋼で覆われた船体に、舷側で脈動する緋色の結晶。
その中心を進むのは、他の艦の1.5倍はあるフラッグシップ『黄金の眼』。
盾が濃密な血の赤色で輝いている。
そして、街へ向かって一撃が放たれた。
艦隊の頭上で、『サイレンサー』が閃光を放つ。
『心臓』が痙攣するのを俺は感じた。
[警告:外部干渉。生成効率22%低下。一次回路で臨界共振]
「アイアン! 止まりそう!」
下層で鉄の樫の根をいじっていたエリリアが叫ぶ。
「『心臓』が抵抗してる。痛がってるわ!」
「抑えろ、エリリア!」
俺は操作パネルに食らいつく。
指が白く変色する。
「流れを途切れさせるな! ルモン、強制同期へ移行。俺のバイオリズムを基準周波数として使用しろ」
『サイレンサー』の圏内で『心臓』を停止させないために、俺は流れの一部を自分自身に通さなければ消え失せてしまう。
「早すぎる……」
俺は近づくフラッグシップを睨み、喉を鳴らす。
「まだ、時間じゃない……」
『黄金の眼』がゆっくりと旋回を始める。
フラッグシップが主砲射撃に向けた転回を開始した。
船尾のシールドが明滅し、エネルギーを船首砲と主結晶の展開へと再配分していく。
[ターゲット捕捉。脆弱性ウィンドウ:10……9……8……]
「ダーウィン! コンデンサーの圧力!」
俺は叫んだ。舌がうまく回らない。
「マスター、第四セクターのケーブルです! 焼けています! ここら一帯が吹き飛びます!」
足場の下を見下ろすと、刺激臭のする煙が噴き出していた。
『雷鳴』の焦点レンズへ電力を供給する主幹線ケーブルが、赤熱している。
「エリリア!」
その瞬間、塔の石造りの壁から太く節くれだった根が突き出した。
エリリアが鉄の樫の樹液を根に流し込む。
完璧な冷却剤としての作用。
[……5……4……3……]
「今だ」
俺は囁いた。
掌をコンタクターに置く。
俺はルモンに精神コマンドを下した。
塔の頂上から半径十メートル以内の空気が、瞬時にプラズマへと変貌した。
『雷鳴』が指向性放射器として設計されていたことだけが、俺たちの救いだった。
共振インパルスがレンズから放たれ、『黄金の眼』の船尾に突き刺さる。
フラッグシップの緋色の盾が波打ち、船体から剥がれ落ちて火花へと変わるのが見えた。
エンジン内のエーテル結晶が俺たちのインパルスと共振し、眩い紫色の光を放って炸裂する。
巨大な装甲艦の船体が震える。
船首が跳ね上がり、船尾がゆっくりと沈み始めた。
「命中……」
ダーウィンが息を吐く。
残る十一の艦が即座に反応した。
「空中だ!」
俺は叫び、足場に崩れ落ちた。
魔導砲の最初の斉射が塔の上を通過し、市庁舎の裏の住宅街に突き刺さった。
ルモンが即座に被害データを伝えてくる。
三棟倒壊。補助送電線破損。
「ヴァルター! 始めろ!」
通信ボタンを叩く。
「了解。民兵隊、戦闘用意! 降下艇を狙え!」
装甲艦の舷側から、小さな点がこぼれ落ちる。
魔導師の降下艇だ。
低空へと降下し、街の広場に直接着陸して重要拠点を制圧するつもりだ。
眼下のメインストリートで、エンジンが唸りを上げる。
遮蔽物から『ヴェープル 2.0』が滑り出した。
新しいマット塗装が光を吸収し、五メートルの巨体をほとんど見えなくしている。
過去二週間で改造した速射砲が、降下艇を次々と薙ぎ払っていく。
「ダーウィン、エリリアを連れて発電機まで降りろ!」
起き上がろうとしながら命じる。
「マスターは?」
「俺は次の射撃のためにレンズを再調整する。早く行け!」
フラッグシップ『黄金の眼』は沈み続けていた。
海岸の岩礁へゆっくりと座礁し、松の木をなぎ倒し、自らの甲板を粉砕している。
もう一発の砲弾が市庁舎の基部に着弾する。
塔が揺れた。
手すりにしがみつき、かろうじて立っている。
[警告:塔の構造整合性15%低下。冷却システム破損]
最寄りの艦まで3.4マイル。
塔への次の着弾確率78%。
コンデンサーのフルチャージまで120秒。
「長すぎる」と俺は思った。
「奴らに先に粉砕される」
プロセスを加速させるしかなかった。
「ルモン。全制限を解除。プロトコル『ダイレクトアクセス』」
[警告:人格の不可逆的な劣化リスク。同期が安全閾値を超過]
「言われた通りにしろ」
俺は目を閉じた。
その瞬間、俺はドルンハイムそのものになった。
数千の命。数千の恐怖。数千の鼓動。
塔が沈黙したと判断した討伐艦の一隻が、照準射撃のために不用意に近づいてくる。
俺は「手を伸ばし」、流れを操った。
二度目のインパルスは一度目より弱かったが、はるかに正確だった。
装甲艦の中央制御結晶へと突き刺さる。
船体が四散した。
一瞬、夜が昼へと変わる。
燃える金属の残骸が郊外に降り注ぎ、乾いた草を焼き始めた。
残りの艦が急激にバックを開始する。
俺は塔の床に沈み込んだ。
背中を熱を持つコンデンサーのカバーに預ける。
「マスター? アイアン師!」
足音。誰かが走ってくる。
「アイアン,大丈夫か!?」
ウェイランドだ。アルベルトと共に駆け上がってきた。
アルベルトが駆け寄り、腰を落として俺の顔にライトを当てる。
「光に対する反応がない。アイアン、聞こえるか?」
俺はゆっくりと頷いた。
「深いショック状態だ」
アルベルトが断定し、鞄から鎮静剤の入った注射器を取り出す。
「ウェイランド、手を貸せ。彼を運ぶぞ。ここは危ない。魔導師たちが遠距離砲撃を始めるのは時間の問題だ」
「艦隊の状況は?」
アルベルトが薬を投与する中、俺は掠れた声で聞いた。
「フラッグシップは岩礁だ。装甲艦が一隻沈んだ。残りは地平線まで撤退した」
アルベルトとウェイランドが俺の腕を抱え、ハッチの方へと引きずっていく。
[同期:100%。ユーザーをネットワークの中央ノードとして識別]




