第121話:灯台とタンポポ
着古した上着に身を包み、俺は門の前に立っていた。
一晩のうちに、扉の上の『眼』はさらに輝きを増していた。
「だから言っただろ、無駄だって」
背後からノアの声がした。
革ブーツを履いた足をぶらつかせながら、彼は手元で短剣を放り投げている。
その前で、エリリアが宙に浮かんでいた。
今日の精霊は、ひるがおの茎を編み込んだドレスをまとった、半透明の少女の姿を選んでいた。
「あなたこそ、生き物のことが何も分かってないわ」
エリリアが鼻を鳴らした。
「門の木が苦しんでいるのよ。あの青い潰瘍が元気を吸い取っているんだから。私はただ、治そうとしてるだけ」
彼女が手を振った。
オーク材の板の隙間から、緑の苔が這い出し始める。
ほんの数秒で、苔は魔法の刻印を厚い絨毯のように覆い隠し、その上に三輪の大きな黄色いタンポポが咲いた。
「ほら」
エリリアは満足げに胸の前で腕を組んだ。
「これで綺麗になったわ」
ノアが目を細めた。
次の瞬間、青い光が再び苔の層とタンポポの花びらを突き破って漏れ出した。
「綺麗だな」
ノアが皮肉っぽく言った。
「魔導院の奴らもきっと感動するぞ。俺たちを殺す前に、涙を流してくれるかもしれないな」
エリリアの唇が不満げにとがった。
突風が広場を駆け抜け、花粉の雲を巻き上げる。
「エリリア!」
ノアは袖で鼻を拭いながら声を荒らげた。
「次クシャミが出たら、お前の森を丸ごと消し炭にしてやるからな」
「やってみなさいよ、この吸血鬼!」
エリリアはさらに高く舞い上がり、彼女の周囲で枯れ葉が小さな竜巻となって渦巻いた。
「やめろ」
俺は低く唸った。
「お前たちの喧嘩のせいで、余計に頭が割れそうだ」
俺は門に近づき、『リュモン』を起動した。
[対象:魔法マーカー『監視者の眼』]
[ステータс:アクティブ。データ送信中:4.2 kb/s(エーテル換算)]
[周波数:可変。高調波 440 Hz]
視線をノアへと移す。
今回こそ、システムが彼について何かまともな情報を弾き出すか興味があった。
[警告:スキャンエラー]
[対象:ノア]
[パラメータ:未特定。物理密度:不安定]
「なるほどな」
そこからの数時間は、エンジニアにとっての地獄だった。
俺とダーウィンは工房に引きこもった。
机の上には銅のコイル、雲母の板、そして伯爵の錬金術師が寝ている間に「拝借」してきた数個の希少なクリスタルが並んでいた。
「おい、アイアン」
ダーウィンが油まみれのタオルで額の汗を拭った。
「大砲なら分かる。蒸気ボイラーも分かる。だが、この……『ジャマー』ってのは何だ? 針金と酸の小瓶だけで、本気で魔法を狂わせるつもりか?」
「この場合、魔法とはシグナル(信号)だ」
俺は頑丈な銅のフレームのボルトを締めながら答えた。
「門の周囲に十分な強度の電磁場を作れば、奴らの『眼』には砂嵐しか映らなくなる」
工房にヴァルターが顔を出した。
伯爵の補佐官は、顔にわずかな当惑を浮かべている以外は、相変わらず非の打ち所のない身なりだった。
「アイアン親方、閣下が説明を求めておられます。なぜ門の周りに足場を組み、銅のケーブルを巻きつけているのですか? 領民たちがすでに門の前にお供え物――クリームやパイを並べ始めていますよ」
俺はため息をついた。
「持ってこさせておけ。エリリアはクリームが好物だ。それとケーブルだが……閣下には、早期警戒システムだと伝えてくれ」
ヴァルターは頷いたが、その目は俺の言葉を微塵も信じていないことを物語っていた。
夕方までに『ジャマー』は完成した。
それは門の上部に取り付けられた、無骨で巨大なフレームだった。
内部の特殊な溝で、小さな発条仕掛けによって駆動する銅のディスクが回転する仕組みだ。
俺はレバーを引いた。
ディスクが回り始め、低く震えるような唸り音を立てる。
『リュモン』が即座に反応した。
[妨害電波:78%]
[視覚化:『眼』の信号が断片化されました]
「動いたな」
俺は息を吐いた。
紋章の青い光は消えなかったが、激しく小刻みに震え始めた。
「魔術師どもが至近距離まで近づかない限り、この唸り音には気づかないはずだ」
「奴ら、もう近くに来てるぞ」
ノアが静かに言った。
「どこだ?」
「南に三マイル、古びた湿道のあたりだ。五人いる。魔法の斥候だな。道に罠を仕掛けてる」
「なぜ分かる?」
俺は眉をひそめた。俺のセンサーはその距離では何も捉えていない。
隣のリンゴの木の枝に座っていたエリリアが、くすくすと笑った。
「木々が噂話をしてるのよ」
「ちょっと見てくる」
ノアが壁から身を起こした。
「待て」
俺は彼に向かって一歩踏み出した。
「ウェイランドの親衛隊を何人か連れていけ。全面戦争を始めるわけにはいかないんだ……」
「親衛隊なんて邪魔なだけだ。ただの散歩だよ。森のベリーでも摘んでくる」
一時間後、ノアが戻ってきた。
その服は相変わらずちり一つなく綺麗だった。
俺とダーウィンがまだジャマーの調整にかかりきりになっているところへ、彼は歩み寄ってきた。
「ベリーは見つからなかった」
彼は淡々と報告し、重い革の財布と、魔導院の紋章が刻まれた小さな銀のプレートを机に放り出した。
「代わりに、これを見つけた」
ダーウィンが恐る恐る財布を開けた。
中から鈍い金の輝きが覗く。
「これ……奴らの軍資金か?」
「もう必要ないだろ。随分と不注意な連中だった」
「殺したのか?」
俺は尋ねた。
「ノア、約束したはずだぞ……」
「ただ倒れただけさ」
ノアが言葉を遮った。
「自分の剣の上に勝手に倒れ込んだんだ。五回連続でな。とんだ不運だと思わないか?」
エリリアがリンゴの木から急降下し、ノアの肩にとまった。
「嘘よ、アイアン。この男、彼らを脅して心臓を止めさせたの。生き残った奴らは今頃、吃りながら右と左も分からなくなって首都へ逃げ帰ってるわ。でも、バッジの奪い方は綺麗だった。あの黒い服の老人の手から直接ひったくったのよ」
「ああ……奴らの勿体ぶった態度には反吐が出る」
俺は銀のプレートを見つめながら呟いた。
そこには『異常管理部門』と刻まれていた。
「エリリア、俺のブーツからその花をどけろ。真面目な話だ」
「いいじゃない、別に」
精霊は笑った。
と同時に、ノアのブーツの周りにも小さな白いカモミールが瞬時に咲き乱れた。
「似合ってるわよ。少しはまともな人間らしく見えるわ」
「どいつもこいつも、とんでもない奴らばかりだ……」
俺はため息をついた。
「ダーウィン」
「ん?」
ダーウィンはまだ金を数えていた。
「ボイラーの圧力を上げろ。明日からは地雷の外殻の鋳造を始めるぞ」
ノアが突然、俺の家の入り口で足を止めた。
「アイアン。お前のその機械……魔法だけを見ているわけじゃないんだろ?」
「どういう意味だ?」
「恐怖は見えるのか?」
俺は彼を見つめた。
「いや。それがどうした?」
「あれだけ賢いくせに、恐怖を測定する機械は作れなかったんだな」
「そもそも、恐怖を検知する装置を作るのはかなり難易度が高いんだよ」
俺はそう返した。
(とはいえ、悪くないアイデアだな)
心の中で密かに思う。
ドルンハイムに夜が降りてきた。
エリリアは森の方へと飛び去っていった。
俺は門の前に残り、百回目となる計画の再確認をしながら、果てしない宇宙の虚空を見つめていた。




