第114話:世界の枠組み
中央広場の敷き立ての石畳に、馬車の車輪の音が規則正しく響いていた。
俺は柔らかい座席に腰掛け、その贅沢さに居心地の悪さを感じていた。
手には真鍮製の重い筒を握り締めている。
――ダーウィンへの、俺からの最後の「贈り物」だ。
「俺が言ったことを忘れるな」
正門の前で馬車が止まったとき、俺は窓から顔を出した。
「これは新しい排水システムの設計図だ。だが、もし俺たちが二週間経っても戻らなかったら。あるいは、伯爵の連中が鍛冶場を完全に分捕ろうとしたら……その時は、第三区画を開け。そこに指示書が入っている」
「ご武運を、親方」
彼は静かに頷き、そう言った。
馬車が動き出す。
俺は背もたれに体を預け、遠ざかり、小さくなっていくドルンハイムの街並みを眺めていた。
「随分とお静かですね、アイアン親方」
向かいに座るヴァルターが、上品なグラスからワインをすすりながら言った。
「ご自分の……『最高傑作』と離れるのが、それほどお寂しいのですか?」
「ただ考えていただけだ」
俺は声を平坦に保ちながら答えた。
「あんたたちの道路だよ、ヴァルター。実によくできている」
石畳には排水のためのわずかな傾斜があり、側溝も綺麗にさらわれていた。
「閣下は秩序を愛されるお方ですので」
ヴァルターがグラスを掲げた。
「そして、その秩序をさらに向上させられる者を高く評価されます」
習性とは恐ろしいもので、俺はパトロールの影を捉えようと、無意識に地平線へ視線を凝らした。
脳が反射的に、視神経へ魔力の流れを送り込もうとする。
だが、その瞬間――
――こめかみを、鋭く脈打つような激痛が貫いた。
「お加減が悪いのですか?」
ヴァルターが身を乗り出す。
「実験の後遺症だ、気にするな」
馬車は『黒い小川』を通過した。
急な斜面と湿地帯に挟まれた、細いボトルの首のような場所。
待ち伏せ(アンブッシュ)には、これ以上ない絶好のポイントだ。
弾道や射角の計算に慣れきった俺の脳が、瞬時に危険地帯を弾き出す。
あの転がっている巨岩は、狙撃手にとって格好の遮蔽物だ。
ハシバミの茂み――あそこなら、十人は潜める。
「ノア」
彼を見ずに、低く呟いた。
「左の斜面を警戒しろ。折れた松の木がある、一番高い場所だ」
「何事だ?」
伯爵の従者の一人が声を上げる。
返答の代わりに、馬車の壁へ矢が突き刺さった。
無数の怒号が響き渡る。
俺たちの護衛である、三十騎の伯爵家騎兵が瞬時に戦闘隊形を組んだ。
「敵襲だ!」
外で隊長が叫ぶ。
矢が飛び交う中で、木の箱に閉じこもっているのは愚策だ。
俺は杖を突き、足首をひねりそうになりながらも外へと転び出た。
森から、汚れたボロ切れをまとった男たちが溢れ出てくる。
古い剣から重い斧まで、あり合わせの武器を手にした暴徒だ。
襲撃者の一人が、錆びついたブロードソードを振りかざして俺に突っ込んできた。
――ベキッ!
戦闘の喧騒に掻き消されそうな、短い破裂音。
鉛の弾丸が男の胸を貫き、肋骨を粉砕して地面へと叩きつけた。
ここ三晩、俺が血の滲む思いで調整した気圧式拳銃が、完璧に作動した瞬間だった。
「エリリア!」
振り返らずに叫ぶ。
「三時の方向! 狙撃手だ!」
斜面で弓を引き絞っていた射手の目の前で、精霊が鮮烈な緑の火花を弾けさせた。
男が目を覆って悲鳴を上げる。
その刹那、影から這い出たノアが、一閃。
男の喉を掻き切り、そのまま次の獲物へと滑るように移動した。
「護衛の第三、第四列!」
兵をまとめようと躍起になっている伯爵の隊長に向かって、俺は怒鳴った。
「小川側の側面を固めろ! 後ろに回り込まれているぞ!」
指を突き出し、ノアとエリリアに指示を出す。
「ノア、そのオークの根元だ、二人生きている! エリリア、左翼の目を潰せ、一斉射撃が来るぞ!」
奇妙な感覚だった。
リュモンが時折瞬き、弾道や火線の密度に対する俺の推測を裏付けてくれる。
だが、大半は俺自身の眼と、戦術的な直感によるものだった。
十分後、すべては終わった。
街道には死体が転がっている。
生き残った襲撃者どもは、数騎の伯爵領兵に追われながら茂みの奥へと逃げ去っていった。
ヴァルターが馬車から降りてきて、歪んだクラバットを整えた。
「あなたは……一歩も動かなかった」
俺の拳銃を見つめながら、彼は呆然と呟いた。
「一体、どのような魔法なのですか?」
「魔法じゃない」
俺は拳銃をベルトに差し込んだ。
「物理学だ。パトロールを長生きさせたいなら、少しは勉強しておくといい」
死んだ賊のズボンでナイフを拭いながら、ノアが戻ってきた。
彼は俺のすぐそばまで寄ると、低く囁いた。
「リスクを冒しすぎだ。少しは俺たちを頼ることを覚えろ」
俺は彼を押し除けて馬車に乗り込んだ。
だが、心の中ではこう思っていた。
(……お前の言う通りかもしれないな)
道中の残りは、完全な沈黙に包まれた。
ヴァルターは書類の山に没頭していた。
日没時、俺たちの目の前にウェイランド城がその姿を現した。
城は切り立った断崖絶壁の上にそびえ立ち、その城壁は幾重もの控え壁で強固に補強されていた。
だが、最も驚くべきは上部だった。
水車によって駆動しているらしい巨大な揚重機が、信じられないほどの高さまで物資を吊り上げている。
「壮観でしょう?」
ヴァルターが主塔を指差した。
「閣下はあれを『世界の骨組み』と呼んでおられます。ここで未来が鋳造されているのです」
(原始的な歯車機構、摩擦による莫大なエネルギー損失……これが未来か? 笑わせるな)
俺は心の中で毒づいた。
馬車が正門をくぐると、儀仗兵たちが出迎えた。
ピカピカに磨き上げられた甲冑をまとった兵士たちだ。
「アイアン親方」
ヴァルターが広い階段を進みながら、俺を先導する。
「忘れないでください。閣下は実利主義者です。率直さは好まれますが、傲慢さは決して許されません」
俺たちは謁見の間へと足を踏み入れた。
何百もの蝋燭と松明に照らされた、広大な空間。
ホールの最奥、一段高くなった場所に、その男は座っていた。
身に纏っているのは、地味な黒いダブレット。
俺は男から十歩手前で足を止めた。
ノアは俺の左斜め後ろで気配を消し、エリリアは天井の影へと溶けていった。




