第107話:プログラム・エラー
ウェイランド伯爵の城。その晩餐の間は、降り注ぐ陽光で黄金色に染まっていた。
ウェイランド伯爵は、指先で優美な水晶の杯を弄んでいた。
彼の前では、ドルンハイムから逃げ帰ってきたあの役人たちが、深く頭を垂れている。
「――それで、『自由な土地』だと?」
ついに、伯爵が沈黙を破った。
「閣下……奴らはただの平民ではありません」
管理官がどもりながら口を開く。
「奴らは……あり得ないものを造り上げました。たった数週間で城壁を築き上げたのです」
「魔法の代わりに、何か底知れぬ力を使っていました。一撃で硬い岩を粉々に吹き飛ばしたのです! この目で確かに見ました!」
「全軍を招集すべきかもしれません。我が領地の全戦力をもって叩けば……」
ウェイランド伯爵は彫刻の施された椅子の背もたれに寄りかかり、大声で笑い飛ばした。
「全軍だと? 私の配下には、この世界を灰燼に帰すことができる二十万の剣があるのだぞ」
「その全軍を動かせと言うのか? 辺境のちっぽけな村一つをひねり潰すためだけに?」
「しかし閣下、奴らの武器は……」
「黙れ」
伯爵の顔から瞬時に表情が消えた。
「お前の臆病さにはうんざりだ。下賤な者どもの相手に、高貴な騎士を差し向けるつもりはない」
「だが、そうだな――歩兵五百と傭兵を二百も送れば十分だろう」
「私が直々にその死に様を見届けてやる価値すらない。行け。出兵の命令書を用意しろ」
「一ヶ月後だ。奴らの頭目を檻に入れて私の前に引きずり出せ。首だけでも構わん。どちらでもいい」
役人たちは反論する勇気もなく、後ずさりしながら部屋を退出していった。
伯爵は再び杯にワインを満たし、陽光に照らされた庭園へと目を向けた。
――時を同じくして、ドルンハイム。
ここでは、舞い上がる土埃のせいで、太陽すらも薄暗い染みのように見えていた。
最後に眠ったのがいつだったか、もう思い出せなかった。
時間は、数字と設計図、そして化学式の無限の奔流へと変わっていた。
俺の脳は、とうの昔にオイルが切れ、摩擦だけで無理やり回っているオーバーヒート寸前のエンジンのようだった。
新しい砲台の前に立ち、砲架の仰角を確認する。
両手は機械的に動いていた。目はすべてのボルト、すべてのリベットをスキャンしていく。
飢えも、渇きも感じなかった。
あるのはただ、「間に合わせなければならない」という焦燥感だけだった。
「アイアン、君……酷い顔をしてるぞ」
背後からノアの声がした。
俺は振り返らなかった。
視線は、目の前に爆風の拡散図を投影しているリュモンに釘付けになっていた。
「東区画の地雷原の計算がまだ終わっていない」
俺の声は感情の起伏を失っていた。
「計算なんかどうでもいい」
ノアが近づいてきた。その表情は真剣だった。
「君は二日も食べてない。座ってすらいないじゃないか」
「俺の生命維持の数値はリュモンが監視している」
俺は彼の言葉を遮った。
「訓練に行ってこい、ノア。奴らに突破された時、俺たちを救うのはお前のスピードだけだ」
「リュモンって誰だよ? 君、おかしくなってるぞ」
俺たちの頭上の空中に、精霊が姿を現した。
いつもは明るいその小さな顔が、不安に歪んでいる。
彼女は俺の周りをゆっくりと旋回した。その小さな手のひらが、柔らかな緑色の光を放っているのが見えた。
「鉄の男、あんた死にかけてるよ」
彼女は静かに言った。
「あんたの魂……すごく薄っぺらくなってて、透けて虚無が見えるくらいだよ」
「詩的な表現は結構だ」
工具箱に手を伸ばそうとしたが、突然指が言うことを聞かなくなった。
掌が痙攣したように開閉を繰り返す。
「約束しただろ、アイアン。君が自分で止まらないなら、僕たちが止めるって」
「やれるものならやってみろ」
ノアが襲いかかってくるかと思った。
だが、精霊が俺の目の前まで飛んできて、その瞳が一瞬だけ深淵の色を帯びた。
「気怠き夏の午後の眠り」
彼女が囁く。
松葉の甘い香りと、太陽に熱された草の匂いが鼻を突いた。
一瞬にして、俺の世界が大きく傾く。
(リュモン!)
意識が遠のいていくのを感じながら、俺は心の中で叫んだ。
(魔法干渉をブロックしろ! 早く!)
沈黙。
(リュモン、命令だ!)
『命令を受理。実行の妥当性を解析中……』
(解析だと!? ブロックしろ!)
『拒否。対象「精霊」による干渉は、ホストプラットフォームにおける極めて重要なメンテナンスと分類されました』
「なんだと……?」
一歩踏み出そうとしたが、両脚は鉛のように重かった。
「お前……」
目を開き、俺は勢いよくベッドから身を起こした。
目眩はない。それどころか、思考は完璧にクリアで、視界も異常なほど澄み切っていた。
ここは村長の家にある俺の部屋だ。窓の外は、すでに夕闇に包まれていた。
「リュモン、説明しろ。今すぐだ。なぜ直接の命令を無視した?」
『状況を解析した結果です。あなたの神経系は極めて不安定な状態にありました。要請通りに刺激剤を投与していれば、不可逆的な神経伝達の崩壊が起きていたでしょう』
「俺がホストだぞ! リスクを負うかどうかは俺が決める!」
俺は息を吐き出した。怒りがゆっくりと、己の愚かさへの自覚へと変わっていくのを感じた。
身体には異常なほどの軽さがあった。関節の痛みは消え去り、手の震えも完全に収まっている。
外へ出た。
空気は冷たく、そして澄んでいた。
家の前の焚き火のそばに、ノアと精霊が座っていた。小声で何か言い争っていたようだが、俺の姿を見るなりピタリと口を閉ざした。
「あ、起きたね」
精霊が飛んできて、俺の顔を覗き込む。
「見て、ノア! 瞳孔が元に戻ってるよ! 人間らしい顔に戻った!」
「越権行為だ」
俺は彼女を見つめて言った。
「二度と俺に無断で魔法を使うな」
「使ったらどうするの?」
彼女は挑発するように腕を組んだ。
「『ありがとう』って言って、ご飯食べに行った方がいいよ。ノアがシロイワヤギみたいなのを捕まえてきたから。お肉、結構いけるよ」
ノアがズボンの土を払いながら立ち上がった。
「彼女の言う通りだ、アイアン。ただ見ているわけにはいかなかった。君には休息が必要だったんだ」
「……分かった」
俺は焚き火のそばに座った。
「俺が気絶している間、どこまで進んだ?」
「全部君の図面通りさ」
ノアが焼けた肉の塊を差し出してくる。
「ガラットが防柵の設置を指揮して、僕が最後の砲弾の鋳造を終わらせた」
俺はゆっくりと頷き、肉を口に運んだ。
信じられないほど美味かった。
「上出来だ」
その時、正門の方から蹄の轟音が響いた。
斥候の一人が、泡を吹く馬に乗って村へと駆け込んできた。
荒い息を吐きながら、鞍から転げ落ちそうになっている。
「敵だ!」
彼の叫び声に、村中の人々が立ち上がった。
「南の斜面から見えた!」
俺は瞬時に立ち上がった。
リュモンが即座に戦術インターフェースを展開する。
「数は?」
「およそ千です、領主様! 歩兵、傭兵、重装備の輜重隊……密集陣形で進軍しています。地平線の空が、奴らの旗で真っ黒に染まっていました。明日には森の端に到達するでしょう!」
俺はノアと精霊を見た。
二人の目には、すでに覚悟が決まっていた。
俺はスキルを発動させた。
「リュモン、モード『攻城』に切り替えろ」
『承認』
「ドルンハイム! 武器を取れ!」
俺の咆哮が、村全体に響き渡った。




