皇帝崩御 第3話『コドモの遊び』
【星間連合帝国 準惑星セルヤマ タルゲリ教会裏の森】
森の中に優しくも冷たい風が吹き込む。その風は木々を、ひいては枝や幹を踊らせていた。その風に手を取られないよう、ダンジョウは天地が入れ替わった前方に向かって確実に距離を縮めていた。
大木同士を繋ぐ地上3m程の高さにベルトの上を、ダンジョウは逆立ちしながら慎重に、そして確実に進んでいく。彼は手の平から伝わるベルトの感触を確かめ、一心不乱にゴールである枝の上だけを見つめていた。
「(……もうちょい……もうちょい)」
ゴールである太い枝は目前だ。次の右手が前に出た時、ようやくこのバカげた特訓も終わりを迎える。その気の緩みと地面から届く声に彼は一瞬だが緊張感を解いてしまった。
「ダンちゃーん」
「はぅ!」
聞き覚えがありすぎる気の抜けた声にダンジョウは思わず目を泳がせる。耳に届いた声は地上から聞こえているのだが、逆立ちするダンジョウは上から聞こえるような不思議な感覚に囚われる。その途切れた集中によって掴んでいたロープは左右に揺れ動いた!
「おうおうおうおうおうおうおう!」
左右の揺れに合わせて間抜けな声を上げるダンジョウは、やがてそのバランスを保つことが出来ずに頭から地上へと落下した!
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「大丈夫?」
まさに落ちるきっかけを作った声の主は心配する感情が一切こもっていない声でそう尋ねる。ダンジョウは胴に結んでいた命綱によって宙吊りになりながら、逆さまに映る少女の顔を視点的には見下ろした。
「……大丈夫に見えるか?」
「見たところ怪我はなさそう。良かったね」
赤髪の美少女……フィーネ・ラフォーレ、いやフィーネ・ゴールベリは安心したような心配などしていなかったような笑みでダンジョウの手を取る。ダンジョウは彼女の腕を借りてようやく天地をまともにすると、命綱のロープを引き抜いた。
「クッソー。オメェが話しかけなきゃ間違いなくゴールできてたってのに……また1からやり直しじゃねぇか」
ダンジョウはそう言って唇を尖らせながらフィーネを睨みつけるが、彼女はまるで意に返さないように先程と変わらない笑みを浮かべていた。
「そうなんだ。ごめんね。でも凄いよ。ここまで逆立ちしながら渡るなんて」
「お、だろ?」
フィーネの簡単な賛辞にダンジョウは態度を一変させて得意気な表情を浮かべる。そして意気揚々とこれまでの苦労を思い出すように拳を握り締めた。
「ここまで大変だったんだぜ? 何せババァが「バカ専用のトレーニング」とか抜かしてこんなコース作りやがってよ! これだけじゃねぇ! 他にもアホ程座学の課題も残してやがって! こんなことしてたら遊ぶ暇がねぇじゃねぇか! あ、クッソォ何か腹立ってきた!」
「宙吊りだったから頭に血が上りやすくなってるのかもね。そういう時は頭を冷やす意味で冷たいものを飲もう」
フィーネはそう言って水が入った革袋を差し出すと、ダンジョウは「ありがとよ」と言って受け取り一気に水を飲み干した。
ダンジョウは下りてきた血を下半身に巡らせようと屈伸運動をしてから大きく息をついた。そしてフィーネに向かって助走をつけながら詰め寄ると、彼女の顔をかすめて背後の大木に上段蹴りを寸止めする。その動きは洗練され、まるで長年武術を学んできたかのような美しさがあった。フィーネの美しい赤い髪は蹴りの風圧で小さく舞うが、ダンジョウを見つめたまま微動だにしない彼女を見てダンジョウは間抜けな表情を浮かべた。
「オメェはやっぱりビビんねぇな。俺だったら目ェ瞑ってるぞ? それともあれか? 俺の蹴りってやっぱりそんな強そうじゃねぇか?」
微動だにしないフィーネにダンジョウは少し不満気にそう告げるがフィーネはキョトンとしながら首を傾げる。
「だって、ダンちゃんは絶対に私のこと蹴ったりしないでしょ?」
「そりゃそうだけどお前も知ってんだろ? 運動神経皆無の俺だったらバランス崩してお前に当てちまうかもしれねぇって事があるだろ?」
「そんな可能性が少しでもあったらダンちゃんはやらないよ。仮にもしそれで当たってもいいよ。その時は責任とってもらうから」
「お前の言う責任は意味が多すぎて怖ぇんだよ……」
ダンジョウは軸足である右足を支点にしながらコンパスのように回って右足をフィーネから遠ざけると、ようやく普通の体制に身体を戻す。そして先程まで逆立ちで渡っていたロープを見上げた。
「チクショー。もうちょいだったなぁ。オメェの声で気が逸れてるようじゃ俺もまだまだか」
「そうかな? 十分凄いと思うけど。というかダンちゃんがそこまで頑張る必要ってあるの?」
「あ? どういうことだそりゃ?」
その質問にダンジョウは口をポカンと開けながらフィーネの方に振り返る。そんなダンジョウを見つめながらフィーネはまるで純粋な疑問を尋ねる子供の用な無垢さ説明した。
「ダンちゃんは運動も勉強もできなくていいじゃない? 勉強なら私とかタクミ君が出来るし、運動なら他の子がやってくれるよ? それが今じゃこうやってお稽古お稽古で……ダンちゃんも自分で言ったけど、本当に遊ぶ暇がなくなっちゃたし」
フィーネの話は正確だ。ダンジョウを慕う人の数はこれからきっと増えていく。ならば彼が出来ないことは他の誰かがやればいい。チームとはそういうものだ。そしてこれから出来るその仲間たちがダンジョウに求めるのは、彼の変わらないその純真さと突き進む方向の判断なのだ。
ダンジョウが決意すればきっと誰もが着いていく。彼はそういう星の下に生まれた存在だとフィーネは信じていた。しかし、ダンジョウはまるで分っていないと言わんばかりに呆れた表情を浮かべる。そしてまるで高説を垂れるがごとく尊大に胸を張った。
「かぁー! あのな! オメーは単純なことが抜けてんぞ? 俺が勉強だとか肉体訓練すんのは別にみんなのためだけじゃねぇ!」
「? じゃあ何のためにやってるの?」
そう尋ねるフィーネにダンジョウは腕を組み鼻を鳴らしながらドヤ顔を作った。
「こういうのが出来たら……カッコいいじゃねぇか!」
至極当然……いや、至極単純な回答にフィーネはダンジョウにジト目を向ける。
「なるほど。ダンちゃんはそういう人だったね。でも少しは他のことに時間を割いても良いんじゃない?」
「しゃーねぇだろ。俺みてぇに才能も素質もねぇ奴は、周りの倍練習してようやく皆に追いつけるんだ。んでもって3倍練習してようやくスゲェ奴になれんだよ」
「その理屈は分かるよ。でもダンちゃんが他の人の何倍お稽古に時間を費やしてるか分かってる?」
「寝る間も惜しんでっからな! 4倍だ!」
「ほら必要以上にやってる……はぁ、もう分かった。いいよ」
ドヤ顔のダンジョウに対してフィーネは諦めたような、そして少し不貞腐れたようなため息をつくと、ダンジョウに背を向けてあぜ道を歩き出した。
「お、おい待てよ。今良いこと言っただろ? つまり、努力だとか経験に勝る才能はねぇっってことだ!」
ダンジョウはフィーネを追いかけながら取り繕うように明るい声でそう告げる。しかし、フィーネは彼の方に見向きもせずただ黙って出口に向かって歩を進めた。
「き、聞けよ? ほら、例えば、あれだ! どんだけ旨い飯の知識に詳しくてもよ、旨い飯作れるように練習した奴には敵わねぇってことだ! あ、これスゲェ良い例えだろ?!」
「全然上手くないね。料理の知識に詳しい人も料理の勉強してるし」
「グッ……じゃ、じゃああれだ、例えばどんだけ」
「兄貴ーーーーッ!!」
ダンジョウとフィーネの会話を切り裂くように森の中に大きな声がこだまする。
2人はあぜ道の先にある森の出入り口の方に振り返る。外から差し込む逆光に影はない。声の先を伺うように2人は周囲を見回すと、道もクソもない完全な茂みの中から巨大な何かが姿を表した!
「兄貴! ここじゃったか!」
「どっから出てくんだオメェは」
茂みから現れた巨体のビスマルク・オコナーを見てダンジョウは呆れたように笑う。かつてダンジョウと血闘を繰り広げたビスマルクはその巨体に引っ掛かる木の枝などをなぎ倒すかのようにして2人の前に躍り出た。
「フェーネはんもおったか。丁度ええわい」
「何だ? 昔みてぇにコイツのもん取って勝負でもすんのか?」
ダンジョウは誂うようにそう告げるとビスマルクは豪快に笑った。
「ガッハッハッハ! 何言っとんじゃい兄貴! あれもオラの可愛い愛情表現じゃろうが? 何よりも兄貴がオラに勝てると思っちょんのか?」
「馬鹿野郎! 勝てるわけねぇだろ!」
「そらそうじゃ! ま、オラも兄貴に歯向かう気なんぞこれっぽっちもねぇがな!」
「お、その言葉忘れんじゃねぇぞ!」
バカ話をして笑い合うダンジョウとビスマルクを尻目にフィーネは再びため息を付いた。
「ごめんでビス君。私帰らないといけないから」
「何じゃ。タクミもおらんしフィーネはんの意見を聞きたいんじゃが」
「家庭の事情ってやつ。ごめんね。あぁでもタクミ君は夜には戻るらしいよ」
普段とは打って変わって付き合いの悪い言葉を吐き出したフィーネにダンジョウは思い出したように問いかけた。
「家庭の事情って事はあれか? お袋さんやっぱり全然帰ってきてねぇのか?」
「別に……変わりないよ」
ぶっきらぼうにそう告げるフィーネに対してダンジョウは遺憾と言わんばかりにムスッとした。
「相変わらずネグレクト状態かよ。気に入らねぇ」
「そうじゃないよ。ただ私は家庭内自立してるだけ」
「う~ん……」
ダンジョウは腕を組んで考え込む。いつものように母親を庇うフィーネの笑顔はどこか寂しげだった。
フィーネは同世代の子たちと比べて大人びていたが、それでも彼女はまだ未成年には変わりない。そんな少女を夜中も1人きりにするということは、ダンジョウにとって全員平穏を脅かす種になりそうな気がしていたのだ。
「そうは言ってもオラも心配じゃのぅ。最近はローズマリーのスパイが密入国しとるっちゅう話も聞くし物騒な世の中じゃ。あんなスラム街で女子一人にしとくわけにはいかんじゃろ」
同じ気持ちだったのかビスマルクがそう告げるとフィーネは軽蔑が入り混じったような笑顔でビスマルクの方に振り返った。
「ありがと。でも、ビスマルク君の家に泊まる気はないよ?」
「心外じゃなフィーネはん! オラはそんなつもりはねぇ。兄貴分の彼女を寝取るような不義理はせんのじゃ!」
「いや、別に彼女とかじゃないし……」
少し戸惑うフィーネがダンジョウに視線を向けると、彼はひとしきり考えてから「うん」と頷いて顔を上げた。
「よし。フィーネ。オメェはお袋さんがいねぇ日はウチに来い」
「え!?」
「ウホッ!」
ドギマギするフィーネと、まるではやし立てるかのように下品な笑みを浮かべるビスマルクをよそに、ダンジョウは真っすぐな目で彼女を見つめた。
「教会なら安全だ。何より俺が近くにいりゃ大丈夫だろ」
「え、そ、その、わ、私1人で来いってこと?」
「あたりめぇだろ。他に誰連れてくんだよ?」
「そ、それってさ……さ、誘ってくれてるの?」
フィーネは少し頬を染めてそう尋ねるがダンジョウはキョトンとしながら首を傾げた。
「? ああ。ビスマルクが言ったみてぇに最近物騒だろ。夜中に1人は危険だ。ウチの教会はタルゲリ教だろ? 神栄教と違って人気ねぇから部屋が腐るほど余ってんだ。あの広さで個室だぞ? いい待遇じゃねぇか!」
「……」
あっけらかんとそう告げるダンジョウの態度を見てフィーネは口をすぼめる。そして、ダンジョウに背を向けるとさっさと歩きだした。
「大丈夫だから」
少し鼻息を荒げながら歩く彼女をダンジョウは慌てて追いかけた。
「お、おい! そうはいかねぇ! これはオメェを守る算段で、要はおれの全員日々平穏っていう野望をだな」
「自分の身くらい自分で守れるし。ダンちゃんもせいぜい背後には気を付けてね」
フィーネは無表情のまま足早に歩を進めるが、ダンジョウは戸惑いながら機嫌を伺った。
「え? な、何で急にキレてんの?」
「憤怒とは違うね。嘆きっていう感情のほうが強いから」
「何を? ……分かった! 女心と秋の空ってやつだな!」
「全然違う。ついでに言うと言葉の使い方も違う」
フィーネはそう言い残すと、絵にかいたような憤慨を体現して森から出ていった。
背後に立っていたビスマルクが大きな手でダンジョウの方をポンと叩く。ダンジョウが振り返ると、彼は呆れたようにそれでいて羨ましそうな表情でかぶりを振っていた。
「兄貴は女心を分かっとらんのぉ。つくづく女子にモテることが惜しいわい。オラなら今頃色んな女子と……ぐふふ」
下品な笑みを浮かべて訳の分からないことを言うビスマルクにダンジョウは肩を回して彼の手を払うと、面倒くさそうに歩き始めた。
「んで、オメーの話ってのはなんだ?」
ダンジョウがそう尋ねるとビスマルクは彼の右後ろにピタリと付きながら頷いた。
「さっきの話じゃけどのぅ。どうもこのところ警備兵が増えちょる。しかも連中はラヴァナロスから派遣されたモンじゃ」
「それで?」
「先日ウチの花火屋に式典の祝い用の花火の依頼が来たんじゃがのぅ。どうやらこの星に自治権が与えられるっちゅう話じゃ」
ビスマルクの話にダンジョウは顔を顰める。
「自治権? ……ババァの話じゃまだ時間が掛かるって話だったがな」
「タクミもそう言っちょった。だからオラも妙に思ってのぉ」
ビスマルクはいったん言葉を区切ると、チラリとダンジョウの方に視線を送る。そして警戒心が入り混じった慎重な声色に変えて再び口を開いた。
「……兄貴。今はまだ憶測じゃが、この件は星全体が関わるデカい話じゃ。ガキのオラ達が動くにはデカすぎるかもしれん」
ビスマルクの慎重な言葉にダンジョウは立ち止まる。そして不敵な笑みでビスマルクの方に振り返った。
「バーカ。俺等の平穏を脅かすネタにデカさは関係ねぇよ」
その言葉を聞いたビスマルクもまた不敵に笑う。
長い獣道を抜けて森から出ると、全身に海陽の光が降り注ぐ。空気は冷たくとも日差しは暖かく、ダンジョウは思わずグッと背伸びをした。
「さぁて、タクミがそろそろ帰ってくるからよ。オメーはアイツと今の件を探ってみてくれ」
「分かったわい。兄貴はどうするんじゃ?」
「俺はこの後ちょっと用があんだ」
「用?」
ビスマルクは首を傾げる。しかし、すぐさま「あぁ」と言ってニヤついた。
「分かったわい。んじゃ今晩にでもまた来るからのぉ」
ビスマルクはそう告げて去っていく。彼の後姿を見送りながらダンジョウはポケットの中に手を入れた。
「ったくよ。忘れる訳ねぇだろうが」
彼は少し不満気ながらも照れ臭そうにそう呟くと、ビスマルクとは別方向に向かって歩き出した。




