賢兄編 第1話『中間管理職』
【星間連合帝国 帝星ラヴァナロス 執政大臣官邸】
星間連合帝国の政治階級は非常に分かりやすい。まず頂点に帝国皇帝、次に宰相、それに執政大臣が続き、その下に各惑星の知事が名を連ねる。
現帝国の執政大臣であるベルフォレスト・ナヤブリはその巨体と相まって帝国でも随一の剛健と思われている。しかし、内部を知る者からすると、出世競争の際に名家の名を傘にして多くのライバルを失脚に追い込んだ小物とも言われていた。そんなベルフォレストを前にして若き皇族身辺管理官ハンフリー・ギランは緊張の面持ちで息を呑んでいた。
「……それで? 貴様の意見を聞こう」
彼の目の前に座るベルフォレスト・ナヤブリは左右に美しい女性を従え、左手の中で健身球を回しながら重く低い声でそう尋ねてくる。ハンフリーは思わず喉を鳴らしながら生唾を飲みこみ、用水に飛び込んだかのように汗まみれになっていた。
ベルフォレストの巨体とみぞおちまで届く髭が異様な威圧感を醸し出しており、ハンフリーにとっては直属の上官であることを差し引いても、嫌な緊張感に包まれる相手だったのだ。
「こ、皇太子様は決して不正などは行いません。あのお方は誇り高い方ですから」
ハンフリーは声を少し震わせながらそう告げる。帝星ラヴァナロスで皇太子の身辺管理官を努める彼は、日々の気苦労により若者らしからぬ疲れた表情をしていた。
帝星ラヴァナロス星は帝国民であれば誰もが憧れる星である。しかし、ハンフリーは住んでみて初めて現実を知った。元々レオンドラ星で議員目指していた彼が皇太子の側近としてこのラヴァナロスに招聘されて1年以上経つ。皇太子の側近となれば、愛国心のあるものならば誰もが羨み敬愛する職業なのだが、ハンフリーはこの仕事に対して希少価値は感じていても、やりがいや楽しみは全くと行っていいほど感じてはいなかった。その理由は帝国民であれば誰もが心の内に秘めている感情をハンフリー自身も抱えているからに他ならない。
――死ぬべきは愚弟だった。
双子で生まれた皇子のうち、B.I.S値が優秀な賢兄が病に倒れ、凡庸な愚弟が生き残ったこの事実に、たらればの願望論を思い描いていしまうのは人間の性である。
ハンフリーも「愚弟でなく賢兄の御目付役であれば……」と思い描いたのは1度や2度ではない。
世間から愚弟と呼ばれる皇太子の御目付役。
言い換えるならば何の力もない金持ち小僧のお守りと言っても過言ではない。
ハンフリーはそのことを踏まえながらも、なるべく公平に……そして客観的観点から皇太子が学び舎で引き起こした事件の顛末を改めてベルフォレストに説明した。
「皇太子様が校内模試で得た最高得点が不正行為ではないかと罵った同級生に対し、暴力を振るったという点が問題視されていますが、今回の事の発端である模試において皇太子様が不正を行った証拠は挙がっておりません。いえ、それ以前に皇太子様は不正行為を行うなどあり得ません。あのお方は自尊心……誇り高いお方です。仮に不正を行おうと思われても、ご自身のプライドがそれをさせないことは目に見えております」
ハンフリーは皇太子に対してあまり良い感情を抱いていないのは事実だ。
しかし、彼は皇太子の異様なまでのプライドの高さにはどこか尊敬の念すら抱かせるほどの強さを感じていた。
そんな彼の心情を知ることなくベルフォレストは重く低い声で告げた。
「……ハンフリー管理官。何を勘違いしておる?」
ベルフォレストが健身球の動きをピタリと止める。
そして彼が左手を握り締めると、その大きな手はみるみるうちに健身球の表面を包み込んだ。
「私は貴様の見解を聞いておるのではない。今後の算段について意見を聞いておるのだ」
「は、ははっ!」
威圧感しかないような声に、ハンフリーは再び額を汗で濡らしながら思わず頭を下げる。
彼の額から滴る汗が床に敷き詰められた紫の絨毯に落ちると濃い紫の濁点が広がった。
ハンフリーは思慮深く仕事はできる人間ではあったが、小心者で長いものに巻かれるタイプでもあったのだ。
「わ、私めの意見としますと、皇太子様に置かれましては学び舎に赴かれるのではなく、ここ城内で専属の教員より個人指導をお受けになるのが好ましいかと!」
「……ではそうせよ。教員の選出はその方に任せる。信用のおけるものならばそのまま側近とするがよかろう」
思わぬ返答にハンフリーは顔を上げる。
そこにはすでに今回の件に対して興味を無くしたかのように健身球を見つめるベルフォレストの姿があった。
「よ、よろしいのですか!?」
「任せると言ったのだ。好きにせよ」
「は、ははっ!」
ハンフリーは思わず歓喜にも似た声でそう頭を下げる。
執政大臣直々に人選を任されるというのは大きな信用を得たにも近く、この上ない誉れ高いことだったからだ。
しかし、頭を下げながらも彼の心の中は予てから抱いていた疑問が渦巻いていた。
ベルフォレスト・ナヤブリは執政大臣であり、建国以来皇族に従ってきたナヤブリ家の家長である。
皇族派の筆頭である彼から皇太子の管理官に任命されたハンフリーは異例の出世と当初は喜んでいたが、どうも解せないことがいくつかあった。
ベルフォレストは時折、皇太子のもとへ足を運び会食を共にすることがあった。
その時の彼はハンフリーに見せない穏やかで慎ましい表情を皇太子に向けていた。皇太子の方も幼少時から後見人として近くにいたベルフォレストには心を開いているらしく、ハンフリーには見せない子供の笑顔を見せることが多々あったのだ。
しかし、その時の皇太子の笑顔は本物のように見えたが、ベルフォレストの表情にはどこかぎこちなさというか、外交での会談時に見せるような義務的な笑顔のように感じていたのだ。
そして今回のように皇太子が何か問題を起こせば、別段彼が動くこともなく全てハンフリーに処理をさせる。
管理官に任命されているハンフリーとしてはそこに文句はないが、どうもベルフォレストからは愛情はおろか皇太子に対しての関心が覗えなかったのだ。
「で、では、これで……」
「うむ」
ハンフリーは挨拶もそこそこに、急ぎ足で重苦しい執政室を後にする。
廊下に出たハンフリーは待っていた秘書官に候補者をピックアップを指示すると、彼はすぐさまそのリストをデータをハンフリーの目の前に浮かび上がらせた。
目の前に浮かぶディスプレイのリストを指でなぞりスライドさせ、徐に候補者リストを開き眺めながら家庭……いや、城内教師の選定にあたる。この動き出しの早さこそが彼の有能たる所以なのだ。
何よりハンフリーからすれば今の仕事を田舎の両親が喜んでくれている上、友人らからも持ち上げられているためプライベートに関してはメリットしかない。
そうやってプラスに考えることで彼は自分の中にある不満や疑問を押し殺した。
「(……そういえば以前管理補佐官募集で書類選考落ちされた者がいたな)」
ハンフリーは当時のことを思い出す。
自身の補佐を務める人物を選定したところ、経歴も実力も家柄も申し分ない人材が2名いたのだが、何故か書類選考で落とされていたのだ。
彼は歩きながら目の前に浮かぶディスプレイを操作して、候補者の中から記憶にあった名前を検索する。
「(確か……そうだ! この2人だ!)」
やがて目の前に並ぶリストに映った2人の顔を眺める。
奇しくも2人とも元皇后直轄護衛騎士団の人間であり、騎士団解散後は帝国軍の戦略開発部隊と第二機動部隊へと転属になっているようだった。
「(トーマス・ティリオンと……ベアトリス・ファインズか。よし、さっそく連絡を取らせよう)」
ハンフリーはディスプレイを開いたまま管理補佐官へ連絡を入れた。




