賢兄編 第2話『愚弟と呼ばれて』
【星間連合帝国 帝星ラヴァナロス シルセプター城】
帝星ラヴァナロスの帝都セプテンベルにある王宮シルセプター城は正に帝国の粋を結集した城だった。
幾何学的な美しいデザインでありながら強固な外壁を備え、その外壁の中に侵入してもさらに強固な3枚の城壁が並んでいるのだ。また、城の上空500㎞は常に監視されており、必要とあらば防衛用人工衛星ユリウスから攻撃することも可能だった。
完璧な要塞でもあるシルセプター城の中心には当然だが皇帝の住む宮殿が存在している。
その宮殿の中で暮らす皇太子ランジョウ=サブロ・ガウネリンは、世界で最も安全な宮殿を監獄と感じながら生きていた。
「……今日の予定を聞いておこう」
窓から差し込む海陽の光に照らされた本を読みながらランジョウはそう告げる。視線を向けられることのない侍従たちだったが、そんなことをいちいち気に留めることもなく1人が一歩前に出て口を開いた。
「本日はこの後、トーマス補佐官から歴史学をお受けいただきます。その後は星間トンネル改装完工記念式典のリハーサルを、夜は旧皇族方との会食がございます」
「……飽きたな」
ランジョウはまるで今の話を聞いていなかったかのようにそう告げると本を閉じ床に放り投げる。重厚な本は高級な絨毯の上に落ちそうになるが、先程とは別の侍従が見事に本をキャッチして再び元の位置に戻り機械のように停止した。
「見事なものだな。貴様には物を掴み取る才能……犬の才能があるようだ」
「はっ。ありがたき幸せに思います」
皮肉さえも感謝する侍従にランジョウは苛立ちながら立ち上がると侍従の前にツカツカと歩み寄った。
「犬の才能があるならば四つん這いになれ」
「……はっ」
侍従は一瞬躊躇するものの、大人しく従い床に両膝と両手を付く。その姿を眺めながらランジョウは片足で侍従の顎をクイっと持ち上げた。
「貴様、どの星の人間だ?」
「はっ。両親、祖父母ともにラヴァナロス人であります」
「その割に貴様の目は変わった色をしているな?」
ラヴァナロス人の特色は漆黒の髪色と深紅の瞳である。ランジョウが見下ろす侍従は黒い髪ではあったがその目は深紅というよりも薄い赤色だった。そのことを指摘された侍従は戸惑いながらも釈明した。
「は、はっ。母方の曾祖母がクリオス人であります。そのため若干色味に違いが出たのかと」
「ほう。確か三親等までが同じ人種であればであれば純血となるわけだが、貴様は純血のラヴァナロス人ではないという訳か」
「恥ずかしながらその通りにございます」
侍従は四つん這いのまま首を垂れると、ランジョウは彼の後頭部を勢いよく踏みつけた! 床に顔面を打ちつけられた侍従はそのまま気を失ったかのように動かなくなり、顔と床の接着面には徐々に血溜まりが出来上がる。
ランジョウは侍従の後頭部から足を退けると、他侍従らを睨みつけた。
「言ったはずだ。余の世話をする者は純血のラヴァナロス人に徹底せよと」
ランジョウはまるで今にも彼等を殺しかねないような視線で見回すが侍従らは全く恐れることはなかった。
彼等は皇族派の筆頭でもあるベルフォレスト・ナヤブリ執政大臣に使わされた人間であり、仮にランジョウが処刑を宣告してもベルフォレストが上手く取りなしてくれるという保証があったのだ。そして、仮にランジョウがここで暴れ出したとしても、B.I.S値が最低レベルの彼が暴れたところでたかが知れているというある種見下した感情を持っていたのだ。
「皇太子殿下、よろしいでしょうか?」
侍従の一人が一歩前に出ると、ランジョウは血走った視線で彼の方に振り返り尊大な態度で口を開いた。
「申してみよ」
「はっ……この者は曾祖母がクリオス人なれど非常に優秀な男です。それはナヤブリ執政大臣が殿下のお世話を任せるほどに。殿下がラヴァナロス人に拘られるのは私めも共感させていただきますが、有用な使い方をするのも王者の器量の一つかと思われます」
「ほう。そちは余の器量が足りぬと申すか?」
ランジョウはそう言って悪魔のように微笑むと侍従の方に歩み寄る。そして今一度確かめるかのように彼等の顔を確認した。
侍従という名称は名ばかりで、彼らの目にはランジョウに対する敬愛の光はない。敬愛どころかまるで彼のことを厄介者、もしくは渋々彼に付き従っているという態度をランジョウが見抜けないはずがなかった。
絞りカス
愚弟(愚帝)
いらなかった方
その他多くの通り名がランジョウにはあった。生まれてすぐ死んだという見たことも会ったこともない兄の存在……それが彼にとって最大のコンプレックスだった。そしてそのコンプレックスをえぐるかのように、侮蔑の目が王宮の……いや、すべての人間から向けられているような気がしていた。普通の人間ならば分かりかねるだろうが、視線を向けられる当人にしかわからないものがそこにはあったのだ。
「失礼いたします」
扉の向こうから聞こえる声にランジョウは「チッ」と舌打ちをすると、侍従らに背を向けて再び重厚でクラシカルな椅子に腰を下ろす。そして扉を睨みつけながら問いただした。
「トーマスか?」
「はっ」
「入れ」
ランジョウが許可を出すと扉が開き、そこから黒目で覆われたジュラヴァナ人のトーマス・ティリオンが入ってきた。
数カ月前、ランジョウは通っていた学び舎の同級生に侮辱され、その同級生を半殺しにした。トーマスはその翌日からやって来た専属の教官であり側近的な存在である。
このトーマスと護衛官であるアイゴティヤ人のベアトリス・ファインズ、そして2人を統括するレオンドラ人のハンフリーが彼の最も身近な人間になるのだが、ランジョウにとってみれば彼らも外惑星からやって来た人間に過ぎない。ランジョウからすれば同じラヴァナロス人であり彼に忠誠を誓うベルフォレスト以外の人間など信用に値しない。しかし、そのベルフォレストから直に紹介されたとあっては無下にもできず彼等を側に置くしかなかったのだ。
トーマスは侍従等の眼前を横切り真っすぐランジョウの前にやってくる。そして血溜まりに伏す1人の侍従を見て、棒立ちする侍従等を睨みつけた。
「殿下のお部屋を汚すとは何事か」
「いえティリオン補佐官。これは」
「言い訳は無用だ。すぐさま片付けろ」
トーマスは否応なしにそう告げると、侍従等は歯向かえないことに少しムスッとしながらも「はっ」と返事をして倒れる侍従を起こし上げて片づけを開始した。
いそいそと動き回る侍従等を尻目にトーマスは微笑みながらランジョウの方に振り返る。
そして彼に歩み寄ると、片膝を付いて小脇に抱えていた本を献上した。
「殿下、本日よりこちらを基にご教示させていただきたく存じます」
「昨日の本とは違うようだが?」
「はっ。殿下ならばこちらの教材の方が適していると判断させていただきました」
本を受け取り訝し気に表紙を眺めるランジョウを見てトーマスは微笑む。彼が差し出すのは明らかにこれまで使用していた教材とは比較にならない程高レベルのものだった。
「補佐官、よろしいでしょうか?」
再び先程の侍従がトーマスの背後に立つと、トーマスはスッと立ち上がった。
「何か?」
「はっ。見間違えでしょうか? そちらの教材は殿下の御年齢にはそぐわない物に見えますが」
「確かに貴様は見間違えている。だがそれは教材ではない。殿下の本質をだ」
侍従は苦笑を堪えるかのように嘲笑の笑みをトーマスに向ける。しかし、そんな侍従など相手にする気のないトーマスは他侍従等を含めて全員に言い放った。
「授業の邪魔だ。君たちは外してくれ」
「ですが補佐官」
「私は執政大臣より代行証を預かる身だぞ」
トーマスは黒目から放つ眼光と共にそう告げ、手首のリストから代行証を浮かび上がらせる。
伝家の宝刀ともいえるその代行証を見せつけられた執事らは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべながら一礼して部屋を出ていく。
2人きりになった部屋の中で、トーマスは侍従等の不敬さに苛立ちながらも、この短時間で血痕の一滴さえ残さず消し去ったことだけは評価した。
トーマスは改めてランジョウの方に向き直るとランジョウは献上された本を捲ってからトーマスの方に初めて視線を送った。
「これは?」
「はっ。この帝国に伝わる神話にございます。古代文字で描かれています故、これからご教授いたします古代文字を活用し翻訳していただければ殿下もお楽しみいただけるかと」
「余にそんなことができると思うか?」
ランジョウは不貞腐れたような笑みを浮かべながらそう告げる。
彼自身もB.I.S値の結果から自らが凡才だということをしっかり認識していた。
周囲からの無慈悲で屈辱的な言葉を覆してやりたいと思っても、彼の本質は無能という結果が科学的に証明されてしまっている。
プライドが高いランジョウにとってこのどうしようもない事実は屈辱であり何もできない苛立たしさがあった。
そんなランジョウにトーマスは無表情のまま漆黒の目を向ける。
「殿下。日頃から申し上げていますようにご自身を卑下するのはご自重ください。貴方様は誇り高きガウネリン家の血を引くお方であり、第一皇位継承権を持つお方なのですから」
「貴様ごときが余に申し立てるな。貴様の発言など全てベルフォレストの二番煎じに過ぎぬ」
「殿下、私めは殿下を……」
「黙れっ!」
ランジョウは勢いよく立ち上がると彼が腰を下ろしていた重厚でクラシカルな椅子が真後ろに音を立てて倒れる。
彼は深紅の瞳を炎のごとく燃え上がらせると、微動だにしないトーマスに詰め寄った。
「余は分かっているぞ! 貴様もハンフリーもベアトリスも余を利用しようとしているにすぎん! 大方ベルフォレストに取り入って出世の道を探っているのだろう! ベルフォレストが申していた通り、ラヴァナロス人以外は穢れた種族に過ぎぬ!」
「殿下、確かに私目はラヴァナロス人ではありませぬ。ですが、殿下をお慕いする気持ちに種族など関係はありませぬ」
「ククク! 宗教で金を貪るジュラヴァナ人が言いそうな精神論だな。クリオス人は野蛮な戦闘種族! レオンドラ人は不遜な獣人! アイゴティヤ人は高慢な鬼人! カルキノス人は強欲な青肌! フマーオス人は面だけのウスノロ! スコルヴィー人は下等な奴隷種族! これは歴史が証明していることだ! ここに書いてあるようにな!!」
ランジョウはそう叫びながらトーマスが持ってきた本を床に放り投げる。彼の中には差別意識は完全に凝り固まっていた。
「執政大臣がそう仰っていたのですか?」
トーマスはそう思いながら本をそっと拾い上げながら尋ねると、ランジョウは無音でその場にしゃがみ込む。
彼の持つその差別感情は全てベルフォレストが植え付けた選民種族意識から来ているのだろう。そしてそれはベルフォレストが自分以外を信用しないようにするための洗脳に近い教育だったに違いない。
そんな教育を施されたランジョウに普遍的な意識を持たせるには一度すべてを壊す必要があるのかもしれない。
トーマスはそう思いながらランジョウのそばに歩み寄ると、彼は肩を震わせていた。
ランジョウにとって上辺だけの敬意を払われるペルソナだらけのこの宮殿は地獄だった。
仮面の下にある自らの卑下する人々の声が彼の心を徐々に蝕んでいったのだ。
まだ12歳の少年であるランジョウを本来ならば両親が愛情をもって守ってくれたのだろう。しかし母な生まれてすぐに亡くなり、父は生まれてから意識が戻らず眠り続けている。せめて血を分けた兄弟が生きていればこんな仕打ちを受けなかったのかもしれない。そんなことを考えていると、彼の心の中には寝たきりの父や死んでしまった母と兄に対して憎悪にも似た感情が生まれていた。
そんなランジョウの荒んだ心を救ってくれたのがベルフォレストだった。
彼は常に敬意と慈しみをもって接していてくれていると感じていたランジョウはベルフォレストにだけは心を許していたのだ。
ベルフォレストだけは他の人間とは違う。
建国以来3000年以上ガウネリン家に付き従うナヤブリ家の人間であるという血統も加味していたが、時間の合間を縫ってはここを訪ねてくれるその姿にランジョウは安らぎを感じていたのだ。
「……ベルフォレストを……奴を呼んでくれ」
力なくそう告げる彼にトーマスは眉間に皺を寄せながら寄り添った。
「……執政大臣は現在取次が難しゅうございます。だからこそ私めらがこうしてお側に」
トーマスの言葉にランジョウは再び瞳を燃え上がらせると彼の頬を強く殴った。
「余は! ベルフォレストを呼べと命令したのだ! 貴様は余に逆らうのか!」
「……殿下」
「……何故だ……ここ数カ月ベルフォレストは余に会いに来ぬ……余には……余の身内は奴しかいないというのに……」
ランジョウは再びその場にへたり込む。トーマスの頬は腫れあがり口角からはジュラヴァナ人だけが持つ青い血が流れ落ちた。
トーマスはそっと目を閉じて俯く。
彼の漆黒の目にはどこか悲し気な雰囲気があったが、怒りに震えるランジョウはそのことに気付かなかった。
「かしこまりました。お取次ぎいたします。よろしければその間にこちらをご一読ください」
トーマスはそう言って腋に持っていた本をテーブルの上に置くと頭を下げて部屋から出て行った。
彼に選択肢はない。ランジョウが望むことを出来る限りしてあげなければならない。それが皇后直轄護衛騎士団だった彼が亡き皇后に出来る最後の忠誠だったのだ。




