第四話 テストだよ
前回、拷問の意味
「た、ただいま」
日に照らされた真夏の道を、普段の十倍の時間をかけて帰還した蛍。
服の中は汗だくで、だけど目は獣のように研ぎ澄まされている。
理由はもちろんアラディアさんがかけた呪いのせいだ。
身体の重量が何倍にも倍増され、手足に見えない重りをつけられ、満足に呼吸も出来ず、本来の力を発揮できない。
歩く度に足が地面に沈みそうだ。比喩ではなくまじで。
玄関を開けた瞬間の安堵で、部屋に崩れ落ちそうになった。
(アラディアさんは条件があるって言ってたけど、本当にそうなのかな?
帰る途中で色々やったけど全然軽くならない)
帰る途中、二人は呪いの負担を軽くするためにそれはもう色々やった。
目を閉じたり、走ったり、スキップしたり、歌ったり、姿勢を低くしたり、逆につま先立ちになったり。
けれど効果無し。むしろ疲れただけだ。徒労。
台所に向かう。父と母の姿があった。
「お帰り蛍。遅かったじゃないか。どこかに遊びにでも行ってたのか?」
揚々と話すのは僕の父。冷房が効いている部屋でご飯を食べている。
早く僕もそっちに行きたい。けれどそれはシャワーを浴びてからだ。
「勉強してたらこんな時間になってたんだよ父さん。シャワー浴びてくるね」
「おう」
足を引きずるように着替えを取り、シャワーを浴びる僕。
もちろん呪いは続く。シャンプーへ伸ばした手が馬鹿みたいに震える。
重い。苦しい。疲れる。三重苦は終わりなく僕にのしかかり地べたに這いずらせようとする。
けれど、これも僕たちの成長に必要なことなんだ。
さっきまでの苦痛を思い出す。死にたいと何度も思った痛みを。
それに比べれば全然ましじゃないか。
前向きになろう。これを乗り越えればきっと奴に手が届く。
今度こそ、美羽を守れる。
そうだ。そのためならこれくらいどうってことないだろう。
確かな想いを持って、背筋を伸ばして前を向く。
その一瞬、わずかに身体にのしかかる負担が軽くなったような気がした。
すっかり忘れていたことがある。
色んな事があった。エンケパロスとの戦い。その直後現われたファルファレナという規格外の怪物。
けどそれより以前に、今週はあれがあった。
そう、テストが。
「え~と、どうやって解くんだっけこれ」
家に帰りシャワーを浴びた美羽は、机の前で数学の問題とにらめっこしていた。
もちろん呪いは継続中。油断すればペンを持つ腕が机にめり込みそうだ。
呪いが軽くなる法則性は依然見つからない。様々に試したが効果無し。むしろ疲れた。
この状態でテスト勉強をするんだから余計疲れる。
今も数学の問題と格闘中。蛍が教えてくれた範囲は大体分かったが、それ以前の範囲を忘れた。どうやるんだっけ。
数学以外の教科は大体テスト範囲を声に出して復習すればなんとかなる。ある程度の基準には達する。少なくとも50点以下はありえない。
10分くらい悩んでも答えが出ず、私は一息つくことにした。
分からない問題に時間を掛けても無駄だ。幸い数学のテストは明後日。明日蛍に聞こう。
ベッドに横たわる。呪いは全身にのしかかる。まるで私の上に熊が乗っているような重量。潰れそうだ。
(・・・・そういえば)
アラディアさんは呪いを説明するとき、気になることを言っていた。
一意専心。心頭滅却すれば火もまた涼し。
どういう意味だ?私はスマホで意味を調べる。
一意専心。他の事を考えず、心を一つの事に集中すること。
心頭滅却すれば火もまた涼し。無念無想の領域に達すれば、火もまた涼しくなる。心の持ち方一つで苦痛を苦痛と思わない。
ぱっと見た感じではこんなものか。
これらの言葉から推測されることは、一つのことに集中すれば、この呪いも軽減される?
よし、早速試そう!!
・・・・・・何を?
こんな時には情報収集。スマホで”精神統一”と調べると”瞑想”という言葉が多く出てきた。
なになに。背筋を伸ばし座禅して、呼吸に集中する、と。
雑念は思い浮かんでも大丈夫。そのたびに何も考えないよう意識すればいい。
最初の目安は5分。そこから時間を増やしていけば良い。
ふむ、5分くらいならできそうだ。
ぐぐぐ、と重い身体を動かして、壁を背後に座禅を組む。
あ、それなりにきつい。背中が痛い。
正しい姿勢っていざするとなるときついものだ。
お父さんにもよく言われたな、背筋を伸ばせって。
・・・・・・・・。
明かりが気になるから消そう。
暗闇。外から聞こえてくるのは車が走る音。若干人の声。
これなら集中できそうだ。目を閉じて呼吸に集中する。
瞑想を始めてすぐ、驚いたことに次から次へと雑念が浮かんできた。
咎人のこと。ファルファレナのこと。蛍のこと。カナのこと。桃花のこと。店員の皆のこと。夏のこと。暑いこと。
顕現のこと。テストのこと。トレーニングのこと。死にかけた、というか死んだこと。モンブランのこと。親のこと。
自分のこと。将来のこと。過去のこと。
一度消したはずのそれらが5秒後にまた顔を出す。厄介この上ない。
(あれ。だけど、軽くなってる?)
けど、身体にかかる負担は軽減されたように思えた。
少なくとも平時よりは重くない。さっき熊が身体に乗っていると言ったが、今は猪が乗っているくらいの重さだ。いや、それでも重いんだけどね。
これが、アラディアさんが言っていた仕掛けというものか。後で蛍にも教えてあげなきゃ。
今は瞑想に集中。余計な雑念を振り払いながら、自分の呼吸に集中する。
段々と暗闇に吸い込まれていく。心臓の鼓動がハッキリと聞こえる。
あ、なんだか眠くなってきたかも。
横になっても瞑想ってできるよね?
ベッドに横たわり、そのまま経過を見る。
うん、大丈夫だ。負担は変わらない。
ちょうど良い。このまま瞑想を続けよう。
そのあと、勉強の、続、きを、、、
・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
そして起きたら朝でした。
「・・・・・・・・しくじったぁ」
悔悟の溜息をついて、体を起き上がらせる。
せめて横になる前にもう一度復習したかった。寝る前と起きた直後は記憶の定着がはかどるって聞いたのに。
そして迎えたテスト。
今日は三教科分のテストをしなければならない。
蛍とは朝に会って、互いに重い足取りで学校に向かった。
それをカナは不思議そうに見ていたと思う。いや、見ていた。
もちろんだがテスト中でも呪いは効果を衰えない。
おかげで一文字一文字書くのに時間がかかる。
最初のテストでそれを体感し、次のテストからはバババっとなるべく早く書いた。
瞑想もした。テスト中に座禅なんて出来ないので、とりあえず呼吸を意識し雑念を排除した。
すると困ったことが起きる。問題を解くために考えると途端に身体が重くなる。
どうすればいいのこれ?何も考えるなと?テストなのに?
悪戦苦闘しながら紙面に書き込む。長文を書く問題を見ると泣きたくなる。
裏面まで書き終わったら細かいところを修正。見直しは大事だ。一点でも多く欲しい。
この前テスト勉強をしたおかげか、カナは終始調子良さそうだ。
二教科分のテストを終え、私と蛍とカナは屋上で昼食を取る。
話題はもちろんテストのこと。あの問題分からなかったとか、あの答えってこれでいいよねとか。
そのたびに蛍が解説してくれる。すると私とカナの歓声と悲鳴があがる。
午後には歴史のテストが残っている。三人とも教科書を持ち込み食べながら復習をしている。
私がサンドイッチを食べる姿を見て、蛍が話を切り出した。
「奏。僕は心配な事があるんだ」
「え、テスト?」
「ううん。美羽の食生活についてなんだ」
「・・・・私の?」
食生活?何のことだ?
「この前美羽の家に看病しに行った時。
冷蔵庫を開けると見事に中身がすっからかんでね。
聞くと朝は食べないで、昼と夜は近くのコンビニで食べているとか」
「え、まあ、そうだね」
事実なので何も言えない。冷蔵庫の中身はペットボトルとアイスがほとんどだ。
「おおう、それはまた」
「それでね、これから度々美羽の家にお邪魔して夕飯でも作ってあげようと思うんだ。
どうかな?カレーとか肉じゃがくらいなら作れるけど」
「え、ほんと?」
まじで?なんという素敵な提案。
蛍が来てくれるのは嬉しいし、手料理を食べられるのも嬉しい。二重の意味で素晴らしいじゃないか。ぜひお願いしたい。
カナはそれを聞いてニタァと意味ありげに笑う。
「ほほう、なるほどね。そうきましたか。
蛍もアプローチの仕方が分かってきたね。
そんな回りくどいことせずに、もう二人とも結婚しちゃったら?」
「け、結婚って」
「奏。僕はそういう意味で言ったんじゃないよ。あくまで美羽の食生活が気になるって事だよ」
「ん~?そういう意味ってどういう意味かな蛍~?」
「そ、それは、その」
紅潮し、あたふたしだす私と蛍を見てニヤニヤするカナ。
どことなく霞さんと口調がダブってる。カナって色恋沙汰になるとこうなるのか。
それともテスト勉強で頭のネジが外れたか。
カナの攻撃をなんとか躱しながら、結局蛍が強制的にテストに話を持って行ったのだった。
放課後、全ての授業を終え私たちはヘロヘロになった。
昼休みの間に蛍と呪いの軽減方法について話し合った。
その結果見えてきたのは二つの方法。
1,一つのことを想い続ける。
2,心身を落ち着かせ瞑想する。雑念を払って精神統一をする。
アラディアさんが言っていた、一意専心と心頭滅却すれば火もまた涼し、それはこういう意味だったんだ。
そして、この二つを併合するとさらに負担は軽減される。
これも検証済み。さっきテスト中にやって効果を確かめた。かなり楽になった。のしかかる圧力が猪から犬になったくらい。
テストの結果も良いと思う。空白は全て埋めたし、解答にも自信がある。
蛍に明日の数学を教えて欲しかったけど、それはトレーニングが終わった後でいい。
何はともあれ今日もお疲れ様。背伸びして開放感を味わう。
が、この後に二人で何千回も死ぬことを思い出し絶望する。助けて。
下校準備をしていると、カナが私たちに近づく。
手にはラケット。テスト期間中でも部活は続くらしい。
「二人ともお疲れ様。
これから勉強だよね。頑張って」
「ありがとう。カナも部活頑張って」
そのまま別れようとする。
けれどカナは私たちから視線を外さない。
まだ何か用があるのか、カナは口を開いた。
「ねえ、二人とも。
私の勘違いかもしれないけどさ、無理してない?」
「え?」
出てきたのは私たちの体調を気遣う言葉。
いつもの笑顔は鳴りを潜め、心配そうに目を細める。
「何だろう。美羽も蛍も今日身体が重そうにしてるからさ。
美羽ちゃんは風邪から復帰した直後だけど、蛍も具合悪いのかな~って思って」
平時との異変をカナは気づいていたらしい。
「もしも困ったことがあれば相談して欲しいな。
何の力にもなれないかもしれないけど、ほら、悩みは口にするだけで軽くなるとかって言うじゃん。
愚痴なり何なりさ、私で良ければいつでも聞くから。
二人は大切な、友達だから」
そう言って精一杯の笑みを浮かべるカナ。
その輝かしい笑顔を見て、思わず泣きそうになった。
「ありがとう。でも私たちは大丈夫。
必ず良くなるから。元に戻るから」
ありがとうカナ。やっぱり貴方は大事な友人だ。
こんなにも真摯になってくれる友人がいることに、私は改めて感謝する。
私は幸福なんだと、再認識する。
そして決意を深くする。
カナと蛍と一緒にいるこの日々を。
絶対に、絶対に奴なんかに奪わせはしない。
次回、LESSON2




