第七話 術と技と顕現の応酬
前回、やばい魔女とステゴロ馬鹿となんも言わねぇ巨人
何もかもを壊しながら。何もかもを創りながら。
黒と白の閃光は蝶とつかず離れずの距離を保ちながら、都合二万を超える攻防を繰り返す。
相手の防壁を食い破り、ファルファレナの剣を防ぎ避けて、カウンターを叩き込み自らは攻撃を食らわずに。
行動予測のトレーニングが功を奏している。いや、今まで全てのトレーニングが、確かに二人にファルファレナと戦う力と根拠を与えている。
あのファルファレナと、一週間前は戦闘にもならなかった熾天使と、今互角に渡り合っている。
二対一という数の有利もあるが、二人の実力がその域にあるというのも事実。
でなければ今頃、ファルファレナの剣技によって瞬殺されている。
ペースは二人が握っている。ファルファレナは迎撃と防御に比率が傾いている。
もちろん主導権なんて渡す気はない。このまま終わらせ――
「さて、大体分かって来たよ」
刹那、余裕を孕んだ声と共に、ファルファレナの斬撃が二人を弾いた。
「っ!!」
防壁を貫通した斬撃をもろに喰らい、腹部に深い裂傷を負った美羽は、即座に傷を負った現実を破壊する。
いまさら全身を両断する程度の痛みで呻き声を上げる二人ではない。
即復帰し、再び右と左からファルファレナを挟み撃つ。
「ああ、分かって来たというのは、君たちの戦闘スタイルや戦術のことを言っているんだがね。
つまり大体の戦い方は理解したよ」
だが、両側からの挟み込みは読まれていたかのように、ひらりと身をよじり躱された。
同時に伸ばされるファルファレナの両手。
長刀を持つ蛍の腕と、黒化した美羽の腕が掴まれ、骨が折れる音よりも早く握り潰される。
そのまま手に持った剣で蛍を切り裂き、左腕の肘が美羽の顔面に叩き込まれた。
蛍は肩から脚まで両断され、打撃を受けた美羽の頬は変色し青痣が出来る。
再生を完成しようと、そのタイミングさえ計ったかのようにファルファレナの斬撃が飛んできた。
今までの押され気味のペースが嘘のよう。一気に攻勢に回ったファルファレナの連撃は、数の有利など無視して二人を劣勢に追い込む。
「もしかしてだが、今までの私が全霊だとでも思っていたのかな?
だとしたら戦略眼がまだ甘い。今までの様子見など本気の二割にも満たないぞ」
「っ!!」
鼻先にまで近づいてきたファルファレナ。美羽は間近で振るわれた剣を前に、両腕でクロスし顔を守る。
だがそんなものは知らぬとばかりに、安々と防壁を貫いて、ガードした美羽の両腕ごとその身を切断する。
美羽が張る防壁の種類や質も解析済み。いくら張り直しても彼女の攻撃は障子を破るように貫通するだろう。
決して二人は安易な夢を見ていたわけではなかった。しかしそれでも、熾天使の猛威を再度心に叩き込まれる。
「ほら、私だけに注意を向けるな。常に周囲に目を配れと教わらなかったのかな?」
背後から急襲してきた蛍に、目を向けずに注意するファルファレナ。
直感が働いた時にはもう遅く、いつの間にか蛍の服に一匹の蝶が止まっていた。
蝶は爆発的に光を増して、そして発火。
人を飲み込む程の爆発が蛍を襲った。想像以上のダメージを受け、否応なしにも一旦下がざるを得ない。
周囲に羽ばたく幾億の蝶すら攻撃手段。しかも熾天使にすら充分な損害を与えられるときた。
無数の蝶は縄張り中に存在する。いわば大量の地雷に囲まれた状態であり、逃げ場は切り開くしかない。
「顕現 渇熱の双炎!!!」
美羽が獄炎を纏い、両手を合わせ一振りの炎剣を生み出す。
熱を奪い、生命を枯らし、輝きを喰らう穢れの黒炎。
数百の蝶蛾が飲み込まれ、存在の根本から滅される。
刃の形に凝縮された負の波動が、真っ向からファルファレナに衝突した。
水分は全て蒸発し、世界から水と植物が概念ごと消える。
乾きの炎は、触れた者の満たされない渇望を無理矢理引き出し、増幅させ、拷問すら生温い飢餓感を味あわせる。
物理的、精神的な渇きを催す死の火花。
業火は地表を舐め、美しい花々が咲き誇る大地ごと闇の深淵に沈める。
先ほどよりも火力が増した業火の顕現。だがそれは攻撃のためではない。
ファルファレナはそれを涼しい顔で受け流し、隙を見せた美羽に斬りかかる。
だが直感が働いたのか、余裕の表情を一旦崩した。
動いたのは蛍。大地を焼き尽くす獄炎を剣で切り裂き、その炎を長刀に宿らせる。
そして光輝く刀身。一瞬でチャージが完了し、壊炎と共に七色の極光がファルファレナを飲み込んだ。
莫大な光で影すら消え去るファルファレナの姿。蛍渾身の一撃が見事に直撃した。
だがこれで倒せるわけではない。美羽と蛍は追撃を与えるため、光が迸った射線上に同時に走る。
美羽の右腕が黒く膨張し、蛍の長刀が眩いばかりの光を纏って、必殺の一撃を用意する。
いまだ砂塵が晴れぬ先、ファルファレナがいる位置に二人は必殺を振り下ろした。
カッ! と、瞳を大きく開眼したのはファルファレナも同じ。
正確無比の二人の必殺。身体が多少塩化しながらも、ファルファレナの動きは寸分も衰えない。
衝突。美羽の巨爪を掴み、蛍の光剣を刀身で受け止め、それ以上二人の攻撃を一㎜だろうと自分に近づけない。
押し通す二人に対して一歩も退かない。どちらも触れたらまずいと分かっているから。
至近距離での鬩ぎ合いは続くかと思いきや、突如ファルファレナの掌が光り始めた。
それが先ほどの蝶の爆発と酷似していると、蛍が気づいた時には、その力が解き放たれた。
神秘的な色彩の爆発。熱もなくただ衝撃だけが二人を襲う。
衝撃で吹き飛ばされる二人は、意識が飛びそうになるも気合いで持ちこたえる。
しかし、それを見逃すファルファレナではない。
ニヤリと笑い、その身体が蝶となって空間に溶ける。
まず狙いを定めたのは蛍。砲弾のように吹き飛ばされる彼の背後に突如ファルファレナが現われ、剣を振りかぶる。
「くっ!」
即座に長刀を後ろに回す蛍。
撃ち合う剣閃は四,五回。六度目には長刀を持った腕が切り落とされる。
剣戟の腕は蛍よりも上。さもありなん。単純に剣を初めて握った時分と、剣を持ち続けた時間が、彼女と蛍では違いすぎる。
追撃は、飛んでこない。ファルファレナは再び蝶になりどこかに消えた。
なぜ?だがその疑問はすぐにでも解決する。空中に剣が何十と現われ、それが蛍に降り注ぐ。
腕のない蛍は回避できず、剣が全身に突き刺さる。
それだけではない。刃に刻まれた幾つものルーン文字。それが効能を発揮し、蛍の身動きを封じ込めた。
「蛍!!」
同じように吹き飛ばされた美羽は、すぐにでも親友の元へ駆けつけようとする。
だがその背後にファルファレナが現われ、その首に鋭い一閃を見舞った。
それに気づき、即座に黒手で迎撃する。
だが完全には防げないのは分かっている。腕が切り裂かれ、脚が切り裂かれ、髪を切り裂かれ、目を切り裂かれる。
熾天使になった美羽をして、まるで嵐に立ち向かっているような激しさを感じさせる猛攻。
剣を持たないファルファレナの左腕。それが美羽のガラ空きの腹部に叩き込まれる。
血と共に強制的に吐き出される酸素。肉を貫通しその背骨に触れて、再び発光するその掌。
内部からの爆発で、再び美羽は後方に吹き飛ばされる。
「美羽ッ!!!」
剣の拘束を解き、復帰した蛍が、自分の方へ吹き飛ばされてくる美羽を受け止める。
奇しくも、ファルファレナと初めて対峙した時と同じ構図。
だがあの時と違って、蛍は美羽をしっかりと受け止めた。
しかし、それすらファルファレナは見越している。
目の端に映る金色の鱗粉。
前兆など感じさせずに、無から現われた幾千の蝶。
それが至近距離で二人を囲み、まるでオーロラのように優しく二人を包む。
徐々に光を溜め込み、その形が溶解し始める。
だが蛍は、その神秘的な光景に、途方もない死神の息づかいを感じ取った。
(まずい――ッ!!)
回避も防御も無意味だった。
数千の蝶による大爆発が二人を襲う。
視界の全てが光で潰れる。比喩でもなんでもなく、一瞬世界から影が消えた。
色の全てが白で塗りつぶされる。莫大を通り越した閃光が縄張りの果てにまで届く。
近い位置にいたファルファレナは、優雅にマントを広げ顔を隠す。
やがて爆発は収まり、爆心地の姿が明確になる。
そこには白い繭――いや、美羽を覆い隠すように包む蛍の姿があった。
その意図は明白。美羽が傷つかないように、全ての衝撃を全身で受けたのだ。
「ほ、蛍っ!」
「だいじょうぶだよ、美羽。このくらいへっちゃらさ」
安寧を心配する美羽に、気丈に笑ってみせる蛍。
だが明らかに無事ではない。身体は消滅しかけているし、魂は今にも決壊寸前。次の瞬間には砕け散ったって不思議ではない。
その代わり美羽の身には損傷はない。あっても軽微なものだ。
それを確認して蛍は安堵する。自分など比べものにもならない程大事な人が無事でよかった。
長刀を自分に突き刺し再創造。罅割れ一つない蛍が創られ、改めてファルファレナと対峙する。
様子見を止め、即座にペースを巻き返してきた咎人。
その実力は美羽と蛍を合わせてもなお上を行く。身につけた経験も術技など及びもつかない。
だけど、活路はある。
それを使えば、間違いなくあの蝶に届くと確信して、二人は再度ファルファレナに立ち向かった。
激突する三体の熾天使。
超常に至っている三人の戦闘からは、常識が吹き飛んでいた。
因果を超越しているため、攻撃しようと思った時には既に攻撃が成立している。
時間を超越しているため、過去から、未来から攻撃が現在に到来する。
空間を超越しているため、避けたはずの、異なる座標にある斬撃が全て殺到する。
依然として押しているのはファルファレナ。だが美羽と蛍は、彼女に必死に縋り追いついている。
彼我の差が徐々に縮まる。既に見せた手は二度と通じはしない。被弾数も減少し、ファルファレナの攻撃を次々に見切っていく。
そして、次に仕掛けたのは二人だった。
(蛍!)
(わかった)
思考で意思疎通を行い、そのタイミングを見計らう。
ファルファレナは美羽に向かって接敵している。斬撃の嵐を美羽は見切り、寸でで躱しながら空中に逃げる。
それを追いかけるファルファレナ。蝶のように飛翔を得意とする彼女にとって、空中は自分の庭のようなものだろう。
飛翔速度で敵いはしない。すぐに追いつかれ、追い込まれる美羽。
だけど、これで良かった。
「!」
危機を感じたのは、追いかけているファルファレナ。
立ち位置的には彼女は下にいるわけだが、すぐにでも追いつき美羽の上を行くことができる。
だが視界の端に白い影が躍り出て、次の瞬間には蛍が美羽の側にいた。
手を重ね合わせ、呼吸を合わせ、互いの意思を一つに。
美羽の黒化した右脚に、二人の霊格が注ぎ込まれる。
((協力意思、発動!))
背教の黒脚。天からの鉄槌が振り下ろされた。
揺れ動く大気。空間に走る多大な振動。
受け止めた剣が砕けそうな衝撃と共に、ファルファレナは地に叩き堕とされ、大地にクレーターを造る。
決して損害を無視できない一撃。痺れる痛みを感じながら、立ち上がるファルファレナにさらなる追撃が襲いかかる。
天空から降り注ぐ無数の武器。それが蛍の創造物であることはすぐに分かった。
先ほどと違うのは、それらがファルファレナに充分ダメージを与えられる強度を保有していること。
幾億の神剣が大地に突き刺さり、瞬く間に剣山の様相を作り上げる。
その身を蝶と化し避けたファルファレナは、再び身体を構築しながらその現象を解き明かす。
(なるほど、協力意思か。
二人の想いを一つにして私を討つ、と。
いいね、ドラマチックだ。感動的だよ。全く以て羨ましい)
協力意思の詳細はファルファレナも知っている。自分とは無縁のものだが、相手が使ってくることは常日頃から想定している。
何より驚いたのは膨れ上がった二人の霊格。合わさった意思から放たれる顕現は、通常の数十倍から数百倍の出力があった。
美羽と蛍以外の人物が協力意思を使っても、普通こうはならない。たった二人で、数十人規模の意思に匹敵している。
それすなわち、二人の相性は抜群を通り越して余りあるということ。五行思想で言うのなら間違いなく相生。互いの属性が互いを剋することなく高めあっている。つまり二人は魂レベルに熱烈でラブラブだということ。
だからこそファルファレナは羨ましいと思ったのだ。
相乗効果の結果は先ほどの通り、ファルファレナにも通じる域に至っている。
ならば、次は――。
(美羽、合わせて!!)
(分かった!)
地上に降りた二人は、すぐさま次のアクションを取る。
蛍が握る長刀。それが七色に発光し、そこに美羽の霊格も加えて暁の槍を解き放つ。
極光が縄張り全体を眩い白で照らし、光に触れたもの全てを塩と化す。
宙を舞う数億の蝶が空中で同質量の塩と化し、大地がまるごと透明な塩の結晶となる。
ファルファレナは身を翻すが、空間ごと塩に変換する光を避けきれずに髪が光に触れる。焼け切れ、塩になると同時に塩化が身体を浸蝕する。
忌々しげに髪の付け根ごと引き千切り、損害と同時に再生。端から見れば手品のように髪が生え変わった。
(大した威力。だが大振りだ)
この光量では自分の視界すら制限する。
再び蝶と化したファルファレナは光の渦を掻い潜り、その先にいる二人へ突貫する。
すぐにでも見えてくる、長刀の柄を握る二人の姿。
そして、こちらに銃口を向ける蛍の姿。
「えっ」
思わず呆けた声を出したファルファレナ。
その銃砲の形は、三つの銃口がついたショットガン。
神秘的な白い砲身には、彼の長刀と同じく葉脈のようにエメラルド色の光が走っている。
ところどころに植物の蔦が巻き付き花が咲いていて、自然と人工品の見事な調和が体現している。
芸術的なその形は天上の武器と呼ぶに相応しい。
それは周囲の霊子やエーテルを吸収し、純粋な高次エネルギーそのものを発射する銃砲。
悪魔の発明品。その名は、
「ケラウノス・オーベルテューレ」
三銃口から、雷の轟音と共に異次元の超火力が放たれた。
ファルファレナは咄嗟に腕で顔を庇う。
至近距離で直撃し、オレンジ色の閃光を尾に引いて、はるか遠くの彼方まで吹き飛ばされる。
脚で大地を踏みしめ、ようやく止まった頃には、既に彼女の両腕は肩から消えていた。
魂に牙をたて、蝕む猛毒。自分の霊的な側面が致命的な損害を受けたことを知る。
彼女は眉をかすかにひそめる。見逃してしまいそうな程の、小さな小さな変化。
ここでようやく、ファルファレナは苦悶の表情を浮かべたのだ。
それでも立ち上がる。消滅した腕に蝶蛾が集まり、新たに腕を構築する。
魂への激痛は今も続いているが、全て噛み殺し、二人に隙を見せることはない。
掴み返したペースは、再び二人に流れ始める。
(それはまずいね。断ち切らねばならないだろう)
立ち上がったファルファレナに対して、美羽と蛍は追撃の手を緩めない。
協力意思により強化された蛍と美羽の創造物。
暗闇から沸き立つ魔の獣。無から生まれる武器。
世界を食らい、自らの領地を広げるそれらが、一気に回転数を上げファルファレナの縄張りを奪いつくす。
圧倒的な物量。波状攻撃。
魔獣の牙と強靱な武器の雨に身をさらし、削れていくファルファレナの総量。
一の威力を億の数放つのではない。億の威力を一つの数放つのでもない。
億の威力を億の数放つという暴論。
飲込まれ、すり減り、削がれて、徐々に押され始める。
さしものファルファレナも、剣一本で対処するには全く手が足りない。
なので、手を増やすことにした。
「っ?!」
何が起きたのか、その目で見ていたにも関わらず二人は理解が出来なかった。
ファルファレナに殺到していた二人の創造物。それが瞬時に切り裂かれ、微塵となって消え失せる。
確かに信じがたい光景だが、それだけならまだ打てる手はあるし理解は出来る。
問題はその方法。
二人が見たありのままをそのまま伝えるのなら、無限の刃が突如として虚空から現われ、創造物を切り刻んだのだ。
一瞬世界が刃に浸蝕され、幾輪もの鉄の華が咲いたように見えた。
だが驚いてばかりではいられない。ファルファレナは何事もなかったかのように剣を振りかぶっている。
それに対して二人は、直感と並列思考とシミュレーションを併用して次の一撃に対処する。
否、一撃ではなかった。
気づいた時には、二人の全身に無数の刃が内外から突き刺さり、その身を隙無く切り裂いていた。
「――ずっ!!」
「がぁッ!!」
刃が現われた時間は一瞬。
目、耳、鼻、口、歯、舌、肌、筋肉、骨、血管、内臓器官の全て。文字通り全身を刃に晒され、自らが噴き出した血だまりの中に倒れそうになる。
二人の霊格が削られる。魂に届いた刃が、そのまま壊しかねない程の致命傷を与える。
奇妙な感覚だ。まるで外から無数の刃が突き刺さり、内部から発生した無数の刃が外に飛び出たかのような。
そして、目が切り裂かれる前に一瞬見えたのは、ファルファレナの刀身がまるで蜃気楼のようにぼやけ、無数の像を描き分かれていた姿。
「くっ、はぁァッ!!」
蛍は自分自身に剣を突き刺し再創造。そのままファルファレナに剣に向けて振るい、白い剣閃を放つ。
触れるものを創造しなおす斬撃。彼女の反応から鑑みるに、この一撃を食らいたくはないはずだ。
ならば、もう一度その不可思議極まりない『何か』を使うはず。
必ず見極める。何が起きているのか、次こそ理解してみせる。
再び無数の像を描くファルファレナの剣。目がぼやけたかのように、いくつもの乱像が生まれては消える。
そのまま咎人は腕を横に振るった。蛍の勘違いでなければ、剣を持つファルファレナそのものも鏡合わせのように無数の像が生じた。
そして放たれる無数の斬撃。虚空から現われた斬撃が蛍の斬撃をかき消し、至近距離で生じたいくつもの刃が二人を捉え、その身に無数の裂傷を刻む。
再び全身から血を噴き出す二人。だが生じる結果は分かっても、何が原因で、どのような過程でそうなっているか、その答えには辿り着かない。
やれやれと、ファルファレナは二人の様を見て話し始めた。
「エヴェレットの多世界解釈というものを知っているかな?
有名な例だとシュレディンガーの猫か。
簡潔に言えば、観測者が観測するまで、猫は生きている状態と死んでいる状態の両方が重なっているというものだ」
聞いたことはあった。
多世界解釈。観測によって現実が決まる。という内容のものだった覚えがする。
箱の中で猫が生きていても、死んでいても、寝ていてもダンスしていてもいい。その結果無限の世界に分岐する枝が生じる。
葦の国の世界観の一つ。量子的な宇宙の話。
そして、それが使えるものであれば、咎人は躊躇なく使う。
「私の行っているこれも同じようなものだ。
一時的に私が内包している観測事象を、一つの世界に同時に実現させている」
つまり、していることは現実の同時配置。
本来一つに収束される事象。それを引き出し、可能な限り今に現出する。
自身の身に内包されている無限の現実を、一つの現実に同時に表出させる。
「こんな風にね」
ファルファレナがその拳を握り、虚空に叩きつける。
ただの衝撃波で幾千もの智天使を葬り去る打撃が、空間全てを埋め尽くし、二人の外部と内部から無数の殴打を浴びせる。
「っづ!、あぁっ!!」
全身の骨が折れ血飛沫を上げながら、美羽はファルファレナに接敵し爪と脚を食らわせる。
しかしダメージが響いているのか、平時と比べて五、六割の威力しか出せていない。
当然ファルファレナは両腕を使って破壊の顕現を抑え込む。
だが作戦は上手くいった。
美羽が時間を稼いでくれた間に、蛍は蝶の後ろに回る。
首を狙って放たれた剣閃。
今ファルファレナは美羽に対して両腕を使っている。これを防げるわけがない。
「と、思っていたかな?」
だが目に映った驚愕の現実。
突然ファルファレナの背後から生える腕と剣。
それが蛍の長刀とぶつかり防いだ。
腕を増やしたわけじゃない。
先ほどのファルファレナの説明を元に推測するのなら、
美羽に対して攻撃をしている自分に、僕の攻撃を防ぐ自分を重ねたんだ。
攻撃と同時に防御、回避、補助を同時並行で行う。
なんて反則技。たった一回の行動で無数の行動を可能にするなんて。
「まあ、安心するといい。私では一瞬しか現界できないから」
本人はそう言うが、それだけでも充分な脅威であることは間違いない。
無数対二人。数の差は絶対的で、これを使われ続ける限り勝ち目などない。
再び乱像が生まれるファルファレナ。濁流のように彼女自身が世界を埋め尽くし、無数の斬撃が全方向から二人を微塵に切り刻む。
それに対して蛍も無数の分身を生み出すが、いかんせん元々の霊格に差がある。武器を重ね合わせ、一合二合切り結ぶのが関の山だ。
翻弄される二人。その隙を逃さず、ファルファレナが傷だらけの美羽の首を掴む。
「ぁうッ!!」
「確か、君がブルーワズと戦った時もこうなって窮地に追い込まれたね。
協力意思は離れていたら使えない」
掴む腕に万力を加えながら、その首をむしるようにもぎ取ろうとするファルファレナ。
蛍はすぐにも救助に向かうが、無数のファルファレナの像が邪魔をし、一歩も前に進めない。
美羽の周りには幾千もの蝶が舞い、二人の間だけ白く染まっていく。
まるで、そこだけ世界が書き換わっていくような。
発光は爆発し、彼女が今にも奥義を解き放とうとした、その時に――
「猛毒ですよ」
美羽の声から、漏れるように紡がれる声。
声は地獄のような不吉さを孕み、一瞬ファルファレナから表情を奪い去る。
その目は不屈の意思と共に、底知れない深淵を宿していた。
「私に触れていていいんですか?」
「?――!!!」
掴む左腕から総毛立つ悪寒が走った。
美羽に触れている手が、グジュグジュと溶け崩れ、腐り呪われていく。
それも当然。今の美羽は呪詛と腐敗の塊。その身に触れるということは毒沼に手を突っ込むことを意味する。
毒は瞬く間に腕全体に拡がる。急ぎ美羽から手を離しその腕を切り落とす。分離した腕は液状化しながら悪臭を放ち、空中で分解して塵となった。
思わず距離を取るファルファレナ。美羽は掴まれた喉を押さえながら、さらなる呪いを解放した。
「顕現 穢る暴風破壊の侵犯!!!」
美羽の総身から発せられた黒紫の波動。それは空間を塗り潰し、そこに存在する万象を壊し尽くす。
破滅の衝動は全方位に拡がりながら、ファルファレナに向けてその浸蝕の矛先を伸ばす。
ファルファレナは笑みを浮かべながらその場を飛び去り、無数の現実を表出させ、世界を侵す浸蝕を切り裂いていく。
その間に合流する蛍と美羽。蛍はファルファレナの扱う多世界解釈に対する案を美羽に伝える。
賭けの要素が強いが、美羽はそれに頷き、再び協力意思の体勢をとる。
紫の浸蝕に侵されながらもファルファレナは止まらない。再び多世界解釈を利用した攻撃が発動し、外部と内部から無数の斬撃が飛んでくる。
空間を超越し、逃げ場がないため回避は不可能。致命傷は不可避。
されどその運命を変えるために、二人は再び手を握る。
そして、蛍が叫んだ。
「模倣顕現――ヌメロス!!!」
瞬間、無数のファルファレナが消えた。
空間を超越して奔る刃も、また消える。
世界全てに偏在していたファルファレナが、目の前の一つに固定された。
自分が強制的に抑え込まれている。彼女は何十もの鎖でその身を束縛されたかのような息苦しさを感じた。
数の概念を超えているファルファレナを、一時的とはいえ1に収束させたその現象に、刹那驚愕し、そして次には納得した。
(これは、エンケパロスの顕現。
なるほど、自分の顕現の万能性を利用して模倣したということか)
本来、顕現の完全な模倣は不可能。
他者が抱える想念、それはオリジナルでオンリーワン。
どれだけ精巧に真似たところで、必ずミクロの部分で違いは生じるもの。
だが、その想いに同調し、限りなくオリジナルに近づけることはできる。
劣化とはいえ熾天使の出力で放たれる顕現の模倣は、決して侮っていいものではない。
事実、数理を操るエンケパロスの顕現によって、ファルファレナの”無数”を”一”に収束させたのだから。
(本当は”オッカムの剃刀”でも使いたかったけど、顕現の模倣は今まで何回もしてたから、こっちの方ができるって確信はある)
神域に至るほどに冴え際立った想像力。そして二人の霊格を合わせた協力意思。
どちらが欠けても、この奇蹟はなしえなかった。
讃えるように、あるいは揶揄を含むように、ファルファレナは哄笑を上げる。
「はははっ! なんとかするとは確信していたが、まさか故人を引きずり出すとは思わなかったよ!」
「なんとでも。貴方に勝つには手段を選んでいられない」
事実、あの場を切り抜けるにはこれしかなかった。
それに蛍は、これを死者への冒涜とは思わない。
そんなことは考えても堂々巡りするだけだし、それに、あの脳髄だけの咎人なら喜んで承認してくれると思ったから。
いわば先人が残してくれた知識を自分が使っている感覚に近い。
結局、死者がどう想うかなんて生者が勝手に推し量るしかないのだから。
だから躊躇いなく、蛍は次の模倣を発動した。
蛍の左腕。急激に伸びて膨張し、闘気のオーラで作られた巨腕を形成する。
身長を優に超し、天を掴むがごとく開かれた五指を、蛍は握りしめ大地にいるファルファレナに向けてぶん殴る。
「模倣顕現――破輪」
輪廻を破壊する想念が大地を抉る。
彗星のようなその重量や外見に反し、振動もなければ轟音も聞こえない。
触れるもの全てを消滅し、生も死も存在しない無の領域――輪廻の外に叩き落とす絶無の一撃。
円環の車輪を打ち砕く豪腕を前に、さしものファルファレナもその身を翻した。
その判断は正しい。強制解脱の拳は粉砕した大地をこの世から消失させる。
ある意味美羽の破壊よりも脅威的なこの顕現を、まともに受ける必要など無い。
(へえ、その顕現も可能なのか。
ということは今まで戦ってきた咎人全ての顕現が模倣できると考えた方がいいようだ)
無数の現実は抑え込まれ、二人はさらなる隠し球を放ってきた。
面倒だとばかりに、ファルファレナは次の手をうつ。
降り注ぐ巨腕の流星を前に、虚空に歌声が響く。
『もし蝶が私に翅を貸してくれるなら、私がどこへ行くか、あなたは当てられるだろうか?
谷を越え 森を越え、あなたの閉じた唇へと飛んでゆこう。
麗しの君、貴方の元へ。私はそこで死を迎えたい』
唱える言葉は歌唱のようで、澄み渡る声は流水のように心に流れ込む。
しかし効果は絶大。ふっと、昇天するような歓喜と共に、二人の身体から魂が遊離する。
それは肉体と霊魂の分離。乖離。一種の幽体離脱。天にも昇る幸福を伴いその魂は蝶となって、浮世の一切を忘れさりこの楽園を揺蕩う。
もぬけの殻となった肉体は地面に倒れ込み、一切の生命活動を停止。
蛹を抜け出た魂は蝶となって空を舞う。自分が自分であることすら忘れる胡蝶の境地に、二人は忘我の喜びに浸る。
ニタリと笑うファルファレナ。手に持つ剣で、美羽の魂である蝶に刃を突きつける。
(――ッ! 美羽!!)
忘我の中で、されど自分を取り戻した蛍が、今にも刃に突きつけられる寸前の美羽に叫ぶ。
親友の危機に、蛍は最も同調できる顕現を記憶から引き出した。
「模倣顕現――恋貫きし騎士!!!」
美羽を守るために、蛍(白い騎士)は全ての制限と制約を超える。
二人の間で結ばれる協力意思。『私を守って』という美羽の無意識の願いに、蛍は『もちろん、自分の全てを使ってでも君を守る』と魂込めた契約を交す。
すぐさま肉体を取り戻した蛍は、本来ならば間に合わない行動順番の差を強制的に縮め、ファルファレナと美羽の間に割り込む。
ガッキィィィィン!! と、鉄がぶつかる音が響く。
長刀から翼を展開した蛍が、ファルファレナの刃を弾いた音だ。
刹那の攻防。自分の前に立つ蛍の姿に我を取り戻した美羽は、下降し自らの肉体に入り込む。
再び鼓動する心臓。流れる血。生命活動を再開し、戦線に復帰する。
ならばと、ファルファレナは再び咒を唱えた。
『不幸なるかな、愛する蝶たち。優しい紋章よ。
汝らの美しさ故に、不幸は訪れる。
一本の指が通りすがりに汝らの胴の
ああ、天鵞絨の毛を傷つける』
唱え終わると、世界全体の光量が増した。
虹色に輝く鱗粉。発光し、幻想的な光景が二人とファルファレナを包みこむ。
かといってそれを吸い込むことも触れることもない。スクリーン上の映像のようなもので、これを消し飛ばすには情報そのものを破壊するしかない。
その極彩色の鱗粉がもたらすものは――
(っ! これ、は・・・・)
美羽と蛍の間に形成されていた不可視不可触のネットワーク、その糸が途切れた。
つまりジャミング。これまで当然のように行われていた、思考の共有が排される。
当然、それだけに留まらない。
邪魔な鱗粉ごと吹き飛ばさんと、美羽の黒腕と蛍の長剣が唸る。
空間を薙ぎ払うような一撃。しかしそれが鱗粉のカーテンに触れた瞬間、その指向性が真逆になり本人に攻撃の矛先が向いた。
「――!!」
即座に防御するも間に合わず、自分自身の攻撃を食らってしまう二人。
鱗粉による攻撃の乱反射。それが二つ目の用途だと気づく。
これでは何をしても自分自身に攻撃が跳ね返ってきてしまう。
そして、第三の用途は。
ファルファレナが振るう剣閃。それは鱗粉に触れても彼女自身に跳ね返ることはなく、虹のカーテンの中を自由自在に飛び回る。
反射する度に倍加するその威力。
平時の無限倍に達した剣閃が、二人の身体と霊魂に致命傷を刻んだ。
「がふぁっ!!」
「ぅ、ああああぁぁァァァアァ!!!」
血を撒き散らして下がる二人。剣閃をもろに喰らった胴体は真っ二つにされ、それをなんとか治癒しながら命をたぐり寄せる。
追撃が飛んでくる。虫眼鏡で太陽光を一点に集中するように、超々高熱の光線が全方向から飛んでくる。
光線は虫眼鏡サイズならまだしも、それは二人の全身を容易に照射できるサイズ。
耐熱の防壁でそれを防ぎながらも身体は溶解する。規格外の熱量に焼かれながらも、蛍は美羽に目で次のアクションを伝える。
それを感じ取った美羽は、再び手を取り、その想いを一つにする。
この鱗粉を丸ごと吹き飛ばすために、かの毒鳥の力を借りよう。
「模倣顕現 青銅の毒鳥」
怪鳥の鳴き声が蝶の縄張りに轟き、周囲に致死の毒素が浸透する。
溶け落ちる鱗粉。まるで飴が溶けるように、空間全体が毒で汚染され溶解した。
一矢報いることはできた。ブルーワズもこれで少しは浮かばれるだろう。
毒で満たされた世界を二人は駆けて、完全に同タイミングで必殺を放つ。
「ケラウノス・オーベルテューレ」
「El Diablo Cojuelo」
その二つとも、『ファルファレナを倒す』という協力意思がなされている。
防御を貫き、ファルファレナの胸元に吸い込まれる二撃。
ファルファレナは、それを狂笑と共に受け入れた。
次回、場面は再びガブリエルと神官とエイリアンに




