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私は、見慣れた風景の前に立っていた。
そこは涙が出るほど懐かしい場所で、もう二度と見ることができないと諦めていた場所で、私はしばらく、指一本動かすことができなかった。
黒い玄関の扉を押し開けて、寝ぼけた目に寝癖頭の青年がパジャマ姿で出てきた。そのままポストへと向かおうとしていた彼は、不意にこっちに視線を向ける。
「……お兄ちゃん」
あぁ、何もかも記憶と変わらない、お兄ちゃんだ。基本筋肉バカで低血圧なお兄ちゃんだ。
泣きつきたかった。お兄ちゃん、会いたかった、って。やっと帰って来れた、って。それから馬鹿らしいほどありがちな私の冒険譚を語って、笑って、お母さんの作った夕飯を食べて、お父さんに早く寝ろーなんて怒られて。
そんなこと、無理だって気づいているのに。
お兄ちゃんの視線は、確かにこっちの方を向いているのに、けして私に焦点が合うことはなかった。不思議そうに視線をさまよわせて、そして再びポストに視線を戻す。
あぁ、これは夢だ。トゥナリアの宿で見たのと同じ、不可思議な夢。
誰の仕業かなんて、聞く必要もない。ここに漂う魔力は、確かにアメリア姫のものだった。
お兄ちゃんの後ろ姿を飲み込んで、ガチャリ、と玄関の扉が音を立てる。
……これで、お別れだ。
私はきつく歯を食いしばった。多分もう二度と、この景色を見ることはない。
ごめんね、お母さん。お父さん。お兄ちゃん。
私も幸せに生きるから。たとえ空すら繋がらない遠い大地の上にいても。
みんなの幸せを祈っているから。
視界が霞みだした。最後に強く強くその景色を自分の目に焼き付けて、私は目を閉じる。
さぁ、行こう。私のもう一つの居場所へ。
どこかで鳥の声が聞こえた気がした。
柔らかい寝台に身を埋めていた私は、重い体をずりずりと起こし、窓枠に顎を乗せた。
城の外は今日はざわざわと騒がしい。それもそのはず、今日は国民が待ちに待った収穫祭なのだ。
昨日まであんなゴタゴタしていたのに、昨日の今日でよく祭りができるものだ、と感嘆する。
話に聞くところ、この国の役人は基本的に生真面目なので、トップがゴタゴタしていてもとりあえず与えられた仕事だけは淡々とやり続ける傾向にあるらしい。そのおかげで、指揮を取る人間がいなくても概ね例年通りの準備が出来ていた、というわけだ。
魔力の使いすぎで倒れてから目が覚めるまでずっと傍にいてくれた咲夜は、重い瞼を擦りながら神殿の方にドナドナされていった。これまた魔力の消費が大きかったらしい青白い顔をした宰相は、一度私の顔を見に来ただけですぐに仕事に戻っていってしまった。王太子も目の下に大きな隈を作って、それでもなにか吹っ切れたような笑みを浮かべながら、「昨日は一晩中父上と話していたよ、家族として」などと零していった。いいことだとは思うんだが、一体どんな話をしていたのだろう。
一晩で、悪化していた状況は大きく変化した。もちろん、そんな簡単に何もかもが和解できるわけではないと思う。けれど少なくとも国王派と王太子派はこれ以上対立することはできないだろう。二人がアメリアのために家族の姿を模索する以上。
それにしてももったいない、と心の中で一人ごちた。
だって、せっかく一年で一番大きいと言われる収穫祭が行われているのに、私は体力切れでその風景を眺めていることしかできないのだ。大通りには屋台が並び、面白いものがたくさんあると聞くのに!
ちらり、と部屋の隅に視線をやると、「今日は絶対安静だからな」とラグナさんがざっくり切り捨てた。
「私まだ何も言ってない……」
「顔に『行きたいなぁ』って書いてあるんだよ。残念ながら無理だぞ」
「ちぇっ」
僅かに口を尖らせて、私は再び窓の外の景色を眺める。
「今回は行けないが、また来年行けばいい。来年、再来年……収穫祭は毎年ある」
「来年かぁ……」
来年も、再来年も。何年、何十年と、きっと私はこの世界で年を重ねるのだろう。
私の反応に、ラグナさんはしまった、とでも言うように気まずそうな顔をした。
「なんですか、その顔。あ、帰れないことを前提にしちゃって悪かったなーみたいな?」
からからと笑う。こちらの様子を伺うようなラグナさんに、私は笑みを返した。
「帰れなくても、きっとみんな元気にやってるって信じてますから、大丈夫ですよ。それよりも、この世界でどうやって生きていくか考えなきゃなー」
決別するとき、心に誓った。
家族の無事を祈るとともに、私も幸せに生きることを誓おうって。
いつかもし、帰ることができたら。私は別に不幸なんかじゃなくて、こんな幸せに出逢えていたんだって彼らに語れるように。この一生に悔いが残らないように。
お前は強いな、とラグナさんが苦笑した。
「冬が過ぎて、春が来たら。確定していないが、月の巫女の護衛を主とする騎士団が発足するという話がある。今護衛に回している騎士の中から相性の良さそうな者を数名、それから新規に募集を入れて、発足するかもしれない」
「え、そうなんですか?ついに咲夜の逆ハーレムが!」
「……、よく分からんが違うと思うぞ」
ラグナさんは茶々を入れるな、というように視線で牽制し、話を続ける。
「巫女姫は女性だ。護衛にもできるならば親しみやすい女性騎士を多く配置したい。特に、どんな状況にも柔軟に対応できる、万能のやつをな。……ティカ、指導はしてやる。騎士として従軍する気はないか?」
一瞬何を言われたのか分からなかった。しかし、しばらくして理解する。
「ここに、居られるんですか」
「お前の腕次第だがな。どうする?」
にやり、と笑ったラグナさんに、もちろん私は即答した。
「やる、やります!よろしくお願いしますラグナさん!!」
ほら、私は一人じゃない。
例えかつて支えてくれた人達がいなくても、私はこの世界で、一人じゃない。手を差し伸べてくれる人達がいて、掴み取れる幸せがある。
だから、私はこの世界で羽ばたこう。精一杯、悔いの残らないように。
そうこれは、幸せに生きることを誓った私の、実に平凡でありきたりな物語。
これで一応完結になります。次話あとがき。




