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遠くで十二時を告げる鐘の音が響いていた。
久しぶりに足を踏み入れた離宮の庭は、柔らかな月光に照らされ、幻想的な印象を醸し出していた。松明などがなくても十分に辺りが見回せるため、辺りに照明は灯されていない。
ひんやりとした空気を感じながら、私はピンと胸を張り、さっき着替えさせられた白い衣を軽く揺らしながら、離宮に足を踏み入れた。
咲夜は無事に逃げ切れただろうか。国王陛下の狙いは私であろうから、私が逃げ出さなかった以上、彼らには追っ手があまり行かなかったと思いたい。
こんなにも涼しいのに、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。まばらにいる見物人と神官たちの視線が、もろに私に突き刺さる。
一歩、一歩。進むたびに、足は鉛に変化したように重くなる。体全体に何かが圧し掛かってくるようで、緊張でめまいがした。
恐怖で揺らぐ視線の先には、前に見たのとはわずかに模様の違う魔法陣があった。石灰で描かれた、懐かしい円。
そう、思えば始まりもこの円だった。不思議な光を放つ、魔法陣。なんてファンタジーなものが目の前に現れたんだって、その時の私は驚き呆れたものだった。
目の前にあるものは、その時とはまた僅かに違ったものだ。故郷へと通じるゲートではない。壊れてしまった宝物を直すための、国王陛下の我が儘。
「覚悟は決まったか、娘」
ひどく冷めた声が私の背後から聞こえた。振り返れば、国王陛下の冷たい双眸とかち合う。
「陛下、すでに準備は整っております。いつでも儀式は始められますよ」
国王陛下の隣で、長い紺の神官服をまとったあの神官が笑っていた。もうホント地獄に落ちればいいあの神官。私が死ぬときにはあの男を呪ってやる。
国王陛下は、しばらくの間静かに私を見下ろしていた。その瞳の奥にどんな感情が眠っているのか、私にはわからない。けれど彼が目を逸らすまでずっと、私も彼を見返していた。
「……陣の中央に立て。儀式を始める」
冷たい手のひらをきつく握り締める。動かない私に、見かねたのか二三人兵士がやってきて、私の肩を掴んで魔法陣の中に引っ張り込んだ。
「――――、――――――――」
高らかに、副神官長の詠唱が響き渡る。この場にいるほとんどの人にとって意味の分からない、神に捧げる神聖語。それがゆっくりと、しかし確実に月の魔力を引き寄せていることを、ここにいる全ての人が肌で感じていた。
国王は、静かにその光景を眺めていた。やがて石灰で描かれた白い魔法陣が、ほんのりと淡い光を放つ。ゆらゆらと揺らめいたその光は、ゆっくりと帯のような形をとり、中央にいる少女へと手を伸ばした。
やっと、彼女がこの手に戻るのだと、国王は深い溜息を漏らした。あの帯が彼女の中へと、愛しい娘の魂を誘う。そうすれば、彼女は生き返る。
この風景自体、何度経験したことだろう。奴隷商人から買い寄せた孤児を利用し、何度も何度も、娘を生き返らせようとした。あの子の人生はこんなところで終わるはずではなかったのだ。彼女の才能は、親の色目がなくとも普通よりも頭ひとつ飛び抜けた天才であった。誰よりも美しく、誰よりもしたたかで、誰よりも才能にあふれた娘。愛しい妻の残した、最後の形見。
そんな才能に溢れながら、あの子は死んでしまった。たった十五年の人生。まだまだ、あの子だって生きたかっただろうに。
そう、運が悪かったのだ。主治医の怠慢だったのだ。あの子は死ぬはずではなかった。たとえ病弱でも、あの子はもっともっと生きるはずだった。最高峰の医療と魔術があれば、あの子はもっと、もっと。
「……、何だ、どういうことだ……?」
隣で困惑したような呟きが聞こえ、国王は目を開いた。横目で見やれば、月明かりに照らされた青い顔が、魔法陣の中央を凝視している。
「どうした」
「……っ、いえ、なんでも」
副神官長は慌てて取り繕ったが、何かが起きたことは明白だった。国王は魔法陣に視線を向け、そして、その異常に理解する。
魔法陣の中央に立つ少女に巻き付こうとしている光の帯が、何ものかに弾かれた。まるで彼女の周りに何かがあるように。
……いや、実際にあるのだ。彼女が自ら放出した、強い魔力が。
バチリ、と激しい火花が散った。閃光と共に、さっきまでの様子と一転して、少女は魔法陣の中央に仁王立ちし、ゆっくりと両手を正面に向ける。
「さぁ、今度は私たちの番だよ」
ひときわ激しい閃光が、その空間を包んだ。




