クロノとの縁
シーナはうつむいている。
その視線が何を捉えているのか、ホムラにはわからない。
他の妖精たちと同じように白いコートを着ているけれど、青い幾何学模様は描かれていない。それにフードを目深に被っていて、顔が全く見えない。コートの下はスカートで、女性的な体のラインをしている。
妖精に性別はないけれど、体格や体形にいろいろなバリエーションを持たせるよう、六花は妖精たちを創り出した。
シーナがこちらを向いた。顔が隠されているから本当にこっちを向いたかわからないけど、うつむいていた顔の角度が、ホムラのいる方向に変わったのだ。それから小首を傾げる。
シーナはほとんど喋らない。
「ちょっと、倉庫に用事があってね」
ホムラが言うと、シーナはこくりと頷いてから、立ち上がった。
開けてもいい、ということらしい。
シーナは倉庫番だ。でもクロノが彼女を信頼しているかといえば、そうじゃない。
ホムラはシーナの横を通り過ぎて、扉の前で魔法陣を展開させた。
胸の奥にあるコアと同じ形――十二花の特別な結晶が、具現化される。事前に登録してあるコアと一致し、扉が開いた。そのまま中に入ると、シーナも後からついてきた。
扉が自動で閉まる。
これは……少し困ったな。
毛布があっても、持ち出すことができない。とりあえず見つけてから考えればいいか、とホムラは思い、倉庫の中を進んでいく。
中は広大な空間で、五段にもなる氷の棚が整然と並んでいる。そこに人間たちから奪った品物が手当たり次第に放り込んであり、お世辞にもキレイとは言い難い。
整理整頓好きだった仲間が死んでからは、誰もここを片付けようとはしなくなった。あいつのコアは凄く複雑な星形の樹枝状結晶だったなと、ホムラは久しぶりに思い返した。
倉庫内をぶらぶらと歩き、落ちていたナイフを手に取る。その刃は鋭いままだ。
ここに放り込まれた物は、六花の魔法によって時が止まっている。だから防寒具も使えるし、ナイフだって使える。
通常、人間の武器は妖精に効かない。でもこのナイフには魔力が練り込んである。
これでコアを傷つけられれば、妖精でもダメージを負うだろう。
昔の戦いを思い出して、ホムラは少し落ち込んだ。
さっきから感情が上下している。こうなることがわかっていたから、倉庫にはあまり行きたくなかった。
ここには雪じゃなくて、過去が積もっている。
ナイフを元あった場所に戻しておく。
さて、と倉庫内をさらに見回す。
少し離れたところにテントや毛布、分厚いコートなどの防寒具を見つけた。防水性の道具もいくつかあるみたいだ。攻め込んできた魔法使いたちが、この世界の入り口に拠点を作ろうとして持ち込んだものだった。
手に取ってよく確認してみる。痛んではいない。よし、これを持って帰ればいいか。問題は、ずっとそばにいるシーナだ。興味津々……なのかどうかはわからないけど、ちょこちょことホムラの後をついてきては、同じように毛布やコートを手に取り、ふんふんと頷いている。
倉庫から物を持ち出すためには、シーナの目をかいくぐるか、買収するか、どちらかしかない。でも妖精には物欲がないため、買収は不可能だ。
どうしたものかと考えていると、倉庫の扉が音を立て始めた。
ホムラは慌てて振り返った。原因はもちろんシーナじゃない。
扉がゆっくりと開いていく。
向こう側に、誰かが立っている。
扉を開けるためだろう、その誰かは、コアの形の魔法陣を展開させていた。
雪の結晶が三十度ズレて、二つ重なっている形。
――十二花結晶。
「ホムラか。こんなところで何をしている?」
クロノがいた。逆光の中に立っているせいで、彼女の輪郭が光っていた。広げていた十二枚の羽をしまうかのように、魔法陣を消す。ふわりと、腰まで届きそうな長く白い髪が揺れた。
「珍しいな。お前がこの倉庫にいるところを初めて見たぞ」
クロノが言う。そして、すらっとした切れ長の目を鋭くホムラに向ける。
ホムラは言い訳を考えながら口を開いた。
「威圧してくるなよ」
「怪しいお前が悪い。いつもこそこそしやがって」
「クロノこそ、どうしてここに?」
「今はお前の話だろ。ふん、まあいい。ちょうど良かった」
ちょうど良かった?
ホムラは首を傾げる。
「緊急事態だ。六花さまの遺体を覆っている氷にヒビが入っていた」
氷にヒビだって?
冴香がこの世界に迷い込んだことと関係があるのか?
「私はお前のことが嫌いだが、信頼している。一緒に世界樹まで来い」
クロノとホムラは仲が悪い。でも六花への忠誠心という部分だけは通じ合っている。嘘をつこうが何をしようが、六花の不利益になるようなことはしないだろうとお互いに思っている。
「私に撃たれた傷は、もう回復したか?」
「とっくに」
「そうか。それじゃあまた撃ってやろう。私は、お前を撃つと気分が良くなるんだ」
ホムラは文句を言わない。自分には、クロノに撃たれるだけの理由があると思っているからだった。それに、定期的にクロノの不満を解消してあげないと、その怒りがどこに向かうかわからない。
「クロノは、どうしてこの倉庫に来たんだ?」
もう一度、さっきと同じ質問をした。
素直に答えてくれないだろうと思っていたけど、
「毛布を探しに来たんだ」
と、クロノは言った。
毛布だって? ホムラは自分の心の中が読まれたかと思い、かなり焦った。内心の動揺を見破られないよう、慎重に口を開く。
「……なんて?」
「だから、毛布を探しに来たんだよ。もしかしたら六花さまが目覚めるかもしれないだろう。六花さまの私物はすべてそのままにしてあるが、もしかしたら防寒具が足りない可能性がある」
六花が目覚めるかもしれない、か。
冴香のことがバレていたわけじゃなかった。そのことには安堵したけど、今度はクロノのことが心配になった。
「なあ、クロノ」
「わかっている。その先を言うな」
六花は死んだ。人間は生き返らない。
クロノは下を向き、語気を弱めた。
「……それでも、毛布が要ると思ったんだ」
ホムラにもその気持ちは痛いほどわかった。
「笑うか? ホムラ」
「笑うわけないだろ。持って行きなよ」
ホムラがそう答えると、クロノは無言で毛布を手にとった。それから視線を、ホムラの後ろにいるシーナへと向けた。
「倉庫番、ご苦労」
こくりとシーナが頷く。
「今のお前には、これくらいしかできないだろうが、しっかり頼むぞ」
もう一度、シーナはこくりと頷いた。
「ふん。張り合いがないな。崩れた結晶と会話をしても意味がない」
シーナは首を傾げた。言葉の意味は理解しているだろうけど、先の言葉の、何かがわからないらしい。あるいはクロノの嫌味を受け流すために、わざとそういった仕草をしているのか。
とにかく、シーナのコアは崩れている。
最初からそうだったわけじゃなくて、三年前の人間との戦いで、コアにダメージを負ったのだ。
六花が健在だったときは修復してもらえたけど、彼女がいなくなってからはどうしようもなくなった。
妖精を増やす、あるいはコアを修復する。これらの魔法は六花にしか使えない。
傷ついたコアのまま生きている妖精は、二十人ほどいる。彼ら彼女らは、シーナと同じようにフードを目深に被り、あまり言葉を発しない。また、魔法の武器を具現化させることもできない。
それにコアへのダメージは、見た目にも影響する。
フードの下の素顔はヒビ割れているらしく、あまり見せたがらないのだ。
対して、クロノは十二花結晶としての誇りを持っている。
自分のことを、完璧な結晶を持つ、完璧な妖精だと思っている。
そんなクロノは、崩れた結晶の妖精を嫌っていた。
倉庫番に任命したのもただの嫌がらせだ。
倉庫の扉を開けるには、クロノによるコアの事前登録が必要なのだから、倉庫番なんて、本当はいらない。でもシーナのような妖精に、陰気な雰囲気でこの世界を歩かれるよりは、仕事を与えてどこかに縛り付けておいた方がいい――そう考えているようだ。とはいえ、なぜか他のヒビ割れた妖精には絡んだりしない。
クロノはシーナに対してだけ厳しい態度を取る。その理由がホムラにはわからなかったし、クロノに訊いても「理由などない」と返されるだけだった。
「言葉すらも忘れたか。まあいい」
「……」
今日も今日とて、クロノに嫌味を言われてもシーナは言い返さない。目深に被ったフードの奥の闇が何を考えているのか、ホムラにはわからない。
以前、シーナに対して助け舟を出したことがあったけど、より一層クロノの怒りが深まるだけで逆効果だった。それ以来、ホムラはシーナをかばうことを止めた。
反応のないシーナに飽きたのか、クロノがこちらに向き直った。
「さて、ホムラ。氷の世界樹へ行くぞ」
「僕はちょっと用事があるんだ。後でもいいか?」
寝込んでいる冴香に、毛布を届けたい。
でもクロノは、訝し気にホムラを見た。
「六花さまよりも大事な事情があるわけないだろ?」
ここまで言われてしまったら、断れない。
「……確かにそうだな」
ホムラはしぶしぶ頷いた。あれ? しぶしぶ? とホムラは思った。
このときに初めて、六花よりも冴香を優先している自分に気がついたのだった。
よくよく考えてみれば、六花の遺体を覆っている氷にヒビが入ったなんて、とんでもない大事件だ。でもホムラはあまり驚かなかった。
冴香がこの世界に迷い込んだことと関係があるのかと、思考はそこに向かった。
死んでいる六花よりも生きている冴香、という単純な話ではない。死んでいようが生きていようがホムラの優先順位の一番上は、自身の創造主である六花であるべきだし、今まではそうだった。
でもその順位を、冴香という存在が追い抜いてしまったのだ。
「おい、何をぼうっとしている」
クロノに注意をされ、慌てて「いや、何も」と返事をした。クロノに目をつけられたら元も子もない。
ひとまずホムラは、何も持たずに彼女の後をついて倉庫から出ることにした。シーナもついてきた。そして扉から出たところで、膝を抱えて座り込んだ。倉庫番を続けるみたいだ。
あれだけ嫌味を言われたのに、どうしてクロノに従っているのだろう。
ホムラがシーナを見ると、軽く小首を傾げてきた。ホムラが右手を上げて挨拶すると、シーナはやっぱり、こくりと頷くだけだった。
「おい、崩れた結晶にあまり構うな。お前も十二花結晶なんだから、プライドを持て」
ホムラにそんなプライドはないし、必要もない。やっぱりクロノのことは苦手だ。
気高くて、プライドがあって、傲慢で、美しくて、他者を見下す。
「ホムラ、お前は誰よりも強いのに繊細で、六花さまから信頼されていたのに、自信がない。私はお前のことが苦手だ」
どうやらお互い様だったらしい。顔を合わせればいつもケンカばかりしていた。六花が亡くなってからは、顔を合わせること自体が少なくなった。
クロノは六花の遺体が安置されている世界樹を根城にし、他の妖精を従えて、毎日魔法使いの襲撃に備えている。ホムラは世界樹から離れた場所にかまくらを作って、そこでネモフィラと一緒に魔法の研鑽を続けている。
それでもこうやって問題が起きれば、必然的に縁は繋がってくる。
お互いに嫌い合っていたとしても関係ない。
でも今回はその縁とやらが、どう結び、どう繋がるのかまったく予測がつかない。
なぜならホムラの優先順位に、六花と同じか、あるいは六花よりも上の重要ごとができてしまったからだ。もしかしたら、すでにこう考えるべき段階かもしれない。
――クロノとの縁がどう解けるのか。
それほどの異常事態が、この世界と、ホムラの心に起こっている。
ホムラは本心を隠したまま、クロノと一緒に氷の世界樹へと向かう。
その道すがらで、気持ちだけがどんどん急いていく。冴香は大丈夫だろうか。症状は悪化していないだろうか。そればかりが頭の中をよぎる。
焦っても仕方がないし、焦ることでクロノに察知される恐れがある。
ここは考え方を変えて、チャンスだと思うしかない。
なんとかクロノを説得して――もしくは騙して、六花の部屋を使うことはできないだろうか。




