六花の遺体
氷の世界樹の周囲では、いつも二十人ほどの妖精が警備に当たっている。
もう人間が攻め込んでくることはないけれど、それでも三年前からずっと警戒態勢を続けているのだ。
ホムラとクロノは、世界樹の、太い幹の前に立った。
まるで大きなウロのような穴が空いていて、その奥に、ホムラの背丈を超える巨大な扉が設置されている。この扉も倉庫と同じく、クロノが事前に登録したコアしか入ることができない。とはいえ警戒レベルはこちらの方が遥かに上だ。扉の前には星形結晶を持つ妖精が二人、左右に分かれて立っている。どちらもクロノの忠実な部下であり、歴戦の猛者だ。
まず、クロノが扉を開けて中に入る。
ホムラも後に続いたけど、扉を通る間、左右にいる門番からずっと鋭い視線で睨みつけられていた。当然ながら居心地が悪い。
ホムラと仲が良いのはネモフィラだけで、それ以外のほとんどの妖精はクロノの命令に従っている。世界樹にいる三十人はもちろんのこと、この世界各地に散らばっている五十人の妖精たちもクロノを指揮系統のトップだと認めている。そこに加わらないのは残り二十人の、ヒビ割れた妖精たちくらいだろう。
クロノは、六花が死んで何をしていいかわからなくなった妖精たちを束ね、生きる理由を与えている。
人間をいつまでも警戒し続ける――という理由だが。
ホムラは世界樹の中に視線を向けた。
ここに来たのは久しぶりだ。
幹の中は空洞になっていて、その中心を螺旋階段が貫いている。
自然のデザインを活かしている内装ではなく、まるで石レンガを積んだような壁に、巨大なタペストリーが飾られている。壁や床は氷でできているが、タペストリーだけは布だった。白地に青で、アスタリスクの紋章が描かれている。自身の名である『六花』と掛け合わせた柄にしたのだと、生前教えてくれた。
螺旋階段の近くには、フードを目深に被った妖精が立っていた。シーナと同じで、崩れた結晶を持つ妖精なのだろう。
でも、どうしてここに?
警備をしているという感じではない。
困惑しながらホムラが見ていると、クロノが口を開いた。
「ああいう妖精が一人くらい、世界樹の中にいてもいいだろう?」
「別に、いちゃダメだなんて思っていない」
「そうか? そう思っているように見えたがな」
「シーナのことはあれだけバカにしていたのに、どういう了見かな、と」
「理由などない」
クロノの態度から、これ以上訊いても無意味だとホムラは判断した。会話は止めて歩を進め、フードを被っている妖精の横を通り過ぎる。その妖精は何も言わなかった。
螺旋階段の前に立つ。上れば、世界樹の中心地に辿りつくことができる。そこには六花と謁見するための大広間があり、奥には六花の住んでいた部屋もある。でも、今はそっちに用はない。
ホムラとクロノは、並んで螺旋階段を下りていった。
下りれば下りるほど、空気が冷えていく。
底なしの闇へと潜り込んでいくような気分になる。
雪の妖精であるホムラでさえ寒気を感じて、二の腕をさすった。
「どうした? 怖いのか?」
クロノが茶化すように言った。
「寒いんだよ」
「っふ。面白い冗談だな」
クロノは馬鹿にするように笑った。
冗談ではなかったんだけどな……。
クロノは何も感じないのか?
だとするならこの寒気は、ホムラの心の問題かもしれない。
考えたところで、どうせ嫌なイメージしか思い浮かばないので、無心で階段を下りた。しばらくして底に辿りつく。十二花結晶が大きく描かれている扉があり、その前で二人は立ち止まった。
ここはクロノとホムラしか、開けることができない。
位置的には、氷の世界樹の真下にある部屋だ。外壁の周囲には根っこがたくさん絡みついているから、外から雪を掘ってもたどり着くことはできない。つまりこの螺旋階段を下りるしか、入る方法はない。
クロノが扉に触れた。
描かれている雪の結晶が、二つに割れて、扉が左右に開いていく。
かつて、逃げるように背を向けた過去が、この先にある。
およそ三年ぶりの再会だ。
「お久しぶりです」
ホムラは思わず呟いた。
クロノがうやうやしく頭を下げた。
この部屋には、六花の遺体が保管されている。
六花は、胸元で両手を組んだ立ち姿のまま、氷付けにされていた。彼女の足元に設置されている氷の台座からは何本もの氷柱が突き出ている。未だカットされていない荒削りの結晶に閉じ込められているかのようだ。
「……六花さま」
ホムラは右手を伸ばしたけど、氷柱には触れなかった。
三年前と何も変わっていない、安らかな顔をしている。
ホムラは今、自分がどういう感情を持つべきかわからない。悲しむべきなのか。後悔するべきなのか。あるいはこれで良かったのだと自分を慰めるべきか。
三年経った今でもふわふわしていて、心の置き場所がない。
でも今は、そんな感傷に浸っている状況じゃない。
クロノの言う通り、六花の顔から胸元あたりを覆っている氷に、大きなヒビが入っている。
「どう思う?」
ホムラの隣に立っているクロノが問う。
「どう思うって言われても」
「これはいったい、何が起こっている? まさかお前、この魔法を解きたいと考えているわけじゃないだろうな」
「考えていない」
今は、まだ。
冴香を元の世界に帰すために必要だったら、そうするかもしれない。でもこの氷は、ホムラ一人の魔法でできているわけじゃない。ホムラとクロノの合作だ。二人が同時に魔法を解きたいと思わなければ、氷は溶けない。
「クロノの方こそ、この氷を溶かしたいんじゃないのか?」
「私? そんなわけがあるか……」
そう言って、クロノは視線をそらした。
少し微妙な反応だ。でもホムラが問い詰める前に、
「私じゃない。お前でもない。じゃあ、このヒビはなんだ。ホムラ、お前だったらわかるだろ」
と語気を荒げた。
何かを誤魔化しているように感じる。
「なんで僕ならわかるんだよ」
「だって、六花さまを殺したのはお前じゃないか」
「……僕は殺していない」
「似たようなものだ」
六花が死んだ三年前のあの日から、こういった会話を何回も繰り返している。




