冴香をどうするべきか
ホムラがとっさに冴香を抱きとめた。
人間は脆いとホムラは知っている。床に頭をぶつけるという事態は避けられたけど、でもこの後どうすればいいのかわからない。
腕の中の冴香は完全に気を失っていた。彼女の顔は赤くて、熱をもっていることがわかる。
自分が触っているだけで、冴香の体温をどんどん奪っているはずだ。
誇張でもなんでもなく、このままでは死んでしまうだろう。
「ええ~!? 気絶した? どういうこと? なんで?」
ネモフィラが慌てている。
「静かにしろ」
つい、強い口調で咎めてしまった。
「すみません」
ネモフィラが、自分の口を押える。それから小声で、
「早くベッドに寝かせてあげましょうよ」
「いや、ダメだ。さっき言っただろ。人間は寒さに弱いんだ。このベッドで横になれば、状態は良くなるどころか、悪化する」
「こんなに寝心地のいいベッドなのに……」
「僕たちとは違うんだ」
もっと早く気がつくべきだった。人間の女の子が、たった一人でここに迷い込んできたんだ。魔法も何も使わずに、無事でいられるわけがない。
とりあえず、冴香が持ってきたリュックの中に何かあるかもしれない。
ネモフィラに頼んで中を確認してもらうと、全身をすっぽりと覆うほどの大きめのレインコートと、いくつかの着替えが出てきた。
他にも人間の食べ物が少しばかり入っていたけれど、今は関係ない。
まずは冴香の体をレインコートで包み込む。そして背中とコートの間に、着替えの服をムリヤリ詰め込んだ。確か空気の層を作ることが大事だったはず。
その状態で雪のベッドに寝かせた。
これで、どれくらい持つだろう。人間の耐久力はよくわからない。
ホムラは、目をつむっている冴香を見つめた。
この世界を創り出した伝説の魔女、六花を思い出す。
ここにいる妖精たちは、すべて六花が生み出したものだ。彼女が気に入った雪の結晶に魔力を込めることで、形作られた。
六花は妖精たちの親であり、この世界のすべてだった。だけどもう、彼女はいない。新しく妖精が生まれることはない。
ホムラは、横になっている冴香に六花の面影を重ねてしまう。似てはいない。年齢も違うし魔力もない。共通点があるとするなら、人間の女性である、ということくらいか。
「で、これからどうするんですか?」
ネモフィラが困ったように言った。
「毛布などの防寒具が必要だ。防水性のシートも欲しい」
「そんな物、どこにあるんですか? あ、世界樹の中にはまだあるんじゃないですか? 六花さまは人間でしたよね。六花さまの私物を持ち出すことができれば……」
「それも一つの手だな」
世界樹の中には六花の住んでいた部屋があり、彼女の私物もまだ残されている。
人間であった六花は、木材をイメージして作られた人間用の暖かい部屋で生活していた。当然、寝具も人間用だ。あそこなら冴香は、体温を気にすることなくベッドで横になれる。
でも六花の部屋は、クロノの管理下にあった。
ホムラが自由に使える部屋じゃない。
「根本的な問いなんですけど、人間って、魔力を持っていないのが『普通』なんですか?」
「そうだな。大多数の人間は魔力を持っていない。魔法の存在自体、普通の人間には隠されているらしい」
だから冴香も魔法のことを知らなかった。
「魔力を持たない人間って、何を食べているんですか?」
「魔力以外のいろいろなものだよ」
「へえ」
ネモフィラは生返事をした。うまく想像できないのだろう。
訳知り顔で説明しておきながらなんだが、ホムラも外の世界のことや人間のことはあまり知らない。六花から聞いた話以上の知識は持っていないのだ。
そういえば冴香のリュックの中に、いくつか人間用の食べ物が入っていたな。ホムラはそれを取り出して、ネモフィラに見せた。
「こういうものだ」
「これが……食べ物?」
「そう」
「六花さまも、こういうものを食べていたんですか?」
ネモフィラが、ここまで六花のことを訊いてくるのは珍しい。ホムラと同じように、冴香という存在がネモフィラの中の何かを刺激しているようだ。
「六花さまは人間だけど、食事はしなかったな」
妖精は、この世界に満ちている魔力を吸収するだけで生きていられる。この世界の魔力を生み出しているのは六花であり、じゃあ六花自身がどうしていたのかといえば、自分の魔力が尽きるまで食事をする必要がなかった。つまり、ほとんど永遠と言ってもいい。
六花は無尽蔵の魔力を持っていたのだから。
でも六花はそんな自分を寂しがっていて、
「みんなで仲良く食卓を囲んでさ。カレーライスを食べたいよね」
と、外の世界の食べ物を話題に出していた。
ホムラはカレーライスを知らない。人間にとって、食事がどれほど大事な行いなのか、よくわからない。
それにしても懐かしいな。
ホムラはよくクロノとケンカをしたけど、それを見ていた六花はいつも、
「あーあ。こんなときにカレーライスがあればな。みんなで食卓を囲んで、すぐに仲直りできるのに」
と笑っていた。六花が死んでからは一度も思い出さなかった記憶だ。今はこんなことを考えている場合じゃないけれど。
「とりあえず、今冴香に必要なのは、食事よりも防寒だ」
「そうですね」
「戦利品を取っておく倉庫があったよな。あそこには、人間から奪った物を手当たり次第に放り込んである。そこに何かあるかもしれない」
「あ、じゃあ俺が行ってきます」
すぐに歩き出そうとしたネモフィラを、ホムラは制止した。
「いや、僕が行ってくる。ついでに世界樹も探ってくるよ」
魔力を持たない人間が、どうしてこの世界に迷い込んだのか。
もしかしたら六花の遺体に何かあったのではないか、とホムラは思った。六花が死んでから止まっていた時が、動き出したのかもしれない。
「ネモフィラは、僕が戻ってくるまで、この人間を見ていてくれ」
「わかりました!」
「なるべく早く戻ってくるよ」
ホムラは大急ぎでかまくらを出た。
まずは戦利品を保管している倉庫に向かう。
雪の上をすべるように走る。ほとんど飛んでいるのと変わりない。
柊の葉で作った棘の迷宮、氷像記憶館、倉庫、妖精の住居用かまくら、雪合戦用スタジアム、劇場――そういった建物を通り過ぎていく。迷宮以外は、どれも雪や氷でできている。
そして住居用かまくらと倉庫以外は壊れていた。
六花が死んでから、彼女と一緒に過ごすための娯楽施設は用がなくなってしまったからだ。
この世界には、百人ほどの妖精が住んでいる。そのうちの三十人がクロノの配下であり、氷の世界樹を根城にして、いつ人間の魔法使いが襲ってきてもいいようにずっと警戒を続けている。
そんなことはあり得ないと思っていた。
もうこの世界に誰かが来ることはないと。
でも――、
「サエカはどうやってこの世界に入ってきたんだろう」
あるいは、どうして?
問いの立て方がわからない。
クロノに撃たれた傷が回復していないせいだろう、少しバランスを崩して強く雪を踏みしめた。その拍子にホムラの足が、雪以外の何かを踏み抜いた。
掘り起こすと、降り積もった雪のすぐ下から頭蓋骨が出てきた。
ひび割れた骨の、眼孔の奥から、闇が染み出してきそうだ。
三年前、ここでたくさんの魔法使いが死んだ。




