アダシノ襲来
今は、ホムラとの会話に集中しなきゃ!
冴香は自分の頭を振って、ムリヤリ思考を切り替える。
冴香がここに来て最初に見たあの戦いは、長髪の妖精が二丁拳銃を使っていたし、対するホムラは二刀流で応戦していた。
二丁拳銃に、二刀流。
現実なら二丁拳銃の圧勝だろうけど、魔法の戦いではどんな要素が優位性をもたらすのか、冴香は知らない。
ここで、ずっと話を聞いていたネモフィラが割って入った。
「たとえば俺のコアは、角板結晶の形をしている。そういえば自己紹介が遅れたな。俺はネモフィラ。角板結晶のネモフィラだ」
すでに知っていたけど、ネモフィラはちゃんと自己紹介をしてくれた。
今みたいに『なんとか結晶のなんとかだ』って名乗るのが、マナーなのかもしれない。
「私は青野冴香です」
「おう! よろしくな!」
改めて挨拶をし合う。
「で、角板結晶って何?」
「そうだな。言葉で説明するより、見た方が早い」
ネモフィラが右手を掲げると、幾何学模様の描かれている青色の円が、空中に浮かび上がった。その円がカクカクとし始めたかと思うと、じょじょに正六角形の形へ変わっていった。
「これが俺のコアの形だ。魔法陣として展開できる」
ネモフィラが言う。
するとその魔法陣が右手の先に移動する。
空気中の水分が、魔法陣の線に沿って固まっていき、氷の線ができていく。やがて、線は面へと広がっていく。そして冴香の見ている前で、正六角形の盾が形作られていった。
何もない場所から、氷の盾が出現した。
幻想的で、青くて、力強くて――。
正直に言うと怖かった。怖くて、キレイだ。
「これが角板結晶の武器だ。俺のコアを、そのまま大きくしたような盾さ」
「すごい……」
「だろ? 妖精の本質である、『守る』を体現しているような、自慢の武器だ」
ネモフィラは自慢げに言った後、魔法の盾を消した。
妖精の本質が――守る?
冴香が訊こうとするよりも早く、ネモフィラが口を開いた。
「人間って、妖精のことを何も知らないんだな」
「知らないよ。だいたい、ここはどこなの?」
不思議な雪の世界。
魔法を使う妖精たち。
どうしてこんな場所が、うちの裏庭にあるの?
改めて考えてみても、あまりにも意味不明な成り行きだと冴香は思った。六年前に父と作った思い出のかまくらが裏庭にあった。そこを通り抜けたらこの世界に来た。冴香の知らないところで何かが繋がっているような気がする。
「いろいろと話はあるだろうけど、ずっと立ち話ってのもなんだし。まあ、とりあえず座りなよ」
ネモフィラはそう言いながら氷のソファに座った。やっと警戒を解いたのかも。
ホムラはホムラで、ずっと横になって体を休めている。
冴香はもう一度、かまくらの中をぐるりと見回してみた。
「……座りなよって言われてもな」
ソファもテーブルも、全部、氷でできている。ホムラが寝ているベッドは雪だ。柔らかそうだけど、人間は横になれないだろう。布団はないけど枕はあって、それも雪だった。冴香は立っているしかない。
とりあえず、背負っていたリュックだけは下に置いた。一応防水加工はしてあるタイプだけれど、置きっぱなしにしていれば、いつかは水が沁みるだろう。
冴香の着ているコートも、それほど水を弾くというわけじゃない。
リュックの中にはレインコートがあるけれど、それを出すべきか迷った。
「座ったら、お尻が濡れちゃうよ」
一応、抗議してみる。
「え? なんで?」
ネモフィラは驚いているらしい。
どうやら妖精たちの着ている服は、雪や氷の上でも水が染み込んでこないみたいだ。ウインドブレーカーやレインコートのような水を弾く素材ってわけじゃなく、そもそも人間の知らない『何か』で作られている感じがする。やっぱり魔法なのかな。
「サエカが困っているだろう。人間と、人間の着ている物は、雪や氷に弱いんだ」
まだ声が弱弱しいものの、ホムラが助け舟を出してくれた。
「……そうなのか。雪に弱いのか」
「そっちこそ、人間のことを何も知らないんだね」
冴香がさっきの意趣返しに言う。
ネモフィラは苦笑して、
「うーん。でも俺は、いろいろなことを覚えていないからなあ」
そう答えた。
覚えていないってどういうこと?
視界の隅で、ホムラが顔をそむけたのが見えた。これは訊かない方がいい話題かもしれない。じゃあ、他のことを訊こう。たとえば、このかまくらの壁にはそこかしこに四角い穴が空いているのだけど、その中には、緑色に光る氷のランプが置かれている。
これはどうして光っているの? と、冴香はそのまま訊いた。
「どうしてって?」
ネモフィラが首を傾げた。
「だってコンセントも、電池を入れるような仕組みもないじゃん。もちろん充電式でもなさそうだし。どこからエネルギーを得ているの?」
「それはもちろん、魔力からだよ」
「魔力?」
「さっきは調子に乗って魔法を見せちゃったけどさ。あの、ホムラさん。この子にはどこまで教えてもいいんですか?」
ここでネモフィラは、横になっているホムラに尋ねた。
ホムラは上体だけを起こして、冴香の方を向いた。
「これ以上の深入りは、止めた方がいいだろうな。あまり事情を知っても困るだろう」
「そんなことない……と思う」
冴香の語尾は、雪のように溶けていった。
「知れば、巻き込まれるぞ」
ホムラは続ける。炎のような瞳で、冴香を射すくめる。
「何も聞かずに帰った方がいい」
「……私、帰りたくない」
家には温かいものが何もない。
レトルトカレーと一人分の食器。あるいは父が置いていったお金だけ。スマホに連絡はない。遅れるという一言すらしてこない。もし両親が離婚するとして、どちらも冴香の親権を取りたがらないだろうと思う。
あの家には居場所がない。
だから――。
「ずっとここにいたい」
「それは本心か?」
ホムラの瞳があまりにも鋭すぎて、冴香はたまらず視線をそらした。壁の穴に置かれている氷のランプを眺める。そこに灯っている緑色の光をじっと見つめる。
誰も、何も言わない。雪よりも重たい空気が、室内に降り積もっていくかのようだ。そんな空気に耐えられなくて、冴香は叫んだ。
「そ、そもそもさ! 私は帰れるの?」
「……来たのなら帰れるはずだ」
ホムラはそう答えたものの、あまり自信はなさそうだ。
「どうやって?」
「わからない」
形勢は逆転した。帰れと言いながら鋭い視線で射すくめていたホムラが、今はうつむいている。
ネモフィラは困ったように、ホムラと冴香の間で視線を行ったり来たりさせていた。
ホムラをやり込めたと言えば、そうなのだろう。
でも事態が良い方に転がったかといえばそんなことはなく、むしろホムラでさえ帰る方法がわからないわけで、つまりこの雪と氷の世界に閉じ込められてしまったことが確定した瞬間かもしれなかった。
冴香は元の世界に帰りたくない。
でも、そんなことを言っている場合なの? と自問自答した。
ここで死ぬことになっても本望なのかと。
「この世界を創り、この世界を閉じた人は、もういないんだ」
ホムラが、冴香と視線を合わせずに言った。その声音はどこか震えていた。
「もう、いない?」
「……亡くなったから」
「亡くなった? それって誰なの――」
六花が訊こうとした次の瞬間、ドンドンドンッ! と突然かまくらがノックされた。
ホムラの動きは速かった。飛び起きると、それまで自分が寝ていたベッドを蹴り上げた。その下には、人一人が横になれそうな穴が空いていた。近くに立っていたネモフィラが冴香を突き飛ばして、ホムラが抱きとめる形で、二人してその穴に飛び込んだ。
ベッドが落ちてきて、元通りにふたをする。早業どころか、神業だ。
「どどどど、どうしたの? ホムラ?」
「静かに」
ホムラが、冴香の口に手を当てた。
ベッドの下に空いていた穴。そこに二人で密着して横になる。周囲は雪で、目の前のホムラには温度が感じられなくて、唇に触れている彼の手は冷たくて――でも、冴香の心臓はばくばくだった。
「はいはい、どちらさまですか~」
ネモフィラが言う。
かまくらの扉の開く音がする。ここからでは何も見えない。
「お、アダシノですか。こんなところまで来るなんて珍しいですね」
ネモフィラが気安く名前を呼んだ。どうやら知り合いらしい、冴香と同じように迷い込んだ人間ではなかった。
「よう、邪魔するぜ」
ちょっと軽薄そうな男の声が聞こえた。この声の主が――アダシノか。
「焦ったような顔をしてどうしたんですか? 何かありました?」
「なあ、ネモフィラよ。このかまくらに、見慣れぬ誰かが入っていったという目撃証言があるんだがよ。知らねえか?」
ベッドの下にいる冴香には来訪者の顔が見えない。
「知らないですね」
「本当かよ」
「さっきホムラさんが訪ねてきたけど、もう帰りましたよ。そのことじゃないですか?」
「……ふうむ」
「だいたい、見慣れぬ誰かってなんですか。この世界に見慣れぬ誰かが来ることは、もうあり得ないでしょう」
「そりゃあ、そうだがなあ。万が一ってこともあり得るだろ。人間だったら見過ごすわけにはいかねえなあ。いかねえよ」
にぶい冴香でも、なんとなく事情はつかめてきた。
本来、この世界には誰も出入りすることができないんだ。でも、どういうわけか冴香はここに迷い込んでしまった。そしてホムラとネモフィラ以外の妖精は、たぶん冴香に――というか人間に友好的じゃない。だからとっさに隠れた。
ホムラを見ると、冴香を安心させるためなのか、ふっと微笑んだ。
上ではまだ会話が続いている。
「人間がいるわけないですよ」
「でもクロノが異常事態だって言ってんだよ。今は何が起こってもおかしくない状況だって」
また、クロノの話題だ。何者なんだろう。
それに異常事態ってどういう事?
「どっかに匿っていねえだろうな。たとえば、そのベッドの下とか……」
冴香の唇に当てていたホムラの手が、一瞬だけ震えた。冴香も、心臓の鼓動が速くなる。
「ちょっと調べさせてくれねえかな」
「お好きにどうぞ」
ネモフィラがのんきに答えた。
お好きにどうぞ、じゃないよ!
ホムラと見つめ合う。さすがにもう余裕の笑みは消えていた。唇をきゅっと引き結んでいるその表情を見て、冴香の心臓が飛び出そうになる。怖い。怖い怖い怖い! 自分の感情と悲鳴を必死に飲み込む。ホムラが手で、冴香の口を押えてくれていなかったら、声を出していたかもしれない。
急に、音と会話が止まった。
無音のまま時間が過ぎていく。
まさか何もしないで帰った?
冴香はずっと息を止めていたことを思い出して、いったん息を吐こうとした。次の瞬間、
もふっ!
と大きな音がして、冴香はむせそうになった。なんとか咳を抑え込む。雪の塊が移動したような音だった。
「やっぱりいねえか」
上から声が聞こえた。
でも、冴香とホムラを隠しているベッドはそのまんまだ。どういうことかわからずにホムラを見ると、大丈夫だと言うように、ゆっくりと頷いた。その唇が、音を出さずに動く。
――隣のベッド。
と言っているらしい。そういえばベッドは二つあったんだ。ということは、まだ安心できない。こっちも調べられる可能性がある。
でもアダシノは、
「わりい。勘違いだったみたいだ。邪魔したな」
と言った。どうやら一つ確認しただけで満足してくれたみたい。
ネモフィラがまったく動揺していなかったから、引き下がったのかもしれない。ハッタリが凄いというか演技派というか、心臓に毛が生えたみたいな妖精だ――という慣用句は心臓を持っていないから当てはまらないだろうけど、そう言いたくなるような肝の太さだった。あ、肝もないかもしれない。
再び何かの移動する大きな音がして(たぶんかまくらのドアが開いた音だ)、ネモフィラの「ふう、あせった~」という声が聞こえてきた。
それでもホムラと二人で、しばらく黙ったまま息を殺していると、
「もう大丈夫だから出てきなよ」
上から、ネモフィラが言った。
冴香の唇から、ホムラがそっと手を離す。
上にあるベッドを、今度は蹴り上げることなく、不思議な力でゆっくりと移動させるホムラだった。そして、まずはホムラが穴から出た。くるりと反転して、縁から手を伸ばしてくる。その手をつかんで、冴香は引っ張り上げられる形で穴から脱出した。
「いやあ、よくホムラさんが泊っていくから、ベッドを二つ用意しておいて助かったなぁ」
あっけらかんとネモフィラが言う。
「でも、どうして片方のベッドの下に穴なんて空いているの?」
「そりゃあ、クロノさんが訪ねてきたときに、ホムラさんを隠すためですよ」
冴香がホムラに視線を向けると、バツが悪そうに視線を逸らした。クロノとはよっぽど会いたくないみたいだ。
「もし、こっちのベッドの下も調べられていたら、どうしたの?」
「まあ戦闘だろうねえ」
……ネモフィラののんきな口調と、内容が釣り合っていなかった。
「勝てるの?」
「俺一人だったらわからない。あいつはクロノの右腕だし、頭も回る。俺は詳しく知らないけど、先の戦いでは参謀としてさまざまな作戦の立案を行っていたんだよ。でも今ここにはホムラさんがいるから」
ネモフィラはそう言って、ホムラを見た。ホムラはその視線を受け流すように、首を傾げた。戦いたくないと言いたいのか、自分はそんなに強くないと言いたいのか、微妙な仕草だ。
ホムラは、流していた視線をそのまま冴香に向けた。涼しげだった表情が変わり、心配そうに冴香の顔を覗き込んできた。
「大丈夫か? 顔が赤いぞ」
「え? また?」
ずっとホムラと密着していたから?
「人間は体力が落ちると熱を出すと聞いた。サエカも熱があるんじゃないか?」
「大丈夫、だいじょうぶ―――」
あれ? 何かがおかしい。頭の中がふわふわする。
やっぱり熱があるのかな?
汗をかいたまま着替えないでいたのがまずかった?
よくわからない世界で、気力も体力も限界で、ついに緊張の糸が切れたのかもしれない。
「私、やっぱりダメかも」
冴香は急に、意識を失った。




