二刀流と二丁拳銃
家族三人で野球を見に行ったことがある。
五万人も入れるドームに天井がついていて、冴香はそのことに一番驚いたのだった。
外では雨が降っていたけれど、何も気にせず野球を見ることができた。そこで食べたホットドッグやオレンジジュース。巨大なスクリーンに映し出されたコマーシャル。中の人々の熱気。
そういったことばかりが記憶に残っている。
試合がどうなったのかは覚えていない。
――そして今。
冴香の眼前には、そのときよりも遙かに巨大なドームが広がっていた。
「うわあ……」
思わず、声がもれた。
頭上をおおうアーチ型の天井は、雪でできている。壁も、足元もすべて雪だ。
まさにかまくらの中という感じ。
ただし、この空間はありえないほど広かった。
天井までどれくらいの高さがあるだろう。見た感じだと、ドームの直径が一キロメートル以上あってもおかしくない。
そんなに巨大なかまくらを作ることは不可能だ。天井を雪がおおっているから、月明かりも星明かりも届かない。
でも、そんなに暗いわけじゃない。曇りの日の、昼間くらいには明るかった。
光源がどこなのかは、わからない。
目の前にはだだっ広い雪原が続いている。
ぽつんぽつんと、ちょっとした建築物も見える。
この世界には誰かが――あるいは何かが住んでいるようだ。
少し先に、太い幹をいくつもねじり合わせたような、巨大な樹があった。いや、あれは樹じゃないなとすぐに気がついた。
輪郭が薄く淡く光っていたからだ。宝石のように断面の向きで輝き方も違う。透明度は低いけど、どうやらあの巨木は氷でできているらしいと冴香は想像した。
とんでもない大きさの、氷の彫刻――?
太い幹は、このかまくらを貫く勢いで天井まで伸びている。幾重にも広がる枝は繊細な指先にも似て、両手で天井を支えている巨人のように見える。
凛としていながら、泥臭いような。
美しいけれど、大地に縛られているような。
幻想的でありながら、土の匂いがするような。
相反するその姿を見て、
「――氷の世界樹?」
冴香は呟いた。ただの巨木というよりも、そう表現したくなるような神々しさだ。
あそこに行くべきだろうか。それとも引き返すべきだろうか。
いったん、振り返ってみる。道も、扉もなかった。
反り立つような壁が左右にずらっと伸びている。見上げると、壁はそのままアーチ型の天井へと繋がっていて、つなぎ目も隙間もなかった。
一応、叩いてみる。
雪とは思えないほど硬くて、掘り進めることはできなさそうだ。
急に不安が胸の中に広がった。
「あれ? ここはどこなの?」
呟いたその声は、カラカラに乾いていた。リュックの中には飲み物すら入っていない。
このかまくらは、現実の世界にあり得ない造形をしている。どう考えても不自然な場所に迷い込んでしまった。
とはいえかまくら入り口の闇を見たときから、非現実的な出来事に直面しているとわかっていた。
覚悟して飛び込んだはずだったのに、ここに来たことを冴香は早くも後悔し始めていた。
率直に言うなら、怖かった。
いつでも帰れるわけじゃないという状況が、どれほど怖いかを初めて知った。ちゃんと厚着をしてきたおかげで、寒くはない。それだけが救いだ。
目の前にある雪の壁を、二、三度、叩く。
「……お父さん、お母さん」
呟いてから、慌てて首を横に振った。
あんな人たちのことを考えても仕方がない。
自分の浅はかな行動でここに来てしまったけど、その責任は自分で取るしかない。
もう一度振り返って、氷の世界樹を見る。あそこに行くしかないと、冴香は思った。
走り出そうとした冴香の前に、ひとひらの雪が、はらりと落ちてきた。
さっきまでは気がつかなかったけど、周囲で、ちらちらと雪が降っている。
天井の雪が、剥がれ落ちているだけなのかもしれない。
右てのひらを前に出すと、青い手袋の上に、白い雪片が落ちた。じっと見ていると、すぐに溶けてしまった。雪は、冴香の心を安定させてくれる。
とりあえず落ちつこう。
耳当てを、いったん外した。
深呼吸をする。
肺の中に冷たい空気が充満して、頭の中までクリアになる。
空気の色は透明で、静かで、それでいて雪の積もる音だけは聞き取れるような――。
ここは、そんな世界だ。
不安な気持ちに押し潰されるのはもったいないと冴香は思った。
ぼうっとしていると、冴香の頬を弾丸のような何かがかすめた。後ろで、ぼふっという変な音がした。振り返ってみると、壁に、雪の塊がぶつかったような跡があった。
誰かが、冴香の顔をめがけて雪玉を投げた?
考えながら視線を前に戻すと。
雪原が爆発した。
下に地雷でも埋まっていたみたいに、目の前の雪原が吹っ飛んだのだ。冴香はしりもちをついたけど、おしりと両手が冷たかったので、呆気に取られたままというわけではなく、すぐに立ち上がった。握っていた耳当ては、どこかに飛んでいってしまった。
舞い上がった雪が空気中に漂い、視界を隠している。
白いもやが眼前で幕を張っているかのようだ。
もちろん冴香には状況がわからない。壁伝いに逃げるべきか、それともこの場にいた方がいいのか。その判断を下すだけの情報がまったくない。
とりあえず壁に背を預けて、状況を見守ることにした。
すると、白いもやの中から二人の人間が飛びだしてきた。
いや、人間じゃない。なぜならその二人は地面の一メートルくらい上を、滑るように飛び回っていたからだ。
二人とも、雪のように白い髪の毛をしている。
一人は短髪で、もう一人は長髪だ。
肌の色も、着ているコートも白くて、とにかく何から何まで白い二人だった。冴香も肌は白い方だけど、そんなレベルじゃない。血の気が感じられないような白さというか……こう言ってはなんだけど、死人に近い。
二人の着ているコートをよく見ると、白地に、青色で複雑な幾何学模様が描かれていた。その幾何学模様に電気でも通っているのか、ときおり光っている。
そんなコートをひらひらさせながら飛び回る二人は、魔法使いか、さもなければ雪の妖精かもしれない。
「え? なにこれ?」
口に出して、呟く。
でも雪の妖精みたいな二人は冴香の存在に気がついていないのか、こっちに視線一つ向けないで派手に戦っている。
二人の間で雪が爆ぜた。
遊びには見えない。さながら、雪の魔法をぶつけ合っているかのよう。
長髪の妖精(とりあえず妖精って呼ぶ)は、右手と左手にそれぞれ、リボルバーのような武器を持っていた。
弾を込めるための場所が、雪の結晶みたいな形をしている変な銃だ。その部分がくるくる回転すると、銃口から雪玉が発射された。二つの銃を際限なく撃ちまくっているから、弾を込める必要はないのだとわかる。
さっき、冴香のほっぺたを掠めた雪玉も、あの銃から発射されたものかも。
雪玉だけど、とんでもない速度で発射されている。固さがどの程度かはわからないけど、当たり所によってはケガをする可能性がある。
かたや短髪の妖精が握っている物は、西洋の剣に似た武器だ。
こちらも右手と左手にそれぞれ一本ずつ持っていて、つまり二刀流である。
剣の形はアスタリスクに似ていて、下の部分が伸びて持ち手になっている。その反対側に当たる上の部分がさらに長くなっていて、刃のように鋭く尖っている。簡単に言うと『*』の下がちょっと長くて、上がその三倍くらい長い。そんな形だ。
短髪の妖精は、その剣を滑らかに動かして、飛んでくる雪玉を斬り落としていた。
斬る度にぼふぼふと音が鳴って、斬らずによけた雪玉は、遠くに着弾したり、二人の間に落ちたりした。そのたびに、積もっている雪が空中に舞い上がった。
月や星が見えないから、舞い上がった雪は、あまりきらめかない。ただただ、白い嵐が吹き荒れているだけだ。それでも冴香は、二人の戦いをキレイだと思った。
雪が爆ぜても音があまりしない。
二つの銃が雪玉を発射して、二つの剣がそれを斬る。
二人の着ているコートが、魚のように翻る。
戦いの余波で風が生まれた。
冴香のところまで、風圧がぶつかってくるほどの勢いだ。
風に押されて後ずさった。その拍子に、雪が冴香の目の中に入った。目をこすってすぐに開けると、同じタイミングで短髪の妖精も目をこすっているのが見えた。
その隙を逃さず、長髪の妖精が銃を撃つ。
いくつかの雪玉が、短髪の妖精にぶつかった。雪玉をくらった短髪の妖精はくるくると踊るように吹き飛んだ。
「ぐあ……ッ!」
短髪の妖精が呻きながら落ちていく。
この一連の流れが、スローモーションのように、ゆっくりと冴香の目に映った。
短髪の妖精が剣を手放した。その剣は、空中できらきらと輝きながら消えていった。
上っていく光の残滓が、落ちる雪と混じり合う。
勝負が決まった。
長髪の妖精が、倒れている短髪の妖精のところに近づいて、何かを喋った。それから長髪の妖精は手を貸すわけでもなく、雪の上を滑るように飛んでいってしまった。向かった先は、氷の世界樹だ。
後には短髪の妖精だけが残された。
冴香がじっと見ていても、その妖精は仰向けに倒れたまま起き上がらない。
もしかしたら雪玉が当たってケガをしたのかも。
手当が必要なくらい傷ついているのかも。
止まっていた冴香の脳みそが、やっと動き出した。雪に足を取られながら、必死に走った。
倒れている妖精の近くで立ち止まって、見下ろす形で、
「大丈夫?」
声をかけた。
するとその妖精は、ガバっと変な挙動で――というよりも、人間には不可能な浮き上がりをした。つまり気絶していたわけではなかった。
身長は、冴香よりも十センチ以上高い。
やっぱり髪の毛も、肌の色も、何もかもが透き通るように白い。コートの下は、さらにひらひらとしたローブを何枚も重ねている。魔法使いのような格好だ。
目と目が合った。
すべてが白い妖精の瞳だけが赤くて、ルビーをはめ込んだかのよう。
その赤い瞳が、上から下まで冴香を観察するように動いた。雪の中で鬼火が揺らめいているイメージを冴香は抱いた。
「君は……人間?」
妖精は困惑していた。
言葉は通じるらしい。見た目と同じく、透き通るような声音だ。
「う、うん」
「どうしてここに? 入り口は完全に閉じたはず……」
「入り口? 閉じた?」
「ああ、いや。なんでもない。さっきの質問に戻ろう。君はどうしてここに来たんだ?」
ここは素直に答えるべき?
冴香にウソをつく理由はないけど、言葉を間違えたら危険な気もする。
「気がついたら、ここにいた」
「……そっか。気がついたら、か」
妖精は考えこむようにして黙ってしまった。しばらくしてから口を開き、
「君は魔法を使えるか?」
「魔法? 使えないよ。どういう質問なの?」
「いや、そうか。これは……どういうことだ?」
こっちが訊きたいと冴香は思った。
またしても妖精は、黙り込んでしまった。
だから今度は、冴香の方から質問することにした。
「あなたは何? 妖精?」
「そう。雪の妖精」
やっぱり妖精だった。
「銃みたいな武器で撃たれていたけど、体は大丈夫なの?」
「大丈夫」
妖精は、そう言いながら、急にふらつき、冴香にもたれかかってきた。
「えええええ!?」
お互いにコートを着ているけど、それでも彼の体温が異様に冷たいのがわかった。
「ごめん……僕をネモフィラのところに運んでくれ」
「え? え? ネモフィラ?」
「友達のこと」
「どうやって運べば?」
「肩を貸してくれ。足は引きずっていい。雑でもなんでもいいから、とにかく僕をネモフィラのところに連れて行ってくれ」
妖精は、相当に辛そうだ。これは恥ずかしがっている場合じゃない。よし! と気合いを入れて、妖精に肩を貸す。あれだけ飛び回っていたし、妖精だと自認しているしで、もしかしたら羽のように軽いかもと期待したけど、それなりに重さがあった。彼を引きずって歩くのはしんどいだろう。
でもそれ以上に気になるのは――。
顔が近い!
まつげが長い!
肌がきめ細かい!
冴香は、なるべく妖精の方を見ないように、顔をそむけた。
歩くことだけに集中して、一歩ずつ、足を前に出した。雪原は踏み固められていないから、ずぶずぶと足が沈む。くるぶしくらいまで雪に取られる。
ブーツを履いてきて、本当に良かった。
「……あっち」
妖精が指さした方に向かう。
いろいろ訊きたいことがあったけど、とりあえず喋っている余裕はない。妖精を引きずるのに精一杯だ。
奇妙な形をしている様々な建築物を横目にしながら、冴香はひたすら全力で歩いた。




