戦闘開始
流れるような白い長髪は、その一本一本がシルクのよう。
白いコートに描かれている幾何学模様は、複雑極まりない。
女性的なフォルムだけど、どこかトゲトゲしい。
一目で圧倒的だとわかる存在感。
「やあ、ホムラ。調査は進んでいるか?」
クロノは気安い様子で話しかけながら、部屋の中に入ってきた。たまらずに冴香は、一歩、二歩と後ろに下がる。背中が窓にぶつかった。この妖精との距離を詰めたくない。でもクロノが歩くと、こちら側の領域が削られる。まるで巨大な掘削機が近づいてくるような威圧感に、冴香の背筋が震え始める。
冷気と恐怖の相乗効果だ。
ホムラもネモフィラも臨戦態勢には入らない。まだ状況がつかめないからだろう。下手に魔法陣を展開してクロノを刺激するわけにはいかない。
クロノの背後にはもう一人、フードを被った妖精がいた。螺旋階段を見張っていたあの妖精だ。まるでクロノの影の中に沈むような立ち姿を見て、嫌な予感がどんどん増していく。
ホムラは一歩前に、進み出た。クロノと対峙する。
「日記があったんだ」
「……日記?」
「これを」
ホムラが見つけたばかりのノートを差し出した。
クロノはそれを受け取って、静かに読み始めた。青い瞳が上下に素早く動いている。そして文字を追っている間、クロノはずっと無表情だった。
ページのめくり方から推測して、例の個所に到達しただろうそのときでさえ眉一つ動かさなかった。
しばらくして、ノートをパタンを閉じる。
「これを書いたのは、お前か?」
冴香に視線を向けた。フードの奥に隠しているこちらの瞳の位置を正確に探り当てて、目と目が合うよう睨んできた。鋭く凍てつき、冴香を刺し貫くほどの視線だ。
「お、おいおい。どうしてシーナが日記を書くんだよ」
ネモフィラが言うと、クロノは笑った。
「シーナだと? 馬鹿を言うな。そいつは人間だ」
「なんでそう思う?」
「手だよ」
冴香は手袋をしていない。バレるようなミスはおかしていないはず。
「色が違う。それは人間の色だ」
……ああ、そうか! しまった!
いくら冴香が色白といっても、人間には限度がある。皮膚の下には血管が通っていて、赤い血液が流れている。でもそういう人体構造をしていない妖精は、本当に真っ白な肌の色をしている――冴香から見れば不自然なくらいに。
逆に言うなら、妖精から見れば、冴香の方が不自然なんだ。
手袋をしていないところまでは良かったけれど、それ以上に気が回らなかった。
「決まりだな」
クロノはそう言って、魔法陣を展開させた。
十二花結晶がクロノの前で緩やかに回転する。それが二つのアスタリスクに分かれて、右手と左手、それぞれの手に収まった。二つの銃が召喚されたのだ。
銃口は、しっかりと冴香を狙っている。
クロノは警告も躊躇もなく引き金を引いた。まさかいきなり撃つとは思っていなかったのか、ホムラもネモフィラも反応が遅れた。冴香は反応が遅れるどころか、何が起こったのかよくわからなかった。
恐らくは魔力で固めた雪だろう、とんでもない速度の弾が冴香のフードにぶつかり、めくれ上がった。
素顔が晒される。
クロノと冴香の視線が、初めて交わった。
ホムラが冴香のことをかばうように、前に立った。ネモフィラも、冴香の隣に立つ。
「この人間を――サエカを、元の世界に帰してあげたい」
ホムラが言う。
「駄目だ。人間は殺す」
「でもサエカは」
「うるさい!」
クロノが弾丸を撃った――それよりも速く、ホムラは魔方陣を展開させた。
十二花結晶がホムラの前で、二つに分かれる。
氷が線をなぞり、面を形作る。二つの剣が召喚された。そして、流れるような動きで飛んできた弾丸を斬った。
「日記を読んだだろう! 僕たちは自由になれるんだ! 僕は外の世界に行きたい!」
ホムラが言うと、クロノは鼻で笑った。
「この日記は、その人間が書いた偽物だろう。私たちを惑わそうとしている」
「そんなわけがないだろ! それは六花さまの筆跡だ!」
「……!」
クロノが一瞬、口をつぐんだ。痛いところを突かれた、という顔をしている。どうやら本物の日記だとクロノもわかっているらしい。それを誤魔化すように、
「今更、自由になってどうする。外の世界に行ってどうする!」
クロノがこっちに突っ込んできた。ホムラがとっさに冴香を突き飛ばす。ネモフィラが素早く反応して抱きとめてくれたおかげで、壁に激突するようなことはなかった。冴香の鼻先数センチを、ホムラとクロノが通り抜ける。二人の着ていたコートが残光のように尾を引き、ただの冷気が肌を削るように残る。
とんでもない衝撃と共に、近くにあった窓が割れた。
ネモフィラがコートを翻して、冴香の頭を守るように被せた。
これら一連の出来事が一秒もかからずに行われ、冴香は後から思い返すようにして、脳内で映像を補完するしかなかった。
クロノとホムラが、窓から外に飛び出した。
「僕がクロノを押さえる。ネモフィラは冴香を頼む――!」
ホムラの声は一瞬で遠ざかっていた。
ネモフィラは、冴香を安心させるように背中をさすった。
扉の前には、フードを被った妖精がいる。腕を組んで、こっちの動きをずっと見張っている。
ネモフィラが口を開く。
「で、どうします? 俺と戦う? このまま、クロノとホムラの決着がつくまで待っていてもいいんじゃないですか?」
「そうしたいのは、やまやまだがね。クロノが戻ってきたとき、おまえらを拘束していなければ、怒られちまう」
フードを被った妖精が答えた。シーナと違って、流暢に喋っている。
「ホムラが戻ってくるかもしれないでしょう」
「それはないよ。クロノには勝てない」
「ずいぶんクロノを信用しているみたいですが、あなたは誰です?」
「俺は、崩れた結晶を持つ、ただのヒビ割れた妖精さ」
この声は聞いたことがある。でも顔のイメージが浮かび上がらない。一体なぜ?
それはたぶん顔を見ていないからだ。もちろんフードで隠されているから、という理由じゃない。もっと前に、どこかで声だけを聴いた。
ベッドの下に隠れたとき、やってきた妖精。
クロノの右腕と言っていたような気がする。
確か名前は、
――アダシノ。
さらに冴香は考える。あのときネモフィラは、「焦ったような顔をしてどうしたんですか? 何かありました?」と言っていた覚えがある。
つまり普段のアダシノは、フードで顔を隠していない。ヒビ割れた妖精じゃないんだ。
たぶんネモフィラも、あいつの正体に気がついていない。
もしかしたら今の状況は危険かもしれない。
ヒビ割れた妖精は、魔法陣を展開できない――コアから具現化した武器を創り出すことができない。それを逆手にとって油断を誘い、こちらの隙をついて攻撃するつもりかもしれない。
冴香はネモフィラにそっと耳打ちした。ネモフィラは驚いたように目を見開き、すぐに魔法陣を展開させた。それと同時に、フードを被っている妖精の右手が動いた。半身になった相手の背で、小さく魔法陣が展開しているのが見えた。
カキン、という硬質な音が響いた。
冴香の目の前には、ネモフィラの召喚した盾がどっしりと存在している。その盾に、小さな手裏剣のような武器がいくつも刺さっていた。
「ふう~、危ない危ない。星形角板ね。やっぱりあなたはアダシノだったんですね」
ネモフィラが言う。
対する妖精は、あっさりとフードをとった。中には、ヒビ一つ入っていない、キレイな顔をした男の子がいた。
「どうしてわかった?」
その男の子――アダシノがネモフィラを睨んだ。
冴香の思った通り、相手を油断させるためにフードを被って、崩れた結晶を持つ妖精のふりをしていた。
でもこの罠は、妖精のことを熟知している相手しか引っかからない。今現在、この世界は閉じていて、敵対する魔法使いがやってくることはないと聞いている。
つまりこの罠は、最初から同族を狙って仕掛けていた、ということになる。
より具体的に言うなら、ホムラとネモフィラを騙し討ちするためだけの、罠。
「卑怯なやつですねえ」
ネモフィラは笑っていた。意外と、こういう相手が好きなのかもしれない。大らかというかなんというか……。
対するアダシノが、たくさんの小さな星形角板を召喚する。
「俺のコアは小さくてね。武器を具現化するときに展開させる魔法陣も、小さいんだ。騙し討ちするには、うってつけの結晶なんだよ」
「なかなか面白い見世物でした」
「最初の一手は防がれちまったけどさ。まあ、どうでもいいよ。単純な実力でも俺は強いし」
冴香の目の前で、ネモフィラ対アダシノの戦いが始まった。




