真実
「これが、真実?」
パラパラとめくってみたけれど、ホムラから聞いたこと以上の情報はあまり出てこない。知らない情報があったとしても『真実』とは関係なさそうなものばかりだ。
たとえば最初の方は、この世界を創った直後で、どんな施設が必要かを楽しく考えている様子だった。
雪の結晶を保管し、そこから妖精を創り出し、会話をし、遊び、彼らの成長を目の当たりにして驚き、我が子がいたらこんな感じだったかもと思い、ときどき青野家のこと、特に冴香のことに言及し、あの子は今何をしているだろう、会いたいなぁと吐露し――そういった幸せな日々が綴られていた。
冴香は涙をこらえるのに必死だった。
やがて、書かれている言葉がどんどん不穏になっていく。
雪壁に穴が空いていた。魔法使いの目撃情報があった。見間違いであることを祈る。偵察隊がやってきた。この世界も完全に閉じていなかった。妖精が一人殺された。いったん偵察隊が帰っていった。一週間後に大規模な侵攻が開始された。全面戦争になった。
ネモフィラのコアが負傷した。修復できたけど、今までの記憶を失った。
「お、俺の情報が書かれている」
他人事のようにネモフィラが言う。
さらに日記をめくる。
――もう限界だ。
という言葉に行き当たった。
これ以上、ページをめくるのが怖かった。この先に何が書かれているのか見たくなかった。
一度顔を上げて、ホムラとネモフィラを見る。
ホムラは苦々しい表情で頷き、ネモフィラは両の拳を握りしめて、ぐっと力を入れた。
冴香の、日記を持つ手が震えていた。
怖い。それでもこの先を読まなければならない。
ページをめくる。
◇
――私はホムラに二つの選択肢を提示するつもりだ。
一つは、この世界の崩壊と共に、妖精たちも死ぬ。
一つは、私の死体を凍らせて魔力発生装置にし、妖精たちは閉じた世界で生きながらえる。
どちらの選択肢を選んでも、ホムラは苦しむだろう。そうであってほしい。
苦しんでほしい。
悩んでほしい。
ホムラには――ううん。妖精たちには、ずっと私のことを想っていてほしい。この世界で永遠に私のことを弔い続けてほしい。などと、こう考えてしまうのは私が最低の人間だからだ。
人生の幕引きを自ら決意した後に残っていたのは、純粋な清廉さなんかじゃなかった。
自分の未熟さと醜さを、最期まで捨てきれなかった。
なんて、浅ましいのだろう……!
自分がこういう人間だったからこそ、今こんなところにいて、にっちもさっちも行かなくなっているのだ。
私はどこまで行っても幸せにはなれない。
君たちには、私と同じように苦しんでほしいと思う。
でもやっぱり、幸せになってもらいたいとも思う。思うんだよ。
どっちが本当の私かわからない。
自分でも、自分の心がわからないの。
だからここに真実を書き遺していくね。
妖精たちが、私の死体を氷漬けにしたときの場合に備えて。
情報は前後するけど、そうじゃない選択肢を選んだ場合は好きにすればいいよ。
まあ、ホムラがそっちを選ぶとは思わないけど。
ホムラ、ごめんね。
私は、あえて大事な情報を隠した。というか噓をついた。それはね、
――この世界が壊れても、妖精たちは死なない。外の世界で自由に生きることができる。
というものだよ。
今、私のことをぶん殴りたいと思ったでしょう。残念でした、すでに私は死んでいます。
このくらいの意地悪は許してほしい。
私が死んだ後に、この日記をすぐ見つけるだろうし。
まあ、せいぜい数日の意地悪だよ。
あ、そうだ。外の世界に行ったら、魔法使いたちに復讐しようなんて考えるなよ。何にも縛られずに、自由に生きるんだ。私がいなくても、君たちは生きていけるよ。
私が打ちのめされた現実の、その先に進むことができる。
無責任だけど、そう信じている。
だからこの意地悪は、私からの最後の贈り物ってことで。
さて、言いたいこと書きたいことはまだまだたくさんあるけれど、この辺りにしておこうかな。
バイバイ。
◇
日記はここで終わっていた。
ページの最後までめくっても、もう何も書かれてはいなかった。
……はあ、まったくさぁ。
冴香は天を仰ぐべきか、ため息をつくべきか、はたまた悲しむべきかわからなかった。
自分と同じように苦しんでほしい。でも幸せにもなってほしい。
閉じた世界の最奥――人生のどん詰まりで、六花は自分の矛盾に直面した。
そしてホムラに意地悪な二択を提示した。
真実は、そういうことらしかった。
そして六花は、妖精たちがこの日記をすぐに見つけるだろうとも考えていた。彼女の死後にこの部屋をそのまま保存して、何一つ手を付けることなく三年が過ぎるとは思っていなかったようだ。
六花の読みが甘かったと言わざるを得ない。
妖精たちの想像主であるということに対して、自覚と重みが欠けていた。
もちろんこの日記に書かれていることが本当かどうかはわからない。六花の遺体を覆っている氷を溶かした瞬間、妖精たちがみんな死んでしまうという可能性も残されている。
でも、ここまできて、それはないだろうな。
この世界に滞留しているという六花の遺志を乗せた魔力。それを感じ取ることができるシーナの言葉。そして夢の中で出会った六花の様子から、この日記に書かれていることは本当だと、冴香は思う。
悔いていた――と、シーナは六花の遺志をそう表した。ホムラに対する行いのことを言っているのか、はたまた自死を選んだ自分自身の行いのことか、あるいは妖精たちが日記をすぐに見つけなかったことに対する読みの甘さか。
それらすべてを含めての感情なのか。
とにかく六花の遺志は滞留し、助けを求める形で冴香をこの世界に呼び寄せた。
冴香に求められていた役割は、このノートを見つけ、ホムラに手渡すことだったんだ。
「大丈夫? ホムラ?」
冴香が訊いたけど、ホムラはずっと、どこにも焦点の合わない瞳で宙を眺めている。
「ねえ、ホムラ?」
もう一度問いかけると、ホムラはこっちを向いた。まだ焦点は合っていない。
「大丈夫?」
「僕は大丈夫だ」
ここでホムラの瞳が揺らめいた。
改めて、冴香のことを認識した、という感じだ。
「なあ、サエカ」
「な、なに?」
「外の世界は、いいところか?」
どうだろう。私は好きじゃないけれど。でもここで、その答えを言うのは違う気がした。
困惑している冴香の顔を見て、ホムラは苦笑した。
「そういえば、サエカは帰りたくないって言っていたな」
「えっと……」
この世界にずっといられないことはわかっている。人間が住むのに適した環境じゃないし、何よりも食料がない。帰らなければ死ぬしかない。それでも帰りたくない。家に帰っても、誰もいない。居場所がない――そんな冴香の考え方に、少し前から変化が訪れていた。
「ホムラやネモフィラ、後は、シーナと一緒だったら帰りたい、かも」
ちょっとだけ、そう思えた。冴香は続けて、
「みんなは雪の妖精だから、ずっと一緒にはいられないかもしれないけど」
「そんなの、魔力でどうとでもなるよ。僕は外の世界に行きたい。ネモフィラはどうだ?」
「俺も行ってみたいです」
ネモフィラも力強く答えた。
ホムラが冴香の方に向き直って、
「なあサエカ、外の世界を案内してくれないか?」
案内だって? 冴香は想像してみた。
雪の妖精たちを連れて、いろんなところに旅行をする。肌の色が白すぎるから、人目は避けた方がいいかな。それともメイクでごまかせるかな。夏の日は外出できないだろうなあ。魔法で、どれだけ暑さを防御できるかな。妖精だから、空を飛んでどこかに移動できるかな。
どこに住むのかな。
うち……は無理かなあ。でも父さんと母さんはあまり家に帰ってこないし、隠れて住まわせることはできるかも。食費はいらないんだっけ。あ、でもこの世界に充満している魔力を吸収しているわけだから、外に出れば違うのか。
冴香の頭の中で想像が広がっていく。
ホムラが続けて、
「僕はカレーライスを食べてみたい。六花さまの好物だったんだよ」
「……カレーライス」
まさかここで、カレーライスという言葉を聞くなんて思っていなかった。
冴香にとっても思い出のご飯だ。もしかしたら六花の思うカレーライスも、六年前のクリスマス・イブに食べたものかもしれない。同じカレーライスを想像しているのかもしれない。
そうだったらいいなと、冴香は思う。
「六花さまの遺体を覆っている氷――それを溶かせば、外に出られる。そしてサエカも、僕たちと一緒なら帰ってもいいと思っているんだよな?」
「まあ、うん。そうだね」
目的が一つに集約されていく。
たくさんの線が集う中心には六花の遺体がある。
そういえば少し前にホムラは、
――あの氷は、僕とクロノが力を合わせて創り出した唯一の魔法だ。どちらか片方だけの意思では壊せない。それなのにヒビが入っていた。
と言っていた。
ここにきて、嫌な予感が冴香の胸中を満たしていく。
「それで、どうやって氷を溶かすの?」
一応、訊いた。
笑顔で外の世界のこと、つまり未来のことを語っていたホムラの顔が一瞬にして曇った。
「……あの氷は、僕とクロノの二人で創り出した魔法なんだ。合作なんだよ。つまり二人が同時に解きたいと思わなければ、氷は溶けない」
ホムラは外の世界に行きたいと思っている。
でも、クロノは――?
すると、ネモフィラが、急に扉の方に振り返った。
「誰かが来る」
その言葉で、ホムラと冴香も振り返った。
感傷に浸っている場合じゃない。体が一気に緊張していく。
木製の扉が、ゆっくりと音を立てて開いていく。ぎいい、という悲鳴のような音だ。
その間に、冴香はフードを被りなおすことができた。まだシーナのふりは通用するはず。
扉の向こう側には、クロノが立っていた。半身をこちらにさらけ出し、もう半分は枠の外に消えている。切れ長の片目が、ホムラのことを睨んでいた。




