冴香の目覚め
冴香の手を握っていた妖精は、フードを目深に被っていて顔が全然見えない。
でも体のシルエットは女性だし、スカートを履いている。
いったい誰なんだろう。
ちなみに冴香は手袋をしているけれど、その女性は素手だった。
「良かった。目を覚ましたか」
横から声が聞こえてきた。
視線を向けると、ホムラだった。近くにはネモフィラもいる。
「ん? え?」
冴香は、自分がどこにいるのかわからずに困惑した。
上体だけを起こしてあたりを見回してみると、ネモフィラが住んでいるかまくらの中だった。あまりにもスムーズに夢から現実へと繋がったから、不思議な感覚だ。
自分の体を見下ろすと、毛布やら暖かそうな衣服やらが、乗っかっていた。持ってきておいたレインコートまで着ている。さらに、体の下には防水性のシートと、毛布がいくつも敷かれていた。この世界でできる限りの、防寒防水対策をしてくれたらしい。
謎の妖精に引っ張られる形でベッドから起き上がった。
体は軽い。熱はないみたいだ。
「サエカ、大丈夫?」
ホムラが訊いてきたから、冴香は慣れない笑顔を作った。
「もう大丈夫。毛布とか防水シートと、いろいろありがとう」
「本当に大丈夫なのか?」
とネモフィラが疑いの視線を向けてくる。
「大丈夫だってば!」
冴香は笑って答えた。それから改めて、謎の妖精に向き直った。
「それで、この子は誰なの?」
「ああ、その子はシーナだよ」
ホムラが名前を教えてくれた。謎の妖精――シーナは小首を傾げるだけだ。もしかして喋れないのかな?
「わけあってコアが崩れてしまった妖精なんだ。顔や体にもヒビが入ったり、割れてしまったりしているから、フードを被って素顔を見せないようにしているんだよ」
やっぱりホムラが説明してくれた。
顔にヒビ?
こんな世界にも、見た目の問題があるの?
妖精も、人間と同じ悩みを抱えているのかな。
それとも違った価値観で、顔を隠しているのかな。
気になることがいっぱいだ。
「シーナはどうしてここにいるの? 私が寝ている間に何があったの?」
「それは僕にもわからない。いきなりやってきて、サエカのことをずっと見つめていたんだ」
どういうこと?
「私に、何か用があるの?」
「……」
訊いてみるけど、シーナは何も言わない。
フードの奥にある闇を見つめていると、さっきの夢での会話を徐々に思い出していった。
「ねえ、ホムラ」
「うん? なんだ?」
「この世界を創り出した魔女の名前は、なんていうの?」
「そういえばまだ言っていなかったか。六花さまだよ」
「……そう」
思っていた通りだった。冴香は目の前の毛布をぎゅっとつかみ、ぐしゃぐしゃにした。感情をうまくコントロールできない。叫び出したいけれど、他の妖精に見つかるような行為をするべきじゃない。だから重なっている毛布に顔をうずめて、そこで思い切り叫んだ。言葉にならない声を発した。
もう二度と、六花には会えない。
すぐには消化できない感情をひとしきり吐き出す。この気持ちだけは、溜め込むという事ができなかった。胸の奥にいる五歳の自分がそれを許さなかった。
涙なんていうキレイなものは流れなかった。
お腹の底にあったのは、ひたすら冷たくて苦しくてぐちゃぐちゃの何かだった。
いったんすべて吐ききる。
最後の最後に出てきた言葉は、
……おねえちゃんのバカ。
やっと、握りしめていた毛布を離した。顔を上げたときにはもう気持ちを切り替えていた。
悲しむのは後でもできる。
今はやるべきことをやらなきゃ。
「ど、どうしたんだ?」
ホムラが心配そうに顔を覗き込んできた。冴香はムリヤリ笑顔を作って、
「もう大丈夫」
「何が?」
「ちょっと落ち込んでいたけれど、もう大丈夫ってこと」
その言葉に納得したわけじゃないだろうけど、ホムラは「そうか」と言って、下がった。ネモフィラもシーナも、何も言わないで冴香のことを見つめていた。妙な空気になりそうだったけど、ホムラがわざとらしく咳ばらいをした。
「さて、目を覚ましたばかりで申し訳ないが、サエカに話がある」
話題を変えてくれて助かった。
冴香とシーナが同時に、ホムラへと顔を向けた。
「話?」
「ここから移動する」
「移動?」
「君を氷の世界樹に連れていく」
「ええ~~~~!? さっきは無理だって言ったじゃないですか!」
と反論したのは、冴香じゃなくてネモフィラだ。冴香には状況がよくわからない。シーナも小首を傾げている。
「氷の世界樹って、ちょっと遠くに見える、あの巨大な氷木の彫像みたいなやつだよね?」
「そうだ」
「そこに行けば、どうなるの?」
「氷の世界樹には、かつて一人の人間が住んでいたんだ。つまり人間が寝起きするための部屋や設備が整っている。サエカがいつまでこの世界にいるかわからないけど、まずはその部屋を拠点にした方がいい」
そんな部屋があるなら、どうしてすぐに教えてくれなかったの? と冴香は思ったけど、すぐに別の可能性を考えた。逆なんだ。部屋のことを教えられない理由があったんだ。
「その人間って」
「この世界の創造主、六花さまだよ」
「……そっか」
六花は、いったい何者だったんだろう。それに魔女とはなんだろう。冴香は当然ながら疑問に思った。
「今現在、氷の世界樹はクロノが管理しているんだ」
とホムラが言った。さらに続ける。
「ここまで来たら、この世界のことを少し教えた方がいいかもしれない。情報の不足によって、危険な状況に陥る可能性もある」
冴香が気絶する前は、あまりこの世界のことを知らない方がいい、とホムラは言っていた。どうやら状況が変わったらしい。冴香としてもありがたい。六花が創ったというこの世界のことをもっと知りたいし、なぜ六花が亡くなったのかも知りたかった。
「サエカを、ちゃんと人間の世界に帰したいんだ」
「……」
冴香はまだ、元の世界に帰りたいとは思っていない。あそこには居場所がない。でも夢の中で六花が言っていたことを無下にしたくもなかった。元の世界に帰らなければダメだと、六花は説得しようとしてくれた。
冴香が何も言わないのを否定の意に取ったのか、ホムラはさらに続ける。
「君の体力では、この世界で一日と保たないだろう。横になるどころか、座ることもできないのだから。防水加工のシートにも限界がある。それに食料はどうする。この世界に食べ物はない」
冴香はリュックの中にちょっとしたチョコレートやクッキーを入れてきたけど、それでは全然足りない。
「ここは、人間が生きていける世界じゃないんだ」
「で、でも……氷の世界樹にはおねえちゃ――六花が住んでいたんでしょ? 部屋があるんでしょ? その人はどうやって生きていたの?」
「わかった。そのことを話そう」
そしてホムラがこの世界のことを語りはじめた。
それは、冴香の知らない六花の物語だった。
現実の世界には、冴香が知らないだけで魔力を持っている人間がいる。そのような人間を魔法使いと呼ぶ。
ある日、魔法使いの名門である境家に、とんでもない魔力を持った子どもが生まれた。その子を『六花』と名付け、境家の人々は崇め奉った。
六花を巡って争いが起こるほど、彼女の魔力は突出していた。六花は魔法使い同士のごたごたが嫌になり、最終的に雪と氷で閉ざされたこの世界を創って、引きこもった。
でも六花の魔力は、外の世界に漏れていた。彼女を追って、何人もの魔法使いがこの世界にやってきた。
もちろん戦闘になった。
六花がただの話し相手として創った妖精を、戦いに送らなければならなかった。
たくさんの妖精たちが死んでいった。でも六花は、雪の結晶に魔力を込めることで、いくらでも妖精を生み出すことができた。
死んでは創り、
死んでは創り、
終わりのない争いが続いた。
ホムラ、クロノ、ネモフィラは、六花が最初に創ったお気に入りの妖精だった。
三年前のある日、ネモフィラがコアにダメージを負った。
六花の魔法でコアは直ったけど、ネモフィラはそれまでの記憶を失ってしまった。それが六花の心を壊す最後の引き金となった。
六花は自らの手で、死ぬことを選んだ。
それから――、
「僕たちは、六花さまの遺体を氷漬けにした」
ホムラは淡々と喋った。少しでも過去に思いを馳せれば、その重みに潰されてしまうとでもいうように。対照的にネモフィラはあっけらかんとしていた。冴香がネモフィラのことを盗み見ると、向こうもこっちを見ていた。視線が合った結果、
「俺のことは気にしなくていいよ。記憶はないけど、困ってもいない。ホムラさんがよくしてくれるしね」
とネモフィラは言った。冴香に言えることはなかったから、頷くだけにした。
ホムラが語ってくれた話の本筋――六花の人生に意識を戻す。
六年前、青野家の隣にふらっと引っ越してきた女性は、とんでもない人だった。
そんな六花の辛さを知らずに、おねえちゃんおねえちゃんと冴香は纏わりついていた。自分が仲良くなれば、ずっとあの町にいてくれるような気がしていた。とんでもないバカだった。
人にはそれぞれ事情がある、見ただけではわからない悩みを抱えている。
そういった至極当然のことを理解していなかった。
五歳児だから当たり前、とは思えなかった。思いたくなかった。
かといって、当時の自分に何ができただろう。魔法のことなんてまったく知らないというのに。
翻って、今の自分に何ができるだろう、とも考えた。
六花が遺していったこの世界に自分が呼ばれたのは、何か理由があってのことなの?
でも、六花はもう亡くなっている。
じゃあいったい誰が冴香を呼び寄せたの?
夢の中で、六花はなんと言っていた?
――この世界に漂う私の思念が、冴香ちゃんを呼んじゃったみたい。
確か、こんな感じの言葉だった。
思念ってなんだろう。ここはもう少しホムラの話を聞いた方がいいかもしれない。
「どうして遺体を氷漬けにしたの?」
冴香が質問すると、ホムラは言いにくそうに唇をゆがめた。
「六花さまは亡くなった後も、魔力を放出し続けていた。だからその魔力が、外の世界に漏れることを防ぐ必要があった」
「そんな……」
「六花さまを氷漬けにし、魔力が漏れ出なくなったことで、この世界は完全に閉ざされたんだ。魔法使いたちも来られなくなった。僕たち妖精は、この閉じた世界で、六花さまの遺体を中心にして永遠に生きていくはずだった」
聞いていて、胸の奥がぎゅーっと締めつけられる。
遺体を中心にして、永遠に生きていく? なんだよ、この世界は。見た目のキレイさとは裏腹に、あまりにも歪だ。この結末を六花が望んだっていうの?
冴香は怒りの感情を抱いたけれど、その矛先をどこに向ければいいのかわからなかった。妖精たちにぶつけるのは違うだろう。
「でも、君が現れた」
「私?」
冴香が自分自身を指さすと、ホムラは力強く頷いた。
「僕にも、なぜ君が迷い込んできたのかわからない。ただ、六花さまを覆っている氷にヒビが入っていた。そのヒビと、君に、何か関係があるのかもしれない」
「ええ? ヒビですか?」
これに反応したのは、ネモフィラだ。
ホムラはネモフィラに向き直って、
「そうなんだ。あの氷は、僕とクロノが力を合わせて創り出した唯一の魔法だ。どちらか片方だけの意思では壊せない。それなのにヒビが入っていた」
どういうことだろう。
「だから僕は、そのヒビを調査するという名目で、氷の世界樹への出入りを許された。このチャンスを逃す手はない。サエカを六花さまの部屋に連れていき、そこに隠す」
「隠すって?」
と再びネモフィラが訊く。
「クロノは、人間を決して許さない。このままだと冴香は、ここで凍死するか、クロノに殺されるかの二択しかない。だからクロノの最も近い場所に、冴香を連れて行くんだ。まさかそんなところに、人間がいるとは思わないだろ」
灯台下暗し、ということか。
確かに良いアイデアかもしれない。それに夢の中の六花は、
――私の部屋を探して。真実を見つけて。そして、氷を溶かして。
そう言っていた。六花の部屋に何かがある。この世界の根幹を揺るがす何かがある。でも、このことはまだホムラに黙っていた方がいいかもしれない。冴香はそう思った。
「というわけでサエカ。体力があるうちに、氷の世界樹に行こう」
「でも、どうやって六花さまの部屋まで行くんですか? 世界樹の周りにも、入り口にも、中にも、たくさんの妖精たちがいますよね?」
ネモフィラが、ホムラに訊いた。
ホムラは腕を組んでから、宙を見上げた。
「問題はそこなんだよ。全然、良いアイデアが思い浮かばないんだ……」
意外と行き当たりばったりというか、ホムラもすぐにはアイデアが出ないみたいだ。本来は無理な作戦だけど、やるしかないから、やる。そんな感じかもしれない。
ここまでしてくれるのは、私のため?
それともこの世界のため?
冴香が考えていると、急にシーナが一歩前に出た。
みんなが見つめる前で、シーナはおもむろに、フードのついているコートを脱いだ。




