03 森に怪しい不審者(※ただし超絶美形)が出たのですが
爆速で馬車を飛ばすこと数日。
王都の窮屈な空気とは打って変わって、緑豊かで広大な大地が広がる我が家――帝国との国境を接する要の地、辺境伯領へ無事に到着した。
「お嬢様がお帰りになられたぞー!」
「リズ様、おかえりなさいませ!」
領地に足を踏み入れた途端、領民たちが笑顔で手を振って出迎えてくれる。
王都では「悪女」呼ばわりで四面楚歌だったが、ここでは私は領民思いの次期領主候補の一人として大人気なのだ。
そして、お城の玄関の扉が開くや否や、巨大な影が私に飛びついてきた。
「おおおおお! 私の可愛いリズ! よくぞ帰ってきた!!」
「お、お父様、苦しいですっ」
私を熊のような抱擁で締め上げているのは、この領地を治める辺境伯であるお父様だ。
強面の武将として他国から恐れられているお父様だが、私に対してはご覧の通り甘々のデレデレである。
「リズ、おかえり。あんな堅苦しい王都になんて、もう二度と行く必要はないよ」
そう言って私の頭を優しく撫でてくるのは、見目麗しい兄様だ。
兄様も私を溺愛しており、私の言うことなら何でも肯定してくれる立派なシスコンである。
「ふふふ、リズ、長旅でお疲れでしょう。美味しい紅茶を淹れてもらいましたよ」
おっとりとした笑顔で迎えてくれたのは、まるでお花畑から抜け出してきたような、ふんわりとした雰囲気のお母様。
家族全員の愛を一身に受けながら、私たちは居間へと移動し、今後の家族会議を開くことになった。
「――というわけで、オーレリア様へのいじめをでっち上げられ、見事に婚約者候補からは外れ、追放を言い渡されました!」
私が胸を張って報告すると、お父様はバンッ!と机を叩いた。
「あの愚鈍な王太子め……! 我が家の至宝であるリズの魅力がわからんとは! ……しかし!」
怒髪天を突く勢いだったお父様は急にデレデレの笑顔になり、
「リズがずっと我が家にいてくれるなら、これほど嬉しいことはないなぁ! はっはっは!」
「ええ、本当に。でもお父様、王太子殿下の婚約者候補から外された上に『悪女』のレッテルまで貼られてしまっては、リズの嫁入り先は絶望的ですわねえ。どうしましょう」
お母様が美味しいクッキーを齧りながら、まるで明日の天気を心配するようなのんびりとした口調で言う。
すると、兄様がポンッと手を叩いた。
「いいじゃないか、嫁に行かなくても。リズが女辺境伯としてこの領地を継げばいいんだよ。俺、実は昔から商会を立ち上げて商人になりたかったんだよね!」
「えっ、兄様、次期領主の座を私に丸投げするおつもりですか!?」
私がツッコミを入れると、今度はお母様がふんわりと微笑んだ。
「それも素敵だけれど、リズはまだ学園を卒業していないでしょう? 王国の学園にいられないのなら、いっそ他国へ留学するのもありじゃないかしら?」
「留学……ですか?」
「ええ。たとえば、お隣の帝国とか。最先端の魔導技術も学べるし、美味しいお菓子もたくさんあるそうよ」
(帝国……。たしかに、王国の息がかかっていない場所としては最適かもしれないわね)
私が顎に手を当てて考え込んでいると、お父様が豪快に笑い飛ばした。
「まあまあ、そんなに急いで決めることはない! リズはしばらくのんびりして、ゆっくり考えればいいさ! そうだ、明日は気晴らしに狩猟に出かけよう! お前の大好きな魔猪を狩りに行くぞ!」
「わあ! 本当ですか、お父様! 私、王都ではずっと猫を被っていて狩りができず、ウズウズしていたんです!」
「俺も新しい弓を試したかったんだ。一緒に行こう、リズ」
こうして、王太子からの追放宣告など微塵も気にしていない辺境伯一家の夜は、和やかに更けていくのだった。
その翌日。
大好きな狩猟の最中に、あの太々しい肉食獣のような皇太子に「捕獲」されることになるとは……。
★
国境にほど近い辺境伯領の深い森の中。
私は王都での鬱憤を晴らすかのように、愛用の弓を手に意気揚々と魔猪の痕跡を追っていた。
「ふふふ、久しぶりの狩り……血が騒ぐわ! まちょ、まっちょれーー」
お父様と兄様とは少し離れた場所を探索していた私は、茂みの奥でガサリと揺れた影に向かって駆け出した。
その瞬間。
バチンッ!
「えっ? きゃあっ!?」
足首に強い衝撃が走ったかと思うと、私の体は一瞬で宙に持ち上げられた。
バサバサッと木の葉が舞い散り、視界が完全に逆転する。
(や、やられた! 密猟者が仕掛けた吊り上げ罠だわ!)
地上から数メートルの高さで、私は見事に足首を括られ、逆さまに吊るされてしまった。
狩猟用の動きやすいパンツルックだったのが不幸中の幸いだが、頭に血が上って非常に具合が悪い。
「ちょっと! 誰か! お父様ー! 兄様ー!」
ジタバタと暴れていると、下からザッ、ザッ、と草を踏み分ける足音が聞こえてきた。
助かった、と安堵して逆さまの視界でそちらを見ると――そこに立っていたのは、お父様でも兄様でもなく、見知らぬ黒ずくめの美青年だった。
夜の闇を固めたような漆黒の髪に、獲物を狙う肉食獣のような鋭い瞳。
ただ者ではない圧倒的なオーラと威圧感を放つ彼は、逆さまにもがく私を見上げて、ニヤリと凶悪なほど美しい笑みを浮かべた。
「……良い眺めだな」
「どこがですか! 見世物じゃないんですから、早くおろしてー!」
私がジタバタと抗議すると、青年は喉の奥でくつくつと笑った。
彼の正体が、昨晩の夜会で私をロックオンし、凄まじい執念と爆速で国境を越えて追いかけてきた帝国の『俺様皇太子』であることなど、魔法に無知な私には知る由もない。
皇太子は、私から放たれる波長によって自らの呪いが完全に鎮まっていることを感じ取り、その瞳にねっとりとした執着の炎を灯した。
「……やっと見つけた」
彼は両手を広げ、甘く、それでいて絶対的な命令を含む低い声で囁いた。
「俺の腕に落ちてこい」
その言葉と同時に、彼が指先で軽く魔法を放つと、私の足首を縛っていたロープがシュルリとほどけた。
「わっ!?」
重力に従って落下する私の体を、青年は広げた逞しい両腕で見事に受け止めた。
がっしりとした胸板にすっぽりと収まり、お姫様抱っこの状態になる。
至近距離で彼と視線が絡み合う。
熱を帯びた瞳で見つめてくる凄絶な美貌の青年に、並の令嬢であれば顔を真っ赤にしてときめく場面だろう。
しかし、前世の記憶を持つ私から出た言葉は、まったく別のものだった。
「えっ……変なツボとか買いませんよ!? もしかして新手の宗教ですか!?」
「…………なん、だと?」
甘い雰囲気が一瞬にして凍りついた。
見事なまでに整った顔が、「こいつは何を言っているんだ?」と言わんばかりに引きつる。
「いきなり『やっと見つけた』とか『俺の腕に落ちてこい』とか、自己啓発セミナーか怪しいカルトの手口にしか思えないんですけど! 私、そういうの間に合ってますから! おろしてください!」
私は彼の腕の中でジタバタと暴れ、強引に地面に降り立った。
パンパンと服の土埃を払いながら、胡散臭いものを見るような目で彼をジロリと睨む。
「助けていただいたことには感謝しますけど、勧誘はお断りです。それではごきげんよう!」
「おい、待てッ――」
私は美青年が何か言いかけるのを無視して、猛ダッシュでお父様たちのいる方向へ逃げ出した。
(びっくりしたぁ……。辺境の森にまであんな怪しい宗教の勧誘員がいるなんて。早くお家に帰ろう……)
――ん、まあ、この出会いがきっかけで、私が帝国の学園へ「経営学の勉強と婿探し」のために留学し、そこで彼と再会することになるなんて、この時の私はまだ全く予想していなかったのである。




