02 悪女ポイントカンスト
王宮の大広間を埋め尽くす貴族たちのざわめきが、ピタリと止んだ。
建国記念の夜会。
煌びやかなシャンデリアの下、広間の中央で私、リズウェルリズは王太子とその腕にすがりつくオーレリアと対峙していた。
「リズウェルリズ! お前のオーレリアに対する度重なる非道な振る舞い、もはや看過できん!」
王太子の声が大広間に響き渡る。
周囲の貴族たちが息を呑み、さっと道を開けた。
オーレリアは王太子の腕に顔を埋め、琥珀色の瞳からポロポロと涙をこぼしている。
「ああ、殿下……私、もうリズウェルリズ様が恐ろしくて……っ」
「案ずるな、オーレリア。私が守ってやる」
(うわぁ、見事なテンプレ展開。前世で読んだ小説そのままだわ)
私は内心で拍手喝采しながらも、顔には一切出さず、冷ややかで優雅な微笑みを浮かべた。
「非道な振る舞い、とは何のことでしょうか?」
「とぼけるな! 昼間も学園のサロンで彼女のドレスを泥まみれにしただろう! それ以外にも、夜会でのエスコートを妨害したり、彼女の教科書を破り捨てたり……数え上げればキリがない!」
(教科書? そんな中学生みたいな嫌がらせ、誰がやるもんですか。絶対あの子の自作自演じゃない)
否定して「私ではありません!」と泣きつくのは簡単だ。
しかし、それでは私の「悪女ポイント」が稼げない。
私は広げた扇で口元を優雅に隠し、ふふっ、と余裕たっぷりに笑ってみせた。
「あら、オーレリア様は随分と被害妄想がお激しいのですね。わたくしはただ、次期王太子妃として『相応しくない』振る舞いをされる方に、少々厳しくご指導申し上げただけですわ。それに……」
私は扇をパチンと閉じ、あえて傲慢に見下すように言い放った。
「わたくしのような高位の貴族が、たかが伯爵令嬢ごときにいちいち構うとでもお思いですか? 自意識過剰も甚だしいですわね」
ざわっ……! と会場が大きく揺れた。
ひそひそ声が波のように広がる。
(よしっ! 悪女ポイント、今絶対カンストしたわ!)
怒りで顔を真っ赤にした王太子が、ついに決定的な言葉を口にした。
「貴様……っ、どこまで傲慢なのだ! もう限界だ、リズウェルリズ! お前を次期王太子妃の『候補』から永久に除外する! 今この場をもって、私の真の婚約者はオーレリアただ一人だ! そして、お前のその性根を叩き直すため、王都からの追放を命じる! 辺境の実家で一生反省するがいい!」
きたーーーー!!
私は心の中で激しくガッツポーズを決めながら、ゆっくりと、誰よりも美しく完璧なお辞儀をして見せる。
「……承知いたしました。殿下からのご命令とあらば、喜んでお受けいたしますわ」
「なっ……」
「わたくしはこれにて退場いたします。殿下も、オーレリア様も、どうぞお健やかに」
涙ひとつ見せず、すがりつくこともなく、あまりにもあっさりと引き下がった私に、王太子もオーレリアも鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まっている。
私は踵を返し、驚いて道を開ける貴族たちの間を、コツカツとヒールを鳴らして堂々と歩き出した。
(あーせいせいした! さあ、荷物は全部馬車に積んであるし、このまま爆速で実家に帰るわよ!)
足早に大広間を後にする私は、気づいていなかった。
群衆の影に紛れ、他国の使節団として潜入していた帝国の皇太子が、熱に浮かされたような瞳で私を見つめていたことに。
「待たせたわね! さあ出発してちょうだい!」
「お、お嬢様!? 夜会は始まったばかりでは!?」
「いいから早く! 全速力よ!」
追放宣告からわずか数分後。
私の乗った辺境伯家の馬車は、皇太子の手が届くよりも遥かに早く、猛スピードで夜の王都を駆け抜けていったのである。
★
「……あの気の強そうな物言い……。確固たる意志を秘めた翡翠の瞳……。どうやら、俺の魂の渇きを癒せるのは、あの女に違いない」
王宮の大広間。
その喧騒から少し離れた柱の陰で、身分を偽り他国の使節団として潜入していた帝国の皇太子は、肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべた。
彼の正体は、大陸中から恐れられる、強大な帝国の次期皇帝。
強大すぎる魔力と、帝国の裏側を支える防御結界の代償として、彼の精神は常に焼け焦げるような激痛と呪いに苛まれていた。
しかし今、広間の中央で「悪女」として糾弾されている金髪の令嬢――リズウェルリズから放たれる凛とした声を聞いただけで、その呪いの苦痛が嘘のように鎮まっているのだ。
(あのような身分ばかりで、愚鈍な男を前にしても、決して膝を屈さない気高さ。おまけに、俺の呪いを力技でねじ伏せるとはな)
皇太子の冷酷な瞳に、かつてないほどの強烈な執着と、所有欲の炎が灯る。
婚約破棄と国外追放。
それは彼女にとって絶望の宣告のようだが、皇太子にとってはこれ以上ない朗報だった。
この国は自ら、価値のある宝石を手放したのだ。
(バカな奴らだ。だが、おかげで手間が省けた。あの女は、俺が拾い上げて俺のモノにする。一生、俺のそばから離さすつもりはない)
「殿下からのご命令とあらば、喜んでお受けいたしますわ」
優雅な礼を決めて、広間を出ていくリズウェルリズ。
皇太子は、彼女をそのまま自身の馬車へと連れ去るべく、堂々とした足取りで後を追った。
最高の笑みを浮かべ、「お前は俺のモノだ」と強引に手を引くシミュレーションだけは、完璧だった。
しかし。
「待たせたわね! さあ出発してちょうだい!」
「お、お嬢様!? 夜会は始まったばかりでは!?」
「いいから早く! 全速力よ!」
王宮のエントランスを出た瞬間、皇太子の目に飛び込んできたのは、ドレスの裾を豪快にまくり上げ、用意してあった辺境伯家の馬車に物凄い勢いで、乗り込む令嬢の姿だった。
バチン!と勢いよく扉が閉まったかと思うと、御者の制止も聞かずに馬車は猛スピードで発進。
皇太子が声をかける間も、強引に手を伸ばす隙すらもなく、リズウェルリズを乗せた馬車は車輪から火花が散りそうなほどの爆速で、夜の王都を駆け抜けていってしまった。
残されたのは、笑みを浮かべたまま、空中で行き場を失った皇太子の右手と、砂埃だけである。
「…………」
「こ、皇太子殿下……。あのご令嬢が、ものすごい速度で帰ってしまわれましたが……」
背後に控えていた側近が、冷や汗を流しながら恐る恐る尋ねる。
数秒の沈黙の後、皇太子は空を切った右手をゆっくりと下ろし、喉の奥で低く笑った。
「くっ……ははっ、あっはははは!」
「で、殿下!?」
普段の冷酷無比な彼からは想像もつかない、心底楽しそうな笑い声。
側近たちが顔面蒼白になる中、皇太子は肉食獣が獲物を見つけたような、熱を帯びた瞳で馬車が消えた夜の街道を見つめた。
「傑作だな。俺の前からあんな速度で逃げ去った女は初めてだ。……ますます手放せなくなった」
「あ、あの、追いますか?」
「追うに決まってるだろう。アレは俺の獲物だ」
皇太子は口元を凶悪なほど美しく歪める。
「……逃げられるものなら逃げてみろ。ただし、この俺から逃げ切れると思ったら大間違いだと思い知らせてやる」
こうして、悪女ポイントカンストを見事成し遂げ、爆速で実家を目指す悪役令嬢と、彼女に魂ごと救われたと思い込み、激重な独占欲をこじらせた俺様皇太子の、壮大なすれ違いの追走劇が幕を開けたのである。




