第9話 「Dランクの洗礼」
Dランクになって最初に変わったのは、報酬ではなく瘴獣の質だった。
「主さま、あれ前と違う」
ギンの鼻がひくつく。
東の森の奥、Eランク依頼では足を踏み入れなかった区画。
木々の間に漂う瘴気が、明らかに濃い。
依頼書にはこうある。
『牙蜥蜴型瘴獣、推定三体。Dランク相当。森林東部深層にて家畜被害あり。討伐求む。報酬:銀貨十二枚』
銀貨十二枚。Eランク依頼三件分だ。
一件でこの額。Dランクの世界はそういうことらしい。
「牙蜥蜴型はEランクの泥蜥蜴型の上位種だ。体長が倍、牙に瘴気を纏ってる。噛まれると傷口から瘴気が浸透して治りが遅くなる」
「治癒で浄化できますか?」
ツルが聞いた。
「できるはずだ。だがその分、回復の消耗が増える。噛まれないに越したことはない」
「つまりギンが噛まれなきゃいいのね」
「そういうことだ。フォーメーションは基本形。ギン前衛、クロ遊撃、ツル後衛回復。ただし牙蜥蜴は泥蜥蜴より足が速い。ギン、突撃距離は十二歩厳守。わかってるな」
「……わかってる」
返事に一拍の間があった。
この間が怖い。ギンの本能は制限を嫌う。
「行くぞ」
森の奥に踏み込んで三分。
瘴気の臭いが急に強くなった。
「来る。三体。正面」
ギンの声と同時に、茂みが裂けた。
黒い鱗に覆われた蜥蜴が三体、扇状に飛び出してくる。
Eランクの泥蜥蜴とは比べものにならない。筋肉の密度が違う。牙の先端に黒い霧が纏わりついている。
「ギン、正面の一体だけ。引きつけて左に流せ」
「了解!」
ギンが飛び出した。
銀の爪が閃き、正面の牙蜥蜴の突進を受け流す。第7話の試験で覚えた技術だ。力で止めるのではなく、方向を変える。
だが残りの二体が左右に散った。
Eランクの蟲型なら正面しか来なかった。Dランクからは連携してくる。
「クロ、右!」
「見えてる!」
クロが右の蜥蜴に向かって低く走る。地面すれすれの猫の疾走。蜥蜴の横腹に回り込み、爪で腱を断つ。動きが鈍った隙に離脱。
問題は左だった。
左の蜥蜴がギンの背後に回り込もうとしている。ギンは正面の一体と組み合っていて気づいていない。
「ギン、背後!」
振り向くのが一瞬遅れた。
牙蜥蜴の顎がギンの左肩を掠める。牙が皮膚を裂き、黒い瘴気が傷口に滲んだ。
「っ——!」
「ツル!」
「はい!」
白い光がギンの肩を包んだ。傷が塞がると同時に、瘴気が浄化されて霧散する。
三秒。ギンの動きが戻る。
「ギン、怒るな。そのまま正面を仕留めろ」
ギンの目が一瞬だけ赤く揺れた。噛まれた怒りで突撃距離を破ろうとする本能が見えた。
「十二歩」
それだけ言った。
ギンが歯を食いしばって、踏みとどまった。
正面の蜥蜴を爪で貫く。霧散。
左の蜥蜴はクロが背後から仕留めた。
右の蜥蜴は腱を断たれて動けなくなったところに、ギンが突進して終わらせた。
三体。四十二秒。
「……Eランクの時と全然違うわね」
クロが息を整えながら言った。
「連携してくるのが厄介。正面だけ見てればよかった蟲型とは別物よ」
「ああ。だが対応できた。ギン、十二歩守れたな」
「……守った。でも背中取られた。ギンが未熟だから」
「未熟じゃない。三体同時で背後を取られるのは想定内だ。だから後ろにツルがいる」
ギンが振り返ってツルを見た。
「ツルさん、ありがとう。痛くなかった」
「いえ。瘴気の浄化が少し重かったですが、この程度なら問題ありません」
「ツル、消耗は?」
「一割ほどです」
「一割か。なら今日もう一件いける」
二件目はさらにスムーズだった。
一件目の反省で、ギンが背後を警戒する動きを加えた。クロが最初から左右の蜥蜴を分断する位置取りに入った。ツルの回復タイミングも早くなった。
四体。三十一秒。
「二件合計、銀貨二十四枚。Eランクだと同じ額を稼ぐのに五件は必要だった」
「倍以上の効率ね」
「ランクが上がると単価が上がるから当然だが、それ以上に三人の連携精度が効いてる。ツルの回復があるから、ギンとクロが攻めに集中できる。この三人体制の本当の強みはここだ」
「あんたがいるから、三人が噛み合うんでしょ」
クロがぼそりと言った。
「あたしたち三人だけじゃ、こうはならない。ギンは突っ走るし、あたしは一人で行くし、ツルさんは自分を削るし」
「……否定できないですね」
ツルが苦笑した。
「あんたが後ろで全部見て指示出すから、あたしたちは前だけ見てればいい。……それって結構すごいことよ」
「褒めても報酬は増えないぞ」
「褒めてないわよ。事実を言っただけ」
耳が赤い。事実を言っただけ、という台詞がもう照れ隠しの定型文になりつつある。
*
ギルドで報告を済ませると、リノが声をひそめた。
「ハルさん。最近、ハルさんの評判がかなり広まってます」
「評判?」
「テイム契約なしで魔獣を三体連れてるDランク冒険者。しかもEランクからの最速昇格。話題にならない方がおかしいです」
周囲を見ると、確かに視線がある。
好奇。警戒。そして少数だが、敵意。
「まだ敵意の方は少ないですが、テイマー系の冒険者は面白くないと思う人もいるかもしれません。テイム術を使わずに魔獣を従えてるって、彼らからすれば常識の否定ですから」
「従えてるわけじゃない。一緒にいるだけだ」
「それが余計に理解されにくいんです」
リノの言葉は正しかった。
この世界の常識では、人間と魔獣の関係は二つしかない。支配するか、排除するか。
「対等に一緒にいる」は選択肢に存在しない。
「気をつけてくださいね。……個人的には、応援してます」
「ありがとう、リノさん」
ギルドを出ると、ギンが不機嫌そうに耳を伏せていた。
「主さま。あのリノって人、また主さまに笑ってた」
「受付業務だ」
「業務であんなに笑わない」
「……ギン」
「わかってる。我慢する。でもぉー」
尻尾がぶすっと垂れている。
クロが横で鼻を鳴らした。
「あんたも大概ね。受付嬢に嫉妬って」
「嫉妬じゃない。縄張りの確認」
「同じでしょ」
「違う!」
ツルが後ろで穏やかに微笑んでいた。
「まあまあ。リノさんはハルさまの大切な協力者ですから。仲良くいたしましょう」
「ツルさんは気にならないの?」
「わたくしはハルさまのお傍におりますので。不安になる理由がございません」
ギンとクロが同時に黙った。
この鶴、穏やかな顔で一番えげつないことを言う。
*
宿に戻って、問題が表面化した。
四人部屋。ベッドが二つ。
これまではギンが俺のベッドに潜り込み、クロが窓際のベッドを占拠し、間の床にクッションを敷いて俺が寝ていた。
ここにツルが加わった。
「ハルさま、わたくしは床で結構です」
「却下。翼の怪我がまだ完治してない。硬い床は駄目だ」
「では、ハルさまのお布団を」
「それも却下。お前が寝る場所を確保するのが先だ」
「主さま! ギンのベッドは主さまのベッドだから、ツルさんには渡さない!」
「お前のベッドじゃない。俺のベッドだ」
「同じ!」
「同じじゃない」
「同じ!」
クロが窓際のベッドの上で丸くなっていた。
「あたしはここから動かないから。あとは勝手にやって」
「クロのベッドにツルが入れば解決するんだが」
「却下。猫は寝床を共有しないの」
全員が一歩も譲らない。
前世の部署間の会議室争奪を思い出す。あの時は予約表をExcelで最適化して解決した。
十分で寝室を再配置した。
ベッド二つを壁際に寄せ、間の空間に予備の毛布とクッションを重ねて即席の寝台を作った。三つの寝床が隙間なく並ぶ。
ツルの手際が良かったのが助かった。
「ギンさんは右のベッドに。クロさんは左のベッドに。わたくしは中央の寝台に。ハルさまは……」
「俺は?」
「どちらのベッドでもお好きな方に」
つまり全員の寝床がハルの寝床と隣接している。
どこに寝ても誰かの隣だ。
「……これ、俺が一番狭くないか」
「皆さまのお近くにいらしていただくのが、最適な配置でございます」
にっこり。
完璧な笑顔。完璧な配置。完璧にハル包囲網。
「異議あり」
一応、抵抗を試みる。
「ギンは大賛成」
「あたしは何でもいいわ」
「わたしくも賛成です、ということで多数決ですね」
ギンがうんうん頷いている。クロは目を閉じたまま尻尾だけ揺らしている。異存がないらしい。
前世の上司より手強い。
俺は諦めて、三方を魔獣に囲まれたまま眠りについた。
狭かった。
温かかった。
悪くはなかった。
*
翌朝。宿の受付に手紙が届いていた。
差出人はリノ。
短い文面だった。
『ハルさんへ。お見せしたい物件があります。明日の午前、お時間をいただけますか。街外れの石造りの家です。きっと気に入ると思います。――リノ』
「物件?」
「主さま、物件って何?」
「家だ。住む場所」
ギンの目が輝いた。
「おうち!? 主さまとギンのおうち!?」
「まだ見てもいない。気が早い」
「おうち! おうち!」
聞いていない。尻尾がちぎれそうなほど振れている。
クロが手紙を覗き込んだ。
「ふーん。あの受付嬢、物件情報まで持ってくるわけ」
「ギルドの業務で知ったんだろう」
「業務ね。……まあいいけど」
よくなさそうな顔だった。
ツルが穏やかに微笑んだ。
「自分たちの家。……素敵ですね」
「まだ決まってない」
「ですが、ハルさまはもう計算を始めていらっしゃるでしょう?」
図星だった。
手紙を読んだ瞬間から、頭の中では宿代との比較計算が走っていた。
四人で宿に泊まり続ければ月に銀貨六十枚。
購入費が安ければ数ヶ月で元が取れる。
あとは物件の状態次第だ。
「……明日、見に行く」
「はい!」
「まあいいけど」
「楽しみでございます」
三つの返事が重なった。
どの返事にも「ハルさまと一緒に住む」への期待が隠しきれていなかった。
管理上、同居は効率がいい。移動時間の削減、食費の一元管理、緊急時の集合速度。
合理的な判断だ。
合理的な判断のはずだ。
……胸の奥が少しだけ温かいのは、たぶん気のせいだ。
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