第39話 「信頼の証明」
審議から三日後。ギルドの掲示板で、俺は一枚の依頼書の前に立っていた。
『Aランク瘴獣討伐。エルデ西方・灰岩峡谷。岩蜥蜴型瘴獣一体。体長十二歩。外殻硬度Aランク相当。峡谷内の鉱石採掘路を封鎖中。鉱夫組合より緊急要請。報酬:金貨十二枚』
単体。Aランク。峡谷という閉鎖地形。
「これだ」
隣でキサが依頼書を読んでいた。
「単体のAランクですわね。群れではないので変数が少ない。峡谷は地形が読みやすく、段取りが立てやすい。追加実績の一件目としては理想的ですわ」
「問題は外殻硬度だ。Aランクの岩蜥蜴型は鱗が鉱石並みに硬い。ギンの爪でも正面からは通らない可能性がある」
「アカさまのブレスなら」
「焼ける。だが峡谷内でブレスを使うと反射熱で味方が焼ける。射線の管理が普段より厳しい」
木板を出して、峡谷の地形図を描き始めた。リノが鉱夫組合から取り寄せた測量図を元に、幅、高さ、曲がり角の位置を書き込む。
「もう一つ気になることがある」
「何ですの」
「鉱夫組合の報告に『採掘路の奥から瘴気が濃くなっている』とある。岩蜥蜴が瘴気を吐いているだけなら、倒せば収まる。だが峡谷の奥に瘴気噴出孔があるなら、討伐だけでは終わらない」
「噴出孔の対処も必要になりますわね」
「ああ。噴出孔を浄化だけで抑え込もうとすれば、瘴気の噴出量次第でツルに負荷がかかる。以前、ツルが羽根を削って布を織っていたのを見つけた時に約束した。翼を使わせない段取りを組むと。あの約束を守る。噴出孔がある前提で段取りを組む。なかったら楽になるだけだ」
◇
翌朝。拠点のリビングで作戦会議を開いた。
木板に峡谷の断面図と配置図。六脚の椅子に全員が座っている。ヒノが厩舎跡から庭の端まで歩いてきて、リビングの窓の下で丸くなっていた。会議を聞いているのかもしれない。
「今回の依頼はAランク岩蜥蜴型の単体討伐だ。だが峡谷の奥に瘴気噴出孔がある可能性を想定して動く」
「噴出孔って、ゼノが言うておった瘴気の湧き口じゃろう」
アカが椅子の上で正座しながら言った。
「ああ。地下の瘴気溜まりが地表に吹き出す孔だ。放置すると周辺一帯の瘴気濃度が上がり続ける。普通は浄化で瘴気を押し返すが、噴出量が浄化の出力を超えた場合に問題が起きる」
「問題って」
クロが腕を組んで聞いた。
「浄化担当に過剰な負荷がかかる。ツルの場合、風の浄化で追いつかなければ羽根を使うしかなくなる。その状況を作らないのが今回の段取りの核だ」
ツルが姿勢を正した。青い瞳が俺を見ている。
「今回はツルの浄化を噴出孔の封鎖には使わない」
ツルの目が僅かに揺れた。
「封鎖には使わない?」
「ああ。噴出孔は物理的に埋める。キサの幻術とアカのブレスで」
木板を指した。峡谷の断面図に噴出孔の想定位置を描き込んである。
「峡谷の壁は鉱石混じりの岩盤だ。アカのブレスで壁面を溶かせば、溶けた岩が流れ落ちて噴出孔を埋められる。問題はブレスの射線だ。峡谷内でブレスを撃つと、反射熱で全員が焼ける」
「だからキサの幻術で岩蜥蜴を峡谷の入り口まで誘導して、奥を空にしてからアカがブレスを撃つ。味方は全員峡谷の外に出ている。反射熱は峡谷の壁が吸収する。アカだけが峡谷の入り口からブレスを奥に撃ち込む形だ」
「一方通行の射線ですわね。味方がいない方向にだけ撃つ」
キサが頷いた。
「ツルの役割は、岩蜥蜴の討伐後に残留瘴気を風で浄化するだけだ。噴出孔が物理的に埋まっていれば、残留分の浄化は風で十分足りる。羽根を使う場面は存在しない」
ツルが黙っていた。数秒の沈黙の後、小さく頷いた。
「……ハルさまが、そう段取りしてくださったのですね」
「約束しただろ。お前の翼を使わなくても済む段取りを組むと」
ツルの青い瞳が潤んだ。だが泣かなかった。代わりに、あの不格好な笑みを浮かべた。
「はい。約束、覚えています」
ギンが横から手を挙げた。
「主さま、ギンは何するの」
「岩蜥蜴の正面を受ける。ただし外殻が硬いから、正面から爪は通らない。お前の仕事は足止めだ。蜥蜴がキサの幻術から逃れて暴れた時に、進路を塞いで時間を稼ぐ」
「倒さなくていいの?」
「倒すのはアカだ。溶岩で噴出孔を埋めた後、同じブレスで岩蜥蜴の外殻を焼く。溶けた外殻の隙間にクロが潜り込んで瘴核を抜く」
クロの耳がぴくりと動いた。
「また潜り込む役ね」
「お前の体格と速度が一番向いてる。外殻が溶けて隙間ができるのは一瞬だ。一瞬で潜り込んで瘴核を抜ける奴は、お前しかいない」
「……お世辞がうまいのね」
「事実を言ってる」
「ふーん」
尻尾が揺れていた。褒められると揺れる。もう隠す気もないらしい。
◇
灰岩峡谷。エルデから西に半日。
灰色の岩壁が左右に聳え、峡谷の入り口は幅二十歩ほど。奥に行くほど狭くなる。鉱夫が採掘に使う道が峡谷の底を走っている。
入り口に着いた時点で、瘴気の臭いが漂っていた。岩蜥蜴が吐く瘴気か、あるいは——
「クロ、地中の振動は」
クロが地面に耳を当てた。
「……大きいのが一体、奥にいる。動いてない。寝てるか、待ち伏せてるか。あと——」
耳がぴくりと動いた。
「奥の方から、地面の下で何か湧いてる音がする。ぶくぶくって」
「噴出孔、あるわね」
「想定通りだ。段取りを変える必要はない」
全員が位置についた。
「キサ、幻術開始。岩蜥蜴の嗅覚を狂わせて、入り口に誘導しろ」
「承知しましたわ」
キサの一尾が広がり、薄紫の霧が峡谷の奥に流れ込んだ。偽の獲物の匂い。岩蜥蜴の食性に合わせた幻覚だ。キサが事前に鉱夫組合の記録から食性を調べていた。
地面が揺れた。
峡谷の奥から、重い足音が近づいてくる。岩壁が振動で砂を落とす。
岩蜥蜴が姿を現した。
灰色の鱗が岩壁と同じ色をしている。体長十二歩。報告書通り。だが実物は報告書の数字より遥かに圧がある。四本の太い脚で地面を掴み、尾が峡谷の壁を擦りながら前進してくる。外殻に光沢がない。鉱石のように硬い質感。
「ギン、入り口で受けろ。中に入るな」
「了解!」
ギンが峡谷の入り口に立った。銀の爪を出して、岩蜥蜴の正面を塞ぐ。
岩蜥蜴がギンを見て、突進してきた。峡谷の幅いっぱいを使った突進。壁が削れる。
ギンが横に跳んで避けた。岩蜥蜴が峡谷の入り口から半身を出す。
「キサ、幻術で足止め!」
薄紫の霧が岩蜥蜴の目を包んだ。方向感覚を失い、首を振って暴れる。だが峡谷の入り口に体が挟まって、前にも後ろにも動けない。
「アカ! 奥だ! 噴出孔を埋めろ!」
「任せよ!」
アカが峡谷の入り口の上、岩壁の縁に立っていた。上から奥に向けてブレスを撃ち込む。赤い帯が峡谷の奥を走り、壁面の岩が溶けた。
溶岩が流れ落ちる。峡谷の底にあった噴出孔に向かって、重力に従って灰色のどろりとした溶岩が流れ込んでいく。
瘴気の噴出が弱まった。溶岩が孔を塞いでいく。完全ではないが、噴出量が半分以下に落ちた。
「もう一発!」
「喰らえぇ!」
二射目。さらに壁面が溶け、溶岩が噴出孔を完全に覆った。瘴気の噴出が止まった。
「噴出孔封鎖完了。ツル、残留瘴気の浄化を」
「はい」
ツルの白い風が峡谷に流れ込んだ。残留瘴気が洗い流されていく。風だけで十分に足りた。羽根の光は一切出ていない。
「ツル、負荷は」
「ございません。風だけですので」
微笑んでいた。不格好な方の笑み。嬉しそうだった。
「次。岩蜥蜴を仕留める。アカ、外殻を焼け。背中の中央」
「了解じゃ!」
三射目のブレスが岩蜥蜴の背中を直撃した。Aランクの外殻が赤熱する。鉱石のように硬い鱗が溶け始め、背中の中央に拳二つ分の隙間が開いた。
「クロ! 今!」
黒い影が岩壁を蹴った。音がない。地面すれすれを滑るように走り、溶けた外殻の隙間に手を突っ込んだ。
一秒。
クロの手が引き抜かれた。掌に黒い瘴核。
岩蜥蜴が崩れ落ちた。巨大な体が灰色の霧になって霧散し、峡谷の底に瘴核だけが残った。
「討伐完了。味方の負傷——」
全員を見回した。
「ゼロ」
ギンが拳を突き上げた。
「やった!」
「妾のブレス三連射が決め手じゃ!」
「あたしの手がまだ熱いんだけど」
「申し訳ありません、すぐ冷やしますね」
ツルがクロの手に浄化の風を当てた。冷却効果で赤みが引いていく。
キサが時間を数えていた。
「開始から討伐完了まで、四十三秒ですわ」
四十三秒。Aランク単体。噴出孔封鎖込み。味方損害ゼロ。ツルの羽根使用なし。
審議で求められた「安全性の証明」の数字として、これ以上のものはない。
◇
ギルドに帰還した。
リノが討伐報告を受理しながら、数字を読み上げた。
「Aランク岩蜥蜴型、単独パーティー討伐。所要時間四十三秒。瘴気噴出孔の物理的封鎖を同時実施。味方損害ゼロ。浄化担当の特殊能力使用なし」
最後の一行をリノが二度読んだ。「特殊能力使用なし」。ツルの羽根を使っていないことが明記されている。
「ハルさん。これで追加実績は十分です。次回審議に間に合います」
「あと何件必要だ」
「この一件で基準を超えています。Aランク単体の討伐、噴出孔対処、損害ゼロ。全ての条件を一回の依頼で満たしました。もう一件追加すれば万全ですが、必須ではありません」
「もう一件入れる。念には念を」
「段取りの鬼ですね」
「褒めてないだろ、それ」
「褒めてます。四回目ですけど」
リノが小さく笑った。
報告書を提出して、ギルドを出ようとした時。キサが足を止めた。
金色の目が細くなっている。情報屋の目だ。
「ハルさま。少しお耳に」
声が低かった。策士が警戒している時の声。
「何だ」
「今朝方、商会の伝手から速報が入りましたわ。グレイヴさまが、次回審議の前に公開の場で実演を計画しています」
「実演?」
「テイム獣の制御性を示す実演です。テイマーギルドの広場で、一般の冒険者と市民の前で、テイム獣がいかに安全に制御されているかを見せる。名目はそれですわ」
「名目は、か」
「ええ。実質は恩義契約との比較ですわ。テイムの安定性を見せつけた上で、恩義契約の不安定さを暗に印象づける。審議の票をこちらに傾けさせないための、世論工作」
「使うテイム獣は」
キサの声が、一瞬だけ途切れた。金色の目の奥で何かが震えた。すぐに収めたが、俺は見逃さなかった。
「登録番号TG-0439。グレイヴさまの直属のテイム獣ですわ」
キサの姉だ。
「幻術の実演という名目で、姉を衆目の前に引き出す。テイムがいかに完璧に魔獣を制御するかを、姉の体を使って示す」
キサの一尾が震えていた。怒りか、恐怖か、あるいはその両方。
「グレイヴは審議の前に空気を作ろうとしてる」
「ええ。世論を味方につけた状態で審議に臨めば、モーゼルさまやレインさまの票も動きにくくなる。逆にこちらの追加実績を出しても、世論が『でもテイムの方が安全だろう』という空気なら、数字だけでは押し切れない」
頭の中で計算が走った。追加実績の数字は揃った。だが数字の外側で空気を作られると、審議の力学が変わる。
「実演の日程は」
「審議の五日前。一週間後ですわ」
一週間。対策を立てる時間はある。だが対策の方向が見えない。グレイヴの実演を妨害するわけにはいかない。合法的な広報活動だ。
「キサ。お前の姉が公開の場に出る」
キサが数秒間黙った。
「……三十年ぶりに、姉の姿を見ることになりますわね」
声は平坦だった。だが一尾の震えは止まらなかった。
一週間後。グレイヴの実演。審議の五日前。
嵐が、近づいていた。
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