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追放されたスキルなしの荷物持ち、助けた魔獣が美少女になったんだが愛が激重で誰も離してくれない  作者: 他力本願寺


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第37話 「嵐の前の食卓」

審議まで一週間を切った朝、拠点は平和だった。


 平和すぎて逆に不安になる。嵐の前の凪というやつだ。前世で大型プレゼンの前週に限って何も起きない日があった。何も起きない日ほど、本番に何かが起きる。だから準備を怠らない。凪の日にこそ段取りを詰める。


 だが今朝は段取りを詰める前に、食卓の配置問題が発生していた。


「クロ、近い」


 ギンが粥のスプーンを止めて、隣のさらに隣を見た。


 クロが俺の左側に座っている。いつもの席だ。だが椅子の位置がいつもより拳一つ分ほど俺に寄っていた。そしてクロの左手が、テーブルの下で俺の上着の裾を掴んでいた。


「近くない」


 クロが即答した。粥を啜りながら、視線を合わせない。


「近いよ。(ぬし)さまの左腕にクロの肘が当たってるもん」


「たまたまよ。椅子の位置がずれてるだけ」


「昨日もたまたまだった。一昨日もたまたまだった。毎日たまたまなの?」


「毎日たまたまなの」


 ギンが不満そうに銀の耳を伏せた。だが追及はそこで止めた。一ヶ月前のギンなら「(ぬし)さまの左はギンのもの!」と爆発していただろう。最近は少しだけ大人になった。少しだけ。


 キサが茶を啜りながら、木板の横から一言。


「たまたまが七日続く確率は、〇・〇〇八パーセントですわね」


「根拠のない計算ね」


「根拠は企業秘密ですわ」


 アカが俺の右肩の上から首を伸ばして、クロの手元を覗き込んだ。


「おぬし、またあるじの服を掴んでおるな」


 クロの手がびくりと動いた。上着の裾を反射的に離しかけて、一瞬止まって、結局離さなかった。


「……掴んでない」


「掴んでおる。妾の目は竜の目じゃ。誤魔化せぬぞ」


「掴んでないったら掴んでないの」


 掴んでいた。全員が見ていた。クロだけが認めなかった。


 だがクロの右耳が、以前とは違っていた。黒い髪を耳にかける仕草で、裂けた右耳の縁がちらりと見える。前なら慌てて髪を戻していた。今は見えたまま、粥を食べ続けている。隠す動作が消えたわけではない。ただ、慌てなくなった。


 ツルが粥のおかわりを持ってきた。クロの前に器を置きながら、裂けた右耳に一瞬だけ目をやった。何も言わなかった。ただ、おかわりの量がいつもより少し多かった。ツルの気遣いは常に無言だ。



        ◇



 午前の依頼を片付けた後、庭でアカの火力制御訓練の成果を確認した。


 石板の的を十歩先に立てる。いつもと同じ距離、同じ大きさ。


「アカ。十発、全弾的内に収めてみろ」


「愚問じゃ。見ておれ」


 アカが口を開いた。喉の奥に赤い光が集まる。


 一発目。的の中央やや左。命中。

 二発目。中央やや右。命中。

 三発目。ど真ん中。命中。


 四発目から十発目まで、全て的の範囲内。はみ出しゼロ。周囲の地面にも焦げ跡なし。


「十発十中。完璧だ」


「当然じゃ!」


 アカが胸を張った。角の根元が赤い。嬉しくて仕方ない顔だ。小さな拳を握って、尻尾がぶんぶん揺れている。


「妾は完璧じゃ! もはや外す方が難しいのじゃ! この妾に制御訓練など不要、竜のブレスは生まれながらに——」


 言いながら振り向いた拍子に、口の端から小さな火が漏れた。


 火は風に乗った。


 庭の奥、物干し竿に掛かっていたシーツの端に引火した。白い布がめらめらと燃え上がる。


「——あ」


 アカが固まった。角の根元が赤から蒼白に変わった。


 縁側にツルが立っていた。


 洗い物を終えたばかりで、手にはまだ濡れた布巾を持っている。白い髪が風に揺れている。青い瞳がシーツの炎を捉えた。


 ツルは微笑んでいた。いつもの穏やかな微笑み。だが目が笑っていなかった。目だけが絶対零度だった。


「アカさま」


「は、はいっ」


 アカの声が裏返った。竜の矜持が消し飛んでいた。


「あのシーツは今朝わたくしが三回すすいで、日当たりの良い場所を選んで干したものですよ」


「も、申し訳——」


「三回ですよ」


「三回……」


「冷たい水で、三回」


 ツルの声は穏やかだった。穏やかなまま、圧が上がっていく。ギンが俺の後ろに隠れた。クロが屋根裏に退避した。キサが無言で居間に入っていった。


 アカだけが逃げ場を失って、庭の真ん中で直立不動していた。


「次からは、振り向く前に口を閉じてくださいね」


「閉じます」


「よろしい。では、新しいシーツを干し直しますので、アカさまは的の片付けをお願いいたします」


「はい」


 完璧な敬語で返事をするアカを初めて見た。竜は鶴に勝てない。自然界ではありえない、この家の力関係が再確認された瞬間だった。



        ◇



 午後。


 庭の真ん中に、橙色の影がいた。


 ヒノだ。


 厩舎跡から庭の中央まで歩いてきている。これまでは厩舎跡の周辺をうろうろするのが限界だったが、今日は石畳を超えて芝生の上まで出てきていた。


 脚の運びはまだ弱い。体重を支えきれずに時折ふらつく。だが止まらない。一歩、一歩、ゆっくりと前に進んでいる。


 ギンがリビングの窓から飛び出してきた。


「ヒノ! ヒノ、歩いてる!」


 銀色の少女が庭を走ってヒノに駆け寄った。炎狼の鼻先に顔を近づけて、尻尾をぶんぶん振っている。


「すごい! ヒノ、すごいよ! 昨日より遠くまで来てる!」


 ヒノが小さく尻尾を振った。まだ弱々しいが、ギンの声に反応している。


 ギンが一緒に走ろうとした。二歩走って、振り返って、ヒノがついてきていないことに気づいた。ヒノの歩みは遅い。一歩に三秒かかる。ギンの全力疾走とは比べものにならない。


 ギンが立ち止まった。


 それからゆっくり歩き始めた。ヒノの隣に並んで、ヒノと同じ速度で。一歩に三秒。銀色の尻尾が、ゆっくりと揺れている。


「ギン、一緒に歩こう。ゆっくりでいいよ」


 ヒノが赤い目でギンを見上げた。疲れた目の中に、微かな光が見えた。


 二匹が並んで庭を歩いていく。銀と橙。片方は最強クラスのフェンリルの血統で、瘴獣を一撃で裂く爪を持っている。もう片方はテイムの後遺症で力が三割も出ない炎狼。速度も力も桁違いなのに、ギンはヒノに合わせて歩いている。


 追い越さない。急かさない。ただ隣にいる。


 屋根裏の窓からクロが見下ろしていた。何も言わなかったが、猫耳が柔らかく伏せていた。穏やかな表情。窓枠に頬杖をついて、二匹の散歩を眺めている。


「クロ、降りてこないの」


 ギンが下から声をかけた。


「いい。ここから見てる方がよく見えるから」


「何が」


「ギンの優しいとこ。上から見ると分かるのよ。歩幅を合わせてるのよね」


 クロの声はいつもの棘がなかった。


「……犬は嫌いだけど、そういうとこはちょっとだけ認めてるわ」


「えへへ、ありがと。でも、犬じゃなくて狼だよ」


「同じよ」


 その声にもやはり棘は無かった。



        ◇



 夕食はツルの鶏と根菜の煮込みだった。六人分の皿に加えて、ヒノの分の柔らかく煮た肉が小さな器に盛られている。


 アカは午後のシーツ事件からまだ反省モードで、食卓では大人しかった。いつもの「妾が一番」がない食卓は、妙に静かだ。


「アカさん、もう怒ってないから普通に食べてください」


 ツルが笑った。今度は目も笑っていた。


「……本当か?」


「本当ですよ。次からは気をつけてくださいね」


「気をつける。妾は学ぶ竜じゃ」


「いい心がけですわ」


 キサが茶を啜りながら言った。帳簿は食卓に持ち込んでいない。俺に叱られてから、食事中は帳簿を広げなくなった。


「ねえ、(ぬし)さま」


 ギンが粥の三杯目に手を伸ばしながら言った。


「来週の審議、勝てるの?」


 食卓が少しだけ静かになった。


「勝ち負けの話じゃないって言っただろ」


「うん。でもギン、ぬしさまが心配。あのグレイヴって人、怖そうだもん」


「怖くはない。手強いだけだ」


「手強いのと怖いの、何が違うの」


「手強い相手には対策が立てられる。怖い相手には対策が立たない。グレイヴには対策がある。だから大丈夫だ」


 ギンの尾が少しだけ揺れた。安心したらしい。


「ギンは審議には出られないけど、応援してる。ぜったい」


「ああ。ありがとう」


(ぬし)さまが帰ってきたら、いっぱい撫でてもらう。約束」


「依頼の報酬みたいに言うな」


「ギンにとっては報酬なの」


 クロが鼻を鳴らした。


「あたしは別にいいけど。……帰ってきたら、いつも通りでいい」


「いつも通りって何だ」


「いつも通りよ。隣に座って、飯食って、おやすみ言って」


「そういえば言うようになったな、おやすみって」


 クロの耳が赤くなった。


「……今のはなし」


「それは無理だな」


 食卓が笑いに包まれた。アカが「おぬし、顔が赤いぞ」とからかい、クロが「竜に言われたくない」と返し、ギンが「ギンも耳が赤くなることある!」と参戦し、キサが「わたくしは赤くなりませんわ」と涼しい顔をして、ツルが「皆さまお代わりはいかがですか」と皿を回した。


 いつもの食卓だった。嵐の前の、いつもの騒がしくて温かい食卓。



        ◇



 深夜。


 全員が寝静まった後、書庫に灯りが漏れていた。


 覗くと、キサが棚の前に座っていた。審議対策の資料を広げて、最後の確認をしている。テイマーギルド穏健派の票読み、グレイヴの反論パターンへの対策、世論データの最新版。


「キサ、まだ起きてたのか」


「最終確認ですわ。明日ハルさまにお渡しする前に、抜けがないか」


「抜けはないだろう。お前の資料に抜けがあったことがない」


「初めてのことですもの。念には念を」


 書庫の扉がもう一度開いた。


 ゼノだった。今日は書庫に泊まり込んでいたらしい。棚の奥に簡易の寝床を作って、フィンのノートを読みながら寝落ちした形跡がある。髪がいつも以上に乱れていて、眼鏡が曲がっていた。


「おお、二人とも起きていたか。ちょうどいい」


 ゼノが一冊のノートを抱えていた。フィンの研究ノートの中でも、特に古いもの。表紙が擦り切れて、背表紙が剥がれかけている。


「テイム解除の理論を追っていて、別の記述に行き当たった。本題とは直接関係ないが、無視できない内容だ」


 ゼノがノートを開いた。付箋が挟まれた頁。フィンの細かい文字と、古代共通語のルーンが混在している。


「恩讐の王」


 ゼノの声が低くなった。


「前に表紙だけ見せた古文書の記述と、フィンのノートの記述が一致した。恩刻の対極に位置する存在。恩義を裏切られた者たちの怨念が凝縮して生まれる意思体」


「前にも聞いた。三百年前の記録だろう」


「三百年前の記録と、フィンの注釈が噛み合ったんだ。フィンは古文書の内容を独自に検証していた。そして一つの仮説を立てている」


 ゼノが付箋の頁を指した。フィンの筆跡で書かれた一文。


『恩刻が広がれば広がるほど、反転の母数も増える。恩義契約が制度化されれば、恩讐の王が目覚める条件が整う可能性がある。——だが、それでも制度化すべきだと私は考える。恐れて止まるより、備えて進む方が正しい』


「フィンは気づいていたのか」


「ああ。リスクを承知の上で、それでも恩義契約を作るべきだと考えていた。だが備えについては書かれていない。おそらく、そこまで研究が進む前に……」


 ゼノが言葉を切った。フィンが病で死んだことを思い出したのだろう。


「今すぐどうこうという話ではない。恩讐の王が実在するかどうかも、まだ確証はない。だが頭の片隅に置いておいてくれ。恩義契約が成功すればするほど、この問題は大きくなる」


 キサが資料の手を止めて、ゼノを見ていた。金色の目に新しい情報を取り込む光がある。


「ゼノさま。その恩讐の王についての記述、わたくしにも写しをいただけますか」


「構わんが、今は審議に集中した方がいい」


「ええ。ですが、情報は早く手に入れるほど価値がありますので」


 ゼノが頷いて、ノートの該当頁をキサに見せた。キサの指が文字をなぞりながら、高速で内容を記憶している。情報屋の読み方だ。


 俺は窓の外を見た。月のない夜だった。庭は暗い。厩舎跡でヒノが丸くなって眠っているはずだ。


 恩讐の王。恩刻の反転。恩義契約が広がれば、リスクも広がる。


 フィンはそれでも進むべきだと書いた。俺もそう思う。だが備えは必要だ。


 今は審議だ。一週間後の審議に全てを賭ける。その先のことは、その先で考える。


 一度に二つの嵐を相手にしない。俺はそこまで器用じゃない。




        





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